エピローグ


 

 
 

――3月26日

――成田国際空港、出発ロビー。

 チェックインカウンターにて搭乗手続きを済ませた椎堂達は、軽い手荷物だけを持ってロビーに来ていた。
世間では春休みに入ったばかりという事もあり、空港には、これから出かける旅への楽しみに期待を膨らました卒業旅行の学生らしき団体が大勢いる。ロサンゼルス国際空港行きの最終便は19時発である。時間に余裕があるので椎堂達はロビーに腰を降ろして時間を潰していた。

 澪の退院後、椎堂が敬愛会総合病院を退職しアメリカの病院で働く手続きを終え、準備が整ったのは一週間ほど前の事だった。その間、澪は何度か検査があったり、付け焼き刃ではあるが合間を見て英会話教室へ通ったりとしており、多忙な椎堂とはほとんどデートらしき物も出来なかった。これからは一緒に住むのだからそれまでの辛抱と互いに納得して過ごしてきた。

 食事に関しては、まだまだ普通の生活とは言えないが、退院した当時と比べると体力もだいぶ戻り日常の生活に関しては支障がなく送れるようになっていた。時々少し無理をして疲れた様子を見せると椎堂がすぐに注意をしてくる。主治医が恋人というのはいいようでもあり、中々大変である。玖珂に加えて、椎堂もかなり心配性なので、両者に挟まれて時々溜息が出てしまう事もあるが、概ね生活は順調だった。

 見送りついでに空港まで送るという玖珂に乗せてもらい現在空港へいるわけだが、予定時刻より随分早く到着してしまいする事もない。澪の目の前で時計を見る玖珂は、先程まで椎堂と何やらにこやかに世間話をしていたようだが、飲み物を買って澪がベンチへ戻ってくると、途端に心配そうな顔を見せる。

「澪、パスポートはすぐに出せる所にいれてあるな?」
「あぁ」
「向こうに着いたら、何時でも構わないから連絡するんだぞ?あ、……国際電話のかけ方、お前わかるか?」
「大丈夫だって。わからなくても人に聞くし、別に初めての海外旅行じゃないんだけど?」
「……まぁ、そうだな」

 玖珂は何かと確認をし、澪は五月蠅そうにそれを流している。椎堂はそんな兄弟のやりとりを微笑ましそうに見て目を細めた。優しそうな玖珂の眼差しが、色々小言をいいながらでも澪が可愛くて仕方がないとでもいう風に時々細められる。こうして元気になって澪がここにいるという事が、何よりも嬉しいのだろう。

 澪から聞いた話しによると、椎堂についてアメリカに行って勉強をすると話した時、最初は身体を心配して玖珂は反対したそうだ。しかし、澪が自分のやりたい事を含めきちんと話し合った結果、納得してくれたらしい。
 アメリカに行ってしまえば、兄弟で会うことも少なくなってしまう事はわかっている。その点は申し訳ない気持ちになるが、兄である玖珂のぶんまで澪に愛情を注ぐつもりでいる。
 玖珂が改まって椎堂の方へ向き直り、間に澪を挟んだまま椎堂へと声をかけた。

「椎堂さん」
「……あ、はい」
「何も出来ない弟ですが、面倒をみてやって下さい。どうぞ宜しくお願いします」
「いえ!そ、そんな……僕の方こそ」

 慌てて頭を下げ返す椎堂を隠すように澪が身体を玖珂に向ける。

「おい、兄貴。結婚する娘を送り出す父親じゃないんだから、変な挨拶すんなよ」
「似たような物だろう?お前みたいなのを面倒みてもらうんだから」
「……みたいって」

 澪がどう言っても玖珂相手には勝てないらしく、玖珂は不機嫌そうな澪を気にとめる様子もない。空港内のアナウンスが流れ、出発の時間が少しずつ近くなる中。兄弟で話すこともあるだろうと思い椎堂は少し席を外すことにした。

「ちょっと僕、病院へ連絡をいれてきます。言い忘れてた事があって」
「あぁ、わかった。じゃぁ、ここにいるから」
「うん。ちょっと待っててね」
 財布だけを持ってその場を離れる椎堂の後ろ姿を見て玖珂が小さく呟く。
「澪、良かったな」
「ん?」
「椎堂先生はいい人だ……、それに……」
「……?」
「お前の事が、本当に愛しいんだなと俺が見てもわかる……」
「…………」
「なぁ、澪。与えられるだけじゃなく、自分が愛情を与えれる相手がいるというのは、とても幸せな事だ……。大事にしろよ」
「……あぁ、わかってる」

