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 明々とつけていた部屋の照明が少し眩しくて、澪はリモコンを手に取ると明るさを絞る。様子を窺っていると、暫くしてから椎堂は顔を上げ、入ってきたドアの方をじっと見つめていた。寸分の隙間もないほどに埋められた睫の下で不安げに揺れる双眸は、暗く沈んでいる。しかし、その奥にはいつも通りの澄んだ色をした椎堂の瞳があり、そこには静かな覚悟を感じる事が出来る。 
 
 「あのね」と一言言った後、椎堂は言葉を区切って震える唇を一度結んだ。澪が一度促すように「うん」と返事をすると、椎堂が漸く口を開く。 
 
「……僕、……好きな人と、セックスが出来ないんだ」 
 
 この内容については先日の事があって薄々感じていたので、予想していたことが確信に変わるに過ぎない。しかし、「好きな人と」という限定された言い方が引っかかった。 
 
「最初から言わなくて……ごめん……」 
 
 椎堂の言うセックスが出来ないとはどういう意味なのだろうか。体の問題? それとも他の理由で……? 急かさぬようにゆっくりと澪が詳細を問う。 
 
「セックスが出来ないって、どういう事? 好きじゃないとか……そういう事じゃないよな?」 
 
 椎堂が黙って首を振る。 
 
「うん、そうじゃないけど。その……、勃たないんだ……」 
「…………え」 
「えっと、だから、僕の場合、厳密に言えばセックスが出来ないわけではないって事なんだけど……」 
 
 同じ男として、これほど相手に話しづらい事はないだろう。特に恋人相手にこの告白をするのは勇気の要ることである。内心驚きつつも、それを気取られぬように努めて、澪は静かに問いかけた。 
 
「……いつから?」 
「だいぶ前、……本当に好きな人相手だと、怖くなって勃たなくなっちゃう……」 
 
 そういう病気がある事も知っているが、調べた事も無いので知識は全く無かった。先程から椎堂が『好きな人相手』と強調しているところをみると普段は普通なのかも知れない。こういうデリケートな問題の場合、どう聞くのが正しいのだろう。澪の中でいくつか言葉が思い浮かぶが、うまい返し方が見つからず、結局思ったままの疑問を投げかけてみる事しか出来ない。 
 
「……自分でする時は出来るって事?」 
 
 椎堂が一瞬返事を躊躇ったあと、頷く。 
 
「うん、……。自慰行為はだいたい出来るし……。えっと……」 
「うん?」 
 
 言いづらい事なのか、椎堂の言葉が再び止まる。澪はその答えを待って静かに目を閉じた。頭の中で順番に整理していかないとと思う物の、こんな事は初めてで全ての答えに返すべき正解が見つからない。椎堂が震える呼気を長く吐き出して、声を詰まらせながら何とか続ける。 
 
「軽蔑するかもしれないけど、……一晩限りの相手とか、そういう気持ちが伴わない相手とは普通に勃つ時もあるんだ。EDの治療もやったし、薬も飲んでみたりしたけど……効果は無くて、今もそのまま……」 
「……そう、なんだ」 
「それで、……僕は、経験があまりなかったから、慣れればもしかしたら治るのかなって……」 
「…………うん」 
「最初は、その手の盛り場へ行って、何人もの男性相手とその場限りの関係を持った時期もあってね……。感覚が麻痺するくらい何度も抱かれて……、だけど、結局何も変わらなかった。……もう、だいぶ昔の話だけど……」 
 
 その後の話で、大学時代に澪の執刀医だった佐伯と交際していた事、だけど今回と同じ事が原因で体の関係を持たないまま自分から別れを告げた事。堰を切ったように一気に話した椎堂が、隣の澪に恐る恐る視線を送る。話している間は一度も澪と視線をあわせる事が出来なかったからだ。 
 澪は考え込むように目を閉じたままいて、緩く組んでいる腕は微動だにしない。 
 
