note23


 

 
「久し振りだな。二人とも元気そうで安心したよ。椎堂さん、忙しいところすみません、迎えに来て貰って」 
 
 澪と椎堂を交互に見て微笑む玖珂は、至って普通でいつも通りの挨拶だった。言葉の裏にサプライズが潜んでいるようにも全く見えず、澪は真意を測りかねる。 
 その子供は誰なのか、隣に居る女性は? ……玖珂からは一切の説明が無い状態では、こちらから非常に訊ねづらい。黙っているのもおかしな物なので「……久し振り」と澪が一言だけやっと返すと、隣では椎堂が笑顔で返事をしていた。 
 
「いえ、お久しぶりです。玖珂さんがいらっしゃるの楽しみにしてました。……えっと……、そちらの方は?」 
 
――よくぞ聞いてくれた。と喉元まで出掛かったが何とか我慢し、椎堂を心の中で賞賛する。 
 ニコニコしながらズバッと聞いてしまう椎堂はこういう時には案外動じないのだ。椎堂が訊ねた事で、やっと気付いたように玖珂が隣の女性を紹介した。 
 
「おっと、失礼。紹介が遅れたね。こちらの女性はマイラさん、この子はクラーク君だよ」 
 
 マイラと紹介されたその女性は全く日本語がわからないらしく、玖珂へ「この方が話していた弟さんね? えぇと、日本語がいいかしら」と少し困ったように首を傾げている。玖珂に、そんなにかしこまらなくて大丈夫だよと言われたマイラが、気を取り直して澪と椎堂にたどたどしいカタコトで「コンニチワ、ワタシハマイラ」と挨拶をしてにっこりと笑った。本当に綺麗な女性で思わず見惚れてしまう。 
 澪も「……どうも、初めまして」と日本語で返してしまったが、この分だと通じていないのかも知れない。 
 
「いや、丁度飛行機の座席が隣になったんだよ。長旅の間、この子の遊び相手をしていたら、この通り。すっかり懐かれてしまってね。おかげで機関車アニメの登場人物は全て覚えてしまったよ。可愛いだろう、今年で四歳になるそうだ」 
 
 玖珂はまるで我が子のようにそう言って、男の子の頭を優しく撫でた。昔から玖珂は子供好きで、そんな所も澪とは正反対である。 
 
「そうだったんですか。――初めまして、マイラさん、クラーク君」 
 
 椎堂もそう言って微笑み返す。 
 クラークは、本来は人見知りをする性格なのかもしれない。椎堂が笑顔で挨拶をすると母親の後ろへとささっと隠れ、その影から椎堂を見てはモゾモゾと母親の服を引っ張っている。 
 しかし、椎堂がしゃがんで目線を合わせ、再び英語で冗談を言って手を差し出すと、クラークは、はにかんだ笑みを浮かべて小さな手を差し出した。 
 
 澪は黙ってその様子を見つつ、フと入院していた頃を思い出していた。小児病棟へ入院している子供達にも椎堂は人気者で、二人で中庭で話していると決まって何度か子供に邪魔されていたものだ。 
 「あ! 椎堂先生だ~!」と駆け寄ってくる子供達の名前を椎堂は記憶しており、必ず下の名前で呼んでいたことも覚えている。自分には到底真似出来ないその優しい対応を見て、医者としてというより、人として素直に尊敬したのも記憶に鮮明に残っていた。 
 
 玖珂も椎堂もこんな感じなので、今この場で確実に浮いているのは澪一人である。澪は咄嗟に曖昧な笑みを浮かべて時間をやり過ごした。何やら玖珂と話していたマイラがクラークへと声をかけて抱き上げ、玖珂の手にメモのような物を渡す。 
 
「それじゃ、私達は先に行くわ。楽しませてくれて有難う! ディナーの件、連絡待ってるわね」 
「こちらこそ、有難う。楽しみにしているよ。気をつけて帰るようにね。ああ、そうだ、マイラ? クラークは早く帰って例の番組を見たいって言ってたぞ? 寄り道は、程々に」 
「ふふ。わかってるわ。ちゃんとそれまでには帰る予定よ。じゃぁまたね、リョウ」 
 
