月下酔恋 ー 3 ー


 

  ――そして、金曜日 
 
 朝一番の電車で渋谷は現地へと向かっていた。連休初日の今日は、家族連れの姿も多く見かける。都心から離れると気温はこんなに違うのかと、駅のホームへと降りた瞬間に思った。夏は避暑地なだけはあり、この季節はもうかなり寒い。 
 
 打ち合わせの前に、店舗が予定されている場所へも足を運んでみたが、何せ娯楽施設の集合体の中である。恋人や家族連れの客の中で、まだ開いていない店舗の周囲を視察している渋谷はやけに浮いており、見るからに関係者ですと言っているような物だった。一人でブラブラするのも気が引け、そこそこに下見は切り上げる事にした。 
 
 何枚か店舗周辺の写真を撮影し、社内の自分宛のアドレスにメールで送信しておく。ざっと下見した感じでは、新しい店舗予定地の隣りも若者向けのブランドの店舗で集客には問題がなさそうである。良い場所がとれたものだと、渋谷は満足しつつ新しい店舗のウィンドウに自らが手がけてきた商品が並ぶのを想像した。 
 達成感とでも言うのか、こうして目に見えてくる形になってくると満たされていく思いがある。こういう思いは、やはり仕事でないと味わえない事である。 
 
 
 その後向かった打ち合わせは、思ったよりも長引き、玖珂と会う時間まで少し時間でも潰そうと思っていた渋谷は腕時計を見てどうやらその必要はなさそうだと思っていた。 
 
 資料を鞄にしまいながら帰り支度を整える渋谷に、こちらでの担当者が声を掛けてくる。女性ならではの発想で渋谷の視点とは別の角度で様々な意見を聞かせてくれ、良い結果を生む事となったので、良い担当者に巡り会ったと渋谷は思っていた。 
 
「渋谷さんは、今日は日帰りですか?それともどちらかへお泊まりですか?」 
「歌風亭という旅館をとってあるんですが、ご存じですか?」 
「まぁ!歌風亭に!もちろん知っています。私も、一度泊まってみたいと思っているんですよ。露天風呂と日本懐石が有名な旅館ですよね」 
「そうらしいですね、折角ここまで足を運んだので、少し休養も兼ねようかと思っていまして」 
「羨ましいわ。なかなか地元だと旅館に行く機会はないですから」 
「それもそうですよね。じゃぁ、今からご帰宅ですか?」 
「ええ、娘を保育園で引き取ってからね」 
「それは、早く帰ってあげないと。すみません、結構遅くなってしまって」 
「そんな、仕事ですから」 
 
 彼女もそうとう忙しい毎日を送っていそうである。途中タクシーを拾う所まで共に行き、彼女とはそこで別れた。渋谷もタクシーへと乗り込み、旅館の名前を告げると思っていたより近かったようですぐにタクシーは到着した。 
 
 タクシーを降りて一度辺りを見渡すと、都会の夜になれているせいか、やけに暗く感じる。この地域は観光地と言っても賑わう場所は限られていて、その場所を離れるとやはり寂しい物だった。 
 
 渋谷は携帯を取り出すと、玖珂へと旅館に着いたので部屋へ行きますとメールを打つ。初めての旅行だから少しいい所に宿をとろうと言ったのは玖珂である。旅行情報誌を見る暇が無かった渋谷は、近辺でどんな旅館があるのかも全くわからず、予約等は玖珂へ任せていた。歌風亭という宿をとったと聞いたのも、昨日である。なので、目の前の旅館を見るのは今が初めてだった。 
 
 先程の彼女が旅館の名前を聞いてすぐに反応していたのをみる限り、地元でも名の知れた旅館なのだろうという事はわかっていたが、目の前の旅館は渋谷の予想を遙かに上回るレベルで立派だった。 
 門構えも立派だったが門を入ってから建物までも結構ある。夜で、あまり遠くまで見渡せないが敷地はかなり広そうである。露天風呂が近くにあるからか、渋谷の鼻孔をかすかな温泉の匂いがかすめていた。 
 温泉に浸かるなど、何年ぶりだろうか……。渋谷は遡って考えながら、漸く入り口へと辿り着いた。 
 
