俺の言い訳彼の理由2




 7時頃になって漸く仕事が片づいた渋谷は藍子との待ち合わせ場所に向かって歩いていた。本当なら明日の午前中に回る分の資料を作っておくのだが、それをしていたら10時は軽く過ぎてしまう。
 仕方なく切り上げた渋谷の頭の中は、明日のスケジュールの事でいっぱいだった。
 つい一時間ほど前に送られてきた藍子からのメールによると、倒れたという母親の容態はどうにか落ち着いているらしい。昼間にかけてきた電話の様子とは違 い、余裕のある文面に少し安堵する。このまま数日間煩わせる事にでもなれば、渋谷の日常にも支障をきたすかもしれなかったからだ。

 「昼から何も食べていないので、軽く夕食を済ませてから病院へと行きたい」と提案してきた藍子が指定してきた待ち合わせ場所は、いつも使っている西新宿の店だった。大通りを入り込んだ先にあるその店は新宿にしては上品な店で、静かな雰囲気があるイタリアンダイニングだ。
 人が多いのを嫌う渋谷が好んでデートに使っている店だった。今夜はまさか酒を飲む事はないだろうが、普段はメニューにあった様々なワインを出してくれる 隠れ家的な店である。静かなのは好む所だが、難点は駅から距離がかなりあることである。何度も込み入った路地を抜けなければならない。

 久しぶりに通る歌舞伎町の通りは相変わらず華やかで、渋谷が通りを歩くだけでその手の店の客引きが声をかけてくる。その声を無視しながら進み、幾度か路 地を入った頃、渋谷は背後から誰かがついてきているような気がして一度後ろを振り返った。あまり治安がいいとは言えない地域なので何があってもおかしくは ない。
しかし、振り返って見渡した限りでは別に変わった所もなく着けてきている人間などいなかった。

──気のせいか‥‥‥。

 一般の平凡な会社員の自分を尾行するような物好きはいないだろうし、そもそも尾行などというのはテレビの中での話しか聞いた事も無い。切れかかった外灯を見上げ、外灯の周りに飛び交う羽虫に眉を顰め渋谷は眼鏡を押し上げた。
しばらく歩いて人が少なくなってきた所で歩くスピードを落とす。先程気のせいだと思っていたが、やはり背後に視線を感じたような気がしたからだ。
 ますます強くなっているようなその気配に一瞬戸惑い、もう一度後ろを振り返ってみる。しかし、目の前には今自分が歩いて来た通りが見えるだけである。電 柱の影などにも気を配って見たが、誰かが潜んでいる様子もない。渋谷は溜息をつき、また前を向いて足を運ぼうとしたその瞬間、凄い早さで一人の男が背後に 迫り渋谷は足を止めた。

──っ!

咄嗟に振り向こうとした渋谷は、その背中にぴったり押し当てられた刃物の存在を感じゴクリと唾をのんだ。

──冗談…だろ…。

 あまりに驚いて二、三度咳き込む。ぴったり寄り添った男はまだ時間も早いというのに酷く酒臭い息を吐いている。生暖かいその男の息が首に掛かり、渋谷は 嫌悪感に肌を粟立たせた。冷静さを欠いたら危険だという事だけはわかる。渋谷は眉を顰めながら、心を落ち着かせ、振り返らずに男に話しかけた。

「‥‥‥何の、つもりだ」
「さぁ」

 毅然に強い口調で問いかけてみたが男ははぐらかして笑っているばかりである。
しかし、笑っている態度とは裏腹に背中に当てられている刃物はぎゅっと強く押し当てられている。渋谷の額から嫌な汗が流れこめかみを伝う。背後に迫る刃物に手を伸ばそうと動かすと、男の手でその手を払いのけられた。

「おっと、余計な事したら手元がくるっちゃうよ?ん?わかるよな?」
「…………っ…」

 酔っているからなのか呂律の確かじゃない口調で囁く男の息が再び項にかかり、思わず渋谷はぎゅっと目を閉じる。

──正気じゃない。
──それに………何が目的なんだ。

 藍子との待ち合わせの店がちょっと先にもう見えている。周りに人気は無いが、大声をあげて助けを求めれば誰かに気付いて貰えるのではないかと考える。
 しかし、そんな事をしたら背後の男は背中のナイフを突き刺すかも知れない。
ただの脅しじゃなかった場合 殺されてしまう可能性がないとは言い切れなかった。渋谷は男を挑発しないように静かに口を開いた。

