俺の男に手を出すな 4-12


 

 人の涙は、生理的な物を除き、感情が昂ぶって制御できなくなると出るのだと思う。悔しさの感情がこんなに振り切れる事など普段の生活では中々ない……。 
 晶は改めてそんな事を思いながら、佐伯の肩口へ額を当て俯く。何もわからない自分はどうする事も出来ないのだろうか、こうして佐伯を抱き締めていても、まるで掴んだ砂のように指の間から、その存在がすり抜けていく気さえする。 
 
 無抵抗な佐伯は、晶の腕をほどこうとも抱き寄せようともせず、ただ一点を見つめては何かを考えるように黙り込んでいた。 
 いつもみたいに呆れたように笑ってきたり、ぞんざいにあしらわれたりする方がずっとマシだった。 
 
「……要」 
 
 口元をその名を呼ぶように動かす、声にもならない程度の呼びかけで……。 
 晶は佐伯のYシャツをぎゅっと握って顔を見上げた。綺麗にクリーニングされ皺一つ無いYシャツが晶の手元でくしゃりと歪む。布の奥にある佐伯の心音が指先に伝わってくる。 
 嗅ぎ慣れた佐伯の匂いが、結んだ髪からも、大きく開けられた胸元からも感じられる。誰とも違う。唯一手にしたつもりでいたその匂い。 
 
 高い鼻梁に掛けられた細身のフレーム奥の鋭い眼差しも、今は数回の瞬きの後視線を落としている。大した時間が経過しているわけでもないのに、その沈黙が晶の中を徐々に渇かしていく。今すぐにでも、腕の中に居る佐伯の全てを確かめたい……。 
 
 晶はその愛しさを伝えるように顔をあげると、黙ったまま佐伯の唇へ自らの唇を重ねた。 
 冷たい佐伯の唇から、強いウィスキーの味がして、心理的に口付けを苦い物に感じさせる。 
 晶は唇をはなすと、佐伯の胸へ再び顔を埋め視線を落とした。 
 こんな甘えたような態度を取る事を、いつもなら自分が一番嫌っているのに、そんな事すら今はどうでもよくなっていた。 
 佐伯の心音が耳元で鳴り響く。その鼓動に促されるように、晶は静かに話し出し、佐伯は黙ったまま晶の声に耳を傾けていた。 
 
「……要、俺さ……要の事、確かに知らない事いっぱいあるかもだけど……。このままじゃ、いつまでたっても、わかんねーままじゃん。……それは、どうしても嫌なんだ」 
「…………」 
「今までは、要が言いたくないなら聞かないでいたほうがいいって……、ずっとそう思って我慢してきた……。俺達、男同士だし……、もうガキじゃねぇからさ……。そういう一歩引いた付き合いが正しい付き合い方なんだって……納得するようにしてきたっつーか。でもさ……、俺、ホントは何でも聞きてーの……。くだらない事も、大切な事も、要の事は何でも知りたい」 
「……、……」 
「それで……、要がもし……。そういう俺の事、うぜぇなって嫌いになっても……、それでいいって、今思って話してる……」 
「……晶」 
「だってさ、本当の俺は、そういううぜぇ奴なんだから……、仕方ねぇよな……。もう、誤魔化すのは、やめようって決めたんだ……」 
 
 暫く晶はそのまま佐伯の体温を感じていた。 
 自分の一番落ち着ける場所でもあり、一番大事な場所なのだ。嫌いになっても……、それでもいいと思っていると口にしたのに、言葉とは裏腹に晶は佐伯の胸から離れることが出来なかった。1 mmでも近くにいないと不安になってくる。 
 
 目を閉じていると、佐伯と過ごした様々な光景がめまぐるしく瞼の裏を駆け抜けた。 
 しょっちゅう喧嘩もしているし、甘い想い出と呼べるような事もそんなに多くはなかったかもしれない。だけど、その光景の中にもし佐伯がいなかったら、見える世界は色褪せて、きっと無彩色なのだろう……。 
 場所も、季節もどうでもよくて、互いがその場所にいたからこそ色付いて思い出せるのだ。 
 
 晶は佐伯のシャツを掴む指に力を込める。 
 大好きだとか愛してるとか、そんな甘い感情じゃなくて。――もっと本能的で単純な物。 
 渇いた心も体も、自分のそれを満たしてくれる相手は佐伯しかいないという事実。どうしようもなく、自分にとって――――ただ必要なのだ。 
 佐伯の身体が僅かに動き、胸元を握る晶の手に佐伯は自分の手を静かに重ねた。 
 
――要……? 
 
