戀燈籠 第四幕


 

しばらく默つてゐた御樹に咲坂はなだめるやうに云ひ放つ

「もう……こんな所へは 來ちやいけないよ」

御樹は顏を上げて咲坂を見つめた

「何故ですか?………私が……何もしないからでせうか?」
「さうぢやないよ ここは君が住んでゐる世界とは違ふんだよ 
 知らなくて生きていけるなら 知らないはうがいい………」
「私は……貴方の事をもつと知りたい………それだけでは……
 ここに來る理由にはならないのでせうか?」
「君は、男色家つてわけぢやあないんだらう?」
「………それは………」
「だつたら今日限りここにはこない方がいい 忘れることだ」

咲坂と會わなかつたこの一箇月の間
自分なりに色々考へてみた
女でもない咲坂の事がどうしてここまで氣になつてしまふのか
自分はをかしくなつてしまつたのかと考へを追ひ拂おうとしても
咲坂の事が頭から離れなくなつてゐた
さうして御樹は氣附ゐてしまつたのであつた
男である咲坂の事を愛しいと感じてしまつてゐる自分に
多分、最初に咲坂を見た瞬間から
御樹は戀に落ちてゐたのかもしれなかつた



何處か寂しさうでゐて儚げな咲坂を守つてあげたいとも……

今まで感じた事のない感情

さう、これは戀といふものだと云ふ事を………

だから御樹はどう答へるべきかわかつてゐた

それでも貴方に會ゐたいのだと………



しかし、それは自分の氣持ちの勝手な押しつけになるのではないか
さう思ふと何も云へなくなつた
男色家でもない自分が咲坂に何を求めてゐるといふのか

「ぢやあ 今日だけは話を聞かせて下さい さうしたら………もう………」

咲坂は少しだけ微笑むと御樹の肩に輕く手をおいた

「わかつたよ 何が聞きたいんだい?」

御樹はこの時、咲坂は自分よりもいくつか歳が上なんだらうと感じてゐた
肩におかれた手はひどく優しくて御樹は自分の勝手な行動を恥ぢた

「咲坂さんは………いや……源氏名でお呼びしたはうがいいでせうか?」
「ああ どつちでも構はないよ」
「では今まで通りで……咲坂さんはお幾つなのでせうか?」
「俺かい?いくつに見える? お前さんよりは上だらうけどなあ」
「三十くらゐでせうか?」
「まあ 當たつてゐるかな 俺は三十一を數える お前さんは幾つなんだい?」
「私は二十八です」
「三つ年下か 後は?何か聞きたい事はあるのかい?」


御樹は聞きたかつた事が山ほどあつたのに
何から話せばいいのかさへわからなくなつてゐた
何故、咲坂はこんな所で働いてゐるのか
しかし、それをきいてしまふのも失禮な氣がして憚られた
そこへ咲坂が口を開く


「何もないのかい? だつたら俺から話さうか 
 本當はどうして男娼をやつてゐるかききたいんだらう?」
「それは……聞いても構はないのでせうか?」
「別に構はないよ 今更隱してどうなるわけでもないしねえ」
「では……聞かせて下さい」