 玖珂からのメールの返事で部屋番号を教わったので、ロビーを抜けてそのまま廊下を歩いていく。歌風亭と言うだけ有り、部屋のそれぞれに名曲の名前が付いているようだ。 
 食事の時間に丁度あたっているらしく、廊下を仲居がワゴンを引いて通り過ぎるのと何度もすれ違う。 
【白樺】 
 そう書かれている部屋を見つけ、渋谷は部屋をノックする前に軽く格好を整えた。 
 
 コンコンとドアをノックをすると聞き慣れた玖珂の声が「どうぞ」と中から聞こえてくる。――本当に来てくれたんだ――渋谷は嬉しさに綻びそうになる顔を我慢してドアをそっと押す。 
 
 部屋へあがると、すぐに玖珂の姿が目に入った。こちらにきてから着替えたのかすでに浴衣を着ている。いつもセットされている髪型も今は無造作に下ろされており、雰囲気がだいぶ違うが、普段から姿勢の良い玖珂は浴衣姿も実に様になっている。 
 うっかり見惚れて立ち止まっていた渋谷は「おかえり、お疲れ様」と言って歩み寄ってくる玖珂の声で我に返った。やや慌てて「ただいま」と返し、鞄を部屋の端へと下ろす。 
 
「遅くなってすみません。思ってたより、打ち合わせに時間がかかってしまって」 
「俺も、そう早くは来ていないから気にしなくていい」 
「そうですか?良かった……。玖珂さん、浴衣……」 
「――ん?……あぁ、窮屈だったからね。先に着替えさせてもらったんだ。祐一朗も着替えたらどうだ」 
「……そうですね。じゃぁ、俺も着替えようかな……」 
 
 スーツをハンガーにかけ、中に置いてある浴衣へ手を伸ばす。浴衣は玖珂とお揃いであり、何だかくすぐったい気分になる。Yシャツのボタンを外していると、玖珂の視線を感じ、渋谷はその手を一度止めた。 
 別に男同士で着替えに恥ずかしい事もないはずなのに、玖珂に見られていると思うと何故か妙に恥ずかしくなってくる。 
 
「玖珂さん、あまり、こっちを見ないで下さい……」 
「どうして?」 
「どうしてって……、……」 
 
 Yシャツのボタンだけをはずしたままで立ちつくす渋谷へ畳が擦れる音がして玖珂が近づく。背後からYシャツへと手をかけるとそっと肩から落とし、そのまま渋谷の首筋へと口付けを落とした。 
 
「く、玖珂さん……」 
「見られるのは恥ずかしいんだろう?……だったら、俺が着替えさせてあげようか」 
「………、……」 
 
 渋谷の返事を待たずに玖珂は器用に後ろからベルトを外し、ファスナーをさげる。支える物のなくなったズボンが床へと落下し足下が一気に寒くなる。玖珂は少し屈んで浴衣を手に取ると、渋谷の肩へとそれをフワリとかけた。 
 
「祐一朗は、相変わらず恥ずかしがり屋だな」 
 
 玖珂がおかしそうに笑って言うのに対して、渋谷は何も返せず浴衣へ腕を通す。長い帯を手にした玖珂の腕が前へと回され、丁度腰下のあたりで帯を結ぶ。最後に肩を軽くポンと叩かれ、玖珂が背後から離れる。その瞬間、入れ替わるようにドアの外から食事を運んできた仲居の声が届き、渋谷はびっくりして部屋の入り口へと顔を向けた。 
 
「あ!……は……はい、どうぞ」 
 
 慌てて、脱いだスーツのズボンをたたみながら、渋谷は今の光景をみられなくて良かったと胸をなで下ろしていた。 
 仲居が運んできた料理は、現地担当の彼女が日本懐石が有名だと言っていた通り見事な物で、見目も美しい料理が卓上いっぱいに並べられている。 
 