 自分の髪を佐伯の指が撫で上げるのを感じて、晶は閉じていた目を薄くひらいた。 
 
「……晶」 
 
 小さく名前を呼ぶ佐伯の声がいつになく優しすぎて、こんな時に卑怯だなんて思いながらも堪えていた涙が一筋だけこぼれ落ちる。晶は奥歯をギリッと噛みしめ強引にそれを止めた。格好悪いとか、そんな事はどうでもいいくらいにホッとしていた。 息苦しいような感覚がすっと消えていくのが分かる。 
 
 佐伯は晶を胸元から離すと、見上げた晶の涙を親指で拭い、その後、唇を覆うように口付けた。 
 潤んだ瞳に零れそうに溜まる雫にも唇を這わし、瞼へも口付けが落とされる。睫を唇ではまれ、くすぐったさに幾度か瞬きをする。先程の口付けとは全く違う、……優しい口付けだった。 
 佐伯の薄い唇が口付けを落とすたびに、柔らかく交わされる熱に晶も口を少し開く。隙間を埋めるように繰り返し口付ける佐伯は晶の舌へ自身の舌を絡ませた。 
 
 いつも感じていた佐伯の体温も、そして存在も全て。自分の手の届くところで存在していることが、晶の胸を熱くさせ、零れていく濡れた吐息が、小さく唇から綻ぶ。 
 晶も舌を差し入れると、佐伯が目を瞑ってその甘い吐息と共に絡め取っていく。 
 
 こんなにも求め合っているのだ。互いに同じ重さで、同じ想いで、佐伯も晶も同じ事を思いながら暫く余韻を楽しむように何度も唇を重ねた。 
 
 最後に軽く啄むように口付けが落ち、その唇が漸く解かれる。佐伯が晶を見て困ったように息を吐き、少しだけ表情を緩めて観念したように髪をかき上げた。 
 
「楽しい話じゃ無いが……、それでも、聞きたいか?」 
「――うん。聞きたい」 
 
 頷く晶に佐伯は「わかった」とでもいうように頷くと、一本煙草を取り出して火を点けた。煙と共に静かに告げられる言葉を晶は一言一句漏らさぬよう耳を傾ける。 
 
「それで? ……お前は何処まで知っているんだ?」 
 
 佐伯は、晶にそう言うと自身の中で整理をつけるように一度目を瞑る。 
全てを聞きたいのだと自ら主張したからには、佐伯がどんな話をしてきても受け止めなくてはいけない。 
 晶は一つ一つ確認するように佐伯に答えた。 
 
「えっと、……茗渓大ってとこが大阪にあるって事と」 
「…………」 
「そこに要が誘われてて……。でも、まだ返事をしてないって事。聞いたのはそれだけ……。具体的な事は、知らないんだ」 
「……そうか」 
 
 佐伯はもう誰に聞いたのかという事は追求せず、何度か深く頷くと暫く考えるように咥えたままの煙草を再び肺の奥深くまで吸い込んだ。整えられたスラリとした指の間に煙草を挟んだまま徐に口を開く。 
 
「大阪にある茗渓大付属病院から、消化器外科に助教授として迎えたいと打診があったのは本当だ。だがはっきりとした決定事項はまだない。話を受けた当初はお前をこっちへ残して行く事を迷っていたんでな……」 
「……やっぱり、俺のせい……?」 
「勘違いするな。俺が勝手にそう考えていたというだけの話だ。それに、結局俺は仕事を優先する結論を出した」 
「……うん」 
 
 恋人より仕事を取ったのだとこうして言われても、佐伯を責める気は全くなかった。男にとっての仕事はそんなに簡単に手放せる物ではないのもわかっている。 
 佐伯は一度話を切ると、小さく溜め息をついた。 
 