 玖珂に向かってそう言うと、マイラは一度椎堂達にも手を振り遠ざかっていった。 
 ひとまず、隠し子ではない事が判明してホッとした澪が、安心したように溜め息をつく。 
 
 それにしても、玖珂が英語も喋れることは知ってはいたが、話すのを聞いたのは初めてだった。大学時代から英語が得意だったのは覚えているが、だとしても流暢である。現在進行系で現地で学んでいる自分より余程上手なのが若干悔しいところだ……。椎堂が感心したように「お兄さん、まるでネイティブだね」と目を丸くしている横で、澪は「ホントだな」と苦笑いするしかなかった。 
 六本木や麻布界隈は外国人も多いので、話す機会も多かったのだろうと予想を付けて納得し、澪は改めて玖珂の背後にある荷物へ振り返った。 
 玖珂はキャリーケースの他にも荷物が多く、いったい何を持ってきたのかカートは山積みである。 
 
「知らない間に、結婚したのかと思ったし」 
 
 やっと三人になった事で、呆れたようにそう言う澪に、玖珂は「まさか」といって笑う。久し振りにみる兄の笑顔。 
 いつだって、誰にでも優しくて周囲には人が絶えず集まってくる。そういう兄の姿をずっと見てきた。その追いつけない背中が、今も健在である事にどこか安心した気持ちになる。変わらないでいるという事の大切さがわかるようになったせいかもしれない。 
 
「さてと……」 
 玖珂が仕切り直すようにそう呟き、カートに手をかけた。 
「到着早々騒がせてしまってすまなかったね。じゃぁ、行こうか」 
「ええ。そうですね。車を駐車場に停めてあるので、そこまで僕も荷物持ちます」 
 
 玖珂は遠慮していたが、椎堂が手を差し出すので、一番軽そうな手提げを椎堂へと渡した。自分の事を棚に上げて言わせて貰うと、玖珂と椎堂がこうして仲良さそうに会話をしているのが何だか不思議である。弟の主治医と患者の兄。普通であるならば、退院した時点でもう会うことも無いような関係だ。 
 再会は嬉しいが、色々な事を考えだすと止まらなくなり、澪は黙ったまま二人の後を着いて歩く。 
 
「澪、どうした?」 
 
 何か考え込んでいるような澪へと振り向いた玖珂が不思議そうに様子を窺ってきたので、澪は慌てて顔を上げ、玖珂の手から重い鞄を一つ強引に奪って手に取った。 
 
「別に……どうもしないけど」 
「久しぶりに会ったのに、歓迎してくれないのか? 随分と薄情な弟だな」 
 
 玖珂が冗談でそんな事を言って、澪へと微笑む。歓迎はしているし、会えて嬉しい。しかし、だからといって何を話したらいいのかわからないのも事実で……。 
 
「……歓迎は……一応してんだろ、荷物持ってやってるし」 
「一応、な」 
 
 笑っている玖珂は勿論本気でそう捉えているわけではない。そんな中、並んだ椎堂が小声で耳打ちする様子が視界の隅で見えた。さほど小さな声でもなく、丸聞こえな所を見るとわざとなのかもしれない。 
 
「澪、お兄さんがくるからって昨日はりきって掃除してたんですよ。本当は楽しみで仕方なかったんじゃないかな。澪って素直じゃない所あるし」 
 
 澪は、そう言ってくすりと笑う椎堂の背中を軽く叩いて「聞こえてるし。余計な事を言わなくていいから」と釘を刺す。玖珂はそんな二人のやりとりを見て、笑いを堪えていた。玖珂と椎堂が揃うと、どうにも調子が狂う。話題を変えるように、澪が少し早足で先に進み口を開いた。 
 
「兄貴、滞在中ずっとうちにいられるんだろ?」 
 玖珂の日程ではこちらの滞在は五日間である。当然ずっと泊まる物と思っていた澪に、玖珂は少し残念そうに首を振った。 
「それが、少し用事が出来てな。最後の二日間は、ホテルへ滞在予定なんだ」 
「え? そうなんですか?」 
 驚いて振り返る椎堂に、「慌ただしくて、申し訳ない」と玖珂が苦笑する。 
「用事?? こんな所で?」 
 
 LAで用事があるなんて想像もつかない。荷物を肩にかけてカートを押しながら澪が質問すると、玖珂は突然脈略のないような返事をした。 
 
「お前、シールケインってブランドを知ってるか?」 
 
 ホストをしていた時は、それなりに流行のブランド名は記憶していたはずだが、ざっと思い起こしてみても玖珂の言うブランドを聞いたことはなかった。この一年弱の間に新しく立ち上げたブランドというなら納得がいくが。 
 
