俺の男に手を出すな 4-3


 

 ――今日で10月も終わりになる。 
 
 晶は携帯のカレンダーを眺めていた。 
 既に夕方になっている今日は、久し振りに佐伯と会う約束をしているのだ。晶と休みがほとんど合うことのない佐伯は今日とて仕事である。よって、待ち合わせは夜になってしまう。 
 週末に学会へと出席し、それで暫く落ち着くはずだと佐伯が言っていたのは一昨日の電話だ。 
 晶は携帯を指でスクロールして予定をざっと確認した後、ベッドへ仰向けに転がった。はずみに手から離れた携帯が床へ落下しゴトリと音を鳴らす。 
 
 店の中、外を問わず晶の毎日は忙しい。否、自分で忙しくしていると言ってもいいかもしれない。こんな暇な日は余計な事をどうしても考えてしまうから嫌なのだ。スケジュール帳は埋まっていればいるほど安心できる。 
 床に落ちた携帯の方へ向いてベッドから手を伸ばす。こんなちっぽけな四角い箱ひとつでいつでも佐伯の声が聞ける。しかし、電話を掛ければ掛けるほど、何となく虚しくなるのを晶は感じていた。声が聞きたくて掛けるのに、電話を切った後は余計に寂しくなり……結果的に、電話を掛ける前より孤独感を感じるのは何故なんだろう。漠然とそんな事を考えていた。 
 
 欲しいのは声でもなく、言葉でもなく、佐伯から伝わる体温だったり匂いであったりそういう物なのだ。触れられない物だけでは満たされることのない自分は欲張りで……、そしてきっと自分でも認めざるを得ない程に佐伯との恋愛に嵌まってしまっている。 
 
 僅かに出来てしまった今の時間を持て余して、晶は拾い上げた携帯を枕元に置いたまま天井を眺めた。都内のワンルームで、それなりに広い部屋は一人でいるともっと広く感じてしまう。ペットでも飼おうかとも一時期考えたが、家にいない事が多いのでそれは可哀想だと思い結局飼っていない。 
 
 晶はぎゅっと目を閉じ、何かを追い払うようにすると、その後勢いよく起きあがった。――早めに出て街でもブラブラしていよう――そう思ってクローゼットへと向かう。 
 
 余り迷う事もなくシャツとズボンを引っ張り出して着替えを済ませ、洗面で出かける準備を整える。 
 今までダラダラしていたせいで少し身体が重い気がするが、これから佐伯と会うんだと思えばそれだけで気分は徐々に晴れてくる。店に出る時とは違った香水を軽く吹き付け、歯ブラシを口に突っ込んだ。 
 前歯にブラシをあて、すぐに奥へと入れる。以前テレビで前歯から磨くのはナルシストの証だと言っていたのを思いだしたからだ。 
 
 もごもごと歯ブラシを動かしながら片手で前髪を引っ張る。最近伸ばし気味にしている前髪は、長い場所になると顎の部分まで伸びている。そろそろ美容院へ行かないとまずいかもしれない。 
 勢いよく捻った蛇口にコップをかざして汲み、口を付けてすすいだ後そのまま顔を洗う。冷たい水が晶のだるさを一気に吹き飛ばす。最後に、髪をセットしようかとワックスに腕を伸ばした所で、晶はその手を止めた。 
 
――今日はこのままでもいっか……。 
 
 店に出るわけではないので多少ラフでも構わないからだ。手櫛で何度か髪をかきあげ整えると晶は玄関へと向かった。財布と鍵と携帯を掴んでポケットにいれ、マンションを出る。 
 
 目覚めたのが夕方近くなのだから当然と言えば当然なのだが、外へ出てみるとすっかり暗くなっていた。――夏だったら今の時間でも十分明るいはずなのに……。そう思いながら鍵穴に鍵を差し込む。 
 
 あまりいい天気ではない事もあり気温は結構低く、薄着で出てきたせいで少し肌寒く感じるほどだ。 
 
――どうすっかな……。 
 
 もう一枚上に何かを羽織っていくか一瞬迷ったが、閉めた鍵を開けるのも面倒で結局はそのままエレベーターへと向かった。晶がエレベーターを待っている間、電気を消した薄暗い部屋の中では晶のプライベート用の携帯が振動と共に鳴り響いていた。 
 
『佐伯 要』 
 
 無機質に青白く光るディスプレイには電話をかけてきた相手の名前が光っていたが、晶がそれを知る事はなかった。 
 
 
 
 
     *     *     * 
 
 
 
 
 乗り継ぎもよく目的の駅に降りたのは、約束の時間の1時間程前だった。予定通りの時間に満足し、すぐには待ち合わせ場所へ向かわず晶は街をあてもなく歩き出した。 
 
 何軒かのデパートへ足を運び、早くもクリスマスの飾り付けがあるショーウィンドウを横目に去年の事を考える。去年のクリスマスは付き合いだしたばかりで、佐伯と過ごすのは初めてだった。……にも関わらず互いに仕事でイヴには会えない予定だったのだ。 
 