「だが、腑に落ちない点が幾つかあってな……。それを調べているうちに、本当の意味を知ったんだ。俺が選ばれた理由を、な。だから、お前に話すのは全てが決まってからにするつもりだった……。現状一種の賭けをしている状態で結果はまだわからない」 
「……賭けって? 何かあった……?」 
「先日、見知らぬ女と見合いをさせられそうになった」 
「……え!? 何だよそれ……意味がわかんねーんだけど……」 
 
 驚く晶に、佐伯がかいつまんで説明する。 
 佐伯曰く、茗渓大は最先端の機器を先駆けて導入するなど技術面では先進的だが、その内部の医局は対照的に昔のままで、系列病院の結束は固く、腕が立つとはいえ佐伯のような全く関係のない外部の病院からの推薦というのは本来ありえない古い体制なのだそうだ。 
 
 ならば何故、佐伯が選ばれたのか。 
 そんな茗渓大の態度を不審に思い色々調べた結果、佐伯は、現在茗渓大で囁かれているとある噂を入手したらしい。次期助教授になる人間には、現教授の娘と婚約させ、医局を派閥で固めようとしている話があるという事。 
 
 消化器外科界で腕の立つ医者は佐伯の他にもいるが、ほとんどは何処かの息のかかった人物である事が多い。その点、何処にも属さず腕の良い佐伯は、茗渓大グループに迎え入れるには最適な人材と言えた。独身者であるという事も一つの条件だったのだろうと佐伯は言う。 
 先日の食事の席でそれは確信に変わった。と最後に付け加えられた。 
 
「……それって、政略結婚とか言うやつ?」 
「そんなような物だな」 
「……それじゃぁ……要は、その条件……」 
 
 焦って先を急かす晶の言葉を遮るように、佐伯は首を振った。 
 
「外科医は最終的には腕だ。様々な症例のオペを一つでも多くこなし結果を出す。いくら出世の為とはいえ、見知らぬ女と所帯を持つほど俺は酔狂じゃない」 
「……でも、そんな都合良くいくのかよ。見合いはしない、けど助教授にはなるって……」 
「それが俺がさっき話した賭けだ……。来週、茗渓大で公開オペがあり、その執刀医を引き受けている。高度な技術を要求されるオペだ……。うまくいくかは俺にもわからん。そのオペを成功させて助教授になるという条件と引き換えに、俺のプライベートを今後一切詮索しないという約束を取り付けた。成功させれば、見合いを断ってもお前の事を探られることもない」 
「…………、そんな」 
「――お前をこの件に巻き込みたくなかった……」 
「……」 
 
 自分の為にそんなリスクの高いオペを引き受けた事など勿論知らなかった。想像していたより話はどんどん進んでいて、晶がどうする事も出来ない場所まで来ているように思えた。 
 自信家の佐伯が「うまくいくかわらない」と口にする程の手術、それを目前に控えた佐伯のプレッシャーは計り知れない物なのだろう……。 
 
「……なんでそんな賭けに乗ったんだよ。俺に迷惑がかかるかもしれないから? だったら、一言相談してくれたって良かったじゃん……。他にもっと別の方法だって探せばあったかもしれねーだろ」 
「晶、冷静に考えて見ろ。……ホストが同性愛者だとバレたら、お前の客はそれでも指名をしてくると思うか?」 
「え……、何だよ急に……」 
 
 晶は咄嗟に言葉を返せなくなった。 
 疑似恋愛で女を酔わせるホストという職業を理解している客でも、もしかしたら本当の恋愛になるのではないかと期待をしているものなのだ。たとえ相手が女でも、恋人がいると知られるのは致命傷でもある。 
 
「……俺は、お前がどれだけ自分の仕事にプライドを持ってやっているか理解しているつもりだ。俺の事情でこの先……、お前が築き上げた今までの物を奪う事だけはしたくない」 
「……要」 
「……もしこの件が失敗したら、俺にはもう切り札がない。そうなったらお前とはけじめをつけて別れてから大阪へ行く予定だ」 
「……え、何言って……」 
 
