GAME -7-


 

 
 たった数ヶ月、学生時代の友人なんて年単位で会わないこともあるというのに、環境ごと変わったせいなのか、一次会での顔ぶれに酷く懐かしさを感じた。玖珂や坂下。六本木店からは康生と仲の良いホストが二人、麻布店からは翼と真人を含む面子が揃っていた。 
 到着した途端に、あちこちで繰り返される「久し振り」という挨拶。 
 円卓は二つに分かれていて、席順を最初決めていたのだが……。皆が勝手に移動しまくるので、一通り食事が終わった今は、全席が自由席といった状態だった。 
 世話になった坂下や、麻布店の面々に挨拶を済ませ、信二はまるで同窓会会場のような部屋を見渡しながら手近にある椅子に腰を下ろした。 
 
 すぐそこでは、晶が自分がいなくなった後、麻布店のNo1になった翼達と話している。先程までは信二もその輪に入っていたのだ。元々No1を張れる実力を持っていた翼だが、今では店の看板という自負もあるのか、益々色男に磨きがかかっている。しかし、今夜一番驚いたのは、晶が面倒を見ていた当時はまだ新人だった真人が、この数ヶ月でNo三になっていたという事である。 
 信二が麻布店に居た頃は、晶のコール途中、冗談でマイクを渡されると声が裏返りそうな勢いで緊張していたあの真人が……。酒には最初から強くて「でも、それしか取り柄がないんです」と照れ笑いをしていたというのに、今では指名客も多く付いているらしい。 
 最初から真人には素質があったのか……、今もそんなに成長していない自分を振り返って思わず苦笑いが浮かぶ。 
 
 新宿店の後輩三人は物怖じしないタイプなので、今日が初対面なはずの六本木店の康生達とグループになって楽しそうに笑っていた。時々康生が後輩にも話題を振っているようである。康生も何だかんだ言って後輩を気に掛けているところをみると、口では面倒だなんだといっているが実は可愛いと思っているのだろう。 
 
 改めて見渡すと、そこらじゅうにNo1ホストがいるというのは凄い事である。元No1も含めると、その数はより多くなる。そんな中でもやはり群を抜いて晶は慕われているようで、あちこちから呼ばれて大人気である。 
 そして、一番近くの席では、玖珂と楠原、麻布店のマネージャーでもあり、今は玖珂の業務の一端も任されているらしい坂下が話していた。最初の位置から移動していない年齢層が高いこのテーブルだけは、やけに落ち着いていて、にこやかに談笑するその姿は何だか高級な社交界のようでもある。 
 グラスに残っていた酒を飲み干してテーブルへ置くと、信二は歩いて行って玖珂へと声をかけた。 
 
「俺も入っていいっすか?」 
 
 玖珂が「勿論、構わないよ」と言ってさりげなく隣の椅子を引いてくれる。目の前に灰皿をよせて新しいグラスを用意するまで。全ての行動がスマートで、晶が心酔しているその紳士ぶりに感心せざるを得ない。 
 
「信二君と楠原が、今回の幹事を引き受けてくれたんだってな。人数が多かったから大変だっただろう? お疲れ様」 
「あ、いえ! 玖珂先輩も坂下さんも、忙しいのにこっちまで来て貰っちゃって、時間作って頂いて有難うございます。会えて嬉しいっす」 
「最近は、坂下さんにも手伝って貰っているおかげでね。少し余裕があるんだ。それに、皆の顔も見たかったしな」 
 
 玖珂はそう言って、ゆっくりと部屋を見渡し穏やかな笑みを浮かべる。 
 
「……一度は入店の面接なり、店での指導なりで、ここにいる全員に関わってきたからね……。まぁ、教え子達の同窓会へ呼ばれた担任気分といったらいいかな。もう俺は、すっかり隠居の身なんだが」 
 
 そう言う玖珂は、確か今年で三十五か……それぐらいの年齢なはずだが、益々男の色気が増していて『隠居』という言葉が似合わないことこの上ない。 
 
「そんな、玖珂先輩だってまだまだ現役オーラ凄いっすよ。全然いけますって」 
「僕も、信二君の意見に同感です」 
「二人とも、嬉しい事を言ってくれるね。でも、どうかな? 若いホスト達のテンションには、もうついていける自信がないんだが……」 
「ついていこうという気持ちがあるうちは、大丈夫だと思うぞ?」 
 
