俺の男に手を出すな 3-5


 

 裏庭から再び病院内に戻り、来た道を歩いていると、エントランスを通りかかった時、佐伯の耳に聞き覚えのある声が届いた。
 先程電源を切った携帯を取り出して思わず画面を見る。勿論電源が切れているので画面には自分の顔が映り込むだけだ。受付に目を向けると、今さっき電話に出なかった晶が何故が立っていた。

「だから、本当に知り合いなんだって。証明とかできないけど……。ちょっとだけだから佐伯先生呼んでくれないかな」
「失礼ですが……佐伯先生からそのような話は回ってきておりませんので」

 訝しげな顔をして断りをいれている事務員が、近づいた佐伯に気付いて「あっ」と驚いたような顔をして立ち上がった。

「佐伯先生、こちらの方が……」
「あぁ、私の知り合いだ。通してもらって構わない」
「え!?お知り合いなんですか?」
「あぁ」

 佐伯の声を聞いて、晶も驚いたように振り向く。未だ知り合いなのかどうか疑うような眼差しを向ける事務員を納得させるように、佐伯は一歩歩み寄ると晶へと声をかけた。

「三上君。よく来てくれた。話はあっちで聞こうか」
「かな……、じゃなくて佐伯先生いつの間に!?」

 事務員の視線を背中に感じながら佐伯は足早にエントランスを通り過ぎて職員用のエレベーターの前まで移動した。一階へと呼び戻すボタンを一度押して、階数表示が徐々に下に降りてくるのを二人で眺める。

「なに?偶然!??」
「まぁな」
「今って仕事平気なの?」
「あぁ、30分後には用があるが」

 話している内にエレベーターが一階に止まり静かに扉が開く。中には誰も乗っておらず、佐伯と晶は乗り込むとすぐに7階を押して、壁にもたれかかった。白衣を着たまま腕を組んでいる佐伯を振り返って晶がクスリと笑う。

「三上君って何か、おかしいのな」
「あそこで、晶って呼ぶわけにもいかんだろう」
「まっ、そうだけどさ」
「お前に佐伯先生と呼ばれるのは最初の時以来か」
「だって……何て言ったらいいのか咄嗟にわかんなかったんだって」

 佐伯は苦笑すると7階で止まったエレベーターから降りた。7階は医局の集まっている階なので、患者や看護師の姿はなく、閑散としていた。晶も佐伯の後に続いて降り、二つ目の角を曲がった所で立ち止まった。
 外科医局と書いてある部屋に佐伯はさっさと入っていく。晶はそのドアをみあげて感心したように頷いていた。よくドラマ等に出てくる医局そのものだったからだ。

「なんだ?入らないのか?」
「いや……うん。入るけどさ、何か緊張するな。俺こんな所に居て良いのかなーって。ここ、如何にもこう……病院内部って感じだし」

 場違いな場所に来てしまった事で気になるのか晶は落ちつきなく辺りを見回している。佐伯は晶を放ったままこの後に控えている手術の準備を始めながら声をかける。

「さっきお前に電話したんだぞ」
「え?マジで?っつーか。俺も電話したんだけど」
「そうなのか?」

 晶はどうやらここに来る前に一度佐伯へと連絡をいれようとしていたらしい。話中だったので諦めて結局直接訪ねてきたという事だった。どうやら同時に互いに電話をかけていたようである。取り出した携帯の着信履歴を見て、晶が「あ、ほんとだ」と佐伯の名前を発見する。

 一通り準備を済ませた佐伯は、入り口近辺で立ったままいる晶へこっちへ来るように言い、向かってくる晶の全身をみて、やれやれと溜息をついて眼鏡を押し上げた。

「晶」
「ん??何?」
「今日はまた随分と派手な格好だな……どこのチンピラかと思ったぞ」
「ひどっ!チンピラとか!」
「それじゃぁ、受付で追い払われても文句は言えんな」
「そっかな??別に普通だけど……俺いつもこんなもんだぜ?今日このまま同伴出勤だし」

