俺の言い訳彼の理由Lastscene


 

結婚式当日
 前日から実家へ泊まっていた渋谷は朝食を済ませた後、両親と共に式場へ向かっていた。今日の主役でもある妹は渋谷達が家を出る五時間ほど前にすでに式場 へと入っている。慶事用のシルバーネクタイが眩しいほどに外の天気は晴れ渡っており、視界の隅々までを真っ青に染める。父親の運転する車が式場であるホテ ルへ到着し、母親と共に降りると、式場に入る前、渋谷は一度足を止めて空を見上げた。秋の空がビルの隙間から高く高く続いている。新しい門出にはこれ以上 ない日になった事を嬉しく思う。
 眩しさに目を細めふと庭園にある教会の方へと目線を移せば純白のドレスをまとった妹の横顔が見えた。リハーサルをしているのだろうか、隣にいる介添人と笑いあって何かを話しているようだ。
──妹はとても綺麗であった。
 渋谷は目を細めるとそのまま家族の待つロビーへと自動ドアを抜ける。日が良いのか何組か行われる式のそれぞれの家族が談笑している。丁度、フロント近くの場所に父親が座っているのを見つけ、渋谷も向かい側へ腰を下ろした。

 父親は緊張した面持ちで、しきりに煙草を吸っては灰皿でもみ消している。教会での式は入場の際に父親とバージンロードを歩く事になっているので、緊張しているのはそのせいなのだろうと渋谷は思った。
 まだ式までにはかなり時間がある。渋谷は父親の煙草を一本もらい火を点け、紫煙をゆっくり吐き出した。こうして父親と二人で向かい合う事はあまりないの で、どちらも咄嗟に言葉が出てこない。暫くそうしていたが、挨拶回りをしている母親が側にいないのを確認すると父親が徐に「祐子の着ているドレス、もう見 たか?」と話しを切り出した。

「ドレス?さっきちらっと遠くに見えたけど、ドレスがどうかした?」
「あれな、母さんのドレスを直した物なんだ」
「……そうなんだ」

 父親はそれだけ言うと、また新しい煙草に火を点けた。朝子が亡くなってから今日まで、父親が渋谷に朝子の事を話したのは初めてだった。ずっと実家を遠ざけていた渋谷は改めて父親が歳をとった事を感じていた。刻まれた皺は深くなり、一回り小さく見える。

「母さんも……きっと喜んでるんじゃないかな。祐子に着てもらえて」
「あぁ、そうだな……母さんにも見せてやりたかったな……」
「……そうだね」

「祐子も新居に住むから、祐子の部屋……整理しないとな……。もう誰も使わないから、客間にでもするか」
 そう言って父親は寂しさを紛らわすように苦笑した。子供を持った事がないので、そう言う父親の気持ちをちゃんと理解しているとは言い切れない。しかし、広い家の中、家族が家を出て行くというのはやはり寂しい物なのだろう。

「……俺さ、休みが取れたら、また実家に顔出すから」
「ん?…あぁ、そうだな」
「その時は客間に寝ようかな」
「家族なんだから、自分の部屋で寝ればいい……。お前の部屋は整理しないでおいてやるから」
「……じゃぁ、そうする」

 父親が何本目かの煙草をもみ消した後、式場の係員から開式の声がかかった。タキシードを着た父親の背中が奥へと進んでいくのを渋谷は黙って見送った。こ んな事がなければ家族ともこうして話す事もなかったのかもしれない。門出を祝うと共に、渋谷はきっかけを与えてくれた妹に改めて「有り難う」と呟いた。
 
 
 
 
 式は滞りなく進み、その後披露宴を経て、ホテルを出る頃には夕方になっていた。本人達は友人主催の二次会へと場所を移すらしく慌ただしくしており、家族とゆっくり話す時間はない様子だ。
 久々に会った親戚へ挨拶を済ませ、渋谷は式場を後にする事にした。こういう場はあまり得意ではないので長居するのは避けたいというのもある。胸元のネクタイを少し緩め、渋谷が歩き出すとその背中に聞き慣れた声がかかった。

「お兄ちゃん!!」

 渋谷が振り向くと、まだ着替えを済ませていない妹がドレスのまま立っていた。走って追いかけてきたのか息を切らしている。まだ小さかった頃、渋谷の後ろをいつも走って着いてきていたその姿が昨日のことのように蘇る。