「いや……聞いた事ないけど。誠二、知ってる?」 
「ううん。僕は、そういうブランドとか全然詳しくないから……。服飾の関係ですか?」 
「いや、主に店舗向けのアメリカンモダンスタイルの家具を作っている所なんだ」 
 
 どうりで知らないはずである。家具のブランドなんて、カッシーナやキンデル等の世界的に有名なブランドではない限り、片手で足りるほどしか覚えているものはなかった。 
 簡単な説明ではピンとこない澪に、玖珂がわかりやすい例を挙げる。 
 
「日本だと……、そうだな。リストンホテルが、客室からレストランまでシールケインのものを使っているのが有名だが」 
 
 リストンホテルは都内でも屈指のラグジュアリーホテルで、中に入っているレストランも確か三つ星だったはずだ。同伴で行った事はあるので、漸くだいたいのイメージが湧く。 
 玖珂が最近かかりっきりの新店舗は先日詳細な立地が決まったばかりである。しかし、箱は決まった物の、内装はまだ準備中であり、他の店との差を出すためにインテリアを全てオーダーメイドで発注する事にしたという所まではメールで聞いていた。 
 
 依頼しているインテリアデザイナーが指定したブランドの本店がここ、LAにあるシールケインなのだそうだ。 
 隣の椎堂は、別世界の出来事を聞いているかのように神妙な顔で頷き、小声で「うん、なるほど……」と呟く。 
 家具の下見と、商談が成立すれば買い付けとを代理で行うと玖珂は最後に付け加えた。 
 相変わらず一般人には想像もつかないような話である。フロアの規模にもよるが、店内全ての家具ともなると動く金額も桁違いなのだろう。 
 
「じゃぁ、その店に兄貴が直接行くって事?」 
「店もだが……。本店の社長とは懇意にさせて貰っていてね。折角現地に来るならと自宅に招かれたんだ……。……正直少し緊張もするが、滅多にない機会だから話を受けさせてもらった」 
「なんか……。兄貴の人脈、別世界過ぎ」 
 
 話に着いていくことを早くも放棄した澪とは違い、椎堂は興味津々で「お兄さん、凄くやり手って感じがするよ。かっこいいね」と感心し、「僕もいつか、社長の自宅に招かれたんだ。とか言ってみたい」と玖珂の背中を憧れの眼差しで見ている。職種が違うだけで、椎堂だって医者なのだからその道のエキスパートだと思うのに、椎堂自身はそういう自らのステイタスに関しては無頓着だ。 
 
 素直に好意を向けられたのが恥ずかしかったのか、玖珂は少し慌てた様子で「いやいや」と困ったように首を振り、「椎堂さんのような立派な先生がそんな事を仰らないで下さい」と苦笑した。 
 
「でも本当に、玖珂さんのお人柄ですね。皆に好意を持たれる人間って、やっぱり好意を持たれるだけの魅力というか、惹きつけられる物を持ってるからだと思うんです」 
「そうだと嬉しいですね。よくしてくれる皆には、感謝しないといけないな」 
 
 玖珂はそういって、笑みを浮かべる。その後も話が途切れることはなく、車に乗り込んで自宅へ着くまでそれは続いた。こちらでの生活についてや、椎堂と澪が携わっているボランティアの話。そのうち、椎堂と玖珂は何故か料理の話で盛り上がり、今夜の夕食を玖珂も手伝うというような話になっていた。 
 正直、玖珂の料理の腕はかなり怪しいので、阻止したくもあったが……。椎堂も玖珂も話好きなので、会話が盛り上がってくると澪が口を挟む余地はほぼなかった。 
 澪は運転をしているからという建前があるので、会話に混ざらなくてもいい事にちょっぴり安心していた。 
 
 行きは渋滞していたものの帰りはスムーズで、さほど時間もかからず市内を通り過ぎた。雨は相変わらず止む気配がないが、今日はもう出かける予定もないので問題ないだろう。 
 最終日前には、先程知り合ったマイラという女性ともディナーの約束があるという玖珂のスケジュールは聞いているだけでも慌ただしそうだった。 
 
「ディナーの時に、さっきの人、……マイラさんだっけ。口説くつもりとか?」運転しながら澪がからかうような事を言うと、玖珂は小さく笑った。 
「確かに、彼女はとても魅力的な女性だ。でも、残念だが、彼女は既婚者だよ。ディナーも、ご主人も含めて皆で行く予定なんだ」 
「なんだ。つまんねーの」と澪が呟くと、椎堂が続けて「澪、そういう言い方はよくないよ」と窘める。 
 
