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Before Christmas


 

 
 食事を終えて暫く休憩した後、いつも腰掛けるソファに座ろうと足を向ける。 
 しかし、澪は、その足を方向転換しロバートの家の庭が見える出窓へと近づいた。チチッという囀りの音。庭にある背の高い樹に、番の鳥が留まっているのが見えたからだ。驚かさないように、そっとカーテンに指を掛けて開いてみると、間近でその様子が見られる。細い枝に留まっているせいか、二匹がじゃれあって横へと移動すると、それにつられたように枝がたわんだ。 
 
 ゆらゆらと安定しない枝を眺めながら、澪は先日のロバートとの会話を思い返す。今は何も飾り付けがされていないが、クリスマスになったらツリーの代わりにこの樹に飾り付けをするのだ、と彼が言っていたのを。 
 モミの木というわけでもないのだろうが、綺麗に飾り付ければ豪華なクリスマスツリーが完成するのだろう。 
 
――クリスマス、か……。 
 
 ぼんやりと眺めながら、年に一度のその行事を振り返ってみたが、大した想い出がない。しかし、そんな中でも、唯一はっきり覚えているクリスマスがあった。確か、まだ自分が小学校へあがったばかりの頃の話だ。 
 澪はその当時を思い出すように、静かに目を閉じると、出窓へ背を向けて寄りかかった。 
 
 
 
 サンタクロースの正体は、日本では父親だというのが最も多く浸透しており。特に今の時代、本物のサンタクロースを信じている子供など幼児でない限り居ないに等しいだろう。澪が子供の頃も、それは一緒だった。 
 父親こそいなかったが、クリスマスをしなかったわけではない。自宅の狭い居間には小さなクリスマスツリーが飾ってあったのを覚えているし、砂糖菓子で出来たサンタクロースがのっかっているケーキも食べた。普段の夕食より、少しだけ豪華な食事が用意されているので、それだけでも嬉しかった物だ。だけど、サンタクロースには一度もプレゼントを貰った事は無かった。それが偽物のサンタクロースであったとしても……。 
 
 クリスマスが近い休日に、母と兄と3人で大きめのおもちゃ屋へいって好きな物を買って貰う。毎年そういうクリスマスだったのだ。 
 クリスマスの翌日になると、一緒に遊んでいた友達は皆それぞれ「これ、サンタさんに貰ったんだ」と新しいゲーム機やボードゲームをお披露目するのが恒例行事だった。澪も買って貰った物を持参はしていたものの、どうしてもそれを「サンタさんに貰った」という嘘がつけずにいた。 
 
「澪君も、サンタさんに貰ったの?」と聞く友人は、枕元にいつの間にか欲しかったそれが置いてあったのだと興奮気味に話す。母親と一緒に買ったとも言いたくなくて黙っていると、その中の一人が耳打ちをするように隣の友達に囁く。 
 
「澪君の家ってさ、サンタさんいないんだよきっと」と。 
「…………」 
 
 哀れむような眼差しは、子供特有の残酷な物で……。そんな視線でみられた事にカッとなって、澪は思わず言い返した。 
 
「サンタなんかいるわけないじゃん。信じてるなんてバカみてぇ」 
 
 今思い返せば、いちいち腹を立てるような事でも無いと思うが、当時は母親まで馬鹿にされたようで腹が立ったのだ。その後、売り言葉に買い言葉で大喧嘩になり、友人の母親が騒ぎを聞きつけて止めに入る事態になった。 
 連絡を受け、仕事を早退して友人の家へ迎えに来た母親が、友人の母親に謝って何度も頭を下げるのを見て子供ながらに腑に落ちない思いだった。 
 だって、本当にサンタクロースなんていないのに、と……。 
 
 だけど、いつもなら喧嘩をする事を嫌い、きつく説教してくる母親は、その日の帰り道は一言も責める言葉を言ってこなかった。夕焼けの中、歩道橋を渡りながら自転車を引く母親が、澪に振り向かずに小さく呟く。 
 