――別れる……。 
 
 佐伯から発せられた言葉が胸に刺さり、引き裂かれるような痛みを伴って響いてくる。 
 佐伯は自嘲するように少し笑うと小さく続けた。 
 
「そう割り切って引き受けたつもりだったんだがな……、オペを失敗して出世の道が閉ざされる事より、失敗してお前を失うかも知れない事の方が今は怖い……。酒で紛らわしたくなる程度にはな」 
「……、……」 
「俺は……、仕事もお前も両方手にしたい欲張りな男なんだ」 
 
 佐伯はそう言い切ると、笑わないのか? と俯いた視線のまま苦笑した。 
 
――笑えるはずが無かった……。 
 
 怖いのは当然だし、自分の未来だけでなく、恋人のその先までを背負って挑むのだ。精神的に強い人間でも不安があるのは当たり前だと思う。誰にも言わず来週というすぐそこにそのオペが迫っている現実に一人で立ち向かおうとしている佐伯は、それだけで尊敬するほどに強い男だと晶は思う。 
 
 人生の中でこれからも、チャンスは何度かやって来るかもしれない。しかし、それは誰にもわからない事なのだ。佐伯に巡ってきたチャンスが今目の前にあるなら、晶はそれを掴んで欲しかったし、佐伯の中にある不安要素に自分が絡んでいるならそれを消せるのは自分だけだと思った。 
 
「……要」 
「……ん?」 
 
 晶はふぅと息を吐くと自分の煙草をポケットから取り出し火を点ける。晶の頭の中では、すでに茗渓大でメスを握る佐伯の姿が浮かび上がっていた。それはやはり輝いてみえて、自慢の恋人の姿だった 
 今、自分が佐伯にしてやれる事はたったひとつしかなくて……。 
 
「俺……、もし要がそのオペに失敗して、俺との事が公になったとしても別れるつもりねーから」 
「……晶? お前、さっきの俺の話をちゃんと聞いていなかったのか……?」 
「聞いてたっつーの。俺さ、誰と付き合ってるとかそういう噂で潰れるほど、甘い仕事してきてねーよ……。俺は俺で、それは何があっても変わらないはずじゃん。既存のやり方に従うことはないって教えてくれたの、要だろ?」 
「…………」 
「普通のやつが出来なくても、……俺はやってみせる。俺は……、絶対に潰れないし――誰にも潰されない」 
「……晶」 
「だからさ、俺の事は気にすんなって。俺、もう十分だから……、要がさっき、『失いたくない』って思ってくれてるって聞いて、すげぇ嬉しかったぜ……。だから、安心してオペしてこいよ。どっちに転んでも俺は別れないんだから、ちっとは気が楽だろ?」 
 
 晶はそう言ったあと、照れ隠しのように佐伯の唇へキスをし小さく呟いた。 
 
「……俺にも見せろよ……、要が、No1になる所……」 
 
 晶が佐伯の髪へ鼻先を埋める。佐伯はそのまま顔を見せない晶に腕を回し抱きしめた。 
 
「……晶、」 
 
 有難うと礼を言う代わりに、同じ声音で佐伯は晶の名を囁く。 
 安心したように身を預ける晶の項を撫で上げるように佐伯の指が動き、そのまま背もたれへ寄り掛からせる。 
 
 佐伯の方から覆うように口付けをされ、晶は躯が疼くのを感じていた。瞬間的に甘さを増す口付けは、交えるほどに深くなっていく。久々の感覚に徐々に体内で熱が覚醒していくのが感じられる。 
 
「んっ。要のキス――めっちゃウィスキーの味するし……この酔っ払い……」 
 
 苦笑混じりで眉を寄せる晶に佐伯は、そうか? と少し微笑んでみせる。 
 
「……お前も飲めよ。気にならなくなるぞ」 
 
 佐伯は腕を伸ばすとグラスに残った僅かなウィスキーを口に含み、濡れた唇をそのまま晶へと重ね口移しで飲ませる。 
 
「……んんっ……」 
 
 冷たい琥珀色の液体が喉へ流れおち、晶の喉仏が上下する。渇いた喉が潤うと共に染み渡るアルコールに晶は軽い酩酊感を覚えて佐伯を見つめた。ここ数日酒を飲んでいなかったのに急に度数の高い物を飲ませられたからである。 
 口移しのウィスキーがいつもより甘く感じて、その余韻を味わうように唇を舐める。 
 