咲坂は御樹の方へは向かずに窓の外に語りかけるやうに靜かに語りだした
時々入つてくる冷たい風が咲坂の芝翫茶色の髮を惡戲に觸りたなびかせてゐた



「俺がここへ來たのは さうだなあ 十五の頃だつたかな
  見てわかると思ふが俺の父親は英國人らしくてね
  ああ………らしくてね といふのは
  俺も見たことがないんだよ 母親に聞いただけでね
  俺は小さい頃からこの瞳の色とか髮の色が他の子逹とどうして違ふのか
  不思議で何度も母親にきいたものだよ
  俺は父親に生き寫しださうで、母親は多分親父に愛想をつかされた口なんだらうねえ
  俺が大きくなつて父親に似てくるたびに ひどく當たつてね
  顏もみたくないつて毎日云はれてゐたもんだよ
  それで十五の誕生日になつた時に珍しく その日は朝から母親が優しくてね
  俺と一緒に初めて街へ買ひ物へ行かうなんて云ひ出したんだよ
  好きな物をかつてあげるからつてね
  俺は嬉しくて一番氣に入りの服をきて母親と街へいつたよ
  それで好きな物を買つて貰つてね 歸る頃になると母親の樣子がをかしくてね
  何だかそはそはしてゐるみたいだつたんだよ
  今思ふと氣が氣ぢやなかつたんだらうねえ あの女も氣が小さい所があつたからね
  それで家に歸る前に寄りたい所があるつて云つて連れてこられたのが
  ここつてわけだ 買つて貰つたおもちやで遊んで待つてゐたんだけど
  母親はなかなか俺を呼びにこなくてね
  そのうちここの旦那さんがきて今日からは、ここで暮らすんだ つて云はれてね
  俺はその時 氣附ゐたんだよ 身賣りに出されたんだつてね
  よく聞く話だらう? 農家なんかで口を減らすために身賣りに出す話は」



咲坂はそこまで話した後で御樹を振り返つた
どんな思ひでここにゐるのか
咲坂の表情は別段悲しんでゐるといふわけでもないやうだつた
ただ昔あつた事を淡々と語つただけであつた

「樂しい話しぢやあないね こんなのは……もうやめようか?」

苦笑して咲坂は云つた
こんな話はしたくなかつたに違ひない
それを話させてしまつたのは自分だといふ事にも
御樹は深い戸惑ひを感じてゐた
自分がここへ來なければ
咲坂はこんな昔の嫌な事を思ひ出す事もなかつたのではないか
うまく言葉を綴れなくて御樹は脣を噛みしめた
それでも何か云はないとゐられなくて一言づつ口を開いた

「何故 笑つてゐられるのです? 笑へるやうな話では……ないでせう……
 少なくとも私にはさう聞こえます……」
「さうかい? もう昔の話だよ 今は何とも思つちやゐない 
 ……さう……ただの昔話だよ」

御樹は向かひに坐つてゐる咲坂の手に自分の手を重ねた
風に當たつてゐるせいか咲坂の手はとても冷たくて
暖めるやうに御樹は重ねた手に力を込めた

「私はいやです…………どんなに過去の話しでも
 咲坂さんがそんな想ひをしたのは……いやなんです………」

自分でも譯の分からない事を云つてゐるのはわかつてゐたが
御樹の氣持ちはとめられなかつた
咲坂は重ねられた手をそつともう片方の手で包んだ

「君は 心根が優しいんだねえ」

咲坂はさう呟くと手を重ねたまま、また窓の外に目を向けた



「今日は……二人とも滿月にあてられてゐるのかもしれないねえ
 …………さういふ事にしておいておくれ」



咲坂の表情はみえなかつたけど咲坂の聲は御樹の心に刺さつた
御樹は咲坂の後ろから腕を廻した
腕を廻してみると咲坂の身體は隨分と華奢で
御樹はその細い身體を離したくないと思つてゐた

何も出來ない自分の存在を疎ましく想ひながら
それでも自分に何か出來ないだらうかと摸索し續けた
咲坂は御樹の腕を拂うわけでもなく相變わらず月を見ながら口を閉ぢてゐた
どんな言葉を繰り返し囁いたとしても埋められない隙間が二人の間に細く流れてゐた

「もう そろそろ時間だ……家にお歸り」
「咲坂さん………」
「何だい?」
「私は……貴方との約束は守れさうにありません………」
「どういふ事だい?」
「もう ここへは來るなとさつきおつしやゐましたよね 
 ですが、その約束は守れさうにありません」
「………………」
「もし 仕事の邪魔になるといふなら
 普通の客と同じに さういふ事をしても構ひません
 ですから…………會いにこさせて下さいませんか?」

咲坂は困つたやうに考へ込んでゐたがふと顏をあげた

「客に、もうこないでくれといふ事はできないよ
 ただ咲坂 青人としてはもう會えない
 青華で指名をしてくれれば、いつでもお相手させてもらふよ」

それは咲坂の遠廻しな拒絶であつた
これ以上は關わらないで慾しいといふ咲坂の願ひでもあつた
御樹は返す言葉もなく一つ頷くと部屋を出ていつた
しかし、御樹はこの時 すでに心に決めてゐたのであつた