「僕は、本当は誰かを好きになって良い人間じゃないって、わかってたのに……。澪を好きになって、もしかしたらこのままうまくいくんじゃないかって、騙してた言い訳にしか聞こえないかも知れないけど……、本当にそう思ってたんだ。でも、この前のことではっきりわかった。やっぱり治ってないって……だから、こうして澪を困らせてるんだけど……」 
 
 澪は椎堂が語る話を静かに聞きながら唇を噛みしめた。 
 椎堂がセックスが出来ないという事実より、椎堂が過去に経験してきた好意を伴わないセックスの数々に、当時の椎堂がどれだけ精神をすり減らしていたのかを考えると胸が苦しくなる。椎堂は遊びでそういう行為を楽しめるような性格ではない。そして、これはドラマでも何でも無くて、紛れもない椎堂が経験してきた過去の話なのだ。 
 多分その中には遊びだからと酷い抱き方で満足するような独りよがりの相手も沢山いたのだろう。 
 想像すると痛ましくて、重い現実を見たくない自分もいる。昼に高木が言っていた言葉がフと思い出された。 
 
『……どこか思い詰めている感じだったんだ。何度もその顔を見ちゃってね。蒼ざめた顔でフラフラの状態でバイトに来る日もあって……』 
 
 その当時の椎堂がちょうど高木と知り合った頃だったのだろう。周りには隠していたはずなのに、傍目から見てもそこまでわかるほど憔悴していたのだから、今の自分が簡単に「辛かったな」等とは返せなかった。 
 もっと早く、椎堂がそうなる前に出会えていれば……。考えても仕方がない事だが、悔しさに思わず奥歯を噛みしめる。 
 
 枕元に置いてある目覚まし時計の秒針の音がやけに大きく響く中、互いに次の言葉を探し続ける。澪の俯く視線の端で、椎堂が何度も指を組み替え小さく震える手を押さえ込んでいる様子が窺える。澪がそれをみて、静かに口を開いた。 
 
「……原因は……? 誠二は、自分でもわかってるの?」 
「……うん」 
「話せるなら、聞かせて」 
 
 責めるつもりはないし、こんな事で椎堂に対する感情に変化があるわけではない。しかし、少ししてぽつりぽつりと話出した椎堂の過去の出来事。それは澪が想像していた物よりずっと残酷な話だった。 
 
「僕は前にも言ったけど、女の人が最初から全く駄目なんだ。……それで、高校の頃にね、同じ部活の先輩を好きになって、初めてそういう関係になったんだけど……」 
「……この前の、写真の人?」 
「……うん。……先輩とはセックスをしていたけど、付き合っているわけじゃなかったんだ……」 
「……どういう意味?」 
「僕は本気で恋愛をしているつもりだったけど、先輩にとってはただの遊びだった……。僕はそれに気付いてなかったんだ……。恋人なんだって浮かれてて、先輩が喜ぶことなら何でもしたし、セックスも痛いだけだったけどそれでもいいって思ってた。ほんと馬鹿だよね……。遊びだったんだって気付いた時にはもう、体も気持ちもボロボロで……。二度と誰も好きにならないようにしようって、その時思ったんだ。それ以来、体の関係を持つのが怖くなって……」 
「…………」 
「あ、でも、先輩は別に悪くないんだよ? 僕が勝手に勘違いして、恋人なんだって思い込んでただけだから……」 
 
 椎堂の過去の相手に嫉妬をするほど狭量ではないと思っていた。――それが普通の幸せな恋愛であるならば。 
 自分だって高校の頃などは深く考えることも無いままそういう行為に及んだ事は数え切れないほどある。 
 
 だけど、先輩は何も悪くないのだと庇う椎堂の言葉を聞いていると、年月か経った今もなお椎堂を縛り付ける元凶となっているその男に、苛立ちよりもっと静かな怒りが湧いてくるのを抑えきれない。 
 椎堂にとってのセックスは、愛を確かめるためでも、気持ちよくなる為でもなく。ただ痛くて怖い事というイメージが忘れられないのだろう。 
 