 全てが用意されたあと、玖珂と渋谷は向かい合わせに腰を下ろして食事を始めた。味は素材を活かした薄めの味付けが多く、新鮮な魚介類は飲んでいる日本酒ととてもよく合う。近くの山で採れたという山菜の天ぷらは衣も香ばしく、少し懐かしいような山の香りがする。 
 
 猪口が空になると、玖珂がすぐに日本酒を足してくるので渋谷もいつもよりだいぶ酒の量が多くなっていた。今夜はもう泊まるだけなのだという安心感もあったのだろう。したたかに酔い始めた渋谷の頬は桜色に染まり、火照った頬が熱くなる。 
 
 
 
 
 食事を終えて、片付けの仲居が出払った後、渋谷は熱を冷ますように部屋の窓を細くあけ、その縁へと身体を寄りかからせていた。 
 
「さすがにもう真っ暗で、何も見えないな」 
 渋谷の肩に手を添えて、玖珂が窓の外へ視線を移す。 
「ええ、そうですね……。でも、こうして開けていると風が気持ちいいです」 
「今夜は祐一朗も結構飲んだから、酔ったんじゃないか?」 
 
――頬が桜色だな。 
 玖珂が掌で渋谷の頬を撫でる。 
 
「……俺、こんなに日本酒飲んだの初めてかも……。何か……現実じゃないみたいでフワフワします」 
 
 項に手を添え、首を傾げてそういう渋谷はいつになく扇情的で、伏せ気味の長い睫を何度か瞬きで揺らす。 
 
「倒れないでくれよ?……まだ、夜は終わりじゃないぞ」 
「大丈夫ですよ……。でも、俺が倒れたら介抱して下さいね……」 
 
 渋谷が玖珂を見上げて、潤んだ瞳で微笑む。これは多分相当酔っている。玖珂は普段の渋谷なら言わないであろう台詞に少し驚き、その瞳から目を離せなくなっている自分に気付いていた。細く吹き込む風に渋谷の漆黒の髪がなびいてさらさらと毛束を散らす。 
 
「もう少し休憩したら……、露天風呂にでも行ってみようか」 
「……はい」 
 
 細く開けているだけでもかなり冷たい空気が入ってくるので、野外である露天はきっと寒いかもしれない。そう思って、渋谷は窓の外へ掌を翳して外の気温を計る。悪戯に指先をかすめる風があっというまに渋谷の体温を奪いその気温を体感させた。 
 
 
 
 こんなにゆっくりと玖珂と時間を過ごせるのは本当に久しぶりである。玖珂が窓際で何本か煙草を吸い、その間、渋谷も一本だけもらって紫煙を燻らせる。細く伸びて消えていく煙の先を何気なく追いかけながら、玖珂と他愛もない話しをする。そんな今がとても楽しい時間に感じられた。 
 
 一人で過ごすのが一番気が休まる時間だと以前は思っていた。誰かと居れば、沈黙が気まずくてどうしても話題を探してしまうはめになるからである。だけど、今はそうではなかった。寄り添う玖珂の存在を感じながら、時々思い出したように少し会話をする。流れる時間の中で、何も話さない時間もある。しかしそれは少しの気まずさもなく、渋谷が隣の玖珂へ視線を向ければ、玖珂は黙って微笑み返してくれる。それで十分だった。 
 
 必要な物は何もないのだ……と。傍にいるのが愛しい人であるならば。そう思わせてくれるのだ。恋人になった今も、これから訪れる未来も、共にいられれば……。玖珂の横顔を見ながら改めて感じるのは、ただ幸せだという事だけだった。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 一時間ほどして二人で行ってみた露天風呂のある湯殿は、さすがに有名なだけあってかなり広かった。幾つかの内風呂と、扉を開けた先にある露天風呂がわかれている造りである。 
 全身を洗ってから露天風呂へ行ってみると、暗くてよくは見えないが、生い茂った木々の緑の匂いが風に乗って届く。天然石で作られた温泉に湧き出している湯は止まることなく溢れており、乳白色の湯が静かにさざ波を作っていた。 
 