「悪いけどそこの店で待ち合わせをしている。俺がいかなかったら相手が怪しむぞ」
「余計な事気にしなくていいからさー。そのまま歩いてよ、すぐだから」

 解放する気は全くないようで男は歩き出すように渋谷の背中をどついた。その乱暴な扱いに渋谷は躓きそうになる。金目的の若者の悪戯にしては度が過ぎてい る。促されるまま歩を進め、約束の店の前を通り過ぎる。その際に、渋谷は横目で店内をざっと見たが藍子の姿をみつける事は出来なかった。まだ来ていないの だろうか。藍子が気付くかも知れないという僅かな期待もなくなり、店から遠ざかる。
益々暗くなっていく道が、何処か現実感を失わせる。

──この店を選ばなければ。
──今日でなければ。

 思い出す限りの後悔が押し寄せる。運がないとかの次元ではない。男の目的もわからぬままに歩かされ、迷路のように細かい路地を幾度も曲がれば、辺りには すっかり人がいなくなっていた。僅かに明かりが漏れているビルを見上げれば怪しげな店や、消費者金融ばかりで、細いビルの隙間に目を向ければ、放置され饐 えた匂いのする生ゴミをノラ猫が漁っているのが確認出来ただけだった。

 真っ暗な細い路地を曲がった所で、男が刃物を下ろすと渋谷の腕をぐいと引っ張った。
待ち構えたように何人かの男が集まってきて渋谷を壁に追いつめる。男が背後から刃物を下ろした瞬間に駆けだして逃げようかとも思ったが、もう足が竦んで動かなくなっていた。
 乾いた喉はツバを飲み込むのも困難で、恐怖で声が詰まる。5人程仲間がいるようで、その全員から渋谷に視線が注がれ身体が震える。渋谷は恐る恐る口を開いた。

「………何が目的…なんだ」

 怖がっている素振りなど見せない方がいい事はわかっているが、身体は恐怖で支配され、思考もままならない。出した声が酷く掠れ震えてしまう。学生時代か ら人と争うのを避けてきたので、勿論喧嘩等もした事が無い。こういう場合、どうしたらいいか等の経験値は渋谷の中にはひとつもありはしなかったのだ。
 集団のリーダーらしき人物が顔を覗き込むようにしてニヤッと笑い、渋谷の掛けている眼鏡を横から乱暴に叩き落とした。フレームが頬を強くこすり僅かに頬が痛んだが、それを感じて気にするほどの余裕はもう残っていない。

「…っ」

勢いよく外れ落下した眼鏡は、もう何処に落ちているのかもわからない。
 渋谷はかなり童顔で、眼鏡を外すと一気に幼くなってしまうのがコンプレックスであった。少しでも老けて見えるようにとかけている眼鏡を外され、まるで心 を裸にされたような気がし、不安感が一層増す。視力が相当悪いのも相まって、目の前の様子が揺れて見える。渋谷は目眩を感じ、一度目を閉じた。真っ直ぐに 伸びた長めの前髪がバサリと額を隠す。艶のある黒髪は、月の光を受けて僅かに反射した。

「へぇ~、綺麗な顔してんじゃん。お兄さん」

 汗ばんで湿った掌で頬を撫でられ、渋谷は顔を背ける。同じ空気を吸っている事でさえ耐えられず、なるべく呼吸を抑えて口を開く。

「……眼鏡を、かえせ。か、金なら渡すから…」
「あんなの掛けない方が可愛いって」

 渋谷の言う事が聞こえていないのかと思う程に目の前の男は反応しない。アスファルトに落とした眼鏡をつま先で蹴り、その後黒光りした革靴で踏みつけるとレンズの砕ける音がした。突然激昂したような素振りを見て、渋谷は震え上がった。こういう人間とは関わったことがない。

 値踏みするように渋谷をみつめたままの男が、背後にいる仲間に何かを手で合図している。その合図と共に数人が渋谷に近づき、その手からビジネス鞄をひっ たくった。「やはり、金銭目的か」渋谷は視線だけを持って行かれた鞄に向けるが、眼鏡がないせいでぼんやりとしか捉えることが出来ない。
 財布なら持っていっても構わないから、早くこの状況から解放されたい。そう願う渋谷の思いは届かず、逆さにしてぶちまけられ、路上に散らばった渋谷の鞄 の中身から適当に何かが拾われ、男達の持ってきた袋へと入れられているようだった。自宅でやろうと思って持って帰ってきている企画書等やデータの入った USBが辺り一面に散らばっている。渋谷はその様子にハッと気づき声を荒げた。