 一番年長者の坂下にそう言われて、玖珂は、ちょっとだけ悪戯な笑みを浮かべた。 
 
「まぁ、せいぜいおいて行かれないように、頑張らせて貰うとしようか」 
 
 前に晶が言っていた事だが、玖珂が魅力的である理由の一つは、その『声』も含めての喋り方だそうだ。玖珂はかなり声が低いが、話し方がゆったりしていて一つ一つの言葉が聞き取りやすい。優しい笑みで悩みでも聞かれた日には、何でも打ち明けてしまいたくなる雰囲気を持っている。玖珂とこうして話す度に、晶と話したその事を思い出し、その雰囲気だけでも見習おうと思うのだがつい忘れてしまう。 
 話し方を真似たところで、その他全てが自分にはまだまだ足りないので、玖珂のいる場所へ辿り着けるのは十年以上は優にかかりそうであるが……。 
 表舞台から引退した後、一歩引いた場所での身の置き方を選んでいる玖珂は、いつも静かに見守り安心感を与えてくれる。晶だけじゃなく信二にとっても、非常に心強い存在だった。 
 煙草を取り出し咥えたところで、玖珂が楠原の方を見る。 
 
「ところで、楠原。どうだ、もう店にも慣れてきたか?」 
「はい、オーナーや皆にもよくして頂いて、気持ちよく働かせて頂いています」 
「そうか、それは何よりだね。先日、晶と電話で話した際に聞いたんだが。新人のホスト達のフォローも、積極的にしてくれているそうじゃないか」 
「出来る範囲で、ですけど。信二君が、とてもよく面倒を見てくれているので、僕はそのフォロー程度です」 
 
 謙虚に後輩である信二を立てる楠原の言葉選びに、玖珂は満足そうにゆっくりとグラスを傾け、信二に微笑んだ。 
 
「信二君も今ではもう、皆に頼られる先輩ホストなんだな。俺が面接をした時より、だいぶ雰囲気も大人っぽくなったしね。今後も、期待しているよ」 
「あ、有難うございますっ。俺も、晶先輩や蒼先輩と比べたらまだまだ新人みたいなもんなんで」 
 
 玖珂は「そんな事は無いだろう」と言って目を細め、言葉を続けた。 
 
「直接何かを教える事も、勿論必要だ。だけど、同じ店で働いているその姿って言うのかな……、接客をしている時や、お客様がいない時に自然にとっている君達の行動。そういうものを、彼らは必ず見ているからね。そこから自分達で何かを感じて、学んでいく事も多いと思う。信二君も晶を見てきて、その意味はわかるだろう?」 
「はい、わかります」 
「完璧じゃ無くてもいいし、失敗したって別に構わない。先輩として恥じない行動をしていれば、それが一番のお手本だからね。二人とも、これからも頼んだぞ」 
 
 一緒に静かに話を聞いている楠原と返事をし、坂下が「うんうん」と頷く。楠原は笑みを浮かべているが、玖珂の最後の言葉を聞いた際、一瞬だけ辛そうに視線を伏せた。 
 その後何故か昔の話になり、流れで玖珂が面接の時の信二の話をし出した。 
 
「そういえば、信二君は、もう金髪にはしないのか?」 
「えっ! ちょ、あの……いきなり昔のこと言うのやめて下さいよ」 
 
 楠原が少し驚いたように信二を見る。 
 
「信二君、金髪にしていたんですか?」 
「そうか。楠原は、知らないよな。俺が面接をした時は、髪も長くて金髪だったんだよ。ツーブロックって言うのかな? 随分派手な子だなと思ったもんだ」 
「……いや、その……昔の……話で……」 
「そうなんですか。僕も見てみたかったですね。……残念です」 
 
 玖珂が言っているのは本当の事だ。当時は白に近い金髪にしていて髪も伸ばしていた。その当時の写真をたまに見ると、いかにも粋がってるガキという感じで、信二の中ではなかった事にしたい過去なのだ。楠原が興味深そうに見ているのが分かり、もの凄く恥ずかしい。 
「かっこよかったのになぁ。バンドマンみたいで」と坂下まで言い出し、収拾が付かなくなる前に信二は話題を変えた。 
 
「金髪は手入れが面倒なんで……、っていうか、マジでやめましょう!! この話は」 
 
 ここに当時を知っている晶がいなくてよかったと思う。この手の話をすると必ず晶にからかわれるのが目に見えているからだ。話題を変えてホッとし暫く話していると、時計を見た坂下が、徐にテーブルに置いていた煙草とライターをポケットにしまった。 
 