 玖珂は少し間を開けた後、誰かを思い浮かべるようにして優しい表情を浮かべ、一言だけ呟いた。 
 
「大切な人は、俺にもちゃんといるぞ? 浮気をして、泣かせるような真似はしないつもりだ」 
「え? 兄貴、付き合ってる人いたんだ? 特定の一人?」 
 驚いて思わず視線を向ける澪に、玖珂が少しだけ眉を顰める。 
「なんだ、澪。随分な言い方だな。まるで俺が、いつも複数と交際していたみたいじゃないか」 
「いや、そういうわけじゃないけど……。ちょっと意外だったから」 
 
 玖珂の周りには絶えず女性の影があったが、澪の知る限りでは、あえて特定の一人と恋人関係になる事はなかったように思う。兄弟でその手の話をすることも滅多にないので詳しくは分からないが、まさか玖珂の口から直接聞く日が来るとは……。驚くと共に、相手の女性を想像する。今度機会があったら詳しく聞いてみようと思いながら、澪はアクセルを踏み込んだ。 
 
 
 
 雨脚は以前弱まる気配がなく、自宅へ到着した車から荷物を下ろす束の間外に居ただけで全員びしょ濡れになってしまった。 
 玄関へ入って、先に上がった椎堂がタオルを持ってきて皆へと渡す。 
 
「こんなに雨が降ること滅多にないんだけどな……。これ、使って下さい」 
「ああ、有難う」 
 
 椎堂が玄関を大きく開けて玖珂を迎え入れる。玖珂は受け取ったタオルで軽く髪と肩を拭うと、玄関から見える空間を一通り眺めて感心したように頷いた。 
 
「随分大きな家なんだな……。二人でここに住んでるなんて羨ましい限りだね。周りの環境も良さそうだ」 
「結構静かで住みやすい地域なんです。いい所を紹介して貰えて僕もほんと助かりました」 
「ああ、東京は土地が狭い上に騒がしいからね。余計にそう感じるな。――それじゃ、お邪魔します」 
 
 今はすっかり慣れてしまったので何も思わないが、椎堂と初めてこの家を見た時には、二人とも同じ感想を抱いたのだ。 椎堂が、皆が使ったタオルを集めて脱衣所へと運んで行っている間二人きりになると、玖珂は澪の姿を見て少し心配そうに顔を曇らせた。 
 
「……澪」 
「ん? ……なに?」 
「少し痩せたんじゃないか? 体調の方は、どうなんだ?」 
 
 メールでは時々、体調が悪いというような事も書いた事があったが面と向かって聞かれると、心配させたくない気持ちの方がどうしても勝ってしまう。澪は安心させるように、僅かに笑みを浮かべながらジャケットを脱ぐのを口実に玖珂へ背中を向けた。 
 
「今は……、平気」 
 
 別に嘘ではない。明日からの治療でどうなるかはわからないけど……。 
 
「……そうか……。ならいいが、無理はするなよ」 
「わかってるよ」 
 
 本当はもっと色々聞きたそうだったが、澪がそういう事を聞かれるのを嫌うのをよく知っているので、玖珂はそれ以上の事は口にしなかった。心配そうなその表情に安心を与えられる要素もない今、澪もこの事についてはこれ以上言える言葉も無かった。 
 
 
 
*     *     * 
 
 
 
 玖珂が泊まった初日の夜は、あらかじめ決めてあったメニューを椎堂と澪二人で作り、玖珂にも少しだけ手伝って貰った。たいした料理ではなかったけれど、見栄えは上出来である。玖珂はどれもとても美味しいと嬉しそうに言っては手作りの食事を口に運ぶ。 
 
 いつも二人だけの食事では飲むことのない酒を、椎堂も一緒にのみ、楽しい時間が過ぎていく。椎堂が酒が強いのは噂には聞いていたが、酒豪である玖珂にもひけをとらない飲みっぷりに澪は驚いていた。ワインが三本目になった頃には流石にスピードが落ちたが……。 
 
「そんなに飲んで二人とも大丈夫なのかよ」 
「ん? そんなに飲んでるか?」 
「うん、たいした事ないですよね」 
「…………」 
 
 澪の心配をよそに、二人はまるでいつもと変わらず……。いや、椎堂は多少酔っているのか、玖珂に澪の普段の事を話す時に真似てみたりして、その度にツッコむのにやや疲れた頃、宴会はお開きとなった。 
 食後に淹れたコーヒーをテーブルへ運び、玖珂の目の前へカップを置くと、玖珂は思いだしたように顔を上げた。 
 