「……熱っ」 
 
 足先をつけただけで、湯の温度の熱さに驚き、渋谷は思わず足を引っ込める。玖珂は気にならない様子ですんなり湯船へと足を入れ、すぐに腰を下ろした。 
 
「外気が冷えているから、体の体温が下がっているんじゃないか?慣れればそんなに熱くないぞ、おいで」 
 
 玖珂に手を引かれ、熱さを我慢して隣へと腰を沈める。確かに勢いよく浸かってしまえば驚くほどの熱さではなかった。いつもはシャワーで済ませることがほとんどなので、湯船に浸かる事自体久しぶりである。 
 湯の温度にもすぐに慣れて、胸までを沈めて渋谷はフと息を吐いた。日頃の疲れが湯の中へ溶け出していくような気がする。吸い込まれたように静かな辺りを少し見渡して渋谷は呟いた。 
 
「人……誰もきませんね」 
「ああ、そうだな……そのほうが貸し切りみたいで俺は歓迎だけどね……」 
「あの……玖珂さん」 
「んー?どうした?」 
 
 玖珂が渋谷の方へ振り向いたのがわかったが、まともに玖珂を見て言うのは照れもあり、渋谷は濁る水面に視線を落としたまま言葉を続けた。 
 
「今日は、会いに来てくれて嬉しかったです……こうしてゆっくり出来て……」 
「そうだな……、たまにはこういうのも良いものだね……」 
 
 そう言った玖珂の指が見えない湯の底で渋谷の腰へと回される。ドキッとした渋谷が玖珂を見ると、間を開けずに玖珂の濡れた唇が渋谷のそれへ重なった。 
 
「……んっ……」 
 
 表へ出ている肩から上は吹き抜ける風で涼しいはずなのに渋谷の体温はそれだけで何度か上がったように感じてしまう。 
――誰かが入ってきたらどうしよう……。 
 そう考えるだけでうるさいほどに心音が高鳴る。それでも抵抗するだけの理由には至らず、玖珂の舌が上あごを辿るのに僅かに息を漏らした。 
 
「……玖珂……、ん。……誰か……入ってくるかも……」 
 
 玖珂はそれには返事をせずに、もう一度渋谷へと口付けを落とす。回された腕が強く渋谷を引き寄せ静かに波打っていた水面に波紋を揺らす。何も纏わない渋谷の腰を玖珂の指が悪戯に撫でさする度に、全身を弱い快感がかけのぼる。 
 
 洗ったばかりの濡れた玖珂の髪が渋谷の頬へはらりと落ちて、冷たさを伝えてくる。熱い舌がもう一度口腔へとさしこまれる頃には湯船から出られないほどに渋谷の屹立は簡単に頭をもたげていた。こんな場所で……、我慢しないといけないと思うのに体は全く言う事を聞いてくれない。 
 
「人が来たら……すぐわかるさ。……心配しなくて大丈夫」 
 
 玖珂の場所からは入り口が確かによく見渡せる。それでも、もし気付かなかったら……。頭ではわかっていても、もうすでに玖珂の口付けで渋谷は翻弄されていた。巧みに蠢く舌使いに理性が途切れ途切れになる。 
 目の前の照明で照らされた紅葉の葉が視界に写りこんでは滲んでいく。回された腕がすっと離れて口付けが解かれると渋谷は、玖珂を見上げた。 
 
「玖珂さん……俺、……これ以上は……」 
 眼鏡をはずしている渋谷の瞳が濡れたように潤み、上気した頬が艶めいた色を現している。 
「じゃぁ、そろそろ……部屋へ戻ろうか」 
「……はい……」 
 
 そう言って微笑む玖珂にほっとする。朦朧としつつあった意識が徐々に戻ると共に、はっきりとした躯の疼きをおぼえる。未だ浴場は二人だけの空間で、誰かが来る気配はない。二人は湯から出ると脱衣所へとむかった。 
 