「それじゃ、俺はそろそろ失礼するとしようかな。信二の顔もみれたし」 
「え? 坂下さん、もう帰っちゃうんっすか?」 
 
 途中から入ったので聞いていなかった信二に、楠原が小声で「今日は、娘さんのお誕生日だそうですよ」と教える。坂下は再婚で年下の女性と結婚したのは記憶に新しい。なので、子供もまだ小さいのだ。 
 
「あ、そうだったんすね。あれ? いくつになるんでしたっけ?」 
「実は二人目が出来てね、今日が一歳の誕生日なんだよ」 
 
 坂下は目を細め、白髪交じりのオールバックを照れたようになでつけた。幸せそうなその様子に信二も嬉しい気分になる。 
 
「じゃぁ、早く帰ってお祝いしないとっすね! おめでとうございます!」 
「ああ、ありがとさん。たまには麻布店にも遊びに来るといい。一杯おごってやるぞ」 
「はい! 今度顔出します」 
 
 坂下がコートを羽織りながら「ちょっと、晶達にも声をかけてくる」と言い残して挨拶に行く。坂下がいなくなると楠原が席を立ち上がった。どうしたのだろうと思っていると、一階へ降りていった楠原が、すぐに小さな花束を手にして戻ってきた。 
 
「あれ? 蒼先輩、その花束どうしたんっすか?」 
「最初に、娘さんのお誕生日だとうかがったので、オーナーの計らいで近場の花屋に連絡して、店へ届けて貰っておいたんです」 
「晶先輩の?」 
「そうですよ」 
 
 楠原が手にしている花束は、淡いピンクの花に真っ白なかすみ草が混ざり、とても優しい雰囲気の花束だった。 
 
「綺麗な色合いだ。まだ一歳じゃ、よくわからないかもしれないが……。女の子の誕生パーティーを飾るのに、美しい飾りは、ひとつでも多い方が良いからね」 
「ここにいる皆からという名義で、お渡しする予定なんですよ」 
 
 玖珂と楠原が笑みを浮かべる。こういう物を用意出来る機転と気遣いはさすが晶である。 
 挨拶を済ませて戻ってきた坂下に、楠原が皆からだと言って花束を手渡していると、晶も見送りにやってきた。 
 
「気を遣わせちゃってすまんな。綺麗な花束だ。娘より、かみさんが大喜びしそうだよ。有難うな」 
「いえ、一歳とかめっちゃ貴重な記念日だし、教えて貰えて良かったです。おめでとうございます」 
「……晶」 
「はい、……?」 
「もうすっかり、オーナーの顔になったな。立派なもんだ」 
 
 坂下は晶が新人だった頃からの付き合いで、父親みたいな存在だと以前晶が言っていた。晶を見て誇らしげにゆっくり頷く坂下の目元が潤んでいるのに釣られて感動しそうになり、信二は慌てて視線を落とした。晶が少し照れたように笑みを浮かべる。 
 
「やだな、マネージャー。まだまだ俺は、現役っすよ?」 
「はは、そうか。……そうだな。まぁ、体壊さないように頑張れよ。さっき信二にも言ったんだが、たまには新宿店の皆を連れて遊びにくるといい」 
「有難うございます。坂下さんも、体には気をつけて。今度、娘さんの写真見せて下さい」 
「ああ、今度な――それじゃ、また。今日はご馳走さん」 
 
 部屋を出て行く坂下を見送って元の席へ戻る頃には、部屋を貸し切りにしている時間が迫っていた。 
 
 
 
 
*     *     * 
 
 
 
 
 皆には先に二次会の会場へ移動してもらい、信二と楠原はカウンターで会計をしていた。 
 中華料理は好評で、コース料理だけでは足らず追加で何品かを注文した。二十代メインの男ばかりの食事量はやはり半端なくて、早くも予算オーバーである。しかし、足が出た分はポケットマネーで支払うから気にしないで注文しろと晶に言われていたので、そこは甘えることにした。領収書を分けて書いて貰っていたので少し遅くなってしまい、楠原と信二は急いで店を出た。 
 
 店を出ると真っ暗になっており、だいぶ遠くに晶達の集団が見える。意図せず楠原と二人になったわけだが、これは話すチャンスなのかもしれないと思い、信二は隣を歩く楠原に、声をかけた。二人でこうして並んで歩くのは、あの夜以来だ。 
 
「やっぱ人数多いと大変っすよね。蒼先輩はあまり馴染みのない奴らばかりだったし、疲れたんじゃないっすか?」 
「いえ、僕も楽しんでいますから、大丈夫ですよ。それにしても、LISKDRUGは皆さん、本当に仲が良いですね」 
「そうっすかね? あ、俺ここ以外知らないんで。他の店ってどんな感じなんっすか?」 
 
