「俺さ、10月に結婚する事にしたから」
「うっそ……!!あの見合い話、マジ……、だったのかよっ」
「あぁ」
 
 
握った携帯が倍以上に重く感じたのは気のせいじゃない
秘めた恋心が、突然失恋に変わったのは日曜日の夕方だった
 
店の総菜にも飽きて、たまには自炊でもするかと向かったスーパーで
一昔前のアイドルの流行歌をBGMに、5年越しの恋はたった1分で結果を告げた
 
安藤 健次郎28歳 失恋は実に6年ぶりだ
 
結局その日は自炊する気も失せ、冷凍食品を山ほど買い込んで帰ることになった
それは一週間前の出来事だった
 
 


START LINE ―前編―

 

 
 
安月給のサラリーマンが飲みに行くとなると行ける店はだいたい決まってくる
洒落た店でなくても酒の肴がそこそこ美味しく量もあり、駅から近ければそれで十分だった
暑い夏はやはりビールに限る
俺は手にした生ビールのジョッキを一気に空にして店員に追加注文をした
 
 
「おい安藤、お前のみすぎじゃないのか?」
「っだよ……、いいだろ!給料日ぐれぇガンガン飲んだってさ」
 
 
吉井は少し苦笑したあと、サワーに口を付けた
最初の一杯目は生ビールで、次からは吉井はいつもサワーへと切り替える
それは昔から変わらない
毎回、飲みに行くと割り勘にするものの飲む量は俺の方が断然多い
だからいつも吉井は割に合わないのだが、それでも文句も言わず
多いときには週に二度ほど一緒に酒を飲みに行く
上司に言えない仕事の悩みやくだらない日常の話しまで二人には隠し事はなかった
 
──だけど俺は吉井に一つだけ隠し事をしている
 
飲みながらも俺は振り切れない気持ちを持てあましていた
それは口にだすわけには どうしてもいかない事で
でも、本当は一番聞いて欲しかった事でもあり……
何度も酔った勢いで言ってしまおうかとも考えたが
 
──……そんな勇気がなかった
 
 
「それでさ、最近喧嘩ばっかなんだぜ?こんなんで結婚しちゃって……、いいのかってマジ考えちゃうよな」
 
 
吉井は口ではそんな事を言いながらでも、満更でもなさそうに見えた
こうして飲みにきていても最近は吉井の結婚が近いせいか
その手の話題が必然的に多い気がする
 
──……、苦い
 
それは生ビールが苦いのだけとは言えなかった
絡みつくように苦みをともなった酒を飲み干すと俺は話しを合わせた
 
 
「何で喧嘩になんだよ、お前、女相手にもそんなに短気だっけ?」
「そうじゃないけどさ。式場選ぶのとかって2.3箇所から選ぶと思ってたからさ……。だけど、そうじゃないんだよな……。彼女、リスト作ってきて俺に見ろっていうんだけど、何件あったと思う?」
「んなの知らねーよ。100件とかか?」
「さすがに、そんなにはなかったけど……、まぁ、50件はあったな。もう、見るだけでうんざりさ」
「まぁ、仕方がないんじゃねぇの?女にとっては大事な事なんだろうし」
「安藤は当事者じゃないから、そんな呑気な事言ってられんだって」
「んー そうかぁ?でも、しゃーねぇじゃん……。一生に一回なんだから付き合ってやれって」
 
 
口先だけで吉井をなだめた俺は心の中では違うことを考えていた
 
──もしも俺が吉井と結婚できたら
──俺なら場所なんて何処でもいい
──お前が俺の物になるなら、他はどうだっていい
 
叶わない夢に繰り返し傷つくのがわかっているのに
俺は見たこともない吉井の結婚相手に嫉妬していた
 
 
 
 
 
俺が男にそういう感情を抱いてしまう事に気付いたのは吉井に出会ってからだった
それまでは彼女もいたし、SEXだって人並みにはやってきたつもりだ
同期で入社してきた吉井と馬が合い
同じ営業二課に配属になってからつるむようになり、俺は変わった
最初、吉井は誰とでもうまく世の中を渡っていけるタイプに見え
世渡りの下手な自分とは対局の人間だと思っていた
しかし、付き合ってみるとそんな事もなく、気遣いのある優しいやつで
俺の中に土足で入ってくるような事もない
そんな関係は居心地が良くて、吉井にだけには素の自分を曝ける事が出来た
親友なんて、この歳になって青臭いことを言うのも恥ずかしいが実際そんな感じだったと思う
まるで、幼馴染みなんじゃないかと思うほどに吉井と一緒にいるのは楽しくて
いつしか俺は女を作らなくなった
 