「ああ、そうだ。澪」 
「ん?」 
「その鞄、あけてみろ」 
 
 玖珂が部屋の脇へと置いていたその鞄を指さして、頷く。随分大きな荷物だと思っていたが、何か必要な物が入っているのだろうか。澪は一度トレイをテーブルへ置き、鞄の側へ行って引っ張ってくるとその中を開けてみる。 
 
「…………何、これ」 
 中には、綺麗に整頓された、ありとあらゆる食べ物が入っている。 
「こっちでは売ってないかも知れないと思ってな。本当は他にも持ってきていたんだが、入国の際に没収されたのもあって……よく調べなかったのがいけないんだが」 
 
 何を没収されたのか分からないが、原材料に肉類が混ざっている物はまず持ち込めないので、その手の物なのだろう。鞄の中にはフリーズドライの味噌汁や、餅、蕎麦。知らない人のいない老舗の羊羹。高級そうな玉露。ここまでは、まぁわかる。しかしその横に入っている子供向けの菓子を見て、澪は嫌な予感がした。そして、その下には何故か入浴剤まで入っていた。 
 
「こんなにいっぱい持ってくるとか、どうりで大荷物だと思ったよ」 
 
 中には、少し先にある日本食品を扱う店でおいてあるものあったが、折角の好意なので言わないことにした。 
 
「わぁ、お正月以来だよ、お餅なんて。和菓子も久し振りで嬉しいです。こんなにいっぱい有難うございます。楽しみだね、澪」 
 
 椎堂がとても嬉しそうにしているのをみて玖珂も嬉しそうである。 
 
「有難う、半年ぐらい持ちそうだな」 
 
 澪がそういって苦笑すると、玖珂は「お前の好きな物も買ってきたぞ」とにっこり笑った。 
 椎堂が鞄を覗き込んで、「どれが澪の好きな物なの? 羊羹とか??」と言いながら中に手を入れ、例の子供向けの菓子を取り出してポカンとしている。 
 
「これは……?」 
「それ、お前好きだったよな? まだシールとか集めてるのか?」 
 
 澪は言葉を失って、溜め息をついた。子供の頃その菓子にはまっていて、付属しているシールを集めていたのは事実だ。しかし、一体あれから何年経ったと思っているのだろう。恥ずかしすぎて流石に礼を言う気も削がれた。 
 
「え、澪、このお菓子が好きなの? これ、僕も知ってるよ。小児科にいた頃、おまけを集めている子供が結構いてみせてもらった事があるから」 
 
 椎堂は別に何も深く考えておらず、懐かしいねといって何個かあるうちの一つを取り出している。 
 
「あのさ……」 
「ん? どうした? まさか、種類が違ってたか??」 
 
 澪の怪訝そうな表情を見て、失敗した、とでもいうように玖珂が困った顔を見せる。種類が違うのが失敗ではなく、これを選んだ事が失敗である。いや、それどころか、もう失敗ですらない気もする。 
 
「俺、もうガキじゃねーんだけど……。マジでシールとか未だに集めてるとか思ってたわけ?」 
「なんだ、もう飽きてたのか。最近は、大人でもそういうのを纏めて『大人買い』というのをするらしいって聞いたんだが……」 
「飽きるとか飽きないとかじゃなくて……。いや、……もういい」 
 
 ここは自分が大人の対応で、やり過ごすしかなさそうである。シールはこの際おいておいて、菓子本体の方は食べればいいわけなのだから。小さく「後で、食うよ」と呟くと、玖珂は嬉しそうに目を細めた。 
 
 ひとまず菓子の件は忘れることにして、もうひとつ疑問が残る。食品は有難いが、何故入浴剤が……。手に取って裏を返してみている澪に、玖珂が思い出したように説明を付け加えた。 
 
「ああ、それな。エステの店を経営しているお客さんに大量に貰ったんだよ。よく知らないが、肌に良いらしいぞ。店のホスト達にも配ったんだが、中々減らなくてな……。うちにもまだ箱で残ってるんだ」 
「へぇ、そうなんだ?」 
 
 確かに表にはアロマがどうのといううたい文句と、コラーゲン配合と書いてある。入浴剤など滅多にいれないが、こんなにあるなら今度入れてみるかと思った所で、澪はある文字を発見して思わず苦笑した。 
 