 と口にした後で、楠原に対してこの質問は禁句だったのではないかと焦る。 
 直接聞いたわけでは無くても、これは安易にCUBEがどうだったかを聞いているようなものになるのではないかと。信二は慌ててすぐに言葉を足した。 
 
「いや、やっぱいいです。すみません。変な事聞いちゃって」 
 
 楠原がフッと笑みを浮かべる。 
 
「構いませんよ。僕が前にいた店の事でしたら、そんなに気を遣って頂かなくても大丈夫です」 
「……でも」 
「そうですね。……僕が、CUBEに入って暫くは、居心地の良い場所でした。ここほど、皆が仲が良かったわけではありませんが、揉め事や派閥などもなかったですし。僕にも、丁度オーナーと信二君のような関係の、可愛がっていた後輩がいたんですよ……」 
「へぇ、そうなんっすね」 
「ええ。当時新人の教育係をしていたので、田舎から出て来て、右も左も分からないその後輩を、一人前のホストにするのに、相当骨がおれました。オーナーと信二君を見ていると、懐かしくなります」 
「その後輩に、俺が、似てる……とか?」 
「いえ、そういうわけではないですけど。彼は、信二君よりも、もっとずっと幼くて……、お酒も、煙草も、女性の扱い方も、何一つ知りませんでしたから。……ドラマを見て、華やかなホストの世界に憧れて上京してきた、普通の子でした」 
「それは……、確かに、結構教えること沢山ありそうっすよね……」 
「そうでしょう?」 
 
 当時を思いだしたのか、くすりと笑う楠原を見て、今夜は何故こんなに過去のことを話してくれるのかと不思議に思った。本当は誰かに聞いて欲しかったのだろうか。 
 しかし、その後輩も含めて……CUBEの末路を知っている身としては何と返して良いか……。楠原が、どれくらいCUBEに思い入れがあるのかもわからないし、迂闊なことは言えない。 
 
「ご存じの通り、最後の方は店の雰囲気も一変してしまいました……。この先は、楽しい話ではなくなるので、話すのはやめておきます」 
 
 信二に気を遣わせない計らいなのか、楠原は自らその後の話を閉ざした。 
 
「…………。やっぱり、愛着のある店があんな事になったら、めちゃくちゃ辛いですよね……。思い出させちゃって、……すみません」 
「僕が勝手に、聞いて欲しくて話しただけですよ……。それに、今はこうしていい店で働かせて貰って……。本当に、玖珂さんとオーナーには感謝しています」 
 
 普通に話しているはずの楠原のその言葉の先が、まるで別れの挨拶に繋がるように聞こえて、信二は足をゆっくりと止めた。多分それは錯覚で、ただの自分の思い込みで、だけど……。 
 
「蒼……先輩……」 
「どうかしましたか?」 
 
 立ち止まった信二へ振り向いて、楠原が不思議そうに首をかしげる。 
 
「店、……やめたり、しないっすよね……?」 
 
 楠原はすぐに返事を返さなかった。去る予定があるから、自分に過去の話をしたのではないか。そう思うと、もうそれとしか思えなくなって、信二は楠原との距離を一気に詰めるとその腕を掴んだ。 
 
「蒼先輩……どこにも行かないっすよね」 
「……どうしたんですか、……急に。やめないし、どこにも行きませんが……」 
「本当に?」 
「ええ、本当です」 
 
 今まで、楠原が店を辞めるなんて考えてみたこともなかった。今はまだこうして手を伸ばせば楠原は自分の手の届く場所に居るが、それが届かない場所に行ってしまったら……。胸の辺りがぎゅっと痛くなる。 
 
 そう想像した瞬間に自覚してしまった。 
 
 曖昧に逃げていた自分の気持ちがひとつになってストンと胸の中へ落ちる。それは待ち受けていたかのようにピッタリとはまって、まるで前からあったかのようにしっくりきた。 
 黙って楠原を見つめていると、胸の中に落ちたそれが大きくなっていくのを感じる。 
 
 認めてしまえばこんなにも簡単な事で、こんなにも苦しくて――自分は、楠原が好きなのだ。 
 景色が一瞬にして入れ替わったようなそんな気分だった。 
 
「信二君……?」 
 
 楠原を掴んでいた腕をそっと放すと、信二は笑みを浮かべた。 
 
「えぇっと……。急がないと、やばいっすね」 
「あ、……ええ。そうですね……」 
 
 男である楠原を本当に恋愛感情で好きになってしまったのだ。独りよがりのエゴかもしれないが、相手をこんなに離したくないと思ったのも初めてだった。何も知らないから、何かを知っているから、どっちでも構わない。たとえ名前を知らなかったとしても、楠原を好きになるのに何の障害にもならないと気付いた瞬間だった。 
 先に行っている皆に追いつくために少し足を速めて店へ向かう。 
 
