俺の男に手を出すな 2-Lastscene


 

 寝室へ向かった佐伯がドアを開くと、拓也はまだ眠っていた。そのまま窓際へ行き、カーテンを明けると寝室の中に一気に日差しが差し込み明るくなる。

「拓也、もう朝だぞ」

 名前を呼ばれて寝ぼけたように目をこすった拓也がゆっくりと起き上がる。何度か瞬きをし、佐伯を見上げると小さくお辞儀をした。

「おはようございます」
「あぁ、おはよう。よく眠れたか?」
「はい。とっても楽しいゆめをみました」
「そうか、良かったな」
「はい」
「じゃぁ、用意をしなさい。着替えはこっちにあるからな」

 佐伯の後を拓也はちょこちょこと着いてくる。朝の歯磨きをするというので昨日の歯ブラシを渡し、昨夜と同じように椅子をセットする。その後、寝室で着替えを手伝ってやり、といっても何も手を貸さなくても拓也は一人で着替えを済ませると自身の着ていたパジャマ代わりのTシャツを佐伯へと手渡す。

一通りの準備を済ませると二人で晶の待っているリビングに向かった。
 リビングのドアを開けると、晶がこちらに気づいて立ち上がったのを見て拓也が晶の足元へと駆け寄り抱きついている。

「お!やっと起きたか。おっはよ〜、拓也」

 足元にじゃれている拓也を抱き上げて、晶がにっこり笑うと、拓也も嬉しそうに「おはようございます」と返している。

 佐伯に対しても、会った最初に比べれば随分と態度が軟化したが、それでも晶に対する親しげな様子を見ると、全く叶わないことを思い知る。昨夜、晶が泊まってくれて本当に助かったなと佐伯は心の中で思っていた。

 しかし、それにしても騒がしい。つけっぱなしのテレビから流れている星座占いや時刻をお知らせするキャラクターの声が定期的に流れている。卓上にあった晶の携帯に興味を示した拓也は、晶と一緒にあちこちのボタンを押し、その度に着信音の種類が鳴り響いている。黒電話の音やら鳥の声やら、何一つ笑う要素が見当たらないと思うのだが、二人とも朝からどうやったらそんなに楽しい気分になれるのかと思うほどに笑っている。

 普段の日常では考えられないほどの雑音が部屋中に響いており、まるでここが保育所か何かになったかと錯覚してしまいそうになるくらいである。
 楽しいのは結構な事だが、これが毎朝続くとなるとかなり厳しいかもしれない。子供の熱量の凄さには心底驚かされてしまう。

「朝飯を食べる準備をするから、遊ぶのは後からにしろ」
「はーい」
「はい!」

 言うことを聞いてくれるだけ、まだマシなのだと思う事にし、佐伯はキッチンへと入る。先程晶へ任せておいた焼いたベーコンに少し火を入れ温めて、オムレツの横へと乗せる。
3つにわけた皿をカウンターへと並べると、晶がそれをテーブルへと並べた。

 トースターにパンをセットして数分するときつね色に焼きあがったトーストが出来上がった。それを皿にのせて持って行き、佐伯も漸く腰を下ろす。
 晶が買ってきたジュースをコップに注ぐと、拓也は小さな手を合わせて喜び、野菜ジュースよりずっと嬉しそうな笑みをこぼした。

 こうして3人で朝食を食べるという事は、今後そうないだろうと思うと目の前の光景が貴重な時間に思えてきて――たまにはいいか――と思っている自分にフと気付く。

 あっという間にすっかり空になった皿を片付けようと腰を上げようとすると、同時に晶が立ち上がった。片付けの手伝いを率先してやるとは感心だなと納得していると、どうもそうではないらしい。

「要、とりあえず座ってて。拓也はこうして目隠しして待ってる事」
「何だ?何かあるのか?」
「いいからー、そこ!黙って座る!」

 まるで引率の教師のように、佐伯に座ったままでいるように言い、佐伯も仕方なく持ち上げかかった腰を下ろす。それを確認した後、晶は拓也の後ろへ回って目隠しの方法を教えている。

「これでいいですか?」
「うん、おっけ〜!お兄ちゃんが「いいぞ」って言うまでそのままな」
「はい!」

 晶はそのままキッチンへ向かうと、先程佐伯に禁止令を出した野菜室を開け袋ごと何かを取り出した。小声で「要、でっかい皿どこ?」と聞いてくるので、食器棚の一番下の扉に入っている事を教える。