「……俺、病み上がりなのに……。ストレートで飲ませるかな、普通」 
「心配するな……。酔ったら介抱してやるよ」 
 
 耳元で低く囁く佐伯の声音に晶の躯がびくりと動く。 
すでに慣れた佐伯の指の動かし方で、いとも簡単に悦くなる晶の躯は酒の力をかりなくても十分なほどで……。 
 皮膚から伝わる感触で、また熱が上がったのかと錯覚しそうなほどに頭がクラクラしてくる。 
 こうして抱き合うのも凄く久し振りな気がして、求めるように佐伯へと躯を寄せた。不安感が消え去った躯は正直で、目の前の佐伯の息づかいにさえ過敏に反応を示す。 
 
 耳朶を悪戯に甘噛みされ、舌を這わす佐伯の濡れた音が届くたびに小さく声が漏れる。指先で躯をまさぐられ、微弱な快感にぞくりとする。 
 
「……要、もっと触れよ……」 
 
 晶は佐伯の愛撫を受けながら腕を伸ばして佐伯のシャツを脱がし、自らも脱ぎ去ると熱い躯をぴたりと合わせ深く息をついた。もどかしくベルトを外すと、佐伯の手で下肢に残る衣類を剥ぎ取られる。 
 
 
 
 
 
 寄り添う晶に愛おしさが込み上げて佐伯もまたゆっくりと息を吐く。晶を見つめたまま、フと昔の自分を思い出し、少しずつ変化している自分の感情に気付かされていた。 
 自分の考えを人に話す方ではない佐伯も、最初からそうだったわけではなかった。いつから自分はこんな性格になったのか等、振り返った事もなかったが、やはり育った環境のせいもあるのだろう。 
 
 幼少の頃から甘えることは許されず、自身のことは何でも自分で決めなければいけないのだと両親に教え込まれてきた。それで成功すれば選択が正しかった喜びを得る事が出来るし、失敗しても自業自得で諦めがつくという考え方だ。 
 
 そのせいもあり、物心が付いた頃には、人に意見を求める言動もしなくなったし一切他人を頼る事もなく、全て一人で決め、行動してきた。その事によって相手がどう思うかさえ、あまり考えた事も無いように思う。 
 所詮皆、別の人間なのだから理解し合う必要は全くないのだと思っていた。晶の肌を掌に感じながら、佐伯の中に先程の晶の言葉が響く。 
 
――このままじゃ、いつまでたっても要の事わからねーじゃん。それはどうしても嫌だ。 
 
――わからないのは当然の事で、知る必要性があるのか? 
 
 瞬間的にそうよぎった自分がいた。 
 
 なのに、晶はわからないという事が酷く悲しそうで、こんな自分を理解したいのだと真剣に訴えていた。 
 そして、佐伯のせいでこの先降りかかるかも知れない困難を受け入れる覚悟があるという。 
 
 腕の中にいる晶に視線を落とすと、艶のある双眸で見つめ返してくる。吸い込まれそうなその瞳に、佐伯は情欲を掻き立てられ、もう一度唇を重ねる。少し乱れた甘い吐息が伝い佐伯は目を閉じた。自分を理解し、受け入れ支えてくれる存在がいる事は、こんなに心強い物なのだ。 
 
「……あきら」 
 
 名前を呼べば、その声が届く場所に晶がいる。佐伯は、もう一度静かに愛しい者の名を呼んだ。 
 寄りかかっている晶の背中へゆっくりと腕を回す。 
すでに力を抜いている晶の躯は佐伯の腕の中で重みを増し、見上げた晶の真っ直ぐに佐伯を見つめる瞳と視線がぶつかる。 
 