 椎堂との関係を詳細に玖珂へと話したことは、結局一度もなかったし、玖珂が聞いてくることもなかった。それでも全てに気付いて余計な事を詮索してこない玖珂は、入院していた時から椎堂との関係を認めて見守ってくれている。椎堂の人柄もあるのだろうが、自分が選んだパートナーを尊重してくれている事に澪は感謝しかなかった。
 
 
 
 玖珂はいつのまにか一回り大きくなったように感じる澪の頭に手を置いて微笑む。先程澪に娘を送り出す父親みたいだと言われたが、あながち間違ってもいないと感じていた。本当にやりたい事をみつけ、その道へ進みたいという澪の言葉。そして、この先を共に歩むパートナーとして選んだ椎堂の事も。
 澪が遠くへ行くという事は寂しくもあるが、澪が選んだ未来に今は何の不満もない。願うのは、再発もなく健康で穏やかな生活を送って欲しいと言う事だけだった。
 澪の頭に置いた手でくしゃっと髪を撫でる。いつもなら「子供扱いするな」と言って嫌がる澪は、今回は何も言わなかった。

「……兄貴」
「んー?どうした?」
「向こう行ってもたまに連絡するから……。あまり、仕事で無理すんなよ?もう若くないんだからさ……」
「あぁ、そうだな」
 玖珂が苦笑する。
「それと……、……」
「……?」
「……それと……今までの事、すごく感謝してる。有難、」
「待て待て」

 澪の言葉を最後まで聞く前に、玖珂は遮るように言葉を折って首を振った。

「何を言い出すんだ。今日は傘を持ってきてないからな……、雨に降られると困るんだが」
「……何だよ、人が折角真面目に言ってんのに」

 誤魔化すように笑いながらそう言った玖珂は笑顔だったが、澪には少し寂しそうに見えた。

「澪、今までもこれからも……、死ぬまでずっと、俺はお前の兄貴なんだぞ。改まって礼等いちいち言うやつがあるか……馬鹿だな」
「………うん」
「向こうへ行っても身体だけは気を付けろよ。それだけは約束してくれ」
「わかった。……兄貴もな」
「あぁ」

 そろそろゲートへ向かう時間が来る頃、椎堂が腕時計を見ながら戻ってくる。澪は立ち上がると手荷物を肩にかけた。

「それじゃ、行くから」
 玖珂も腰を上げると、椎堂が澪の隣へと並ぶ。
「あぁ、気を付けてな。椎堂さんも、お仕事のますますのご活躍お祈りしています」
「はい、有難うございます。澪くんと一緒に励まさせて頂きます。玖珂さんも、お体には気をつけて」
「はい」

 立ち止まって見送る玖珂が二人の背中に手を振る。澪が一度だけ振り向いて手を振りかえすと、小さく遠ざかった玖珂が安心したように頷いたのが見えた。玖珂に背を向け歩き出す澪は、心の中で先程言いそびれた礼を言う。

――兄貴……有難う。

 優しく見守る椎堂の側によると、エスカレーターへと足を踏み入れた。

「いいね、澪には優しいお兄さんがいて」
「……そんな事ないけど。今まであまり連絡とかしてなかったし」
「そうなんだ?……でも羨ましいな」
「誠二は?そういえば、聞いた事なかったけど兄弟は?」
「いるよ。僕は3人兄弟の真ん中だから、姉と妹がいるんだ」
「へぇ……。あぁ、でも女兄弟がいるって雰囲気だもんな」
「そうかな?」
「うん。あまり仲良くないわけ?」
「どうなんだろうね。仲が悪いわけじゃないよ?でも、僕だけ男だからなのか、あまり連絡はしないかな。姉と妹は仲良くしてるみたいだけどね」
「そっか、今度電話してみろよ。アメリカにいるって言ったら驚かれるんじゃない」
「そうかもね。今度覚えてたら連絡してみる」

 初めて聞いた椎堂の家族の話を耳にしながら、澪はふと思う。椎堂の過去の話や家族の話はそういえば余り聞いた事がなかった。まだ互いに知らないことはきっと沢山あるのだろう。
 これからはずっと一緒にいるのだから、ゆっくり色々な話をしていけばいい。少しの間、澪は隣にいる椎堂の肩にそっと腕を回す。華奢な肩は前より痩せた澪よりもっとずっと細い。前から人が来たので腕を外すと、椎堂が「見られたかな?」と小声で澪に囁く。「平気だろ?多分」と返すと、椎堂は恥ずかしそうに笑った。