 写真に写っていたその姿を思い出す。一緒に写っていた椎堂の幸せそうな笑顔も、そしてその写真を見た時の先日の椎堂の反応も。一本の紐で繋がった全ての事柄を知った今では、あの写真を破り捨てたいくらいである。口汚い言葉でその男への言葉を口にする寸前で、澪は堪えて一度深く息を吐いた。 
 今ここでその男を責めた所で、何も変わりはしない。椎堂が心から好きだったというその相手を責めることは、当時の椎堂を責めることと同じ事でもあるのだから。 
 
 そして、こんな状態になった原因でもあるその男を感情に任せて恨むでもなく、許し、一人で乗り越えようともがいてきた椎堂は、本当の意味での強さと優しさがある。 
 その部分こそが椎堂の魅力の一つでもあるのだ。 
 澪は、言葉を喉の奥へ留めて静かに息を吐いた。 
 
「これで全部だよ……隠してて本当に、ごめん……」 
「…………」 
 
 何を口にすれば良いのかわからなかった。 
 穏やかな笑顔でいつも自分を見守ってくれていた優しい椎堂は、その笑顔の裏に未だに傷を負ったままだ。そしてその傷は今もこうして塞がれないまま、傷口を開いて椎堂を苦しめ続けている。 
 目に見えないその傷が、椎堂の体に浮かび上がるような気がして、澪はそっと腕を伸ばして椎堂を引き寄せ腕の中に抱き締めた。 
 
 こんな事ですぐにその傷が消えないこともわかっている。 
 だけど、どうにかして椎堂をその痛みから解放してやりたくて、その方法がみつからない事に焦る気持ちがばかりがつのる。ふわりと椎堂の匂いがして、胸を締め付ける。 
 
「……澪」 
「もういいよ……。言いたくなかった……よな」 
 
 椎堂は腕の中で「平気だよ」と消え入りそうな声で呟いた。 
澪の腕から少し離れると、不安そうな瞳で見上げたまま、椎堂は何故か少しだけ困ったように笑った。 
 
「……もう、……僕の事、嫌になっちゃったよね」 
「……え」 
「澪に、この事を言えなかったのは……、嫌われるのが怖かったからなんだ。過去の話とは言っても、今の僕はその過去と同じ線上にいる。こんな男じゃ恋人失格だよ」 
「……何、言って」 
「……だから、ね。……恋人ごっこは、今夜で、もう……終わっちゃうのかなって」 
 
 椎堂はそういって、微笑んだまま眦から涙を溢れさせ、濡れた唇を噛みしめた。 
 
 過去にどんな男に抱かれていたとしても、椎堂の芯にある透明な美しさは汚れる事はなく、今だって澪が手を出すのを躊躇うほどに儚くて――。 
 
 夕方に見た夢が咄嗟に思い浮かんで、澪の背中を悪寒が走る。夢の中の怪我をした子鹿はいつのまにか椎堂へとすり替わっていた。 
 片足はもう湖に浸かっていて、向かう先は深くて暗い湖の底だった。血の滲んだハンカチが濡れて、その結び目を緩く解いていく。止血出来ていない傷口から細く真っ赤な帯状に血が流れ……。 
 
――溺れていく。誰の手も掴めないまま。静かに。永遠に……。 
 
 澪は夢の最後をはっきりと思い出していた。 
 ぬかるんだ泥を掴み、助けられなかった悔しさから最後に叫んだ言葉。 
 
 それは――椎堂の名前だったはずだ……。 
 
「……部屋に戻るね……。話、聞いてくれて有難う……。これからどうするかは、また日を改めて話そう……。もう遅いから澪も寝て」 
 
 椎堂はパジャマの袖で涙を拭うと澪に背を向けた。 
 澪は何も言わない。当然の結果を目の当たりにして吐き気がするほどの喪失感が襲い、思わず椎堂は口元に手を当てる。でも、話さなければ良かったとは思わなかった。これで良かったんだと、何度も胸の中で言い聞かせる。 
 だけど、やっぱり終わりを知るのが怖くて、振り向いて澪の顔を見ることが出来ずにいた。返事を待たずに椎堂は背を向けたまま何とか平静を装って立ち上がった。 
 