 ほんの僅かに紅潮した頬に、乱れて散らばる薄い色の前髪。潤んだ瞳も全て誘うように佐伯へ向けられている。回した腕には、早まった鼓動が伝わってきた。 
 
「俺、すげぇ……渇いてんの」 
 
 体を起こし、耳元へ寄りかかって佐伯の首筋に舌を這わせ愛撫しながら晶が囁く。晶の指が佐伯の胸を滑り心臓の辺りでそっと止まる。 
 
「躯も、……ここも。早く、要で満たせよ……」 
 
 長い髪を手で掴むと、晶の掌の中でそれが滑り落ちる。幾度か佐伯の胸の突起に口付けながら、晶の愛撫は次第に上へと上がってくる。佐伯の浮き出た鎖骨を甘噛みし、きつく吸い上げて跡を刻む。晶の髪が皮膚を撫で、再び唇へ戻ってくる。晶が深く口付けながら腰を浮かせて佐伯の上へとずれると、既に硬くなっている剥き出しのペニスが佐伯の腹へと触れた。 
 
 感じていると言葉にせずとも、佐伯の中の体温が晶の愛撫で上昇する。 
 舌を返し、互いにもつれるように絡めながら奥に何かを探すように口内を蹂躙する。佐伯が膝に座る晶の前で揺れるペニスをそっと握り込むと、口付けながら晶が息を呑むのがわかった。 
 
「う――、っ……は、ぁっ」 
 
 震える睫を切なげに伏せると、堪えるように息を吐くその背中をなでる。左右に美しく浮き出た翼骨をなぞり、腰へ指一本で降りていけば辿った指先の熱に晶は躯を小さく揺らす。 
 指の腹でペニスの先をなで、濡れて糸を引く滴を広げるようにしながら、佐伯は口付けを解くと、その唇を晶の小さく尖った胸の突起に移動させた。 
 
 舌でねぶるようにざらりと舐めて、濡れた音を立てて口に含む。尖らせた舌先で巧みに転がし、時々強く吸えば、下にある晶のペニスの先からじわりと蜜が溢れ出す。 
 
「――要……、」 
 
 佐伯の口の中で腫れたように疼く乳首に、じんわりとした快感がつのっていく。わざと強い刺激を与えず、焦らすように続くそれに、晶は堪らない気分になった。 
 薄く目を開けつつ佐伯の愛撫を追っていく感覚。翻弄されていくのに身を任せるこの感覚は男同士じゃないと得られない物だ。俯いた先には、自分のペニスより大きな佐伯のソレが同じように頭をもたげているのが視界に写り、躯が欲して急かす。 
 
「ん? ……晶?」 
 
 急に躯を寄せ、佐伯の背後に腕を伸ばす晶に佐伯が訝しげに声を掛ける。クッションに手をくぐらせて奥を探すと目的の物が指へと触れた。何度かこの場所でSEXをしているので、その在り処もすっかり覚えていた。 
 取り出した潤滑剤を見て、佐伯が苦笑する。 
 
「随分と性急だな……もう我慢が効かないのか?」 
 
 口元を歪め、面白そうに晶を見る佐伯に、いつもなら言い返しているところだが、熱の篭もった躯が晶の言葉を変化させていた。 
 
「……要と、繋がりてぇんだよ……いいだろ? ……」 
 
 熱い吐息と共に誘う言葉を口にする晶に佐伯は一瞬息を呑んだ。澄んだ瞳の奥に激しく燃えさかる情欲の炎が見え隠れする。酷く敏感になっているらしい晶の躯は、佐伯が腰骨のラインをなでるだけで小さく官能的な息を漏らした。 
 
 佐伯は晶を足の上に抱え直すと、先ほどの潤滑剤を指にとって蕾へと伸ばした。 
 慣らす時間さえもどかしいとでも言うような視線を佐伯へ向ける晶は、焦れた腰を僅かに揺らす。 
 指に絡めた潤滑剤は、すぐに指の温度で温み始め溶け出して卑猥な音を立てる。 
 
 肩口へ吐息をかける晶の腰を片手で抱え、佐伯はツプリと指を差し入れた。瞬間、痙攣したように弾む晶の躯を宥めるようにさすり、佐伯はそのもっと奥へと指を増やして侵入していく。絡みつく粘膜を探り、指先を曲げて覚えている快楽の在り処を優しくこすると、晶の鼻から抜けたような声が佐伯の耳へ届く。 
 