「な、何をしている!!金なら渡す!だから書類には触れるな!」

 力一杯目の前の男を蹴り上げると一瞬ひるんだ隙に鞄に駆け寄った。しかし、そんな攻撃でかわせるはずもなく数人の連中にすぐに押さえつけられてしまう。
 アスファルトに頬がつくぐらいの距離まで強く押さえつけられ、渋谷は抗うことが出来ずに目の前の惨事を見ているしか出来なくなった。近づいた事で、詳細に様子がわかり焦る気持ちが募っていく。

「やめろ…離せっ!!」
「うっせーなっ、ぎゃぁぎゃぁ喚くなって」

 渋谷の口元を男の手が塞ぎ、片方の手で顎を掴み上に持ち上げられた。
視界を遮るようにして目の前に屈んだ男が渋谷のネクタイを向かい側から器用に抜き取る。押さえつけられている腕が放され渋谷は地面に腰を落としたまま体勢を立て直した。

「な、何…」

 後ろは壁で、薄暗い路地には自分達しかいない。
嫌らしい笑みを浮かべて迫ってくる男から渋谷はじりじりと後ずさった。アスファルトに引きづっている手の指から僅かに血が滲む。
 今まで生きてきた中で知る事のなかった種類の恐怖が襲いかかり、もう声も出なくなっていた。
一番後ろまで後ずさった渋谷のYシャツに男の手が乱暴に掛かり、釦ごと毟り取るように引き寄せられる。震えが止まらない身体を守るように渋谷は腕を交差させた。

「や…やめっ……」

 はだけたYシャツの隙間から覗く白い肌に男は一瞬息をのみ、薄く笑みを浮かべる。次の瞬間、渋谷の鳩尾に一発拳が食い込んだ。

──グっ………ゲホッゲホッ。

 逃げる体力を奪おうという算段なのかも知れないが、そんな事をされなくてももう渋谷の足は動かなくなっていた。
気を失うほどの強さで殴られたわけではなかったが激しい痛みが身体を襲い、息が出来ない。
 こんなに思いっきり人に殴られたのは初めてだった。痛みに止まりそうになる呼吸を必死で整え、震える呼気を咳と共に吐き出す。

「そう、‥‥‥そうやって最初から大人しくしてりゃいいんだよ」

 声は出なかったが渋谷は咳き込みながら目の前の男を睨み付けた。少しして背後にいる仲間の一人が、渋谷の目の前にいる男に耳打ちする。あたりが静かなのでその声は渋谷にも聞こえていた。

「そこまでの依頼は受けてないぜ?やばいんじゃねぇのか?」
「あー?関係ねぇな、今からは依頼とは無関係だ。てめぇらは例の物だけさっさと持って行け」
「でも」
「俺がいいっていってんだからいいんだよっ」
「わかった」

 例の物だとか依頼だとか一体何の話だかわからないまま、その会話の後仲間の数人が消えていった。
残っているのは路地の入り口を見張っている2人と目の前のリーダー格の男だけになった。酒臭い息が顔にかかるほど接近し男の手がYシャツの中に浸入して胸をまさぐる。

「…っ……」

 顔をめいいっぱい背けながら渋谷は悔しさに唇を噛んだ。しつこいほどに乳首をいじり倒されて段々感覚が麻痺してくる。その粘着質な手の動きはしだいに下に降りていき、トラウザーのファスナーが降ろされた。

「な‥‥‥何‥‥‥やめっ………」

 渋谷の言葉を無視して男の手がトランクスの中にまで入ってきて、縮みあがっている渋谷の屹立を握った。鈴口を人差し指でグリグリと弄っては嫌な笑みを浮かべている。

「はな‥‥‥せ………さ、さ……わるな、お、俺は男だぞ」
「はぁ?そんなの見りゃわかるでしょ」

 渋谷の身体を執拗に弄り倒しながら、男は興奮してきたのか息を荒げていた。こんな男に触られて勃起するはずもないのに、男の緩急をつけた扱きに、あろう事か屹立が少しずつ頭をもたげてしまう。