 距離は近いのですぐに到着し、カウンターで部屋の番号を聞いてエレベーターへと乗り込んだ。 
 五階へ到着すると、各部屋から音漏れがしていてそれぞれの部屋で盛り上がっているのが分かる。 
 
「503は……、あ、あの角っすね」 
 
 壁に貼ってあるフロア案内図を確認して振り向くと、後ろにいた楠原の顔色が悪いことに気付く。今日は最初から調子が悪そうだとは思っていたが、前の店を出たときはここまで蒼白ではなかったはずだ。 
 少し走ったから……、外が寒かったから、思い当たる節は幾つかある。 
 
「……大丈夫っすか? 今日、最初からちょっと具合悪そうですよね……?」 
 顔を覗き込んで心配そうに顔を曇らせる信二に、楠原は「いえ、大丈夫です」と何でも無いように微笑む。 
「途中でも、具合悪かったら、俺にだけは言って下さいね」 
 
 信二は楠原の返事はあえて聞かずにそれだけ言い残すと廊下を進んだ。今ここで自分が何を言っても多分楠原は平静を装うだけなのがわかっている。だから、答えは要らないのだ。 
 
 503号室のドアを開けた途端、廊下に響き渡る激しいロックの曲、奥から詰めていったらしくドア付近の場所が空いていたので二人で並んで座った。 
 音割れするほど声量があって、曲調も激しいロックなので一切会話が出来ないレベルである。その正体は、康生だった。康生とは何度かカラオケにも行ったことがあるので、こういう曲を歌うことは勿論知っている。防音でも音漏れする声量、歌詞を間違っても一切気にしない歌いっぷり。しかし、問題が一つ。 
 康生は歌がうまくない。圧倒的な声量にごまかされていい感じに聞こえるが、バラードを歌うと分かる。でも、客とカラオケに行くときは、この手の歌は歌わないと前に言っていたので問題は無いのだろう。二分程して康生の曲が終わると、信二はやっと自分が声をかけられているのに気付いた。 
 真ん中頃に座っている晶が何やら言っている。 
 
「え?? なんっすか?? ちょっと聞こえなかったっす」 
「お前ら、おせーからもう始めちゃってるからな、って言ったんだよ」 
「あ、すみません! ちょっと、会計で手間取ってて、俺らも適当に曲入れるんで、そのまま進めちゃってください」 
「OKOK」 
 
 とりあえず楠原と二人分の飲み物を注文し、腰を下ろして部屋を見渡すと玖珂がいないことに気付いた。隣に座っていた六本木店の面子に声をかけると、玖珂は電話がかかってきて急ぎの用で店に戻ることになったらしい。幹事の二人に伝言しておいてくれと言われたそうだ。 
 先程の店でだいぶ話せたとはいえ、もう少し玖珂とも話したかった。結局は若手ばかりが残っている結果をみると、もしかしたら、上司である玖珂がいると、皆が気を遣うだろうから仕事を理由に帰ったのではないかとも思う。そういう気遣いをさりげなく出来る人なので、その可能性は高かった。 
 
 次々に入れられている曲を聴きながら、とりあえず自分達も一曲いれておくために手元にタッチパネルを引き寄せる。 
 楠原の方を横目で見ると、暗いので顔色はハッキリとわからないが、先ほどよりは幾分落ち着いたような気もする。気が気じゃないが、それを悟られないようにしつつ信二は楠原の方を向いた。 
 
「蒼先輩、なにいれますか? 探すんで言って下さい」 
 
 耳元でちょっと声を大きくしてそう言うと、楠原は「そうですね……」と曲を思い浮かべるようにして考え込んだ。もしかして、歌が苦手だったりする可能性も考えていたし、歌わないかもしれないとも考えていた。 
 それだけ、楠原とカラオケが結びつかないからだ。 
 
「もし苦手だったら、多分みんな酔っ払ってるし、スルーしても気付かれないとは思いますけど、どうします?」 
「いえ、別に歌が苦手とかはないですよ。それに、一曲も歌わない等、この場に水を差すような事はしません」 
 