実家から通う吉井は家が遠く、飲みに行って終電がなくなると近場のうちに泊まっていく
その日、俺は泥酔に近い状態で
吉井はそんな俺を例のごとく俺のアパートまで連れて帰る所だった
 
 
「ほら、安藤……。しっかりしろよ。鍵どこよ」
「鍵~??鍵は鞄……かな?……へへへ」
 
 
別に可笑しくないのに笑っている俺に吉井は怒りながらも俺の鞄から鍵を探し出して
自分の家のように鍵穴に差し込んだ
部屋に上がった俺は気が抜けたのか一気に酔いがまわりはじめ
畳へと転がると大の字に寝転がった
世話焼きな所がある吉井がバタバタと台所で水をコップに注ぐ音が聞こえる
 
 
「水、汲んできたぞ」
「喉かわいてねーよ」
「乾いてなくても飲めって、ほら。こぼすなよ」
 
 
俺の体を起こすようにして吉井がコップを手渡した
最初はふざけ半分だった
 
 
「飲ませてくれよ」
「馬鹿、俺は女じゃねーの。自分で飲めよ」
 
 
吉井があきれ顔で強引にコップを押しつけてきて
それから…
それから俺は、何であの時あんな事を言ったか理由はわからない
酔っていたせいもある
たまっていたせいもある
だけど、それだけじゃなかったんだと思う
 
 
「………飲ませろよ」
「………安藤?」
 
 
俺は顔を覗き込むようにして見ていた吉井を畳へと組み敷いた
手にしていたコップが畳へと零れて水がまわりに広がる
俺に強く押さえつけられ、驚きの表情をした親友の顔が目の前にあった
抵抗しない吉井に俺は顔を近づけて押しつけるように口づけた
 
 
「お……おい、お前何やって…」
「黙れよ」
「安藤……、っん、ばっ………やめろっ……」
「口あけろって……」
「やめろって!言ってんだろっ!!」
 
 
我に返った吉井に頬を殴られた
 
──俺は何を……、した?
 
殴られたせいで酔いがぶっとんだ俺は自分がした行動に唖然とした
吉井が座ったまま黙って俯いてる
親友だと思っていた人間にこんな事をされては怒るのも当然といえた
酔った勢いにしてはやりすぎだ
部屋には気まずい空気が流れた
俺は沈黙に耐えきれず立ち上がった
 
 
「わりぃ……。ちょっと……、頭冷やしてくるわ……」
 
 
何も返答しない吉井を家に残したまま俺はアパートを出た
 
 
 
 
あの日から俺は変わってしまったのかもしれない
酒のせいだと言い聞かせていた俺の気持ちは次第に大きくなって
俺の胸いっぱいになって
そして、溢れた
次の日に吉井には酔って女と間違えたと詫びを入れ
あの日の夜のことは無かった事として今に至っている
月日がたつのは早い物であの日からもう5年も経った
その間、俺たちは変わらずに親友を続けている
そう言う目で吉井を見ている自分を、俺はひたすら隠し続けていた
 
 
 
 
 
そんな昔のことを考えていた俺は吉井の携帯の音で一気に現実へと引き戻された
騒がしい店内に酔った客の笑い声が響いている
かかってきた携帯の相手は結婚相手だろうか、ちょっとぶっきらぼうに対応しているのは
俺がいるから照れ隠しなのだろうか
 
 
「あぁ、いいけど……あ、ちょっと待ってすぐかけ直す」
 
 
すぐに携帯を切った吉井は、ちょっと電話してくると言って店の外へと出て行った
俺は吉井が出て行ったあと、もう一杯ビールを注文した
よく冷えたビールが喉に流れていき俺の体の行き場のない熱を冷ましてくれる
いつから俺は酒で気持ちを紛らわす癖をつけたのだろう
なかなか戻ってこない吉井が置いていったスーツの上着を何気なく見る
吉井は細身でスーツが似合わないといつも自分で零している
確かに28になった今もスーツ姿の吉井は何処か初々しいような雰囲気がある
顔立ちが整っているせいか優男に見えるその外見についても吉井は不満のようだった
しかし、外見に似合わず結構気の強いやつで、性格はとても男らしい
 
俺は吉井の全てを知っているつもりでいた
だけど、本当は何も知らないのかもしれない
彼女とはどんな話しをするのか
どんな顔で女を抱くのか
イく時はどんな声を出すのか
知らない事は沢山あった
 