「……祐子……。いいのか?花嫁がこんな所にいて」
「少しだけだから……」
「……ん?」
「……今日は来てくれて有難う……嬉しかった」

 渋谷は妹を前に今になって急に胸が詰まった。あんな事があった自分に、有り難うと言ってくれる妹に何と言葉を返せばいいのかわからず沈黙が続く。遠くに 新郎の姿が見える。話している渋谷達を見つけ、軽く会釈をしてきたので渋谷も少し頭を下げて挨拶する。妹が選んだ相手は真面目で温厚そうな男で、中学の教 諭をしているそうだ。きっと妹を大切にしてくれるだろう。
 渋谷は優しく微笑むとドレスから出た妹の細い肩に手を置いた。

「そのドレス。母さんの着たものなんだってな」
「うん……お父さんから聞いたの?」
「あぁ……さっきね」

 妹が照れたようにドレスを指で手繰り少し俯く。その仕草は生前の朝子とよく似ていた。

「凄く似合ってるよ……綺麗だ」
「……お兄ちゃん」

 その言葉は以前の渋谷の言葉ではなく、兄としての贈る言葉である事が妹にも伝わっていた。少し涙ぐんだ妹が「……有難う」と微笑み、その涙を誤魔化すように冗談を言った。

「今度はお兄ちゃんの結婚式だね。楽しみにしてるからね」
「さぁ、それは……どうかな」

 渋谷は苦笑しながら玖珂の事を思い浮かべた。妹を呼ぶ声が聞こえ、ふわりとその声に妹が振り向く。髪に挿した純白のカトレアが甘い匂いを漂わせる。

「ほら、主役がいないとまずいんじゃないか」
「うん……じゃぁ行くね」
「あぁ、またな」

 笑い声の聞こえる輪の中へ妹が戻っていくのを見届けると渋谷はホテルを出て、駅とは別の方向へと歩き出す。橙色の夕日が黒のスーツを鮮やかに染め上げ、 秋の色を移した向かい風が渋谷の髪を後ろへと靡かせる。待ち合わせの交差点までは駅からは遠いが、今いるホテルからはそう遠くはない。


 交差点付近を見渡せる所まで出ると、遠くの歩道橋の上に玖珂の姿が見えた。ちらりと腕時計を見ながら佇む玖珂は、まだ渋谷には気付いていないようである。行き過ぎる人並みの中でも渋谷は玖珂の姿を見失うことは決してなかった。
 赤信号で遮られた二人の間を車が幾度も通り過ぎ、玖珂から見える渋谷の姿を何度も隠す。点滅しだした逆方向の信号が赤になった瞬間、玖珂がフと交差点へ と視線を向けた。その先にいる渋谷を見つけると笑みを浮かべ少し手を上げる。それは誰も気付かないほどの小さな仕草であったが、渋谷の胸はそれだけで高 鳴った。白と黒のコントラストに彩られた交差点をまっすぐに玖珂の元へと向かう。
 そして、歩道橋を登り切った所で玖珂も渋谷の方へと歩み寄った。真下を忙しなく行き交う車の音に消えないように渋谷へと近づくと玖珂は囁く。

「おかえり、祐一朗」
「……ただいま」

──帰る場所はたった一つで
──そして、どんな場所より暖かかった

 並んで歩き出した玖珂が自らの腕時計に手を掛ける。夕日に反射してキラリと輝くそれを外し渋谷のポケットへとそっと入れた。
──……?
そして渋谷の腰に手を回すと少し自分の方へと引き寄せ長身を少し屈めて笑みを浮かべる。
「祐一朗と俺の時間は……」
そこまで言って悪戯に渋谷の唇に指を添える。
「過ぎる瞬間は……もう必要ない……そうだろう?」
「……そうですね」
 ポケットに入れられた玖珂の時計を握りながら渋谷も玖珂に微笑みかける。過ぎていく時間は渋谷にも玖珂にも必要なかった。
都会の喧噪が夕暮れの町並みを染め上げる。

「じゃぁ、行こうか」
「……はい」

 前を歩く玖珂の影が長く伸びて渋谷の影と交差する。これからはいつでも玖珂が隣にいるのだ。
 
 
 
 
──渋谷は流れる人波の中に言い訳だけをそっと置き去りにした。
──共に歩む理由には、もう過ぎた時間を振り返る必要はないのだから。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
後書き
皆様こんばんは。
以前連載時に読んで下さっていた方も、今回初めて読んで下さった方も、『俺の言い訳彼の理由』最後までお付き合い下さり有難うございました。このお話しは 本編『俺の男に手を出すな』のスピンオフ作品になっております。渋谷との恋模様はありませんが、本編にも玖珂は出てくるので良かったらそちらも楽しんで下 さい。何かひとつのシーンでも気に入って下さればとても嬉しいです。玖珂と渋谷の番外編もありますので(更新予定有・日程未定)、また二人に会いにきて下 さいね。
2015/12/09 聖樹 紫音