「何だよ……それ」 
 
 僅かに怒りを滲ませた澪の低い声が響き、椎堂は腕を強く掴まれて引き戻された。 
 椎堂は視線を合わさないままベッドの縁へと手をつく。澪に引っ張られて顔を上げ視線を合わせると、澪の瞳も自分と同じように潤んでいた。 
――どう、して……?  
 きつく結ばれた口元が開き、澪が悔しげに言葉を吐き捨てる。 
 
「……俺の事、……何だと思ってんの。怒らせたいわけ?」 
「……澪?」 
 
 再び強く掴まれた腕に、椎堂は息を呑んだ。澪は椎堂をベッドへと引きずりこむと押し倒したまま強い視線で見下ろす。澪の瞳の奥には明らかな怒気が滲み、そして、それ以上に悲しさが溢れていた。 
 
「俺の事、……好きなんじゃないの。十年後の約束も、なかった事にするのかよ」 
「…………だって、僕には、」 
「だってじゃない! 過去の話は、確かにショックだったよ……、同情もする。だけど、その傷、治さないまま一生生きていくつもり? たとえ、俺と今別れて、また別の誰かを好きになって……。その時も、今と同じ事何度も繰り返していくのか? 誠二は、それで幸せなの?」 
「……それは……」 
「それでいいわけないだろ……」 
 
 指先が白くなるほどに掴まれた腕に痛みが走る。見上げる椎堂の頬にぽたりと澪の涙が一滴零れて頬を伝った。初めて見る澪の涙は、椎堂の瞳から零れて溢れる涙と混ざって、ただ、静かに音もなくシーツへと染み込んでいく。 
 
「今すぐセックスなんて出来なくったっていい……。だけど、逃げんなよ……。このままじゃ、何も変わらない。俺はあんたの恋人だろ? 俺から、誠二を幸せにする権利を奪うのは許さない……」 
 
 澪はそう言って肩を震わせた。澪の言葉の一つ一つに溢れるほどの気持ちが籠もっていて、椎堂は言葉を失った。 
 クールな澪がこんなにも熱い想いで、自分を愛してくれていた事にどうして今まで気付かなかったのだろう。 
 自分はずっと年上で、澪を見守っているつもりだった。 
 真っ直ぐに向き合えていなかったのは、自分だった。 
 
 過去の事、セックスが出来ない事、それが裏切りなんじゃない。澪の愛を信じ切れなかった事が一番の裏切りだったという事。 
 
 ずっと前に進めないまま、手にした幸せを手放すのが怖くて見ないようにしてきた過去の自分を恥じて、まだ遅くないことを目の前の澪が気付かせてくれる。 
 澪が愛しい眼差しで椎堂をみつめ、指先を椎堂の髪に絡ませる。耳をなぞり最後に椎堂の頬に添えられた手は、まるで大切な宝物を扱うような優しさで。 
 
「今度は俺に……、誠二の傷……治させて」 
 
 澪が切なげに眉を寄せてそっと囁く。出会った日から魅了して止まない澪の綺麗な瞳は、初めて出会ったあの日からずっと変わらず。薄茶色のその瞳を今でも自分が独占している事が嬉しくて嬉しくてまた涙が出た。 
 
「……澪」 
 
 頬に添えられた手を引き寄せて、澪の手にキスをする。何度も何度も。澪は少しずれて椎堂の胸へと顔を寄せると、心音を聞くように耳を押し当てた。 
 安心したように目を閉じる澪の頭に手を伸ばして、その細い髪に指を滑り込ませる。サラサラと指の間からこぼれ落ちる澪の髪からは自分と同じシャンプーの匂いがする。 
 
