──それから数年後。 
 
 玖珂は大学を中退したまま、澪を養うために始めたホストの世界でNo1になっていた。 
玖珂目当てに通う女性客は日に日に増え、No2を寄せ付けないほどの圧倒的な指名数を誇る玖珂を麻布界隈の同業者で知らない者はいなかった。『LISK DRUG』は玖珂のおかげで一気に近隣の業界に名を轟かせたのだ。 
 甘いマスクと嫌味を感じさせない会話術、それでいて傲った所は全くない。優しげな口調で囁く口説き文句は、通う女性達に束の間の夢を与える。 
 
 

 Sidesmoke   
 
 
 

「ねぇ、亮?もう今夜は私が最後の客でしょ?」 
「そうなるかな……。もうすぐクローズの時間だからね」 
 
 そう言って、玖珂が店内の時計をちらりと見ると、女性客が甘えたように玖珂の手に自分の手を重ねる。綺麗に整えられたネイルの上で、透明なラインストーンが照明で反射してきらりと光る。 
 
「ひとつお願いがあるの。……聞いてくれる?」 
「美咲のお願いを、聞かないわけがないだろう?……何かな?」 
 玖珂は、重ねられたその指先に自分の指をゆるく絡ませて微笑む。 
「最近ね……、自宅のマンションに元彼が来て困ってるの……。何度断っても聞いてくれなくて」 
「そうか、……それは困ったね……」 
「うん……、今日も帰ったら待ってると思う……。だから亮、一緒に来て、恋人のふりをしてくれないかな……。新しい彼がいるってわかったら彼も諦めてくれると思うの……だめ?」 
「……それは、構わないが、……ちょっと心配、かな……」 
「え?バレないかって事?」 
「いや、そうじゃなくて」 
 
 玖珂は少し困ったように眉を寄せると、彼女の手をぎゅっと握って引き寄せる。僅かに空いていた隙間が一気に縮まり、長い彼女の髪の毛先が玖珂の胸元で揺れる。玖珂は彼女の耳元へ唇を寄せて小さく囁いた。 
 
「恋人の『ふり』じゃなくて、本当に君の恋人になりたくなりそうで怖いなって、ね」 
「亮、冗談ばっかり言うんだから……」 
 そう言いながら頬を赤く染めて俯く女性客に玖珂は身体を離すと優しい笑みを浮かべて笑う。 
「『ふり』でいられるように、頑張ってみるとしようか」 
「……もうっ」 
  
 
 店内の客が引けた後、帰り支度を整えた玖珂が入り口で待っている彼女の元へ向かう。 
 
「お待たせ。……じゃぁ、行こうか」 
「うん」 
 
 玖珂は共に彼女のマンションへと足を運んだ。タクシーから降りてすぐに彼女の手を取り車道側に自身の身を置く。そのまま腰へそっと手を回すと、恥ずかしそうに彼女が玖珂を見上げた。 
 恋人のふりだとしても、それを感じさせない玖珂は彼女の華奢な腰を引き寄せるとその名を呼ぶ。「予行練習も必要だろう?」と小声で言えば、彼女は「……そうね」と言って照れたような笑みを浮かべた。 
 
 大通りから一本脇の道へと入り、少し歩いて彼女のマンションへ着くと、人影が入り口に見える。彼女の顔が曇り、玖珂に回した手にぎゅっと力が入ったのがわかる。店で彼女に聞いた通り、入り口で待っているのが元彼なのだろう。会社帰りのサラリーマン風のその男はまだ玖珂達に気付いている様子はなく、少し苛立ったように何度も腕時計を確認している様子が窺える。帰りの遅い彼女に痺れを切らしているのかもしれない。 
 
 不安げな彼女を宥めるように玖珂は「大丈夫、心配しなくていい」と言い、彼女を男とは逆の位置へと移動させて、自動ドアから中へと入った。男は玖珂の姿を見ると驚いたように立ち竦んでいる。見せつけてそのまま男が去ってくれるのを願い、黙ったままエントランスを抜けようとすると、背後から男の小さな声が届いた。 
 やはりそう簡単には諦めて貰えないらしい。玖珂は静かに溜息をついて足を止める。 
 