「……ッぁ……。つっ……く」 
 
 熱い晶の中で指が締め付けられるのを感じ、佐伯は満足そうに口端をあげた。まるで内部が見えているかのように的確に擦ってくる佐伯の指は本数を増やし、広げるように中で蠢く。 
 浅い部分で抜き差しされるだけでもすでに張りつめた晶のペニスは達しそうになっていた。行き来する佐伯の指がズルリと抜かれ際の襞を開くように揉みほぐされれば、熱くなった晶の中は貪欲に次の物を欲して堪らなくなる。 
 
――佐伯が欲しい。 
 
 その事だけが、痛みや不快感を消し去り、快楽に溺れる躯を疼かせる。自身のペニスの先が、佐伯のそそり立ったソレと前で触れて、晶の先走りでぬるりと擦れ合う。それさえも強烈な愉悦へと変わって追い立ててくる。 
 
「ぁ……っ……う、ん」 
 
 指が抜かれ、空虚になったそこへ佐伯が手を添えて熱い先端をあてる。入り口へ触れるだけでゾクゾクする快楽が背筋を駆け上る。腰を落とすように促す佐伯に従って、潤滑剤で濡れた蕾を当て、晶はゆっくり息を吐きながら自ら腰を沈めた。 
 
 指とは全く違う熱い雄に自分の中が急速に満たされていく。内壁が佐伯のペニスに絡むように形を変え、意識とは無関係に貼り付いて収縮を繰り返した。 
 すっかり飲みこんだ瞬間、佐伯も詰めていた息を吐き出す。 
 
「――ん、大丈夫か?」 
 
 佐伯にかけられた声に返事を返さないまま、晶は体を震わせ前屈みになると、小さく呻いた。眉根をきつく寄せて呼吸を止め、佐伯の肩を掴んでいる指先が爪を立てる。 
 
「っっ、ぁッ……っう……っく、、」 
「……晶?」 
 
 晶のペニスの先から、勢いよく精が放たれ佐伯に飛散する。貫かれただけで達してしまうなんて初めてで、咄嗟に羞恥で晶は視線を下へ走らせた。止まらない射精感に淫らな白濁が次々に溢れては竿を伝う。 
 
「っ、んッ……、悪ぃ……、イっちゃった……」 
 
 佐伯は胸を濡らす晶の白濁を指に絡めるとニヤリとする。 
 
「――ほう、珍しいな。折角だから、今夜は酷く敏感なその躯を、もっと味わわせて貰おうか」 
 
 イったばかりのまだ脈打つペニスを佐伯は容赦なく握り込み、カリの部分を親指で押し上げて刺激する。鈴口を弄られ残りの精液を絞られれば、強すぎる愉悦に、佐伯を咥えこんでいる後孔が勝手にきつく締まる。 
 
「っっ……ん……っ……。やめ……、触んな、って」 
「……自分だけ勝手にイくとは身勝手だな。ほら、もっといい声を聞かせてみろ」 
 
 晶の中で佐伯のペニスが一層硬くなって膨張する。ゆっくり律動を繰り返し始める佐伯が内臓を押し上げる感覚は、苦しさだけではなく繋がって一つに溶け合っている事を躯に刻む。その圧迫感のまま突き上げられると、一気に全ての快楽の場所が同時にぐりぐりとこすられて何も考えられなくなる。 
 佐伯の僅かにあがった息づかいが随分遠くで篭もって聞こえるような気がした。 
 
「ぁッ……、ぁっ……ッ。――んん、か、なめッ……」 
「随分締め付けてくるな、引き千切られそうだ……っ」 
 
 きつく締め付けてくる晶に佐伯も眉根を寄せると低い声を漏らす。佐伯の突き上げに合わせて、より奥へと誘い込むように晶の腰も揺れる。頭の中はもうぐちゃぐちゃで、ただただ快楽を司る神経だけが研ぎ澄まされていく。 
 力強く叩き付けてくる佐伯のSEXには慣れているはずなのに、躯はいつまで経っても全力で受け入れるのが精一杯で、余裕なんかこれっぽっちも見当たらない。 
 
