俺の男に手を出すな1-6


 

晶は駅から軽い足取りで自宅へ向かっていた。時刻はまだ8時。
何故こんな早くに帰路についているかというと、単純な話し、珍しく早上がりにさせてもらったからである。アフターの約束もなかったし、指名も今日は7時 までにして貰った。思い返せば店のラストにならないうちに帰るのは、凄く久しぶりである。晶にとっての8時といえば、いつもなら夜はこれからといった時間 帯なのだ。

駅から自宅までの間にあるコンビニを梯子し、それぞれの店で煙草や新商品の菓子、雑誌等を買い、気付くと大きな買い物袋が2つになっていた。結構重いその袋を片手に提げたまま、晶はもう片方の手でポケットの中の鍵を探し、自宅の冷たいドアノブに手を掛ける。
「ただいまー……」と言った後に自分で「おかえり-」と小さく返してみる。勿論返事が返ってこないのはわかっている。どうせ部屋には自分しかいない。た だ、今日は無性にただいまと言いたい気分だったのだ。自前の「おかえり」以外の声は何処からも届かない事、いつもはそれが寂しく感じるが、今夜はそういう 気持ちはすっかり消えていた。

玄関を入ってリビングのドアを開けると、すぐの棚に何種類ものリモコンが乱雑に置かれている。テレビ・空調・部屋の電気・DVDデッキ等々、それらを一 つずつ手に取り、センサーのある方向へと向けては電源を入れていく。必要の無い部屋を含む全ての電気を明々とつけ、テレビとDVDデッキの電源を入れる。 これでひとまず帰宅したらやる行動が全て終了する。
着ていたコートを脱いで椅子にかけ、ついでにジャケットもその上に脱ぎ捨てる。手を洗って、コンビニで買ってきた物を物色していると、初動の遅いDVDデッキがノロノロと起動し始めた。

晶は今から食べる弁当だけをレンジに放り込むと、再びリモコンを手に取り、椅子へとドカッと腰掛けた。こんな時にしか観る時間が無い貯まっている録画を 視聴する為である。いつか観るかもと撮ってある映画等はとうに20本を超えているが、今日もそれらを再生する機会はなさそうである。
コンビニの袋から雑誌を取り出しペラペラとめくる。今週号の青年誌の表紙を飾るグラビアアイドル。彼女が出演している番組録画を今夜は観ようと思ってい るからだ。彼女は実は晶の客である。先日来店した際に出演する番組を聞いたので、予約録画をしておいたのだ。次に会った時に「観たよ」と話題を振る為とい うのもあるが、純粋に応援しているからという方が大きい。何せまだ全く無名の頃から知っているので、その成長を嬉しく思う兄のような気持ちもあったりす る。

録画一覧からその番組を探して再生する。最近よく見かける芸人の司会で始まり、出演者にカメラがズームして紹介が続く。あどけない童顔に似合わない胸の 大きさ。そのアンバランスさが男心をくすぐるというのも納得がいく容姿。店に来る時より幾分猫をかぶった彼女が、何のキャラだかわからないコスプレをして クイズ番組に出ているのを眺めていると、キッチンでレンジが温め完了の電子音を響かせた。

よく読まずに適当な時間で温めた弁当はどうやら長くやりすぎたらしく、容器がいびつに歪んでいる。手で持てないくらいの熱さに驚き、仕方無くタオルで包んでテーブルへ持ってくる。蓋をあけてみると、付け添えで入っているサラダまでもが湯気が立っていた。
――まぁ、別にいいか。
晶は特に気にせず、湯気の立つプチトマトを口に放り込み、また座って続きを再生する。
画面の向こうに映る彼女は確かにテレビ映えするし可愛い。クイズの回答はことごとく間違っていたが、多分それは演出なのだろう。店で彼女と話す限りで は、とてもしっかりしているし努力家な事を晶は知っている。彼女の話を聞けば聞くほど芸能界の闇が深いのを思い知るばかりだが、そんな中でも頑張ってここ まで昇りつめた彼女は本当によくやっていると思う。