「あんた……誰だよ。何でそいつといる……」 
 
 玖珂は彼女の腰から手を放すと、その姿を背中へ隠すようにしてゆっくりと男へと向き直った。 
 
「今は彼とお付き合いしてるの。だから……もうここには来ないで……」 
 
 玖珂の背後から懇願するような彼女の言葉が男へ向けられる。彼女の言葉にショックを受けたまま、男が玖珂へと近づく。背がそう高くない男は玖珂に並ぶと余計に小さく見える。歳は玖珂ときっとたいして変わらなそうではあるが、落ち着きなく視線を動かすその様子は、男の余裕のなさを露呈していた。 
 
「嘘だろ?なぁ、こいつと本当に付き合ってるのか?嘘だよな?」 
 
 額に汗を浮かべ、男が彼女に腕を伸ばす。怯えたような彼女が後ずさる直前で、玖珂の腕が、伸びてきた男の腕を掴んだ。 
 
「やめてくれないか。美咲が怖がってる」 
「手を離せよっ!!くそっ!!美咲は、俺の物だぞ!」 
 玖珂は手を離さないまま男に詰め寄ると、その姿を見下ろしたまま静かに口を開いた。 
「彼女から話しは聞いているよ。美咲と今付き合っているというのは本当だ。迷惑だから引き下がってくれないか」 
 
 慌てた様子もなく、そう言う玖珂から逃れようとするが、玖珂が強く掴んだ腕はびくともしない。悔しげに舌打ちをすると玖珂を睨み付ける男はまだ諦めきれない様子で、彼女へと視線を移す。 
 
「美咲、先に部屋へ行っててくれ。後で行くから」 
「……うん、わかった」 
 
 彼女へと振り向いてそう言った後、その姿が見えなくなってガラスの自動ドアが閉じると、玖珂は男の腕を離した。 
 
「人の物に手を出しやがって」 
 
 掴まれていた腕が痛むのかその部分をしきりに摩りながら男が後ずさり、悪態をつくのをみて玖珂は少し呆れたように息を吐いて腕を組んだ。 
 
「さっきから思っていたが、美咲は物じゃない。俺の物だとか、人の物だとか、君は本当に美咲のことを愛しているのか?」 
「あ、当たり前だ。三年も付き合ってて昔は結婚しようって言ってたんだ、あんたよりずっと美咲の事はわかってる!」 
「……三年……か」 
 クスリと笑う玖珂に男の視線が噛みつく。 
「三年も共に時間を過ごして、この程度の事がわからないようじゃ結婚なんて無理なんじゃないかな?君の行為は、ただの愛情の押しつけに過ぎない。本当に美咲を想っているなら、彼女の幸せを願えるはずだと思うんだが」 
「……、っ…………」 
 
 何も言い返せないまま歯をぎりっと鳴らす男と距離を詰めると、圧倒されたように一歩ずつ男が入口側へと足を動かす。玖珂は足を止めて真っ直ぐ男を見据えると声のトーンを落として一言告げる。 
 
「例え相手が君じゃなくても、美咲を誰にも渡すつもりはない。もうここには来ないでくれ」 
 
 男が黙ったまま玖珂から視線を外す。過去には本当に愛し合っていたのだろう。玖珂は男の表情を見てその心境を想像し少し胸が痛んだ。別れた後も、この男は前に進めないままいるのだ。愛されていた記憶だけが鮮明に残り、それに縋ることで現実から目を背けている。黙って見ている玖珂の目の前で、男は寂しげに目を伏せた。 
 一度だけ、彼女が消えていったエントランスの先へと視線を向けると玖珂へ背を向けマンションから出て行った。 
 