 しかし、予告なしで佐伯が突然会いに来て結局イヴには間に合わなかったが、その後一緒に過ごせたのだ。あれから一年。また今年もクリスマスがやってくる。 
 
──何だか早ぇよな……一年たつの。 
 
 赤と緑に彩られたツリーに輝く電飾を視界に映しながら、しみじみとそう感じてしまう。この時期の街は毎年華やかで、通りを歩くだけで幸せな気分になる。耳慣れたクリスマスソングがどこからともなく流れていて、思わず鼻歌を歌いたくなりそうになる程だ。 
 
 鈴の音に耳を傾けゆっくり通りを歩くうちに、晶は一軒の店の前で足を止めた。何度も通った事がある通りだが、こんな店が前からあったかな……と、しばし考える。そんなに大きくない店構えで、時計や小物を売っている店のようである。控えめに飾られた小さなクリスマスツリーが店内に覗えた。 
 
 煉瓦作りのシックな壁にはめ込まれたウィンドウ内には、煙草ケースと揃いのオイルライターが飾られている。上質そうな革で出来ている煙草ケースの内側はアルミケースが埋め込まれている。揃いのオイルライターは手に持つ下の部分はケースと同じ材質の革のようだが、上蓋の部分は艶を燻した銀製で出来ていた。 
 
 飾り気はないが長く使えそうなその小物は佐伯にとてもよく似合いそうな気がして、晶はウィンドウにもう一歩近づいて腰を屈めた。クリスマスのプレゼントに何を贈ろうか考えていたので、丁度良いかもしれないと思いつき、店内に入ってみる事を決めた。 
 
 佐伯の吸う煙草は箱の形が独特で胸ポケットに入りづらい。だからなのか佐伯は煙草ケースを使っているのだ。落ち着いた大人の雰囲気の店内には少し入りづらかったが、それでも中へ足を踏み入れてみれば数人の先客がいた。店内にはキーケースや財布、鞄など、革製品が多く見受けられる。晶はそれらの商品を見ながら奥へ進みレジにいる店員に声を掛けた。 
 
「あの、すみません」 
「はい。何でしょうか?」 
「外のウィンドウに飾ってある煙草ケースを見せて欲しいんですけど」 
「煙草ケースですね。少々お待ち下さい」 
 
 店員が奥へと消えていった後、晶は改めて店内を見渡す。木目で統一された店内は落ち着いていて、照明も蛍光灯ではなく温かい光のランプが多く使われている。並べられている懐中時計や小物はどれも品があって、ギラギラしているブランド物とはまた別の上品さがあった。 
 暫くそうして店内を眺めていると、さきほどの店員が奥から戻ってきて晶へと声を掛けた。 
 
「お客様……。大変申し訳ないのですが、あの商品は只今きらしておりまして……。次の入荷は12月になってしまうのですが……」 
「あ、そうなんですか」 
「ご予約は承れますので、実物をご覧になりますか?」 
「はい、じゃぁ、お願いします」 
 
 店員はウィンドウの方へ足早に向かって、商品を手に取って戻ってくる。店員の説明によると、職人が手作業で一つ一つ作っているので生産数が少ないと言うことらしい。 
 
 渡された現物を手に取ってみた感じ、思っていたよりも軽く持ち歩くには問題なさそうである。見た目通り革の部分は手触りも良く、使うほどに馴染んできそうだ。オイルライターの方も重厚感があってケースと揃いで持つには良さそうである。オイルライターの蓋を親指で押し上げると金属の蝶番からいい音が響く。 
 
 晶は少し考えた後、どうしても佐伯にこれを贈りたいと改めて思った。まだクリスマスまでには期間があるし、入荷が12月になるというなら丁度いい時期かも知れない。 
 見せて貰った品を店員へ返し、予約をして帰る事に決めた。 
 
「じゃぁ……、予約していきます」 
「そうですか。畏まりました。有難うございます」 
 
 穏やかそうな店員が笑顔で予約伝票を取り出し、名前と住所などの必要事項を書き込むように晶へとペンを渡す。言われた箇所を書き終えて店員に戻すと、店員は商品名等を記載して、最後の記入欄で手を止めて贈り物かどうかを尋ねてきた。 
 
「……一応」 
「では、お名前を刻印出来るのですが、どう致しましょうか?」 
 革の部分に小さく焼き印で名前が刻まれるようになっているらしい。 
「じゃぁ、佐伯……で」 
「さえき様ですね。畏まりました。字の方は『佐伯』様で宜しいでしょうか?」 
「はい、その字で」 
 