「澪、ごめんね。サンタさん、うちにはいつもこれなくて」 
 
 カラカラと回っていた自転車の車輪についていた飾りが、澪の目の前で何度も回転する。キラキラと反射するその赤い光が時々眩しくて、澪は目を眇める。その回転がゆっくりと止まって、母親が振り向いた。 
 
「サンタさんね、ちゃんと澪にもいるのよ。凄く忙しいから、母さんが代わりにプレゼント買ってあげてってお願いされてるだけなの」 
 
 嘘だと、すぐにわかった。だけど、そう思って欲しいのだろうとも思った。ゲーム機のように高価な物ではないけれど、その年のクリスマスにはずっと欲しかった子供用のサッカーボールをちゃんと買って貰ったのだ。 
 汚れるのが嫌で、持ってきたけれど、まだ外では使っていない青いサッカーボール。それは、兄である玖珂が一緒に行ったときに青色が好きな澪に丁度いいだろうと選んでくれた物だった。 
 
 色々な言葉が浮かんだけれど、結局何も返事できないまま「ふぅん……」とどうでもいい態度を取って足下の小石を蹴った。 
 黙っている澪に、母親がにっこり笑う。 
 
「今日のお夕飯。何にしようか? 澪、お手伝いしてくれる?」 
「うん、いいよ。じゃぁ、ケチャップのスパゲッティがいいな」 
 
 当時好きだったメニューを言うと、母親は嬉しそうに「よーし! それにしよう」と言って澪の頭を撫でた。二人で並んで家へ帰る事など滅多に無かったので、嬉しくてちょっとはしゃいだ気持ちになる。笑みを浮かべると、先程喧嘩をした際に切れた唇の端がチクリと痛んだ。 
 あのサッカーボールは結局何年も使って、しまいにはプリントされていた柄が剥げていた事まで記憶に残っている。子供の頃のクリスマスの思いではそれぐらいである。 
 
 
 大人になってからは、はっきりと恋人と呼べるほどの相手と過ごした事は数えるほどしかない。だいたいは20日頃から盛り上がって開催されるパーティーへ顔を出していることが多かったからだ。上客の指名でエスコートに行ったり、自分の店でのパーティーだったり、プライベートの時間はほとんどないまま気付くと正月になっているというのが恒例だった。大きなツリーが店にあったが、今となってはどんな飾り付けをしていたのかさえ曖昧な記憶でしかない。 
 
 
 
 過去の記憶を辿った余韻に引きずられながら目を開けると、いつのまにかロバートの庭の樹に留まっていた鳥たちはいなくなっていた。澪はカーテンを元に戻して一つ息を吐き、視線を落とした。 
 
 出窓に立てかけてある椎堂と写っている写真立てを何気なく手に取って現実へと戻る。写真に写るのは苦手だが、椎堂がすぐに一緒に撮りたがるので部屋にはそれなりに数が増えてきている。この写真立ての中に飾ってあるのは一緒に海へ行ったときの写真だ。夕陽をバックにしたその写真を見ていると旅行の想い出が蘇る。 
 
 椎堂は写真写りが悪いわけではないが、その魅力でもある穏やかな笑顔はやはり写真では写しきれていないように感じる。 
 二人きりのビーチで視界に焼き付けた椎堂の笑顔、振り向いて「――澪」と名を呼ぶその姿を今でも思い出せる。夕日より眩しくて、誰よりも輝いて見える椎堂が、自分の恋人なのだ。そう思うと、愛しさと同時に、恐怖を感じた。失う事がこんなに怖いと、――そう思ったのは初めてだった。 
 
「澪~! 下に居る?」 
 
 二階から椎堂の声が聞こえ、澪は我に返って振り返り「いるよ」と少し声をはって返事をした。 
 
「用意したら行くから、ちょっと待ってて」 
 
 そう言えば、食事の時に後で見て欲しい物があると言っていたのだ。何を用意しているのか、二階へ続く階段に目を向けてみたが、まだ用意が終わっていないのか椎堂が下りてくる気配は無かった。 
 手に持っていた写真立てを元の場所へと戻し、澪が居間のソファへと腰を下ろして暫くすると、椎堂が二階からバタバタと下りてくる足音が聞こえる。 
 
――え? 
 