 どんな場でも適応できる事もホストにとっては必要なことなので、楠原にそれが出来ないはずもなく……。余計な心配だったらしい。しかしその後、楠原はもの凄く意外な選曲をしてきた。普段ラストソング時にかけている曲からして洋楽かもしれないと思い、ABC順に並び替えをタッチしていた信二は、「え?」と楠原の顔を見た。 
 
「……おかしいですか?」 
「や、全然おかしくないっすけど……。ちょっと、意外で」 
 
 楠原が選んだ曲は今流行の曲で、確か、音楽情報誌で以前行っていたアンケートの結果で「彼氏に歌って貰いたい曲」の1位になっていたはずだ。自分も練習しようかなと思い、DLした曲が携帯へと入っている。バラードではあるが、途中変調しテンポも変わるので歌うのは結構難しいなと思っていたところなのだ。そこを抑えているとは流石である。楠原の曲のあとに自分は歌い慣れている、所謂十八番とも言える曲を一曲入れておいた。 
 
 これで暫くは、のんびり出来る。頼んでいた飲み物が運ばれてきて口を付けていると、後輩が入れていた曲が始まった。見た事の無いタイトル。イントロも聴いたことがない。結構流行の曲はチェックしているはずなのに……。 
 そう思っていると画面が変わって、突然美少女系のアニメになった。間違いない。これはアニソンである。 
 ホストは基本的に、女性受けが良い曲を練習して、同伴やアフターで披露するのが目的なのだ。今は客と来ているわけではないので、好きな物を歌えば良いが、周りは誰もこの曲を知らないようでノリようがない。 
 しかし、後輩は全く意に介さず、完璧に歌い上げると、その上手さに曲が終わると同時に拍手が鳴り響いた。途中にあったキャラクターの決め台詞部分も完璧で、後輩の底知れぬフリーダムさと可能性に信二は驚いていた。 
 
「すげぇな。お前、歌上手くね? 曲は知らねーけど。何かのアニメか?」 
「あ、これ深夜枠でやってる魔法少女物のアニメなんですよ。ルミルミ推しなんです、オレ」 
 
 何のアニメなのかを聞いた晶にそういった後輩は、今まで見たどの笑顔より輝いていた。そして、先程の台詞がルミルミというキャラクターの物なのだと一つ勉強になった。 
 最近は接客している際に時々アニメが好きと言う女性もいて話題になることも多いので、幅広く知っておきたい自分としては、今度後輩に流行のアニメを聞いておくのも良いかもしれないと思った。 
 
「みんな歌上手いっすね。今の曲は、俺も知らないけど」 
「そうですね、結構皆さん、練習しているんじゃないですか。こうして、自分の知らない曲を聴けるのもいいものですね」 
「そうっすね」 
 
 楠原も晶もTOPに立つ人間は他のホストを絶対悪く言わない。そういう部分も、人として尊敬できる所である。懐かしいイントロが流れて顔を上げると、いよいよ晶の番のようだ。 
 晶がマイクを持って「俺の美声、聞こえてる?」とマイクテストをする。これは晶のお決まりの台詞なのである。歌う前やコールの前に必ず言うのだ。 
 
「きこえてまーす!」 
 
 店に居た頃のように声をかけると、翼や真人も同じように声をかけ、昔のラストソングさながらの雰囲気を醸し出す。六本木店の面子は爆笑していて、晶が歌い出すと大盛り上がりを見せた。すっかりアイドルのような晶を見ていると、現役から多少遠のいたとはいえ、晶はやはり未だにホストなんだなとしみじみと思った。 
 どうやら晶の曲が一週目の最後だったようで、次にかかった曲は先程いれた楠原の物だった。 
 
「あ、マイクこっちこっち」 
 信二が手を挙げ、リレーのように渡されてくるマイクを呼び寄せる。 
「これ、信二がいれたのかよ。この歌、お前歌えんの?」と康生が笑いながら言ってくる。多分自分は歌えない。でも問題ないのだ。 
「俺じゃねーって、これ、蒼先輩が入れた曲」 
「マジで!?」 
 