そんな彼女を視界に入れながら、この前店で彼女はいるのかどうか聞かれたのをフと思い出していた。
「ねぇ、晶って本当は彼女がいるんでしょ?」
この手の質問は、ほぼ100%の客が遅かれ早かれ聞いてくるといっても過言ではない。
例え彼女がいても認めるホストはいないが、晶は本当にいないので「いない」と答えたのだ。信じて貰えたかどうかはさておき、実際にその時点ではいないので嘘ではなかった。

晶はメインのおかずであるハンバーグを大きく割って口に運びつつ考える。
今度聞かれたら……。いないというのは嘘になる……よな、と。
しかし、「いる」わけでもないんじゃないか?とも思う。だって、彼女は本当にいない。付き合う事になった人はいる。というか今日から付き合ってる事になるのだろうか?先のことはわからないし……昨日の自分と何処がどう違うか説明も出来ないわけだが。
ただひとつ事実として、昼に告白をされてキスまでした相手がいるという事だった。艶やかな長い髪、体格はスラリとしていて、眼鏡の似合う……【男】である。

晶は昼間の濃厚な口付けを思い出して、佐伯と付き合う事になった自分に改めて驚いていた。
理想のタイプは小柄でショートカットの年下の女の子だ。今まで付き合ってきた歴代の彼女を思い浮かべても、この理想とそう離れている女性はいない。今もそれは変わっていない。それなのに、180度どころかもう540度ぐらい違う相手を好きになってしまったのである。
自分の腕の中で背伸びをしてキスをねだってくる女の子をぎゅっと抱き締める時のあの「俺って幸せ」と思う瞬間が堪らない……。
堪らないはずだったのに、佐伯相手だと逆に自分が背伸びしなくてはいけないという現実。守ってあげたいと微塵も感じられないコレジャナイ感。
冷静になってそう考えては見るが、自分が背伸びしたって別によくね?という結論に簡単に辿り着いてしまう脳内は、やはり佐伯に毒されている(好き)とい う事なのだろう。男とのキスなんて罰ゲームで店のホストとした事ぐらいしかないし、したいとも思った事がないのに、佐伯とのキスは今まで経験してきたどの キスより良かった、気がする。二十六にして新たな展開を迎えてしまった恋模様に、人生何があるかわからないとしみじみと思ってしまう。
新しく出来た彼女が、彼氏?いや、彼『女』自体おかしいのだから、どう表現すればいいのだろう。
佐伯の彼氏が俺。うん。そうだな、と一応納得する。

付け添えの人参を箸で避けながら、グルグルと考えていると自宅の電話が鳴り響いた。滅多にかかってこない固定電話の音にびっくりし、慌てて子機へと手を伸ばす。使ってないだけはあり、受話器は少し埃がかぶっていた。強く息を吹きかけて埃を払った後受話ボタンを押す。

「はーい、三上ですけど」
『あれ、晶?』

電話の相手は実家の母親だった。固定電話にかけてくるのは勧誘か実家が9割を占めているから想定の範囲である。母親は自分から掛けてきたくせに電話に出た晶に驚いていた。

「なんだ、お袋かよ。何で驚いてんの」
『だってあんた、こんな時間に家にいるとは思わないじゃないの』
「じゃぁ何で掛けてきたんだよ。ってかどしたの?何か用事?」
『留守電にメッセージいれようと思ってかけたんじゃないの。なぁに?まさかあんた、ホスト首になったの?』
何か用事なのか?と聞く晶の事は一切無視である。
「なってないし、今日は早上がりなだけ。心配してくれなくてもちゃんとやってるから」
『あぁ、そうなの?父さんにあんな啖呵きって、もう「やめました」じゃ合わせる顔がないものね。まぁ、でもホストなんて若いうちしか出来ないんだから、あんたもいつまでもチャラチャラしてないで将来の事考えなさいよ?うちがどうこうじゃなくて』
「別にチャラチャラしてないって。そういう職種なんだから仕方ねーの」

ここまでの会話、これはもう録音して再生するだけでいいのではないかと思うほどに毎回同じである。二月に一度くらいの間隔でかかってくるが、何年もこの やりとりは変わっていない気がする。どうして母親というのは一に小言二に小言と小言が多いのだろうか。思わず電話口で苦笑していると、漸く電話を掛けた用 件が話された。