 その姿に驚いて、澪は思わず椎堂の姿を目で追った。 
 何故なら、階段を下りてきた椎堂が、真っ赤なサンタクロースの衣装を着ていたからである。 
 
「……どうしたんだよ、その格好」 
 
 呆気にとられている澪に、椎堂が一通り説明を始める。 
 椎堂の勤務する病院と地域のボランティアの合同で、クリスマスに行うちょっとしたイベントがある。医師達は全員サンタクロースの衣装を着て子供達にクリスマスプレゼントを配るのが恒例行事なのだそうだ。人数が多いため、衣装の発注などは数ヶ月前から始まっていて……。そして、昨日、仮縫いのできた椎堂の衣装が届いたという事だった。 
 
 真っ赤なサンタクロースの衣装は、椎堂専用に誂えてあるとの事で手足の長さ、腰回りとぴったりである。ふかふかの真っ白な綿があしらってある袖口と襟元は見るからに温かそうである。が、仮縫いと言うだけあって前のボタンはまだついておらず羽織っているような状態だった。 
 
「やっぱり……眼鏡はない方が良いよね? ……どうしよう」 
 
 椎堂は衣装を着用したまま、自らの掛けている眼鏡を外して窓硝子に近寄り、映り込む自分をまじまじと見ている。額があたるほど近づいた椎堂が、自らの格好をみて「うーん」と考え込む。眼鏡がなければ、その距離まで近づかないと確認出来ないほどの視力で、眼鏡を外しての参加は危険すぎる。 
 
 確かにサンタクロースのかけている眼鏡は鼻眼鏡で椎堂の掛けている物とは全く雰囲気が違う。居間のソファでその様子を見ている澪へ振り向くと、椎堂は「どうしよう?」ともう一度意見を求めてきた。 
 
「俺は、別にそのままでいいと思うけど?」 
「……そう? ……じゃぁ、いいかな……」 
 
 やや納得していないようだが、代案もないので、椎堂は再び眼鏡をかけると窓硝子から遠ざかった。 
 
「この服、首がくすぐったいんだ」 
 襟元のふわふわとした綿が、椎堂が手を上下すると動いて首元を撫でるので、その度に椎堂は肩を小さく竦める。 
「ねぇ、後ろもおかしくないかな? 裾とか、どう?」 
 くるくると回ってみせる椎堂に、「似合ってるよ」と一言返すと、椎堂は照れたように「そ、そうかな」といって頭を掻いた。 
 
――可愛い。 
 
 サンタクロースの衣装を着ている椎堂は、眼鏡があるなしの問題を越えて、澪から見れば「可愛い」以外の感想がない。サンタクロースと言えば恰幅の良い老人のイメージがあるが、椎堂のようなサンタクロースが煙突から入ってきた日には、プレゼントはいいから拉致してしまいたくなりそうである。 
 衣装の試着を終えて納得し、椎堂が脱ごうとした所で、澪は少し慌てて声をかけた。 
 
「あ、ちょっとそのまま」 
「???」 
 
 どうしたの? とでもいうように澪へと振り向いた瞬間、澪の携帯がシャッターを押す音が三回程響いた。 
 
「澪!? 今、僕の写真撮った?」 
「うん」 
「だめだめ、こんな恥ずかしい格好してるのに!」 
 
 サンタの衣装のまま、椎堂は澪の携帯を取り上げようとソファへと腕を伸ばした。 
 
「減るもんじゃないし、いいだろ」 
「ダメだって、もう! 澪」 
 
 暫く攻防を続けたが、椎堂が勝てるはずもない。抵抗も空しく、結局は澪の携帯を奪えず椎堂は落胆して溜め息をついた。その後、渋々出した「誰にも見せちゃだめだよ」との約束に適当に「わかったわかった」と返し、ポケットへと携帯をしまう。椎堂は急にソファの前へと座り込んで「はぁ……暑い……」と疲れたように溜め息をついて手で顔を扇いだ。その額には一筋汗が流れている。 
 