 楠原までようやくマイクがまわってくると、晶が突然立ち上がる。 
 
「うちのNo1の歌声、めっちゃ貴重だからな~! 俺も初めて聞くし。楠原、新宿店の意地を見せてやれ!」 
 
 むちゃくちゃな激励であるし、新宿店の意地というのもよくわからないが、酔っていると何でも笑ってしまう物なのか周囲から笑いが起きている。 
 マイクのスイッチをONにした楠原が「オーナー、あまりハードルを上げないで頂けますか」と苦笑する。 
 前奏が終わって曲に入ると、チャチャを飛ばしていた他のホストも突然静まりかえった。恋人との別れを歌った曲で、そのメロディも切ない物だが、そこが女の子達に人気があるのだ。歌っているバンドは最近インディーズからプロになったばかり。中性的な容姿の美男子というのも人気に拍車を掛けていた。 
 楠原は、誰も冷やかしで合いの手を入れられないほど歌がうまかった。これだけ歌唱力があれば、女性客も惚れるはずである。元々の声質が合っているというのもあるだろうが、透明感のあるよく通る声が曲の雰囲気にもマッチしている。 
 サビの変調の部分も難なく歌い上げ、最後まで歌った後は皆が口々に「凄い!」と絶賛していた。 
 
 聴き惚れていた信二の耳に、歌った本人でもない晶が「どうよ、うちのNo1は」と隣に自慢している声が聞こえ、信二は思わず苦笑した。 
 新しい店に移って、仲間も入れ替わり麻布店にいた頃と比べて店全体の絆のような物が多少薄れてしまったように感じていたが、こういうのをみると何だか嬉しくなる。晶はやはり、自分がオーナーをしている新宿店を大切にしていて、そこにいる全員を誇りに思っているのだ。 
 先程ここへ来る前に楠原とも話したことだが、この店でホストをしていて本当に良かったなと思う。 
 
 ここまで上手な楠原の後だと、歌いづらい物があるが順番なので仕方がない。続いて信二が自分の歌を歌い始めると、コーラスの部分では晶が一緒に歌ってくれた。最終的には何故か康生も一緒に歌っていて、もう誰が入れた曲なのか分からないような始末だ。信二が歌い終わってほっと一息ついて煙草を取り出すと、楠原が火を点けてくれる。 
 
「あ、すみません。いやぁ、蒼先輩めちゃくちゃ歌うまくてビックリしました。俺が先に歌っておけば良かったっす」 
「そうですか? 恐れ入ります。でも、信二君もうまいじゃないですか。僕は速い曲は苦手なので、信二君のようには歌えないんですよ」 
「そうっすかね、速い曲だと失敗してもすぐ次の歌詞になるから、結構ごまかせて便利なんっすよね」 
「そういうものでしょうか」 
 
 楠原が小さく笑う。 
 
「もしかして、週に三回一人で練習してるって言うの、マジだったりするんですか?」 
「まさか、あれは冗談ですよ。さっきの曲は、お客様にリクエストされる事が多いので、覚えてしまっただけです」 
「そういうもんっすか?」 
「そういうもんです」 
 
 信二もそれを聞いて笑う。 
 人数が多いので、もう一周は時間的に回ってこなそうである。 
 
 珍しく楠原が煙草を取り出したので、今度は信二がその煙草に火を点けた。黒とシルバーでデザインされた箱のそれは、パーラメントのクリスタルブラストで、結構きつめのメンソールである。普段メンソールを吸う事が無いが、楠原の吸っている煙草に興味があった。長い指に挟まれる煙草から立ち上る煙が、細く靡いては消えていく。 
 
「一本如何ですか?」 
 
 指先を見つめていた信二に、楠原から煙草が差し出される。うっかり長い時間見ていたので、煙草が欲しいのかと思われたのかも知れない。信二は急に恥ずかしくなって、照れたように頭を掻いた。 
 
「す、すみません……。じゃぁ、一本貰います」 
「どうぞ」 
 
 楠原に貰った煙草は自分の吸っている物と違い、唇に当たる部分の加工がしてあるので感触が硬い。そんなに重い煙草ではないが、スペアミントの爽快さはかなりあって、口の中には冷たさとほんの少しの甘さが広がる。 
 
「メンソールも結構うまいっすね」 
「そうですね。ちょっといいですか? 動かないで」 
「え?」 
 
 楠原が信二の口元に指を伸ばす。動かないで、と言われたまま咥えていると、楠原の指先が唇へと触れた。相変わらず冷たいその指先にぞくりとする。爪先で一度吸い口をつまむと、楠原は「どうですか?」と訊ねて信二と視線を合わせた。 
 
「どうって、え?」 
 
 楠原の指が唇に触れた。そんな些細な事で動揺している今、どうですか? と言われても何も答えられない。 
 
「吸ってみて下さい」 
 
 言われたとおりに吸い込んでみると、最初より強力なメントールの刺激が入り込んできた。どうやら最近よく見るフレーバーカプセルが内包された煙草だったようで、楠原は信二の口元でそのカプセルを潰してくれただけのようだ。 
 