『そうそう、あんた聡司君覚えてるでしょ?うちのむかいの』
「あー、うん。聡司がどうかしたの?」
『聡司君から今日招待の葉書預かったんだけど、高校の同窓会をやるんだって。あんたの連絡先知らないからって伝言頼まれたのよ』

同窓会……。高校を卒業して東京の大学に通うためすぐに越してきた為、高校時代の同級生とは疎遠になっている。丁度向かいの和菓子屋の息子である聡司と は幼い頃から仲良くしていたが、頻繁に連絡を取っていたのは大学1年の時までだった。卒業して、ホストになってからは一切連絡をしていない。懐かしさもあ るが、店を長期休んで帰郷するのも難しい。

「俺、店休めねーから、悪いけど欠席って言っといてよ」
『折角誘ってくれてるのに勿体ないわねぇ。じゃぁ、明日会ったら言っておくけど』
「ってか何で聡司にそんなしょっちゅう会ってんの?あいつ、俺と一緒でこっちの大学来たんじゃなかったっけ」

別に深い意味は無かった。伝言を頼まれ、しかも明日返事を返すほど頻繁に会っているのが不思議だっただけである。しかし、そのセリフは言わない方が良かったのかもしれない。晶の何気ない一言が母親の小言スイッチを見事に押してしまったようだ。

『あんた知らないの?聡司君はね、結婚して戻って来てるの。今は実家を継いでるのよ?実家の近くにおうちを建てて。ほら、聡司君も一人っ子でしょ。だから、ご両親の面倒もみなくちゃいけないからって』
「へ、へぇ……そうなんだ」
『いいわねぇ……。何処かの誰かさんみたいに顔も見せないのとは大違い。聡司君のお嫁さんね、凄く気の利く可愛らしい子なのよ。羨ましいわぁ』
「…………」

嫌味たっぷりで言われて返す言葉もない。ホストをやってる事も今では目を瞑ってくれているが、最初は猛反対を受けたのだ。ホストなんて女をたぶらかす詐 欺師みたいなものだと父親に怒鳴られ、「どうせお前には務まらない」と言われたのに対し、「絶対No1ホストになってやる」と啖呵まで切って出てきたのは 記憶に新しい。もう怒ってはいないのかもしれないが、何となく気まずいのと忙しいのとで、実家にも顔をずっと出していなかった。
気の利く可愛いお嫁さん。…………晶は咄嗟に佐伯を思い出し、思わず吹き出しそうになる。きっと「俺の恋人です」なんて連れて行ったら昔気質の父親は卒倒するかもしれない。

「まぁ……今度、暇になったら顔出すって」

母親はそこまで本気で言ったわけでもないらしく、「あんたの顔なんて、もう忘れちゃったわ」等と捨て台詞を吐いていたが、最後には身体を心配して、酒を 飲み過ぎるなとか外食ばかりするなとか散々言って、「お米と後色々、あんたの好物送ったから、明日はご飯くらいはちゃんと炊いて食べなさいよ」と締めく くってやっと電話を切った。母親がわざわざ明日と言った意味はわかっている。届くだろう荷物の中に何が入っているかもだいたいの見当が付く。
自炊を全くしないので、前回送られてきた米が実は封を開けずまだ残っている事にさすがに罪悪感がわいてきた。
晶はそのままキッチン脇へ置かれている米の袋に視線を向けて少し反省しつつ、すっかり冷めた弁当の残りをかきこんで、今度米くらいは炊くかと思い直した。


食事を終え、観ていたクイズ番組を最後まで鑑賞し終えた頃、再び電話が鳴った。早くに自宅にいるとこうも電話が鳴る物なのかと妙なところで感心してしま う。また母親が何か言い忘れてかけてきたのだろうとふんで「はいはい」とぞんざいに電話に出た晶の耳に届いたのは聞き覚えのない声だった。

『三上さんのお宅でしょうか?夜分遅くに申し訳ありません。敬愛会総合病院の木下と申します。晶様はご在宅でしょうか?』

――病院!?