「これ、輸入元アメリカって書いてあるけど」 
「本当か?」 
 
 玖珂が驚いて澪から入浴剤の包みを受け取ってラベルを読み「ああ、本当だな」と照れて苦い笑みをこぼす。椎堂が真顔で「という事は、逆輸入だね……」と呟いた言葉がおかしくて、玖珂と顔を見合わせて笑った。玖珂はこういう所が少し抜けているのも前と全く変わらない。 
 こうして、他愛もない事で笑って過ごす時間がどことなく家族の団らんを想像させる。椎堂とは恋人同士ではあるが、血のつながりはない。だけど、酷く温かくて、今この瞬間が、とても――幸せだと思った。 
 
 
 
 
 
 食事を終え、今日は移動で疲れただろうからと早めに風呂を沸かして入り、二階のゲストルームへと玖珂を案内する。 
 突き当たりのゲストルームに行く途中、左右にあるドアの前で椎堂が足を止めて説明した。 
 
「こっちが僕の部屋で、こっちが澪の部屋なんです」 
「なるほど。各自プライベートルームがあるわけだね、じゃぁ、明日にでも澪の部屋を見せて貰うとしようかな」 
「別に良いけど」 
「今日は美味しい食事と楽しい時間を有難う。二人とも、もう寝るのかな?」 
 
 深い意味もなくそう言った玖珂に、椎堂は「あっ!」と慌てたように声を上げて、澪との距離を取った。いつも通り、何も考えずにそのまま澪の部屋へ入ろうとしていたからである。澪は苦笑して椎堂の腕を引き寄せると、その腰に軽く手を回した。 
 
「俺達は、一緒に寝てるから」 
「えええ、澪!? いや、えっと違うんです!!」 
 
 椎堂が澪の手を払って、赤面しつつかぶりをふる。その慌てぶりが、もう一緒に寝ているという証拠になっているというのに、椎堂はあくまでも自分の部屋のドアノブへ手を掛けようとしている。 
 
「ほら、いいから。行くぞ。そういうわけで、兄貴もゆっくり休めよ、おやすみ」 
「わ、あ、あの。玖珂さん、おやすみなさい。また明日」 
「ああ、おやすみなさい」 
 
 澪に引きずられるようにして部屋へ連れ込まれた椎堂をみて、玖珂が思わず苦笑していることを椎堂は知る余地も無かった。 
 
 
 
 澪の部屋へ入ってからも、椎堂は部屋の中をうろうろと歩き回って「年上の男として、これは……まずいよね」とか「やっぱり、お兄さんが泊まっている間は、僕、自分の部屋で寝たほうがいいんじゃ」とブツブツ言っている。一緒にアメリカに来た時点で、玖珂に関係がバレているというのに、今更な話である。先にベッドへ入って携帯を弄っている澪が、呆れたように椎堂に視線を向けた。 
 
「兄貴だってわかってんだから、平気だって」 
「でも……」 
「あ。それとも、色っぽい声出すつもりとか? それなら、確かにやばいな」 
「澪!? な、何言って!」 
「冗談に決まってんだろ」 
 
 「もう!」と言いながら漸くベッドへと腰を下ろした椎堂が、赤面した頬を両手で覆って足をブラブラさせている。 
 
「そんなに気にするなら、自分の部屋で寝れば? 俺、疲れたからもう寝るし」 
 
 澪が携帯をベッドサイドへ置いて、そっけなく椎堂に背を向けて寝る態勢に入る。椎堂は澪のその言葉を聞いて、慌てたようにベッドへ潜り込んで「澪、怒ってる?」としょんぼりした声で背中に抱きついた。 
 こんな事で腹を立てるはずが無いし、大人しくベッドへ入らせるための作戦だったわけだが。作戦が成功しすぎて、突き放されたと感じている椎堂が可哀想になってくる。澪は椎堂の手を外すとくるりとむき直して、椎堂の体に腕を回して引き寄せた。 
 
「怒ってないし。このまま寝ろよ? オヤスミ」 
 
 額へと軽く口付けると、椎堂は安心したように、うん、と言い。澪の腕の中でもぞもぞと動いて胸に顔をうずめると、小さな声で「オヤスミ」と呟いた。明日のことを考えると気分が滅入るので、こうしていつも通り椎堂を抱いたまま眠る方がよく寝られる気がする。一人で寝たくないのは自分の方なのかもしれない。 
 
 灯りを落とし目を閉じると、少しして椎堂の静かな寝息が聞こえてくる。まるでそれが子守歌のようで、澪もすっと眠りに落ちた。