 そう言って自分の姿を確認する晶の格好はやはり普通ではない。黒のスーツは会社員のそれとは違って光沢があり、やけに細身である。中に着ているのはシルバー(灰色では決してない)のシャツで、はだけた胸元と耳にはアクセサリーが輝き、髪は金に近い茶色。
 これが『普通』だとしたら、世の中の男はほぼ全員『地味』になってしまうだろう。

佐伯が晶の側に寄り、上から見下ろすと大きく開けた胸元からかなり下までが覗ける。本人は無自覚だろうが、どうみても誘っているとしか思えない格好である。……が、今はそんな事を言ってからかっている場合でもなさそうだった。
 わざわざ訪ねて来るには余程重要な話があるとみえる。いつも明るい晶の表情が徐々に沈んでいくのを見て、佐伯は目の前の椅子にかけるように促した。

「まぁ、そこに座れ。それで、何か用事か?珍しいなお前が病院までくるなんて」
「あー、うん。ちょっと、聞きたい事があってさ……。あ、えっともしかして俺って迷惑だったか?」
「別にそんな事はない。医局まで強引に売り込みに来る製薬会社の連中よりよっぽどマシだ」
 そう言って苦笑する佐伯に晶も安心したのか少し笑う。
「すぐ帰るからさ。んで、聞きたい事なんだけど……」
「何だ?」
「要って……」

 要と名前を呼んで、ふと佐伯先生とまた言った方がいいのかと晶は辺りを見回す。何せここは佐伯の職場なのだから、あまり馴れ馴れしく名前で呼ぶのもよくない気がしたのだ。佐伯はそれを察して続けるように頷く。

「大丈夫だ。誰も来ない」
「そ?んじゃ、要でいっか。それで……この病院にさ、玖珂って患者入院してない?」

――何故晶が彼の事を知っているのか……。
佐伯は晶の口から澪の名前が出たことに少なからず驚いていた。

「……玖珂 澪という患者の事か?」
「そうそう!ってやっぱ知ってるんだ!?」
「あぁ……ちょっと色々あってな」

 何故、澪の事を知っているのか聞きたい所だが、急かしても話しづらいと思い、佐伯はそのまま晶に任せて耳を傾ける。続きを話すのを少し躊躇って、それでも言いにくそうに晶が話を切り出した。

「それで……えっとさ」
「ん?」
「澪くんの病気ってやばいの?あ、いや。実は彼の兄貴が、俺が前に話した2号店のオーナーで親しくしてるんだけど……この前ちょっと頼まれ事されてさ……」

 何処まで晶が澪の病状を知っているのかは分かりかねたが、親族に話を聞いているという事は癌である事も知っていると見ていいだろう。しかし、いくら晶であっても、患者のプライバシーは簡単に明かすわけにはいかない。佐伯はさりげなく何処までを知っているのか探りを入れた。

「晶は玖珂君の病状を知っているという事か?」
「まぁ、もう長くないって……玖珂先輩からきいてるから……癌なんだよな?」
「……詳細は伏せるが、そんな所だ」
「やっぱり……本当なんだ……」

 晶はひどく落胆した様子を見せた。何かの勘違いであったらどんなにいいか。少しの期待をしていたのかもしれない。佐伯に聞いてしまった事で再確認してしまったのを少し後悔しているようにも見えた。自分の事では決してここまで肩を落とすことのない晶のその様子は初めて見る物だった。澪がまるで自分の肉親でもあるかのように辛そうに顔を歪めて俯き、口を開く。

「なぁ……要」
「何だ?」
 晶は顔を上げると、佐伯に救いを求めるような視線を投げてくる。
「手術とかでさ、治らねぇの?その病気。要さ、前に言ってたじゃん。消化器外科だっけ?よくわかんないけど……専門分野なんじゃねーの?」
「……その患者の担当医が手術はしない治療法を選択している。俺は消化器外科は専門だが、オペをしない限り俺の出番はない」
「そう……なんだ……。素人判断で余計な事言って、ごめん……」
「いや、それは構わんが……。さっき言ってた頼まれ事というのは何なんだ?」
「澪くんを、一週間うちの店でホストとして働かせてやってくれって頼まれてんだよ。まだ会った事ないんだけどさ……その……動けなくなる前にって意味で……」
「店で働く??どういう意味だ?」
「あー……。要は、わかんねーかもしれないけど、こういう商売やってるとさ、夜が恋しいっていうの?何かうまく言えねぇけど、澪くん突然こんな事になって落ち込んでるらしいんだ。だから最後にもう一度華やかな世界に戻って悔いのないようにさせてやりたいんだって……。元いた店はもう退職してるから、うちの店でだけど……。俺、その話、引き受けたんだ」
「……なるほどな」