晶は肩に挟んでいた受話器をきちんと持ち直し咳払いする。そういえば昼間に診察券を出したままだった事を思い出す。診察券まで出したのに、忽然と姿を消 しているなんてきっと驚いたに違いない。電話がかかってきたという事は、佐伯がかけるように手配したのだろうが、どう伝えているのかわからない為、ここは 慎重に応対するしかない。

「あ、はい。俺です」
『あ!三上さん!!』
「…………?」
『お体の調子は、その後如何ですか?』

もの凄く心配そうな声色に一瞬怯む。一体どういう状況を想定すればいいのだろうか。これはきっと腕の怪我の事を指しているわけではないのは明らかだ。晶は怪しまれないようにすぐに返事を返した。

「え?あー、はい。大丈夫です」
『あぁ、良かった……。待ってる間に貧血でお加減が悪くなったので、その場で診てタクシーで帰したと担当医師から聞いていた物で……』

――そうきたか。

咄嗟に姿を消した事に対して無難な理由ではある。まさか佐伯が「非常階段の踊り場でキスを楽しんでたら診察時間が過ぎた」等と言うわけはないし、佐伯の機転に感謝しつつ続きの言葉を考える。貧血など一度もなった事がないが、うまく話しを合わせるしかない。
ほんの数秒前、元気よく「大丈夫です」と言ってしまった事に少し慌て、晶はわざとらしく声を落としていつもの元気の半分を封印した。

「すみません……急に帰っちゃって。自宅で休んで今はすっかり治って……もう大丈夫です。あの、お手数かけました」
『いえいえ、そんな。お元気になられたなら良かったです。安心しました!お大事になさって下さいね。それで、本日の替わりの次回予約なのですが、いつになさいますか?』
「あー……じゃ、明日は空いてる時間ありますか?」
『少々お待ち下さい』

予約を確認しているのかキーボードを叩く音が暫く聞こえ、その後、午後最後の枠が空いている事を告げられたので、そのまま予約して貰った。
通話を終えた電話を床へと放ってソファに移動し、先程の自分の演技に満足しつつ煙草に火をつける。
また明日も病院へ行くのは少し面倒だったが、自業自得である。それに、もしかして佐伯がいるかも?とほんの少し期待している自分が居た。
病院へ夕方に行って、その後、店へ出て……。
時間は丁度いいなと思っていると途端に睡魔に襲われた。色々あって何だかとても疲れている。ここ数日の睡眠不足は思っていたより蓄積されており、晶はあ くびをかみ殺すとソファから起き上がって煙草を灰皿で揉み消す。まだ早いので部屋の掃除でもしようかと思っていたが、今日はやっぱり早めに寝よう。そう決 めて、その足で風呂場へ行き、軽くシャワーを浴びる。
少しは目が覚めるかと期待していたが、洗いっぱなしで濡れた髪にタオルをかぶせ何度か拭いている間も眠気は濃くなっていくばかりである。ベッドに向かい数個の目覚ましを何とかセッティングする。
――このまま寝たら、寝癖つきまくるよな……。
そう思いつつも、その5分後にはもう寝息を立てていた。

 
 
 
 
*     *     *

 
 
 
 
次の日、目覚めも良くスッキリした気分で病院へ向かう。
この前と違ってもう夕方なので、時間のおしている患者が結構待合室にいる。しかし、さほど待たずに晶は診察室へ呼ばれた。今日は佐伯の診察日ではないら しく、以前診て貰った初老の医師だった。いくつか問診をし、経過が問題ないことを確認すると、抜糸をするため処置室へ行かされた。もう何度か来ているので 処置室の光景も見慣れた物である。嗅ぎ慣れた消毒のような匂いも最初は苦手だったが、今は落ち着くぐらいである。晶が指示される前に所定の椅子へと腰を下 ろしシャツをめくっていると、看護師達がやけに優しくしてくれた。

「三上さん、大丈夫ですよ。抜糸はあっという間に終わりますから」

何故か励まされ、にっこり微笑まれる。「……あ、はい」と微笑みながら返すと、目を細められガッツポーズをされた。何だろうこの違和感。ポカンとしている晶の目の前に医師が座り、これまた孫をみるような目で微笑まれ、肩を何度か宥めるように叩かれる。

「大丈夫だ。怖くないからね。痛くないようにしてあげるから」
「…………はい……?」

――え?何なの?