 もう男がここへ足を運ぶ事はないだろう。静かに歩き出す男の背中が視界から遠ざかって小さくなっていく。本当の恋人ではないという真実を知らないまま……。玖珂は僅かに疲労の滲んだ溜息をつき、あらかじめ教わっていた暗証番号を押してドアを解除すると彼女の部屋へとむかった。 
 
 
 
 美咲は玖珂がまだNo1になる以前からの付き合いのある客で、ホステスをしている彼女は客の中でもエースに位置する客だ。本物の恋人になる事は出来ないが、彼女には本当に幸せになって欲しいと心から思っている。 
 
 部屋へ着いてインターホンを押すと、先程の格好のまま彼女が顔を出した。彼は諦めて帰ったと告げると、彼女は心からホッとしたように表情を緩めた。 
 
「有難う……。本当に亮には助けてもらってばかりね、私……」 
「これぐらい、どうという事も無いから。気にしないで」 
「あ、ねぇ。上がってお茶でも飲んでいって?」 
 彼女が玖珂を迎えるために大きく開いた玄関のドアを片手で止めると、玖珂は首を振った。 
「お誘いは嬉しいけど……、明日仕事なんじゃないのか?今日はもう休んだ方がいい」 
「でも……」 
「それに、こんな時間に、男を部屋に上げるのは感心しないな。俺も一応、男だからね」 
 玖珂がそう言って笑うと、彼女が肩を竦める。 
「大丈夫だとは思うけど、また何かあったらいつでも言ってくれ」 
「うん……有難う。恋人のふりでも……、ちょっと幸せだった。亮と付き合える女の子が羨ましいな」 
 
 冗談っぽく言ったその台詞に玖珂は小さく笑ったが、言葉を返すことは無かった。ホストとしての一線を越えない関係をギリギリで保つ事はなかなか難しい。その線から手前過ぎれば夢はたちまち覚めるし、線を越せばその客とはもう元の関係には戻れなくなる。 
 玖珂がそっと腕を伸ばして彼女の頬を撫でる。 
 
「おやすみ……、今日は安心して眠れるといいね」 
「うん、沢山寝てお肌ツヤツヤになっちゃうかもね」 
「それ以上美人になったら、目のやり場に困るからほどほどに……」 
 笑いながらそう言って彼女へと手を振る 
「じゃぁ、また……。俺が帰ったらちゃんと鍵を閉めるように」 
「わかってる。亮って案外心配性よね。おやすみなさい」 
 
 澪と同じような事を言う彼女に思わず苦笑し、玖珂はマンションを後にした。 
 
 
 
 
 
 通りに出て歩いていると、目の前を澪と同じくらいの若者が楽しそうに通り過ぎるのを見て、玖珂はフと弟の顔を思い浮かべる。最近は忙しいのか、なかなか会って話す機会もない。たまに玖珂の方から元気にしているかと電話をかけることもあるが、決まって澪は「もう子供じゃないからそういう扱いはよせ」と電話口で口を尖らせるのだ。それでも、元気な声が聞けただけで玖珂は満足する事が出来た。 
 
 生意気な事ばかり言ってくるが、それが本心ではない事もわかっている。 
 誰に似たのか酷く不器用な感情表現しかしない澪を思い出し、よくあれでホストが勤まるなと苦笑する。 
 
 丁度走ってきたタクシーを止めて、自宅の場所を告げるとタクシーの窓から見える景色はもううっすらと明るくなってきていた。運転手がつけているラジオ番組からは、朝に似つかわしい爽やかな曲が流れている。普通の仕事であったなら、そろそろ起き出して今から出社する時間である。昼夜逆転の生活にももうすっかり慣れたが、ホストになりたての頃はこの生活に慣れるのはかなり大変だったのだ。 
 玖珂は疲れた身体をシートに預け、当時を思い出して目を閉じる。 
 
 
 
 
 
 玖珂がまだホストになって間もない頃、それまでとは比べものにならない量の酒を飲む生活に中々慣れる事ができず、酔いつぶれる寸前の状態で明け方帰宅する日々が続いていた。今では臨機応変に酒を殺して呑む事もできるが、当時はそんな飲み方も覚えておらず。ましてヘルプをしていた時は、いかにメインのホストに飲ませずボトルの酒を空にするかが接客より重要なのだ。 
 