「あれ~??感じちゃってる?」
「……違っ…‥」

 それでも言葉とは裏腹に身体は反応してしまう。我慢していたが、なおも続く男の手の動きに限界にきていた。すっかり固くなった屹立は見知らぬ男の手の中であっけなく吐精していた。灰色のアスファルトに白い精液がぱたぱたと落ち、染みて消えていく。
渋谷は見たくなくて一瞬、固く目を瞑った。「…くそっ…」思わず言葉が漏れ、眦に悔しさから涙が溜まる。

──みっともない
──悔しい
──何故自分がこんな目に

 男が少しだけ自らのズボンを下げるとそそり立ったものが勢いよく飛び出した。同じ男と思えないほど立派なそれは、まさしく凶器そのものであった。すでに先からは先走りのぬらぬらとしたものが滲んでいる。

──その先を考えたくない

 男はさっきはずしたネクタイを丸めて渋谷の口の中に強引に押し込み口を塞いだ後、トラウザー事トランクスを引き下げた。
晒された下半身が羞恥により紅く染まる様な気がした。男とこういう行為をした事等勿論ない。初めて迎え入れる事になる渋谷の後孔は固くしまっている。
 はぁはぁと繰り返される男の息づかいが耳から消えない。身体は強ばり、男のされるがままに体勢を取らされ、意識も揺らいでくる。
 男の雄根が自分の身体に触れた瞬間、全身が粟立つ。そこへねじり混むように男の雄が刺さった。容赦ない行為に渋谷は声にならない悲鳴をあげた。目の前に火花が散り、激痛に身を捩る。ネクタイで塞がれた口に吐き気が込み上げる。

「んんっーーー!!!っっ……!!!んー!」

 前戯もなく、ほぐしてもいない蕾は皮肉な事に渋谷の後孔から滲む自らの血で滑りをよくし、引き裂かれるような痛みの中 意識がふっと揺らいだ。抜くぎりぎりまで放され一気に奥へと叩き込まれる。その度に薄れた意識が引き戻され渋谷は苦痛に目を見開いた。
 ただひたすら時間が過ぎるのを待つ永遠に続くかと錯覚してしまいそうな悪夢の時間。しだいに男の息が快楽を享受するように忙しなく吐き出され一瞬呻き声が聞こえた。
 男が達すると渋谷の中へと暖かい精液がじわりと注ぎ込まれる。自分の身体へ流れ込んだそれをはっきり感じ、嫌悪感に渋谷の塞がれた口には僅かに胃液が込み上げた。

 満足したのか男はそれ以上はしつこくしてこず、さっさと着衣を整えると、呆然としている渋谷に向かって言い放つ。

「最高だな、あんた。ゾクゾクしたぜ、またこんな美人さんに一発ぶち込みたいもんだぜ」

 笑ってそう言うと、渋谷の口からネクタイを取り出し自分の唇で渋谷の唇を塞いだ。ぬるっとした舌の侵入を歯で何とか阻み、渋谷は残っている力で男を押し 返すと、アスファルトに嘔吐した。朝飯をとって以来、飲み物程度しか口にしていなかったので吐く物は少しの水分と胃液だけだったが、胃が痙攣したように吐 き気が治まらない。

 その様子を面白そうに見ながら、男達はその場を去っていった。
 吐き気は暫くしてどうにか治まり、渋谷は釦のとれてしまったYシャツをかきあわせて、着衣を整える。わずかに身体を動かすだけで叫びたいほどに痛みが走る。男の精液が後ろからゆるゆると流れ出て渋谷の血とまじって太股に伝い流れ落ちた。

「………っ………」

 近くに散らばっている書類をなんとか這って取りに行き、拾いながら渋谷の目からは涙が零れ頬を伝う。
悔しさと惨めさ、痛みと怒りのまじった何とも形容しがたい涙だ。こんな汚い路地で、男に強姦されてボロボロになっている人間になど誰も救いの手を伸べては 来ないだろう。触らぬ神に祟りなしというやつだ。昨日までの自分がもしこんな姿の男を発見したら避けて通るに違いない。奥歯を噛みしめギリリと音を立てる と、渋谷は長い睫を伏せた。

──でも………誰か……誰か、助けて……。

 震えが止まらない腕で身体を庇うようにして自分で支える。
渋谷は立ち上がる事もできないまま、よろよろと背後にある壁に背を預ける。そして意識を手放した。