一ヶ月前、去年までは海外だった研修を兼ねた社員旅行は
この不景気のせいでランク落ちの近場の温泉宿になった
研修と言っても現地に近い支社に顔を出す以外は、ただの泊まりがけの宴会だ
行きのバスの中からすでにアルコールが出され
夕方の宴会が始まる頃には顔を真っ赤にしているやつもいた
運悪く俺と吉井は部長の近くの席が割り当てられていて
酔って説教がましくなった部長から散々お小言をもらいながら
ひたすら宴会が終わるのを待ち
漸く解放されたのは二次会に皆が行ったあとだった 


せっかく温泉にきたのだから皆がいない間に露天風呂にでも行くことにした俺達
案の定、風呂場は誰もいなくて俺は吉井と二人きりになった
一緒に湯船につかりながら俺は吉井の肩をちらりと見た
鎖骨の途中にうっすらと残っている傷
体温が湯につかっているせいで上昇し赤く浮かびあがった傷が妙に艶めかしく写った
きめの細かそうななめらかな肌が湯をはじいている様をみて
俺は下卑た欲情に駆り立てられた
浮かび上がった傷に舌を這わせ吉井の感じる顔を見たい
 
──俺がそんな事を考えていると知ったら吉井は気持ち悪がるだろうか……
 
視線を無理矢理はがし俺は湯船から立ち上がった
 
 
「……俺、先にあがるわ」
「もう?湯あたりか?」
「ちげぇよ……、そんなやわじゃねぇぞ……、
俺は」
「ははは。それもそうだな」
 
 
濡れた髪を細い指でかき上げる吉井の背中から逃げるようにして
おさまりきれない情欲を隠すため俺は先に風呂を出た
濡れた髪を拭きもしないで浴衣をひっかけると足早に吉井から離れて部屋へと戻った
誰もいない部屋へと戻るとトイレに入り鍵を閉める
洗ったばかりのペニスを一人で扱いた
空しいだけの射精感を解放し、俺は惨めな気持ちに打ちのめされた
 
──何やってんだかな……俺は……。
 
髪の先からポタポタと雫が滴ってきて膝に落ちていくのが
やけに冷たく感じたのを今でも覚えている
 
 
吉井は2ヶ月後に結婚する
突然見合い話しがあると言いだし
戸惑う俺をよそに吉井の見合い話しはどんどん進んでいった
吉井が…………、俺の知らないところへ行ってしまう
何度も諦めようとしてみた
合コンに参加したりもした
それでも誰よりもやっぱり吉井がよかった
結局、俺は今もずっと吉井を想い続けている
 
 
 
 
 
「悪い、待たせたな」
 
電話をおえた吉井が席へと戻ってくる
俺は煙草に火を点けてゆっくりと吐き出した
 
 
「何だって?彼女」
「あぁ。たいした用事じゃなかった」
「そっか」
 
 
それから一時間ほどして俺達は店を出た
最初に飛ばして飲み過ぎたせいもあるのか店を出る俺の足取りはおぼつかなく
吉井に 言わんこっちゃない と呆れられながらもTAXIを拾うために大通りまで出た
この時間帯は終電にもまだ十分間に合うので、結構通りにもTAXIが流している
吉井が手をあげてTAXIを止めようと通りにでた
俺はそんな吉井に歩道から声を掛ける
 
 
「吉井、お前もう帰った方がいいんじゃねぇか?終電、またなくなっちまうぞ」
「いいよ、お前心配だし。家まで一緒に行ってやるって」
「ばーか。俺は酔ってないっつぅーの」
「はいはい、酔っぱらいは黙ってな。あ、TAXI」
 
 
本当に酔っているのか自分でもわからなかった
吉井が手を挙げて止めたTAXIに俺を押し込みそのあとに続いて吉井も乗る
 
 
「久我山までお願いします」
 
 
慣れた様子で俺の住所をつげる吉井の横顔を俺は見ていた
──……吉井?
TAXIの中でちらりと見た吉井は僅かに眉根を寄せて一瞬、辛そうな表情をした
さっきの電話で何かあったのか、俺は少し心配になる
 
 
「……大丈夫、か?」
「え?」
 
 
俺の突然の言葉に吉井はまたいつもの表情に戻り笑いかけた
 
 
「あぁ、俺もちょっと飲み過ぎた」
「……ならいいけどよ……

 
 
見間違いではないのはわかっていたが、俺はそれ以上は聞けなかった
 
 
 
 
 
 
 
continue……