 何十万、何百万とする酒を浴びるように飲んでいると、次第に感覚が麻痺してくる。疲れ果てて、帰宅したらシャワーを浴びベッドに倒れ込むような生活を送る事しか出来なくなっていた。 
 
 同じ家に住んでいるにも関わらず、澪の顔を何日も見ない日が続いたある日、深夜に帰宅すると何故か澪が食卓のテーブルで座って玖珂を待っていたのだ。不思議に思って「……まだ起きてたのか」と声をかけると、澪は不機嫌そうな顔をしたまま立ち上がって、玖珂の目の前に立った。 
 
 こうして澪と並ぶ事など滅多に無いので気付かなかったが、澪はもう自分と同じくらいの身長になっており、小さかった弟とはまるで別人のように大人びて見えた。 
 
「……どうした?」 
 そう尋ねる玖珂に澪が口を開く。 
「もう……ホストとか、やめろよ……」 
「……え?」 
 
 急にそんな事を言い出した澪に、玖珂は面食らってその先に返す言葉を一瞬失う。何故急にそんな事を言いだしたのか考えてみるがやはりわからず……、思い当たる事も特にない。玖珂がキッチンへと歩いて行き水をコップへと汲んで、置いてある胃薬と共に一気に飲み干すのを澪は思い詰めた表情で見ていた。コップを軽く濯ぎながら、玖珂が声をかける。 
 
「……急にそんな事を言いだして、何だ、学校で何か言われたのか?」 
「そうじゃねーけど……」 
 
 疲れている上に、相当酒にも酔っている玖珂はズキズキと痛む頭に僅かに眉を寄せて食卓へと戻り、椅子へ腰を下ろした。いつもならもっとゆっくり聞いてやることが出来たのかもしれないが、この時はそんな余裕がなかった。 
 
「澪、悪いが今夜は疲れてるんだ。話しならまた明日にでも聞くから、今日はもう休ませてくれ」 
 
 そう言って重い身体を何とか動かし立ち上がった瞬間。玖珂の足が止まった。 
 さっきの場所から動かないまま立っていた澪が、目を腕で隠しているのが目に飛び込む。居間にかかっている時計の秒針の音だけが鳴り響く中、澪の小さく震える息づかいが耳に届いてハッとする。 
 
「……澪?…………泣いてる、のか?……」 
 
 側によって顔を覗き込むと、澪は「泣いてない」と言い張って目を擦っている。澪が泣いているのを見るのは母親の葬式の日以来である。何があったのかわかりかねるまま、玖珂の酔いが一気にさめていく。 
 澪が伸ばした腕が玖珂を掴む。少し震えているようなその手を伸ばしたまま、澪が涙声で吐き捨てた。 
 
「……兄貴も、母さんと同じように……俺を置いていくのかよ」 
「……澪、……。何を言ってるんだ……」 
「このまま……こんな生活してたら、兄貴だってぜってぇ身体壊すし、急に倒れて……それで……死んだらどうすんだよ」  
 
 澪はもう涙を拭わないまま玖珂へと潤んだ瞳をまっすぐ向けてくる。予想もしていなかった事を言われて、澪がここまで心配をしていたという事実を初めて知る。澪には自分しかもういない。それは理解しているつもりだった。だからこそ弟には苦労をさせたくなくて、大学の片手間にやるバイトより少しでも金が多く貰えるホストの道を選んだのだ。 
 
 自分の腕を掴む澪の手から、言葉にしてこなかった様々な感情が伝わってくる。背が同じくらい高くなっても、大人びた言動をしていても、……澪はまだ子供なのだ。さっきまで随分大人びたと感じていた澪の姿が、幼少の頃の姿と重なって揺れる。玖珂はフと息を吐くと、優しい笑みを浮かべる。 
 