 航空保安検査も終えて出国審査を済ませると離陸まで後40分になった。搭乗ゲート近くのベンチで再び座って二人で時間を過ごす。最終便だったので飛行場にもライトが灯っている。暗い中で誘導路を示す青と緑のライトがあちこちで輝き、静寂を映す闇を照らす。離陸していく飛行機と、着陸してくる飛行機、それらが何度か目の前で行き交っていた。綺麗なパノラマの夜景が目の前の大きなガラス越しに遠くまで広がる。黙って硝子窓の外を見ている隣の椎堂とは荷物で隠すように手を繋いでいる。搭乗時間が着々と迫ると、椎堂が繋いでいる手に僅かに力を入れた。

「――ん?どうかした?」
「あ……。いや、どうもしないよ」

 さっきからあまり喋らないなとは思っていたが、少し椎堂の様子がおかしい事に気付く。離陸して空へと消えていく飛行機をじっと見ている椎堂がゴクリと唾を飲み込む。

「何だよ、どっか具合でも悪くなったとか?」
「そ、そうじゃないけど………。僕、実は飛行機に乗るの初めてなんだよ。……何か緊張してきた」
「……え?」

 そう言って恥ずかしそうに椎堂は微笑むが、その笑顔は実にぎこちない。澪は椎堂の握った手を引き寄せると左手も添えて安心させるように包み込む。

「よくそんなんでアメリカ行くの決めたよな……。勇気があるっていうか」
「……ほんとにね。アメリカも電車で行けたらいいのに」

 椎堂が苦笑して肩を竦める。

「大丈夫だって。一眠りして起きればもう着いてるから。……それに、俺が一緒にいるから平気だろ?」
「そうだね……。ねぇ、澪……。離陸する時、また手を握っててもいいかな……」
「いつでもどうぞ」
 こうして甘えてくる椎堂の可愛さは、やはり反則だと思う。澪は手を握ったまま遠くで飛び立つ別の便を目で追う。
「向こうの自宅へ着いたら、まず何するか決めた?」
「んー……、必要な物を買って。その後、ちょっと散歩でもしようか」
「あぁ、そうだな。ゆっくり出来そうな公園でも探すか」
「うん、そうしよう」

 乗客を乗せる準備の整った飛行機が目の前の夜景にゆっくりと入ってくる。その真っ白な翼がこれからの自分達の未来を現しているようで椎堂達はその翼に視線を移して、繋いだ手を解いた。
 空港アナウンスが最終の搭乗を知らせ、周りの人間が吸い込まれるように機内へと消えていく。すっかり周りに人がいなくなってから、椎堂と澪は立ち上がって手荷物を手に取る。暫く見られなくなる日本の夜景にさよならを告げ、コンコースを進み搭乗券を出す。

 椎堂達が最後だったのか、まだ時間はあるようだが後ろで入場の終わりを示す鎖が静かに降ろされる。エンジン音が響くボーディングブリッジを進む中、曲がり角にさしかかった所で、澪が椎堂の腕を引き寄せた。

「──誠二」
「…………んっ……」

 澪の口付けが一度椎堂に落ち、しっかり腕を掴んだまま機内へ乗り込む。大きな搭乗口がまるで二人の未来の扉のように見えた。
 
 
 
──行こうか、俺達の未来に……。

──どんな未来が二人を照らすのか、それはまだ先の話し。
 
 
 
 
 
――Fin
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
後書き
皆様、こんばんは。
『俺の男に手を出すな3』を最後まで読んで下さって有難うございました。
シリアスで重めのお話でしたが、少しずつ歩み寄って支え合う二人を見守って下さって嬉しいです。
濡れ場は一切ありませんでしたが、他のCPにも負けないくらい愛情度の深いCPのつもりです。医療シーンが多かったので、ちょっと難航しましたが、無事に最終回まで書き終える事が出来て私もちょっと一安心(笑)
『俺の男に手を出すな』のシリーズは都会の夜と大人の純愛をテーマにして書いているのですが、3はそれに加え、兄弟愛も書きたかったのでそのようなシーンも多くなりました。澪と椎堂だけでなく、佐伯や晶、脇役の大谷等も含め、様々な辛い経験や嬉しい経験を経て、変化(成長?)していく彼達を少しでも身近に感じて下されば嬉しいです。
本編直後のお話や、他、番外編も今後アップしますのでこれからも澪と椎堂に会いに来て下さいね。
気が向きましたら、ご感想等聞かせて頂けると幸いです。

2016/9/22 聖樹 紫音