「あ、最初とだいぶ変わりますね。寒いくらいメンソールって感じっす」 
「オモチャみたいでちょっと楽しい、ですよね」 
 
 確かに、言われてみればそんな気もする。楠原がそんな事を思いながら吸っているのかと思うと意外だが、その意外性は、ちょっと可愛いと思った。 
 
 
 全員の酔いも深くなり、すでに順番ではなく歌いたい人が何度も歌うループに突入している。そろそろ貸し切りの時間が終わるなと思っていると、入り口付近の電話が大きく鳴り響いた。立ち上がって受話器を取ると、後十五分ですとのお知らせである。 
 最後の曲が終わったのを見計らって、信二が側にあるマイクを手に取った。 
 
「そろそろお開きです~。皆さんお疲れ様っした~!」 
「幹事お疲れさん~ 楽しかったわ」 
「蒼さん、信二さん、お疲れ様でした!!」 
 
 皆楽しんでくれたようで、その余韻を残したまま本日の『親睦会』は無事に終了した。 
 
「みんな、忘れ物とかないように確認宜しく。特にライター系、めっちゃ高級ライターでも、忘れていったら俺が全部貰いますんで」 
 
 帰り支度を終えて部屋のドアへ向かっている仲間達に信二がそう言うと、部屋を出て行く途中ふざけて何人かにライターを渡された。 
 
「しょうがねぇな。これ、俺からの愛のプレゼントだから」 
 渡されたのは、百円ライターである。 
「いらないっすよ。家帰ったら腐るほどありますから、百円ライターとか」 
 
 苦笑して相手のポケットに入れ返す。皆酔っているとは言え、このやりとりが三回目になるともう面倒になって、信二は「あざーっす」とそのまま百円ライターを受け取ることにした。おかげでポケットにたまっていくライター。最後に出て来た晶が足を止める。 
 
「今日はマジ二人ともお疲れさん。お前達のおかげで、みんな楽しかったみたいだし、ホントありがとな。俺も久々に歌えて楽しかったわ」 
「オーナーもお疲れ様です」 
「盛り上がって良かったっす。あ! 晶先輩」 
「んー?」 
「これ、俺からのプレゼントっす」 
 
 信二がポケットに溜まっている百円ライターをごっそり取り出すと、晶のコートのポケットに押し込む。 
 
「では、僕からも……受け取って下さい」 
 
 楠原も何人かに入れられていたようで、それを取り出すと晶の逆のポケットに入れる。 
 
「お前らなぁ……」 
 
 呆れたように苦笑する晶は全部を受け取ったまま返す事はせず、ポケットに沢山のライターをいれたまま片手を挙げ「お前らも気をつけて帰れよ~」と笑いながら帰って行った。 
 
 無事に全てが終わったことにホッとし、楠原と部屋の中を忘れ物がないか一応確認してから一階へと降りる。会計を済ませて再び領収書を切ってもらい。幹事の仕事もこれで終了である。 
 準備をしている時は、まだまだ先だと思っていたが、いざ終わってしまうと急に寂しくなる。楠原とも、もう二人で出かけることも話すきっかけも失ってしまう気がした……。 
 
「蒼先輩もお疲れ様でした。一緒に幹事やれて、楽しかったっす」 
「そうですね。信二君もお疲れ様でした。僕も、楽しかったですよ」 
「あー、えっと……。蒼先輩は電車で帰るんっすか?」 
 
 店を出た所でそう聞くと、楠原は少し用事があるからそれを済ませてから帰るという。まだ時間もそんなに遅くなく、信二も買い物でもしてから帰ろうと思っていたので、楠原とはその場で別れることになった。用事が無ければ誘ってみようかとも思ったが、先に「用事がある」と言われてしまえば誘うタイミングもなくて……。 
 
「じゃぁここで。蒼先輩、早く帰って休んで下さいね……」 
「はい、心配してくれて有難うございます。では、また明日」 
「はい」 
 
 名残惜しいような気分を抱えたまま信二は歩き出した。一度振り返ってみると、逆方向に歩いて行った楠原の背中が見える。 
 
――……蒼先輩。 
 
 楠原は一度も振り返らず、信二の視界の中でどんどん小さくなっていく。道の真ん中でぼーっとしていたからか通行人と一度鞄がぶつかり、信二は慌てて端へ寄った。 
「あ、すみません」と頭を下げ、再び先程の方向へ向くと、もう楠原の姿はそこにはなかった。どこかで曲がっただけなのかもしれない。だけど、一瞬で消えてしまった楠原が、街からその存在ごと消えてしまったような気がした。