 濃厚で噎せ返るような悦楽は与えた分以上に返ってくるのだ。 
 こめかみから伝う汗が、晶の泣きぼくろをツーッと伝い、顎からぽたりと落下した。 
 
「かなめ、っ、……、っぁ、ぁ、俺、またイ……そう……っん」 
「……ああ」 
 
 晶の白い肌に落ちた、伏せ気味の長い睫の影が目元で時々愉悦に震えている。 
 佐伯はそんな晶に目を細めると、喘ぐように息を継ぐ晶の喉仏が上下するのをじっと見つめていた。 
 官能を象ったような薄い唇から、吐き出される呼吸。美しい流線型を描く顎から首筋のライン。晶を造るその造形のひとつひとつが佐伯を掻き立てる。 
 
 溶け合う感覚に堪らない快楽を感じながら、またイきそうだという言葉通り張り詰めた晶のペニスを同時に片手で扱く。蜜を絶え間なく溢れさせ、それは佐伯の指を濡らした。 
 浅く息継ぎをし、絶え間なく喘ぎながら晶が眉をきつく寄せる。佐伯が晶のペニスを巧みな指使いでぎゅっと上へ導く。 
 
「は、ぁっ……っぁ……うッ……ぁ……要…っ!」 
 
 長引く愉悦に躯が震え、うわずりそうになる声を殺すように晶は目を閉じる。 
 佐伯の指先が鈴口を割った瞬間最奥を貫かれ、躯を強張らせて二度目の精を放った。強すぎる快感に一瞬意識が飛びそうになり、とろけるような快感を孕んだ幸福感に躯が痺れていく。 
 
「――晶」 
 
一度晶の名を呼んだあと、佐伯も追従するように肉を割って押し入ると、欲望を散らせた。 
 抱いているのは自分なのに、晶に抱かれているような不思議な感覚が佐伯を一瞬包み込む。 
 佐伯は、深く息を吐き出した。 
 
 
 
 
 未だ繋がったまま寄りかかってくる晶の体温が愛しさと比例する。ゆっくりとペニスを抜くと晶の躯が脱力したように重さを増した。 
 
 もう暖房は消した方がいいのではないかと思うほどに互いに体温があがっている。じわりと滲んでくる汗をぬぐい、佐伯は晶の前髪を掻き分けて額へと口付ける。 
 晶が腕の中で視線だけをあげ、未だ乱れて弾む呼吸の合間に口を開く。 
 
「なぁ、……満足、できた?」 
「出来てないって、言った場合は、……どうするんだ?」 
 
 まさか、質問に質問で返されるとは思ってもおらず返事に躊躇っていると、佐伯がそれをみて苦笑する。 
 
「それは……、えっと……、もう一回ヤる、とか?」 
「なるほど? 明日、起きれなくなっても知らんぞ」 
「え……、違うって、聞いただけ。マジで」 
「お前が誘ったんだ。責任を取れよ」 
「そういう意味で言ったんじゃねーよ……、ちょ、待てって。俺、もう結構、体力やばいんだけど」 
 
 佐伯は不敵な笑みを浮かべて、晶をソファへと押し倒した。見下ろしたまま掌で晶の頬を撫でる。 
 
「仕方がないな。体位を変えてやる、後ろを向け」 
 
――そういう意味でもない。 
 
 喉元までそう出掛かったが、背中から抱き締めてくる佐伯がやはり愛しくて、触れられれば満更でもない自分がいる。まだ自分も欲しているのだと貪欲さに呆れもするが、本能のままに気が済むまでするのも悪くない、と思った。 
 
 後ろから愛撫され佐伯の息が首筋をなでて、宙に浮く双袋を大きな掌で悪戯に揉まれれば、自分でも驚く程にペニスは簡単に形を変えて立ち上がる。 
 繊細な指先が繰り返す愛撫は心地悦くて、あっという間に体内に熱がほとばしった。 
 
「……かな、め」 
「何だ……」 
「……、ううん、何でもない……」 
 
――愛してる。 
 
 きっとそれは言葉にしなくても届いているはずだから……。 
 
――何度でも。感じていたい。佐伯の全てをこの躯で、心で。 
 
 晶は再び揺れ出す視界に満たされるのを感じて、二度目の快楽の扉へ手を掛けた。