「誠二、恋人ごっこは今日で終わりにしよう……」 
「……え……?」 
「さっき言ってただろ? 恋人ごっこって。……だから、今からは『ごっこ』じゃなくて、本当の恋人同士。……いいよな」 
「……うん、……うん」 
 
 いつまでも鼻をグズグズ言わせていると、澪に「また泣いてる」と言われそうなので、椎堂はごしごしと目を擦ってそれを止めると、その様子を見て澪が小さく笑う。全てを受け入れてなお愛してくれる澪は、自分よりずっと大人で……、その大きくて温かい腕の中にずっといられたらと思う。 
 
「誠二」 
「うん、なに?」 
「キス、してもいい? 誠二の躯、全部見せて」 
「え……うん、あ、でも……」 
「怖い?」 
「ううん……。そう、じゃないけど、……僕だけ、裸になるの? ……その、恥ずかしいよ」 
 
 真っ赤になって視線を逸らす椎堂が可愛くて、益々澪は椎堂の裸が見たい衝動に駆られた。どこへ視線を持っていっていいかわからない椎堂は、小さな声で「澪も、脱いで」と澪のパジャマの袖をちょっとだけ引っ張った。 
 澪が黙ったまま自らのパジャマを脱ぎ、そのあと椎堂のパジャマのボタンに手をかけて外しながら口付けを落とす。 
 
 主治医だった頃に澪の裸を何度も見ているはずなのに、今改めてこうしてみるとその均整のとれた綺麗な躯に思わず目が行ってしまう。当初より10キロ程体重が減ったとは思えない。手術の傷跡は残っているが、それもいつかは消えていくだろう。 
 そんな事を考えていると、いつのまにかすっかりパジャマを脱がされている自分に気付いて、椎堂は慌てて少しでも隠そうと近くの上掛けを引っ張った。 
 
「何で隠すんだよ、俺も脱いだのに」 
「だ、だって……澪は恥ずかしくないの……?」 
「別に、病院で何度も見られてるし」 
「そ、そうだけど……」 
 
 結局澪に上掛けを外され、全身を晒すことになってしまった。澪と違って自分は元から痩身だし、色気も何もない躯に自信が全く無い。それに、全て話したとはいえ、勃たないそれを実際に見て澪ががっかりするのではないかと思うと少しだけ怖い。 
 
 口付けを止めて、マジマジと椎堂の躯を眺める澪に、椎堂が不安げに顔を曇らせる。 
 
「僕の躯……、何か変……?」 
「いや」 
 
 澪は、あっさりとそう返したかと思うと、胸から腰のラインに手を添えるとすっと撫でた。 
 
「本当に色白いな、綺麗だよ……。今、どこからキスしようか、考えてる」 
「え……」 
 
 言われた事も無いその台詞に、椎堂は耳まで赤くなった。上気して色付く耳朶に近づいて澪が密やかな吐息まじりの息を吹きかけつつ囁く。 
 
「……首筋まで赤くなってる、わかる? ……こことか」 
 
 場所を示すように澪が舌を這わせてくる。そんな事をされたらますます鼓動が早くなってしまうのをわかってしているのかもしれない。鼓膜を通して濡れた舌が卑猥な音を立てるのが聞こえ、形を辿るように舌先で弄られ。 
 浮き出た鎖骨の辺りをきつく吸って跡を付け、そのまま澪の口付けが徐々に胸へと下りていく。ゾクゾクするような愉悦は、久々すぎるからと言うよりは、あまりに澪の愛撫が巧みだからなのかもしれない。 
 
「……ッ、ぁ、」 
 
 早くもうわずった声が漏れそうになってしまい、椎堂は口を塞ぐように手の甲をあてた。 
 普段すっかり忘れているが、澪が元はNo1ホストだったという事をこんな所で実感してしまうとは思いも寄らなかった。乳首を口に含まれ、たっぷり濡らされたあとに舌で転がされ軽く食まれれば、澪の口内の熱がどんどんそこから伝わってきてじわりと疼いてくる。 
 