 長く暖まったせいか少し汗ばむ身体を拭く時間すら惜しくて、きてきた浴衣を羽織ると濡れた髪を拭きながら廊下を手を繋いで足早に歩いた。 
 
 部屋へと戻るとすでに布団が敷かれてあり、玖珂は後ろ手で部屋の鍵を閉めると渋谷を抱き寄せる。電気は全て消してから出たはずなのに月明かりだけで部屋の中は随分と明るかった。目が慣れてくれば、もっと明るく感じてくるのかも知れない。少し欠けたようなくっきりとした形の月が窓の外に見える。 
 
 非日常的な別の時間軸に包まれた気がして、照明のスイッチへ手を伸ばした玖珂に、渋谷は「このままで」と一言告げてそれを制止させた。 
 
 電気を付けると一気に現実へと引き戻される気がしたからだ。部屋の中へ敷いてある二組の布団の上で立ち止まると玖珂は渋谷の浴衣の帯へ指を絡ませる。取り去られた帯がはらりと落ち、渋谷の滑らかな躯が露わになる。今着てきたばかりの浴衣が布団の上へ音もなく滑り落ちた。 
 
「……祐一朗」 
 
 低く名前を囁かれ、渋谷も玖珂の方へ振り向くと同じように帯へと手を掛けた。気が焦りうまくほどけない渋谷の手を掴み、玖珂が小さく笑い自らの帯を紐解く。するりと抜き取ってはだけた浴衣から覗く玖珂の躯は湯上がりだからかしっとりと吸い付くようである。 
 
 玖珂の色気にあてられた渋谷は、覗き込むように屈み込んで口付ける玖珂の唇を追うように自らも口付けを返す。近づいた首筋からボディソープの清潔な香りがする。それと同時に玖珂の甘い香りが渋谷を包み、口付けられ後、一気に力が抜け膝を折った。 
 
 冷たい布団へ座り込んだ渋谷の躯を玖珂がゆっくりと横たわせる。「寒くないか?」と気遣う玖珂に一度首を振って「大丈夫です」と答えると、玖珂はそのまま覆い被さるように躯を重ねてきた。 
 そんなに強く押し倒されているわけではないのに躯が深く沈んでいく気がして、渋谷は縋るように玖珂の背中へと腕を回す。完全に覚めきってない酔いが、再び身体へ回ってきたように感じ、渋谷は一度目を閉じた。 
 
「玖珂さん……」 
 
 傍にいる玖珂の声を聞きたくて、渋谷は玖珂の名を呼ぶ。漆黒の髪が月明かりに青白く照らされて美しく光る。玖珂はそんな渋谷を見下ろしながら、優しく微笑みかけた。 
 
「どうしようか……ユウ。俺も、今日はそんなに余裕がなさそうだ……」 
「俺も……一緒です……。玖珂さん……貴方に触れて欲しくて……」 
 
 最後の言葉を聞き終わらないうちに玖珂は左の髪をかきあげてのぞく渋谷の耳朶を甘噛みする。息づかいが鼓膜を伝って渋谷をたかみへと押し上げる。絡まる玖珂の浴衣が肩から滑り落ちて布団へと舞う。 
 逞しい腕に抱き込まれ、渋谷は例えようのない安堵とこれから訪れる愉悦に躯を震わせた。すでに固く痼る乳首に玖珂の口付けが降りて、熱い舌先で弄られれば閉じた口から小さく喘ぎが漏れる。 
 
「っ……ぁ……、ッ……」 
「祐一朗は、甘い味がするな……。何でだろうな……」 
「……気のせい……ですよ」 
「そうかな……だが、誰にも…この甘さを味わわせたくないもんだな……」 
「……玖珂さん?」 
「俺はこれでも、結構独占欲が強くてね……。今だって、祐一朗の全てを俺だけの物にしたいと思ってる。……そんな俺は嫌か?」 
 