「澪、大丈夫だ。俺は倒れたりしないし、お前を一人置いて死んだりしない……。だから、そんなに心配するな」 
 
 玖珂は澪の頭に手を伸ばすと幼い頃からしているように、その髪をくしゃっと撫でる。細くて柔らかい澪の髪の感触は昔と何も変わっていない。 
 
「でも……そうだな。お前がそんなに心配しているとは思わなかった。ごめんな」 
「俺、もう小遣いとか要らないし……、一人で飯だって作れる……、だから……もうこれ以上無理すんなよ……」 
「……澪」 
 
 確かに、ここ数ヶ月は無茶なシフトを詰め込んで、休む日もなかった。そんな玖珂の姿をずっと見ていて澪が不安に駆られたのも無理はないのかもしれない。家族を失う事は誰だって怖い物だ。母親の死に際に立ち会った時の澪の怯えた様子が思い出される。こうして澪の気持ちに触れて立ち止まってみれば、周りが見えていなかった自分の行動が見えてくるようだった。 
 
「わかった。来週からは、ちゃんと休みも貰うようにするから……。俺の事はもう心配するな……。な?」 
「…………うん」 
 
 やっと安心したように肩の力を抜いた澪が、微笑んで見返す玖珂の視線からばつが悪そうにその視線を逸らす。 
 
「……じゃぁ、俺……もう、寝るから」 
「ああ、おやすみ。澪、……有難うな」 
 澪は、返事をしないまま背を向けそのまま部屋へ戻っていった。 
 
 
 
 
 
「お客さん、そろそろ着きますよ」 
 
 タクシーの運転手に声をかけられ、玖珂は閉じていた目を開く。思い出していた記憶の余韻に浸りながら、ゆっくりと息を吐く。あの後、高校を卒業した澪は自分と同じホストになった。去年まではまだ未成年だったので、店の内勤として働きながら学んでいたが、二十歳になった今は、漸くホストとして店に出ているらしい。最初は自分と同じ道を進む事に反対した物の、今となってはもうそんな事も懐かしい思い出に過ぎなかった。 
 
 時々ちゃんとやれているのかどうか心配にもなるが、流石に様子を見に行くわけにもいかないので、澪がホストとして働いている姿は見た事が無い。 
 タクシーが自宅マンションの前に到着し、料金を払って降りる。そのままエントランスへ入ると、集合ポストの前に澪が立っていた。 
 
「澪!?」 
 
 驚いて足を止める玖珂に、澪が振り向く。 
 
「……おかえり」 
「おかえりって、お前……どうしたんだ。急に……」 
「別に……、近くで客とアフターしてたから、寄ってみただけ」 
「そう、なのか?……何かあったのかと心配したぞ。あまり驚かせるな」 
「何にもないって、……ていうか相変わらず心配性だな」 
 
 澪がそう言って少し笑う。すっかりスーツ姿が板についてホストらしくなっている澪は、それでもやはり何処か不器用そうなままで、その事が何だかおかしくなり玖珂は一人で苦笑する。後から着いてくる澪とエレベーターに乗り込むと、階数ボタンを押す。 
 
「あ、俺。今日泊まってくから。今から帰んの面倒くせーし」 
「別に構わないが、明日は休みなのか?」 
 
 エレベーターを降りて、廊下の突き当たりの玄関を開ける。澪は靴も揃えず上がり込むと居間のソファに腰を下ろし、胸ポケットから早速煙草を取り出して火を点けた。 
 
「店出るよ。同伴の約束もしてるし」 
「同伴?お前みたいなホストと同伴してくれるなんて優しいお客様だな」 
 
 スーツの上着を脱いで椅子にかけ、玖珂も煙草を咥える。からかうようにそう言って苦笑いすると、澪は玖珂に不満そうに文句を言う。 
 
「うるせーな。店ではちゃんと愛想良くしてるし、指名もあるんだよ。兄貴は知らないだろうけど」 
「なるほど?まぁ、愛想がないのを自覚して気をつけてるならいいんじゃないか?」 
「………………」 
 