「……、っ……ぅ……んっ、ん」 
「誠二は、どこが気持ちいいの?」 
 
 愛撫を続けながら澪がそう聞いてきても、答えられなかった。場所の指定がないわけではなく、澪の唇が辿っていく全てが答えだからだ。指先でゆるやかに撫でられれば少しずつ籠もる熱が上がっていくようで。知らなかった快楽の場所に戸惑うばかりだった。 
 
「……ん、ッ、……み、澪、……」 
「ん?」 
 
 時々澪のペニスが硬くなって、椎堂の躯に触れる。張り詰めている澪の熱に椎堂はそっと手を伸ばした。初めて触る太くて硬い澪のソレは想像以上に大きくて、椎堂の手では半分ほどしか覆えない。澪は、椎堂の伸ばした手を掴むと「ダメ」と優しく言って引き離した。 
 されるばかりじゃなくて、せめて手か口で、澪の性欲を開放してあげたいと思ったのだが、澪は頑なにそれを拒んだ。 
 
「……どう、して?」 
「誠二がイけるようになるまで、俺のもしなくていい」 
「そんな……、でも……それじゃ、澪が辛いよ。いつ治るかだって、……その……まだわからないし」 
「だからだよ。それに……、一人だけでイったって意味ないから。セックスってお互いが気持ちよくなる物だろ。……俺は、こうして誠二の躯に触れてるだけで気持ちいいから」 
「……、……」 
 
 澪はそう言って椎堂の口を塞いだ。熱を持った澪の軟らかい唇が開き、差し入れられた舌におずおずと椎堂も舌を返す。絡め合って互いの歯列をなぞり合う。 
 
「……もっと俺の愛撫で感じて、……俺がこうして、誠二に沢山キスするから愛されてるって躯で覚えて」 
「……澪」 
 
 中途半端な状態で放置でいる事がどれだけ苦痛な事なのか痛いほど分かる。だけれど、視線を落とすと澪は「あんま見んなよ」と冗談めかして言って椎堂に優しく微笑みかけた。 
 
 再び戻った愛撫に力を抜いて、感覚だけで澪が体中に降らせる口付けを追う。もし自分が普通に勃つ状態であったならば、きっと澪のこの愛撫だけで達してしまうかもしれない。 
 
「愛してるよ……誠二」 
 
 澪の手が、椎堂の真っ白な内ももを撫で、薄い茂みにもぐって、その先にある反応を示さない椎堂の欲望をそっと包む。愛しそうに片手で収まる軟らかなそれを撫で、先端へと口付ける澪は、それを目の当たりにしても何も変わらなかった。そっと指を添え、チュッと音を立てて吸った瞬間、椎堂は躯をぴくりと動かして息を止めた。 
 
「……あっ、」 
 
 小さく声を上げ、椎堂は驚いたように上体を少し起こして自分の下肢を見る。今は何も変化がないが、一瞬だけ確かに感じたのだ。今まで無反応だった欲望がドクンと小さく脈打つのを。澪もそれに気付いたようで包んだ掌をそっと開く。 
 
「今、少し動いた……?」 
「……うん」 
 
 澪が嬉しそうにカリの部分を撫でる。こんな事は初めてだった。最近はたまにしかしない自慰行為でさえうまくいかない時もあって、その症状が悪化しているのではないかと不安になっていたぐらいだったのだ。 
 
「少しはこいつにも届いたのかな、俺の気持ち」 
「そうだね……」 
「じゃぁ、今夜はここまで」 
「……うん。澪」 
「ん?」 
「有難う、凄く気持ち良かったよ……。愛されてるって、こんなに気持ちいい物なんだね。知らなかった」 
 