 佐伯と口にしたことで佐伯との関係が店員にわかるはずはない。しかし、意識しているせいか少し気恥ずかしい気がするのが不思議である。控えの紙を渡され、それを財布へとしまい込むと前金を支払って晶は店を後にした。 
 
──佐伯は喜んでくれるだろうか。 
 
 似合いそうな物を見つけられて自分的にも凄く得した気分である。こういう買い物は自分の物を買うよりずっと楽しい。 
──クリスマスまでは内緒にしておくか。 
 
 そう考えて、晶はクスッと笑った。 
 
 
 
 
 
 
 店で結構時間を取られてしまい、通りに戻って時計を見ると待ち合わせの時間ギリギリになっていた。いつのまにか10分前である。 
 少し急いで待ち合わせ場所へ向かいどうにか約束の7時には到着出来た。時間にルーズなのを嫌う佐伯はもう来ていると予想し慌てて到着したのに、まだ佐伯は来ておらず晶は少し拍子抜けした。  
 
 しかし、佐伯は時間に遅れた事がないので、そろそろ来るはずだ。晶は佐伯がやってくるであろう方向を向きながら視線を彷徨わせる。ふと煙草の匂いを感じて振り向くと、背後に小さな喫煙所があった。といっても灰皿が奥まった部分にポツンと置かれているだけではあったが、貴重な喫煙場所な事は確かで、既に2人程煙草を吸っている。晶も近くへ寄って、ポケットから煙草を取り出して火を点けた。 
 
 少し待ち合わせの場所からはずれてしまったが、ここからでも十分見渡すことが出来る。晶の視力が良いというのを差し引いても、どんなに遠くても佐伯は目立つので簡単に見つけられるだろう。しかし、晶の見渡す範囲では未だに佐伯の姿はないようだ。 
 
 咥え煙草のままもう一度腕時計に視線を落とす。長く煙を吐き出すと、通りに停車している移動販売のワッフル店から焼き上げた生地の甘い香りが流れてきて晶の周りを包む。そのせいなのか吸っている煙草までがバニラのような甘い香りがするような気がした。 
 
 三本目の煙草を吸い終えて再び時計を見る。待ち合わせの時間は当然だがとっくに過ぎていた。 
 
──おっせぇな……要……。 
 
 通りに目を向けながら、佐伯から連絡が入っていないかをチェックしようとポケットに手を入れる。取り出した携帯を見て晶は小さく舌打ちをして肩を落とした。仕事用の携帯を持ってきてしまった事に初めて気付いたのである。プライベートで使っている一台をどうやら家に置いてきてしまったらしい。 
 
 最近は携帯に番号を登録してしまうと相手の番号をいちいち覚える事がないせいか、晶も佐伯の番号は覚えておらず連絡をとる方法がなかった。仕方がないのでそのまま待つしか選択肢はなくなってしまったという事である。いくら何でも30分以上遅れてくる事は佐伯に限ってはないはずだ。 
 
 こうしてじっとしていると急に寒くなって首筋がゾクリとし、晶は無意識に肩を竦めた。やはり、もっと厚着をしてくればよかったと今更後悔をしながら軽く溜息をつく。 
 隣や向かい側で待ち合わせをしていた人達が次々に入れ替わり、雑踏の中に消えて行くのを晶は何度も見送りながら、腕時計をチラチラと見てみる。もう既に待ち合わせから40分も過ぎている。しかし、まだ佐伯は待ち合わせ場所には姿を現さなかった。 
 
 最初は、佐伯が来たら遅れた事に文句を言ってやるつもりだったが、次第にそんな考えも失せ。もしかして事故にでも遭ったんじゃないだろうかと段々心配になってくる。何せ、こんな事は初めてなのだ。 
 
 結局一時間経っても佐伯は待ち合わせ場所には現れず8時になってしまった。晶は仕方なく一度場所を離れて時間を潰す事にした。心配なのと、ガッカリなので歩く足取りが自然に重くなってくる。 
 
 しかも、こういう時に限って崩れてきた天気は容赦なく霧雨を降らせてきた。夜の雨は非常に冷たく晶の身体を少しずつ濡らしていく。傘を持っていないので店から店へ走っていき、思いつく限りの時間潰しをする。そうして、2時間ほど時間を潰しもう一度待ち合わせ場所へ行ってみる事にした。 
 
 雨はいつのまにか本降りになっていて、屋根から屋根へ走ってもすぐにびしょ濡れになってしまう。視界を雨が遮る中、目を細めて先を見ると待ち合わせ場所に佐伯が立っているのを発見した。傘を差しているので顔が見えないが、立ち姿だけでわかる。 
 