 何を言ってもかわされる所か、逆に嬉しそうにしている玖珂を見て、澪は反論する気力を無くして溜息をついた。 
 
「先にシャワーを使って良いぞ。客用の布団を出しておくから」 
「いいよ、俺ソファで寝るから」 
「ちゃんと布団で寝ないと、風邪を引いたらどうするんだ。あぁ……、布団が嫌なら、俺のベッドにお前が寝て、俺が布団でも良いが……」 
 早速布団を出しに部屋を出て行こうとする玖珂の背中に澪は声をかける。 
「……俺が布団で寝る。あと、机の上のCD兄貴にやるよ」 
 
――……CD? 
 
 澪が脱衣所へ入っていき、浴室のドアがバタンと音を立てて閉まる。客用の布団を寝室へ用意して居間へ戻ってみると、食卓の上に一枚だけ無造作にCDケースが置いてあった。 
 
 玖珂は吸おうとしていた煙草を外して灰皿へと置くとそれを手に取り、浴室にいる澪へ振り向く。 
 澪が置いていったCDは、随分前に澪が子供の時に遊んでいて割ってしまった物だった。気に入ってよく聴いていたバンドの物だが再度買おうと探してみると廃盤になっており、それ以来聴くことが出来なくなっていたのだ。 
 そんな事があった事すらすっかり忘れていたが、手にしてみるとその記憶が鮮明に思い出される。 
 
 玖珂はリビングボードの上にあるステレオシステムにCDを入れると音量を調節し再生する。静かに流れ出した曲に耳を傾け、先程手にした煙草をもう一度咥えて火を点け深く吸い込んだ。 
 
 澪が浴びるシャワーの音に混じって、懐かしい曲が次々に流れていく。このCDをわざわざ渡す為に今夜ここへ来たのはもう間違いないだろう。玖珂はCDのジャケットを眺めるとゆっくり紫煙を吐き出し、母親の葬式の時、最後に言った自らの言葉を思い出していた。 
 
――……もう……二人きりになっちゃったな。 
 
 あの時、先の見えない自分達の行く先に不安があったのは確かだ。自分が弟を守っていかないといけないという気持ちでいっぱいだった。だけど、そんな自分を支えてくれていたのもまた、澪の存在だったのかも知れない。 
 浴室のドアが開く音がし、暫くしてタオルで髪を拭きながら澪が居間へ戻ってくる。 
 
「なんか喉渇いた」 
 玖珂の隣で立ち止まると澪が冷蔵庫をあけ「……酒ばっかじゃん」と笑ってビールの缶を取り出す。 
「俺にも一本とってくれ」 
「――ん」 
 
 澪から渡されたビールのプルトップを開けて、並んでビールを飲む。こうして澪と一緒に酒を飲む日が来ることは、あの日の自分はきっと想像もしていなかっただろう。 
 隣にいる澪を見て目を細める玖珂に気付いて、澪が振り向く。 
 
 
「……なに見てんだよ」 
「気にするな、……何でもないよ」 
 
 
 部屋にはCDの最後のトラックが流れている。あの日から変わらない音色のままで。  
 
 
 
 
 
 
――Fin  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
後書き 
 
番外編を読んで下さって有難うございます^^ 
このお話しは、BL要素のない普通のお話しですが、『俺の男に手を出すな3』本編で合間合間に語られていた、玖珂と澪の昔の話しになっております。台詞や描写が一部本編とリンクして繰り返されている場所があるのはその為です。 
澪は、中学生~ホストになりたての二十歳、玖珂は大学生時代~No1ホスト時代、というように色々な年代のシーンがあります。 
余談ですが『俺の男に手を出すな1』の一話目で玖珂が面倒を見ている女の子は、このお話しに登場する美咲がこの後に産んだ子供です。(どうでもいい情報) 
恋愛要素はないですが本編とはまた違った雰囲気で楽しんで下されば幸いです。 
 
2016/10/15 聖樹 紫音