 澪が黙ったまま少し微笑んで椎堂の頭を撫でる。 
 
「このままゆっくりでいいから、一緒に治そう」 
「……うん」 
 
 椎堂は澪の首に腕を回すと、その唇に自身の唇を重ねた。 
 
「澪、愛してる……大好きだよ」 
 
 甘い口付けはそれ以上の甘さで返されて、澪と裸で抱き合いながら何度も繰り返しキスをする。きつく抱き締められれば、何だか澪の中に自分が溶け込んでいくようで……。混ざる鼓動の音が時々重なって、大きく響く。 
 
「なぁ、誠二」 
 
 口付けの合間に澪が名を呼ぶのに、椎堂が「なに?」と返事をする。 
 
「今日からは、ずっと一緒に寝る?」 
「……え、いいの……?」 
「ああ」 
 
 別にしている寝室は当初お互いが気を遣わないでいられるようにという考えでそう決めたのだ。澪が、ずっと自分が傍にいることを望んでくれている事が嬉しかった。啄むように悪戯に繰り返していた口付けを終わらせると、澪が椎堂のパジャマの上着をとって椎堂へと渡す。 
 
「先に寝てて、俺、汗掻いたからもう一回シャワー浴びてくる」 
「うん、わかった」 
 
 澪はそう言って下着だけを履くと、そのままベッドを出て部屋を後にした。澪が出て行った部屋のベッドで、椎堂は澪が脱いだままにしていたパジャマの上着を手に取ると自分のパジャマを置いてそれに腕を通してみる。 
 指先まで隠れてしまう長さの袖に一人で小さく笑い、そのまま袖をくしゃっと掴んで鼻先をうずめる。大好きな澪の匂い、ベッドに座ったまま目を閉じる。 
 
 幸せで、幸せで、また少しだけ涙が出た。 
 
 
 
 
*     *     * 
 
 
 
 
 澪は静かに階段を下りて、洗面のドアをあけて電気を付けた。 
 先ほどまで落とし気味の照明の中にいたからなのか一瞬目が眩む。裸になったあと、バスルームの中へ足を踏み入れると、まだ乾いていない足下のタイルから濡れた感覚が伝わってきた。 
 
 肌寒く感じて、シャワーを熱めに設定するとそのままコックを捻り、壁のフックへとそれを固定した。勢いよく放出されるシャワーを体に浴びていると、室温の差であっという間に蒸気でバスルーム内が真っ白になり、浴室にある全身をうつす鏡を曇らせる。 
 
 片手を鏡へとついたまま、澪は一度深く息を吐いた。未だ熱が引かない猛った下肢に手を伸ばし、そそり立つ自身のペニスに手を添えてゆっくりと扱いていく。 
 
「……、……ハァ、……」 
 
 流石にこのままだと寝付けそうにない。 
 先程の椎堂への愛撫を思い出しながら徐々に扱く手に力を入れる。 
 椎堂の白い肌は想像以上に滑らかで、まだ指先にその皮膚の感覚が残っている。時々漏れる椎堂の初めて聞く声は酷く扇情的で、自分の愛撫で感じてくれている事が堪らなく嬉しかった。恥ずかしがって色付く頬や、潤んだ瞳も……。全ての体毛が薄いのか、ほとんど生えていない下肢の茂み、その奥にある勃たないそれでさえ愛しくて……。 
 
 思い出せば、痛いほどに張り詰めたペニスが手の中で益々膨張する。 
 
「……ッ……、……」 
 
 上り詰めてくる快感に、息が乱れる。 
 水分を多く含んだ空気を吸っては吐いて、鏡についている指先に力が入る。 
 
「ッ……誠二っ、……」 
 
 シャワーにかき消される程度の声で椎堂の名を呼び、小さく呻くと欲望を解き放つ。勢いよく壁に飛んだ飛沫はすぐにシャワーで流され、ドクドクと溢れる濁った白濁は竿を伝い澪の手を滑り落ちて、そのまま排水溝へと吸い込まれた。