 事故に遭って遅れる確率というのが高くないのは理解しているが、心配な物は心配である。佐伯の無事を確認し胸をなで下ろすと冷たい雨も構わず晶は佐伯の待つ場所へと駆けだした。びしょ濡れの晶が走って待ち合わせ場所へ来たことで、佐伯は驚いたような顔をして晶へと傘を翳した。 
 
「……晶、お前、傘はどうしたんだ?そんなに濡れて……」 
「忘れちゃった。へへ」 
 
 佐伯の傘へひとまず入れてもらい屋根があって濡れない場所まで歩いて移動する。今度は佐伯の方がほとんどを晶の方へと傘を向けているので、さしていないのと同じくらいに肩を濡らしている。 
 近場の屋根の下へと入った佐伯は、濡れた晶にハンカチを差し出しながら眉を顰めた。怒っているのではなく困っているときに佐伯はこういう表情をよくする。晶は最近になって、その事がわかってきたのだ。 
 
「要、何だよ。すげぇ遅いしさ……。俺、事故にでも遭ったかと思って心配しちゃったぜ。何かあった?」 
 
 晶は佐伯から受け取ったハンカチで髪をふきながら佐伯を見上げる。 
 
「何かって、携帯へ伝言を入れてあっただろう?急なオペが入って10時くらいになると」 
「あちゃー……。やっぱ、そっか。あぁ、ごめん!俺、プライベートの携帯家に置いてきちゃってさ」 
「……それじゃぁ、伝言を聞かずにこんな時間までずっと待っていたのか?」 
「だって、それしかなくね?連絡するにも、俺、番号覚えてねーし」 
「先に帰って俺からの連絡を待つとか、他にも色々あるだろう」 
「あ、そっか……。でも、久しぶりだしさ、要と会うの……すれ違ったら、その時間勿体ないかなって……。ちょっとでも長く一緒にいたいし」 
「…………」 
 
 佐伯は呆れたように晶を見てから、考え込むように顔を伏せた。 
 
「こうして会えたんだし、まぁいいじゃん!結果オーライって感じで」 
 
 佐伯にとって、晶がそんな状況でも自分を待っていてくれたのは嬉しくもあるが、そんな晶の行動が理解できない部分も多少ある。自分が逆の立場なら、3時間も待っている事はないはずだ。下手をすれば30分遅れてきただけでも帰ってしまうかも知れないとさえ思う。 
 
「……晶」 
「んー?何?」 
「……すまんな。急に予定を変更して。そんなに濡れていたら、風邪を引くぞ」 
「あ、平気平気!ほら、馬鹿は風邪引かないって言うだろ?」 
「まぁ、それもそうだな……」 
「おいおい、そこで納得するかな普通~」 
 
 髪をかきあげながら晶が笑う。佐伯もそんな晶に釣られて少しだけ笑みを浮かべた。付き合いだして1年以上経つ今でも、佐伯は晶のとる直感的な行動や考えの真っ直ぐさに驚かされる事がある。 
 借りたハンカチで大まかな雫を払うと晶は盛大にクシャミをした。口では強気な事を言っているがやはり、濡れたせいで風邪を引いたのだろうかと佐伯は思う。 
 
「このまま、ここにいても仕方がない……ホテルにでも行くか」 
 突然ホテルへ行くと言い出した佐伯に晶は驚いて佐伯を見た。確かに久し振りではあるが……。 
「はい?会っていきなりその展開?」 
「……何を勝手に想像してるか知らんが、服を乾かす為に行くだけだ。近場でな」 
「あ、何だ……そーゆう事か」 
 
 確かにずぶ濡れの格好のままでは店にも入れないし、本当に風邪を引いてしまうかも知れない。晶は張り付く濡れたシャツに一層寒気を感じ体を小さく震わせた。佐伯に気付かれないように体を少し離す。 
 晶達は、とりあえず一番近くにあるビジネスホテルへ向かい歩き出した。途中コンビニに立ち寄り、佐伯が勝手に新しいビニール傘を買ってきて、自分の傘を晶へと渡す。 
 
「今更だが、ないよりはマシだろう。ほら、さしておけ」 
「……あぁ……うん。……サンキュ」 
 
 男同士で同じ傘にずっと入っているのも端から見ればおかしな物なので佐伯が気を遣ったのだろう。 
 しかし、晶は少し残念な気もしていた。こんな時でもなければ、自分達は近くに並んで街を歩く事も出来ないのだ。唯一の理由がなくなった事で、佐伯と晶の距離はいつもの距離に逆戻りした。前を歩く佐伯の背中に向ける晶の視線を、激しい雨が遮って、その気持ちさえ流していってしまう気がする。 
 
 佐伯が今まで握っていたからだろう。傘の柄に残っている温もりが晶の掌に伝わる。晶はその温もりが消えないようにもう一度きつく傘の柄を握りなおし、佐伯との距離を一歩だけ詰めた。