 渋谷は黙って首を振ると、微笑んで見せた。こんなにも自分を欲してくれる玖珂に、躯の快感とは別の喜悦が染みこんでは渋谷の胸を温める。――嫌なわけがない――言葉で表せる表現を全て積み上げても足りないくらいの愛しさを口付けへかえて渋谷が玖珂の手を取り、その甲へと唇を寄せる。大きくて厚みのある男らしい玖珂の手、頬へ寄せ指先へも口付けると、いつも煙草を挟んでいる指からほんのかすかに煙草の匂いがした。 
 
 求められるだけの何かを自分は玖珂へ贈る事ができるのだろうか……。フとそう不安にもなる。与えられるだけではなく玖珂にも満たされて欲しいのに……。その方法を見つけられないのがもどかしい。 
 渋谷が切なげに玖珂をみつめると、玖珂は愛撫を止めて少し身体を起こし渋谷の髪に優しく指を絡ませた。 
 
「……どうした?」 
「……、……いえ……何でも、ないです……」 
「本当に?」 
「……はい」 
 
 玖珂が安心したように微笑み、目を眇める。優しくて、誰よりも愛しいその笑顔が自分にまっすぐに向けられていると思うと、悲しいわけでもないのに泣きたくなる。大好きで、大好きで、どうしたらいいのかわからなくなってしまう。 
 渋谷は、玖珂の背中へ腕を回し引き寄せると、その耳元で囁いた。 
 
「亮……さん……」 
「……、……!」 
 
 玖珂がゴクリと息を呑み、喉仏が上下する。初めて名を呼んだ渋谷の声が、玖珂の胸に何度も響く。――参ったな……――玖珂が困ったように一度そう呟き、渋谷の唇へ強く口付けた。窒息しそうな勢いで口内を犯され、渋谷も舌を返す。絡め合う舌先が互いの口内を行き来し、飲み下せない唾液が口端からツゥとこぼれ落ちる。 
 
「……ん、……っふ……っ」 
「……ユウ。愛してるよ……」 
「俺、もっ……、同じで……す……」 
 
 顔中に降ってくる玖珂の口付けが、額に最後に軽く落とされる。 
 
「予想外の展開に……、俺は、もう……君に釘付けだ……」 
 
 玖珂がそう言うのを聞いて、渋谷が安心したように笑みを浮かべる。静かな部屋の中で、玖珂の愛撫の濡れた音と渋谷の漏らす甘い吐息だけが響く。月明かりに照らされた闇は、その色を優しい時間へと変えて行く。青白く照らされた渋谷の肌を愛しそうに辿り、丁寧に繰り返される愛撫に渋谷の身体が意思とは関係なく弾む。 
 
 玖珂の指や唇に自分の肌が重なるたびに何度も痺れるような快感が襲う。茂みを掻き分けて玖珂が屹立を何度か扱くと渋谷はあっけなく一度目の精を放った。 
 
「……、ァっ、……、っっ!!」 
 
 すぐに達してしまった事がとても恥ずかしく、渋谷は玖珂を上目でちらっとみて目を伏せる。イったばかりで敏感な屹立を柔らかく刺激する玖珂の大きな掌がそっと蕾へと降りていく。襞をもみつつ侵入してくる玖珂の指先は、いつもよりすんなりと奥へと進んだ。 
 
「――ん?……今夜はいつもより、感じる?……指が飲み込まれそうなんだが」 
 
 少し笑ってそう言う玖珂に、本当の事など言えるわけがない。先程湯殿で自分でほぐしてきましたとは……。浅ましい程の期待を知られたくなくて、渋谷は言い訳を呟く。 
 
「……温泉に……、入ったから…………」 
「なるほど?……ユウがそう言うなら、そう言う事にしておこうか」 
 
 玖珂がクスリと笑い、すっかりバれている事を知る。しかし、玖珂は嬉しそうに目を細めただけで何も言ってこなかった。十分にほぐれた蕾に、玖珂の濡れた指が吸い込まれ、中で曲げられたそれに快楽の在処が刺激される。腹の上で揺れる屹立からは、その度に淫らな蜜が溢れだす。 
 