やはり何かがおかしかった。まるでこれじゃ注射を怖がっている子供扱いである。居心地の悪さと共に、自分がそんなに怖がっているように見えるのか心配になってきてしまう。大の大人が抜糸如きで怖がるはずがない。
いや、ほんのちょっと「痛かったら嫌だな」とは思っているけども。

――そんなに顔に出ちゃってる?俺……。

不思議に思いつつも腕を出し、その間も何度も励まされながら抜糸をされた。勿論痛くなかったし、処置はすぐ終わった。一体何なのだ。


診察室へ戻り、もう後は風呂上がりに数回消毒するだけでいいと太鼓判を押され、やっと通院が終わった事に安心する。
先生に礼を言い、上着を羽織って診察室を出ようとしている晶に、昨夜電話をかけてきた木下という看護師が声をかけてきた。
まだ看護師になりたてといった感じの可愛い小柄な女性で、晶の肩にも届かないくらいの身長である。そんな彼女が首をかしげてクスリと笑う。あ、可愛い。 病院じゃなかったら店へ呼びたくなるほどである。白衣の天使ってこういう人を言うのかなと思って笑顔を返す。そして次の瞬間、晶は笑顔のまま凍り付いた。

「三上さん、凄く格好いいのに、見かけによらず可愛いんですね」
「有難う、でも可愛い……かな?あまり言われないけど」
「いえ、すみません。でも……フフ……抜糸が怖くて貧血をおこすなんて可愛いなと思って、あ!悪い意味ではないですよ!男性でもそういう方結構いらっしゃいますから」
「…………」

――さーえーきー!!!!!!

看護師の一言で全てを察する。昨夜の電話では【貧血になって帰った】という佐伯の機転に素直に納得して感謝していたというのに、その貧血の理由が【抜糸 が怖くて】というとんでもなく恥ずかしい理由がついていた事までは知らなかった。今日はやけに皆が優しいと思っていた違和感はこれだったのだ。診てくれた あの医師もここにいる看護師達も皆それを知っているかと思うと恥ずかしくてダッシュで帰りたくなる。

――格好悪すぎ!

ひきつる笑顔のまま晶は名誉挽回の為の自己フォローを口にした。
「あ、いや。別に抜糸が怖かったとかじゃなくてさ、寝不足だった、みたいな……はは……佐伯先生何か勘違いしちゃったのかな、うん」
「大丈夫ですよ。秘密にしておきますから」

背伸びして晶に小声でそう言ってまたクスリと笑う可愛い白衣の天使に、これ以上言い訳しても無駄なのを悟る。佐伯の馬鹿にしたあの笑みが思い浮かぶ。格 好悪い事この上ないが、もう佐伯に合わせてそういうことにしておくしかないようだ。仕方が無い。ここは『ちょっと可愛い所もある俺』路線に切り替えるしか ない。
晶は少し屈んで、看護師の耳元で囁く。
「そう?じゃぁ、俺と君の秘密ってことで」
「はい!」
囁かれた看護師が頬を染めたのをみて晶も苦笑する。
「んじゃ、お世話になりました」
「お大事になさって下さいね」
胸の辺りで小さく手を振る彼女に晶も小さく手を振り返す。


足早に診察室を出てホッと一息ついた。
またしても佐伯にしてやられてしまった。一言文句を言ってやりたいが、こうして探している時に限って佐伯の姿は見当たらなかった。探している間は少し腹が立っていたが、一向にその姿が見えず近くにいるのに会えないとなると、何だか急に寂しくなってくる。
一応ぐるりと院内を回ってみたが、結局佐伯をみつける事は出来なかった。数人の医師らしき男とすれ違ったが、同じ医者で、白衣を着ていても……やはり佐伯が1番格好いい。そんな事を考えつつ晶はそのまま病院をでて二号店へと向かった。
今日は特別な日だというのに今の所、いい事はまだひとつもない。