「暴れるからだろ」 
「誰のせい!? 澪が携帯渡してくれないからだよ」 
「とりあえず、脱げば?」 
「うん……」 
 
 暑いのは当然である。 
 今日の最高気温は29度の予想で、実はクリスマスは数ヶ月先の話なのだ。 
 
 
 今の季節にサンタクロースの衣装というのは、中々に辛い。汗で衣装を汚さないうちにと椎堂は全部を脱いで綺麗に畳むと、冷房の吹き出し口の直下で息を吹き返した。 
 
「そのイベントって子供に菓子配るだけ?」 
 
 澪がそう質問すると、椎堂は振り返って「ううん」と顔を曇らせた。 
 
「それがね……ちょっとした寸劇もやるらしいんだ。どうしよう、僕、そういうの緊張するのに」 
「寸劇?」 
「うん、台本とかまだ見てないからよく知らないけど、去年は子供達も参加して一緒にやったらしいよ」 
「へぇ、そうなんだ」 
 
 漸く汗も引いて着替えた椎堂が、突然良いことを思いついたとばかりに「あ!」と手を叩いた。 
 
「澪、ちょっとだけ僕に付き合ってくれない? 寸劇の練習」 
「練習?? 台本もないのに、どうすんの」 
「多分サンタさんと子供達のちょっとしたやりとりだと思うから、僕がサンタの練習で、澪は子供役をやってくれればいいよ」 
 
 突然の無茶ぶりに、澪は眉を顰める。子供役をやれと言われても、どうすればいいのかわからない。 
 
「無理。俺もそういうの得意じゃないし」 
「えー……酷いよ。僕を助けると思って。ね? 適当で良いからお願い!」 
「適当って言われても……」 
「僕が話しかけたら、子供になりきって答えてくれるだけで良いよ」 
 
 それが難しいのだ。しかし、今は二人きりだし、椎堂が困っているのだから少しなら付き合ってやっても良いかと思い直し、澪は渋々了承した。 
 
「じゃぁ、……少しだけな」 
「有難う! 澪! えーっと、じゃぁ僕、入ってくるところからやるね」 
 
――入ってくる?? 
 
 入場のシーンという事なのだろうか、あまりよく理解できていないが、椎堂が少し離れた場所でもう待機しているので「わかった」と合図をすると、椎堂は何故か四つん這いになって近づいてきた。一体何をしているのかと思うより先に、その姿がおかしくてつい笑ってしまいそうになる。 
 
「煙突から入ってるところです」 
 
 椎堂はナレーションのように状況説明すると、ちょっとだけ恥ずかしそうに顔を赤らめた。なるほど、煙突からという演技だったのかと納得していると、少しだけそのまま這って、椎堂は立ち上がった。 
 
「初めまして、僕はサンタクロースです。遠い国からソリにのってやってきました。あ! トナカイに引っ張ってきて貰いました」 
「…………」 
 
 サンタクロースって、こうやって子供に自己紹介するものだったか? 澪の中で疑問符がいくつか浮かぶが、真面目にやっている様子の椎堂が澪の返答を待っているようなので、仕方なく澪も返事をした。 
 
「……どうも……お疲れ」 
 
 椎堂は、「えっ!?」というように驚いた後、「真面目にやって」と口を尖らせる。何か他の言葉の方が良かったのかもしれないが、なんと言えばいいのかわからない。別にふざけているわけではないのだが……。 
 気を取り直した椎堂が、背中に背負っている袋からプレゼントを取り出す仕草をし、澪の傍へちょこちょこと歩いてきて膝へとそれをポンと乗せた。靴下にプレゼントをいれるのではなく、直に渡しに来る所も違和感がある。 
 