 躯の負担を少しでも軽くしようとする玖珂の思いがその指先から伝わってくる。押しだそうと内壁が収縮するたびに嫌というほど欲してしまう。指先よりもっと熱い玖珂の雄で中を埋めて欲しくて、たまらなくなる。 
 
「もう、平気かな……。後ろを向いて、腰をあげてごらん」 
 いつもと違う体勢に少し戸惑い、渋谷は四つん這いになって上半身を伏せる。 
「そう……上手だ……」 
 
 背後から腰を掴まれ、玖珂が手早くコンドームをつけた屹立を蕾へとあてる。意識して力を抜くように長く息を吐き出し、渋谷が目をぎゅっと閉じると、ぬるりと中へ玖珂が侵入してくる。痛みはほとんどなかった。あるのは息が詰まるほどの圧迫感とじわじわと駆け上る愉悦だけ……。 
 
「……っや……ッ、……ぁ、ぁ、」 
 
 すっかり玖珂の雄を飲み込んだ所で、全身が小さく震える。猛った玖珂の屹立がいつもより奥まで届いている気がする。 
 
「……ん、ぅ……、んん……」 
「動くよ、いいかい?」 
「……は、い」 
 
 大きな手で掴まれた腰が引き寄せられ、その度に玖珂がどんどん奥へと入ってくる。玖珂の顔が見えない分、その息使いがすぐ傍で聞こえてくる気がする。シーツヘ頬をつけ、湿った吐息を漏らせば、自分の吐き出す熱い息がシーツへと染みこんでいくように感じた。 
 
 まるで征服されているような格好は、自分が玖珂の物だという証のようでもあり。その深い繋がりに喜悦を感じてしまう。自らの全てを捧げ、玖珂に支配される事を望んでいる自分を初めて知る。 
 
「……あ、……ぁっ、ッ、んう……」 
 
 まだ、慣れているとは到底言えない躯だが、それでも玖珂と一つになれることの快感をしっかり記憶している。玖珂の形に添って絡むように蠢いて迎え入れ、腰が淫らに揺れる。シーツを握りしめている指先が爪を立て布を引っ掻く。堪えきれない喘ぎがひっきりなしに洩れて部屋へと響いていた。 
 
「亮さ……、っ、ッん俺、……もう……」 
 
 玖珂の名を呼ぶ声が掠れて震える。身体の中が熱くて、行き場を失ったその熱が余計に快楽を駆り立てる。一際激しく奥を突かれて、がくがくと腰が揺れると、もう何の言葉も喋れなくなった。本能のままに喘ぎ、訪れる狂おしい愉悦に酔う。 
 
「ユウ、……っ、……俺もそろそろ、イきそうだ……」 
 
 いつも聞いている穏やかで余裕のある玖珂の声が、幾分忙しないのが愛しい。時々耳に届く玖珂が息を詰めて吐き出す声。それさえも渋谷を濡らす。蹂躙する玖珂の動きに酸素を求め、短くしか吸えない息に渋谷は頭が朦朧としてくるのを感じながら目を瞑った。眦に浮かぶのは快楽の涙だった。 
 
「……、あ、ぁ、っぁ、ぁ、……んん、ッ!!」 
「…………、祐一朗ッ」 
 
 玖珂の眉がすっと寄せられ、一瞬苦悶の表情を浮かべて渋谷の名を呼ぶ。渋谷も細い嬌声を洩らして精を散らした。ハァハァと上がった息を吐き出し、玖珂の物が抜かれると渋谷は力尽きたように布団へと伏した。 
 
 隣にきた玖珂に痛いほどの力で抱きしめられ、汗ばんだ身体を寄せて渋谷は甘えるように自分も腕を回した。どくどくと未だ早鐘を打っている玖珂の心音が耳に響く。 
 知らない間に零れた涙が渋谷の頬を音もなく滑り落ちては乱れた髪に吸い込まれ、消えていった。 
 