 横目でキッチンをみると、大きな皿に晶が移しているのはホールのケーキだった。真っ白なケーキに真っ赤な苺が飾られている定番のケーキである。それを見て、佐伯は晶の意図する事を理解し晶に視線を送る。
 晶は佐伯の視線に気づくと、黙っているように「しーっ」と人さし指を当てるポーズをして軽くウィンクした。

 皿に乗せたケーキに、次に隠していた引き出しから取り出した蝋燭を4本さしている。
蝋燭は多分、非常時用の物を代用しているのだろう。ケーキとあまりに不似合いな太さのそれに思わず苦笑していると、晶がポケットからジッポを取り出して順番に火をつけた。
ジュッと音を立てて4本の蝋燭に火が灯る。
 ケーキの乗った皿を拓也の前へと置くと、晶は拓也の肩を優しく叩いた。

「拓也、もういいから見てみ」

顔から手を外し、目の前のケーキが視界に映った瞬間、拓也が驚いたように後ろにいる晶をみる。

「急だったから、まだケーキ屋とか開いてなくてさ、コンビニのケーキでごめんな」

 拓也は首が痛くなりそうなほど、横に振って晶の「ごめんな」を否定する。
その後、満面の笑みで目の前のケーキをじっとみつめ興奮した様子を見せている。

「さ〜て!んじゃ一ヶ月早いけど、拓也、お誕生日おっめでとー!!」
「おめでとう。良かったな、拓也」
「ありがとうございます!!!」
「拓也、フゥーッてやってみな?この蝋燭に息をかけて消すんだよ」
「はい!」

 拓也は嬉しそうに小さな身体ごとテーブルに乗り上げて、息を吹きかける。大きな蝋燭の火は拓也が多少息を吹きかけた所で中々消えない。拓也の瞳の中で揺れる炎は、晶の優しさの色でもある。佐伯は目の前の二人の様子を眺めつつ目を細めた。
4本の蝋燭のうち、やっと最後の一本まで消すと、拓也が振り返ってにっこり笑い、晶の袖をひっぱる。

「ん?どした?」
「あの……」
「拓也、全部消さなきゃだめっしょ?後一本頑張らねーと」
「いいんです。いっぽんはお兄ちゃんにあげます。フゥーッてしてみたことないっていってたから」

 最後の一本が蝋を垂らして少しずつ短くなる。真っ白な蝋燭に灯る炎が左右にゆっくりと揺らいだ。

「……拓也」

 晶が「参ったな」とでも言うように眉を下げる。

「ぼく3つもフゥーッてしたので、さいごはお兄ちゃんがして下さい」
「サンキュ。じゃぁ……、一緒にしよっか」
 晶に頭を撫でられ、拓也が嬉しそうに「はい!」と返す。最後の灯りは晶と拓也が一緒に息を吹きかけた。
全てが消え、晶が拍手をする。

「おめでと〜!!拓也」
「おめでとう」
「はい!ぼくとってもうれしいです」

 拓也は初めて経験した誕生日の蝋燭消しを大層気に入ったらしく、消えた蝋燭をどうしても持って帰るというので佐伯は生クリームを拭って脇によけておいた。ケーキを取り分けるために、ナイフと皿を取りに佐伯が立ち上がる。手伝うために共にキッチンへと足を運んだ晶の隣へ寄ると小声で礼を言った。

「すまんな……、拓也に色々気を遣ってくれて有難う」
「何だよ、改まっちゃって、そういうの照れるから言うなって」
「そう茶化すな。お前には今回助けられてばっかりだからな。礼を言ったまでだ」
「……、本当はさ、あんな出来合いのケーキじゃなくて、拓也の名前とか入れてくれるようなちゃんとしたの買いたかったんだよ。蝋燭ももっとカラフルで誕生日っぽいのでさ……。ちょっと残念……」

 心底残念がって肩を落とす晶の耳元に佐伯が囁く。

「晶、拓也の顔を見てみろ」
「うん?」
「会ってから今までで最高の笑顔だ。どんなケーキでも、どんな蝋燭でも、拓也にとっては最高の誕生日祝いな事には変わらん。あの笑顔が全ての答えなんじゃないか」
「……うん、そうだな」

 佐伯は一度晶の肩を叩くと、そのままキッチンを後にする。再び3人でテーブルを囲み、晶がケーキを切り分ける。拓也に苺が沢山のっている箇所を大きく切って渡すと、拓也は「とてもおいしそうです」と顔の前ではしゃいで手をあわせる。甘い物が好きな晶も自分に大きく切り分けて、最後に佐伯を見る。