「良い子にしている君には、今年もサンタ……えっと、僕が素敵なプレゼントを持ってきたよ。君の欲しがってた機関車のオモチャです。どうぞ受け取って下さい」 
 
――プロポーズかよ。 
 
 ツッコミ所満載の椎堂のサンタクロースがおかしくて仕方がないが、とりあえず今度はちゃんと考えて少し演技をした。 
 
「……わー。有難う。嬉しいなー」 
 
 全く感情の籠もらない棒読みではあるが、一応子供らしく言ってみたつもりである。それなのに、椎堂はムスッとすると「もうー……」とわざと溜め息をついてみせ、澪の隣へ不満そうに腰掛けた。 
 
「……何だよ、ちゃんと子供っぽく返しただろ」 
「澪、全然なってないよ。ちっとも可愛げが無いし、子供らしさもない。僕がこんなにちゃんとサンタクロース然としてるのに」 
「仕方ないだろ。子供じゃないし……。それに、誠二のサンタも何か変だと思うけど」 
「え!? どこが??」 
 
――登場から全て。 
 と言いたいのを我慢して、澪はかいつまんで指摘する。 
 
「いきなり自己紹介したり、子供に「オモチャです」とか丁寧語だったり、おかしくないか? しかも、受け取って下さいとか、何でサンタがお願いしてんだよ」 
「そ、そう? ……じゃぁどうすればいいのかな」 
「もっと上からな感じでいいんじゃないの。プレゼントやる側なんだし」 
「上から……?」 
「機関車のオモチャ、お前にやるよ的な」 
「ええ……そんなやさぐれたサンタクロースいないと思う……」 
「…………」 
 
 結局どちらもなっていないのだ。誰か見本を見せてくれない限り、いくら練習しても埒があかないという事に気付いて思わず苦笑する。思い返せば、今まで一度も本物のサンタクロースなどに会ったことがないのだから仕方がないのだろう。 
 そして澪は、椎堂が子供の頃どんなクリスマスを過ごしていたのかを聞いてみたくなった。 
 
「そういえば……。誠二の家はさ、クリスマスは親父さんがサンタクロースだって教えられてた?」 
 
 椎堂は背もたれへと寄りかかると、くすりと思い出し笑いをして澪へと振り向いた。 
 
「ううん、僕の家は皆と違う感じだったんだ。子供の頃は、それが普通だって思ってたんだけどね」 
「違うって?」 
「えっとね……。普通って子供達に内緒で親がプレゼント用意して「サンタさんからだよ」って渡すでしょ?」 
「うん」 
「うちはね、クリスマスになると父親が、「今からサンタに変身してくる」って宣言して着替えてくるんだよ」 
「……え」 
「おかしいでしょ? だから、父親がサンタだって知ってるというか何というか……」 
 
 それもまた珍しい家庭だと思う。勿論椎堂の父親がどういう性格なのかも知らないので何とも言えないが、フと椎堂の天然さはもしかして父親譲りなのではと頭によぎった。 
 
「うちの父親は変わっててね。サンタは世界を救う正義の味方のクリスマスだけの仮装だって言うんだよ。クリスマスだけ世界を救うのをお休みして子供達にプレゼント渡す仕事しているんだって言い張ってて。で、その正体は父だって事なんだけど……。クリスマスだけじゃなくて、普段から地球防衛隊に勤めているって言ってたんだ。まぁ、僕が小さいときだけどね」 
「へぇ……サンタ兼ヒーローって事か……」 
「うん、そういう設定だったみたい。変な人でしょ」 
 
 椎堂が苦笑する。椎堂が言うには、姉はそれを馬鹿にしていて、椎堂と妹だけが信じていたという事だった。何となくだが、その光景が目に浮かぶ気がする。 
 互いに普通ではないクリスマスを過ごしていた事に気付き、顔を見合わせて小さく笑う。どうりで、寸劇がうまくいかないはずである。 
 結局、劇の練習は台本がきてからということになった。 
 