「これは、もう一度風呂へ入らないといけなそうだな」 
 
 玖珂が腕を緩め、汗で濡れた渋谷の黒髪を撫でながらそう囁く。 
 
「……、そうですね……だけど……」 
「――うん?」 
「もう暫く、このまま……、甘えさせて下さい……」 
 
 フと息を吐いた玖珂が、「ああ、勿論」と返し渋谷の背中を優しくなでた。 
 
 
 
 
     *     *     * 
 
 
 
 
「おはようございます、玖珂さん」 
 
 玖珂より早くに目が覚めた渋谷はすっかり着替えも済ませ、眠っている玖珂の肩を揺する。サラリーマン生活の長い渋谷と違い、朝にそんなに早く起きる事のない玖珂は渋谷の声で漸く目覚め、緩慢な動作で布団から半身を起こす。 
 
「……祐一朗か……。今、何時だ?」 
「もう7時半ですよ。そろそろ朝ご飯がくるような事、昨日言ってましたよね」 
「あぁ……そうか……。もうそんな時間なんだな……」 
 
 眩しさに慣れない目を細く開けて、玖珂は髪をかき上げる。隣に居るすっかりいつも通りの渋谷を見て玖珂は少し苦笑した。 
 
「祐一朗は、朝に強いんだな」 
「生活習慣ですよ。玖珂さんは、まだ眠いですか?」 
 
 覗き込んで首を傾げる渋谷に、玖珂は「もう平気だ」と答え渋谷の身体をグイと引き寄せる。急に引き寄せられ、渋谷はバランスを失って玖珂へと倒れ込んだ。はだけた浴衣からのぞく胸に渋谷の頭を抱き込むと、玖珂はゆったりとその身体に腕を回して、渋谷に甘えるように寄りかかった。 
 
「祐一朗が起こしてくれたから……、もう眠くないよ」 
 
 一言そう言い、渋谷の耳元に軽くキスして「おはよう」と囁いた。外は気温は低そうだが、澄み切った青空が広がっており、新鮮な空気が開けた窓から流れ込んでくる。気だるげな寝起きの玖珂をこうしてゆっくり見るのは初めてで、渋谷は知らなかった玖珂の一面に嬉しそうに微笑んだ。 
 
 渋谷は体勢を直し、背中から抱いてくる玖珂にもたれかかって窓の外を眺める。 
 
「夜は見えなかったけど、季節的にかなり紅葉しているみたいですよ……。向こうの方が真っ赤に染まっているのが見えるし」 
 
 窓の外の遠くに見える山々を指さした後、渋谷は回されている玖珂の腕をぎゅっと掴む。 
 
「ああ、本当だね。とても綺麗だ……。じゃぁ、今日は少し遠くまで車を走らせて、紅葉でも見に行こうか」 
「ええ、いいですね」 
「さて、じゃぁ。起きるとするかな……」 
 
 玖珂は腕を解き、浴衣の前を整えると立ち上がる。窓際へ一度寄って、新鮮な空気を吸い込むと木々の匂いに混じって土の香りもする。窓から差し込む光が、焦げ茶色の玖珂の髪を照らすのを渋谷は笑みを浮かべて見ていた。 
 
「本当にいい天気だな。……行楽日和で何よりだ……」 
「そうですね」 
 
 渋谷も立ち上がって窓の外を二人で見ながら思う。赤や橙、黄色と色づく木々の葉と自分の気持ちを重ねてみる。ひとつ違うのは、季節が変わっても自分の気持ちは色褪せないという事だった。 
 
「玖珂さん」 
「――ん?」 
 
 名を呼ばれて玖珂が振り向くと、渋谷はその頬へ背伸びをしてキスをした。不意にされた口付けに玖珂が少し驚いて渋谷を見下ろすと、自分で仕掛けてきたというのに、渋谷は真っ赤になっていた。 
 
「紅葉と、お揃いかな?」 
 
 玖珂が笑って、赤くなった渋谷の頬にキスを返す。 
 渋谷は今の気持ちをなくさないように、目の前の景色と共にそっと胸へしまい込んだ。 
 
 
 
――色づくのはきっと、貴方のせいだから……。 
 
 
 
 
 
END