「要はどれくらいにする?」
「俺は少しでいい」

 本来なら、少しもいらないと言いたい所だが、折角こうして誕生日祝いをしているというのに、さすがにたべないと言うわけにもいくまい。少しでいいと言って皿を差し出した佐伯に、拓也が「おじさんはケーキが嫌いなんですか?」と首を傾げている。甘い物が苦手だと説明してもいいが、あえて水を差すような事を言う必要もないだろうと思い、佐伯は「そんなことはない」と少し笑ってみせる。

 晶から差し出された皿には、「少しでいい」と言ったにも関わらず、普通に大きいと言ってもいいようなサイズのケーキが盛られていた。

「……」
「好き嫌いはダメだぜ?おじさん。な?拓也」
「そうです!なんでも食べないといけないって、ぼくも言われてます」
「そうそ!つーわけで、残さず食えよ?要」

 何も言えない佐伯に対して、晶が悪戯っぽくニヤリとする。日頃の仕返しをされている気分で、佐伯は小さくため息をつく。別にケーキが食べられないわけではない。早速拓也と晶はケーキを食べ始め、「めっちゃ美味しい!」と晶が言えば、拓也も「とてもおいしいです!」と満足そうである。

 渋々ケーキへとフォークをさし、口に入れるとありえない程の甘さが佐伯を襲った。最近は『甘さ控えめ』のような曖昧な味が流行していると思っていたが、このケーキに関しては一切流行に乗っている気配はない。ブラックのコーヒーで甘さを誤魔化しつつ口に運んでいると、凄いスピードであっというまにケーキを食べ終えた拓也が思い出したように晶へ振り向いた。

「あ!そうだ、お兄ちゃん」
「んー?どした?」
「ぼく、さっきおじさんにも言ったんですけど。楽しいゆめをみました」
「そうなん?どんな夢だったんだ~?」
「えと、ぼくとおじさんとお兄ちゃんで動物園にいくゆめです。キリンにのったりしました!」
「すげぇな!拓也、キリンにのっちゃったんだ?」
「はい!とってもたかかったです」

 拓也はとても高いというのを手で現すようにして背伸びして精一杯手を上へ伸ばして見せた。昨日は随分と大人っぽいと思ったがこういう行動をみていると普通の子供と何も変わらない。無邪気な笑顔で話す拓也はちゃんと年相応だった。

「拓也、動物園好きなんだ?」
「はい!でもいっかいしかいった事ないです」
「そかそか。じゃぁさ、おじさんからお母さんに頼んで貰って、今度、3人で動物園行こっか」
「わぁー!ほんとうですか!?」

 晶はニヤニヤしながら佐伯を見る。

「・・・・・・まぁ、時間があったらな」

 佐伯がこういう言い方をするのは、概ねOKだという事である。――お父さん、ほんっと素直じゃねーな――晶は苦笑しつつも満足そうに微笑む。

「良かったな~、拓也。おじさんが連れて行ってくれるってさ」
「はい!」
「ひとつ言っておくが、キリンには乗れないぞ」
「え・・・・・・」

 ガッカリしたような拓也に、佐伯は『やれやれ』と息を吐き、言葉を続ける。

「まぁ、キリンには及ばんが・・・・・・、肩車をすればそれなりに高くなるだろう。それで我慢しなさい」

 そう言った佐伯をみて晶がおかしそうに笑っている。

「何だ、その笑いは」
「いやだって、要の口から肩車とか出ると思わなかったし。ちゃんとお父さん出来るんだなって」
「・・・・・・うるさい」

 晶の言った意味がわからず、拓也が交互に二人を見る。不機嫌そうな佐伯は、目の前で新聞を広げると、呟く。

「俺は今から新聞を読むから、拓也の相手は任せたぞ」
「はいはい」

 晶が拓也を抱き上げてリビングへと移動する。持ってきている電車のおもちゃをリュックから取り出すと、晶達はそれで遊び始めた。
 新聞を少し下げて二人の様子を窺っていると、拓也が電車を持ち上げてビューンと口で言いながら空を飛ばせている。絶対に電車の遊び方を間違っている。だけど・・・・・・。

――来月の誕生日は、飛行機のおもちゃでも贈ってやるか・・・・・・。

 佐伯はそう考え、苦笑すると再び新聞を持ち上げた。
まだ夕刻までには時間がある。少ししたら昼飯を準備をして・・・・・・、それから、ずっと家で遊ぶのも限界があるだろうから公園にでも連れて行けばいい。頭の中でざっと計画を立てる。
 佐伯を包む優しい時間はゆっくりとその時を刻み、少しずつ形を変えていった。