 晶の話を聞きながら、そう言えば出会った当時にも同じような事を晶が言っていたのを佐伯は思い出していた。佐伯には理解できずとも晶にはその意味がよくわかっているのだろう。

「俺さ、玖珂先輩にはマジ世話になってて……。先輩の辛そうな顔みるの耐えられねーんだよ……。手術が無理でも、何か他に治る方法ってないのかな?とかさ、全然医療の事とか知らねーのにずっと考えてる……」
「……残念だが、オペをしない場合は、今の医療では延命がやっとだな」
「…………そっか」
「晶、俺も実は今その事で手術が出来るように担当医にかけあっている所だ」
「え?マジで?」
「あぁ……すぐに結論はでないが、完治する方法に近づくように考えている」
「……要、サンキューな……」
「まぁ、お前に礼を言われるような事はしてないがな」

 晶はふと椅子から立ち上がると佐伯に背を向けて部屋の方を眺めた。見慣れない景色、消毒の匂い、難しそうな医学書、臓器の標本らしき模型まである。まるで自分とはかけ離れた空間。佐伯と自分の住む世界が違うのを痛感する。前に佐伯が「ホストは楽しいか?」と聞いてきたことを晶は思い出していた。楽しくなければやっていけない、そう答えた晶に、佐伯は「そうか」と答えただけだった。

 佐伯は毎日こうして、病気と向き合い、如何にして患者を治すかを考えているのだ。楽しいなんて言えるはずがない。やり甲斐があるという意味での楽しさや充実感はあるのかもしれないが……。佐伯の着ている白衣の重さを想像して、晶は何も役に立てない自分の無力さを感じていた。玖珂に対しても、結局は自分は何一つしてやれないのだから……。
 晶は窓の外に目を移し、流れる雲を目で追いながら静かに呟く。

「澪くんって、まだ25になったばっかなんだって……。俺さ、こういう時、澪くんにも勿論だけど……玖珂先輩にも何もしてやれなくて……どうしたらいいかわかんないんだよね……、話し聞くだけじゃ、何も解決しないし」

 その言葉を吐いた晶の横顔がとても寂しそうに映る。優しい性格は時として他人の想いまでをも背負ってしまう事がある。そんな晶に佐伯は立ち上がって近寄り、晶の背中から腕を回した。

「晶、患者が一番元気になる治療は何か知ってるか?」
「え?どうゆう……」
「本人と周りの人間が、生きたい、生きていて欲しいと心から願う事だ」
「要……?」
「お前がその一人になればいい。お前ならそれが出来る。そうだろう?」
「…………うん」
「俺は俺の出来る事をやる、晶、お前は自分で出来る事だけをしていればいい」

 晶は佐伯の言った言葉をきいて少し安心したように身体を佐伯に寄りかからせた。背中から伝わる佐伯の体温、目の前で緩く組まれている佐伯の腕の中で晶はほっとしたように力を抜いた。多くは語らなくても佐伯の存在が自分を勇気づけてくれているのが伝わって少し元気が出る。優しさを背中で受け止めて、晶はまたいつものように笑顔を戻すとくるりと佐伯に振り返って顔を見上げる。

「要ってさ」
「ん?」
「いい男だな、やっぱ」
「当然だ」
 佐伯も少し笑うと晶の頭をくしゃっと撫でた。
「うわっ!やめろよっ、セットが崩れんだろ」

 頭を庇うようにして晶は佐伯から素早く遠のく。「マジ勘弁しろよな」と文句を言いながらセットを整える晶は、いつも通りだ。やはり晶は笑顔でいるほうがいい。佐伯はそんな晶の姿を見て、先程まで感じていた憂鬱な気持ちがなくなっているのに気付いていた。