 まだ少し先ではあるが、椎堂と一緒にクリスマスを過ごすのは初めてである。そう思うと、いつものクリスマスよりそれはずっと意味のある日に思えた。 
 
「今年のクリスマス……。どっか一緒に出かけられたらいいな」 
「そうだね。この前行ったセントリア公園とか、イルミネーションが凄く綺麗だって聞いたよ。歩いて行けるし見に行きたいね」 
「ああ」 
「あ、……ねぇ、澪?」 
「??」 
「お互いクリスマスにはプレゼントを交換したいな」 
「いいけど。……でも、俺欲しい物ないかも……」 
「え? ひとつも?」 
「今の所ない」 
「澪って……若いのにそういう所、無欲だよね……」 
「歳関係あんのかよ。まぁ、物とかは、ホストやってた時にほとんど買ったし」 
「……う……流石……。確かに、澪が住んでたマンションとか凄かったもんね……」 
「俺はともかく、誠二はどうなんだよ」 
「僕は……。そうだなぁ。ひとつだけあるかな」 
「何?」 
「来年のクリスマスの、澪貸し切りチケットが欲しいんだ」 
「何、それ」 
 
 それを聞いて笑う澪に、椎堂は「僕、本気だよ」と澪の顔を覗き込み、甘えたように澪の体に手を回した。 
 
「それでね、来年のクリスマスには再来年のクリスマスの澪貸し切りチケットをおねだりするんだ。毎年ずっと僕が独占契約!」 
 
 抱きつく椎堂の髪を悪戯に引っ張ると、椎堂は照れ隠しのように顔を上げて素早く澪の頬にキスをした。そんな契約なんかなくたって、今でももういつだって自分の気持ちは椎堂が独占している状態だというのに。 
 
「そんな可愛い事言ってると、昼間から襲われるぞ?俺に」 
 
 からかってそう返すと、椎堂は真に受けて「まだ3時だよ!?だめだめ!」と顔を赤くした。あたふたしている椎堂の耳元に口付けて、耳朶を甘噛みする。そのまま耳元で、「独占契約、世界を救えないサンタだけど、それでもいいの?」と澪が囁くと、椎堂は「うん」と嬉しそうに笑って肩を竦めた。 
 
 澪は心の中で、ひとつだけ欲しい物がある事に気付く。 
 だけどそれは、誰かに与えられるものではなく自分次第で手に入れることが出来る物なのだ。「クリスマスが待ち遠しいね」椎堂がそう言って、目を細める。 
 
「……そうだな」 
 
 日本ほどの四季の移り変わりはないが、12月ともなれば今よりずっと気温も低くなる。ホリデイシーズンに入る頃には、街の様子も少しずつ変わっていくはずだ。街路樹に飾られたイルミネーションが点滅し、通りの店はこぞってクリスマスソングをかけるだろう。 
 先の約束をするのは嫌いじゃなかった。 
 
 変わっていく中で、変わらない物が傍にある事を今は知っているから。そして、それが何より大切な事であり、大事な時間である事も……。ただ、それだけが全て。 
 
「澪も、何か欲しい物考えておいてね」 
「わかったよ」 
 
 椎堂が立ち上がって、サンタクロースの衣装を片付けようと手に取る。二階へしまってくるといって階段を上っていく椎堂の後ろ姿を見送り、澪は姿が見えなくなったのを確認すると携帯を取りだした。 
 先程撮った椎堂の写真を表示してみる。咄嗟に撮ったにしては、少しアップ過ぎる気もするが、ぶれてもおらず上出来である。 
 この姿をイベントで皆の前で晒すのか……。そう思うと、ちょっとだけ心配になった。先程椎堂が言っていた「独占契約」という言葉が頭に浮かび、澪は一人苦笑する。 
 
 椎堂のサンタクロース姿を独占したいのは、――自分の方なのかも知れない。 
 
 ロック画面にその写真を登録して、写真フォルダを閉じ、そのままスケジュール帳を画面に出す。12/24の日付までスクロールすると、まだ何も記載されていない未来がそこにはあった。 
 澪は予定の日付を開き、クリスマスの光景を思い浮かべる。 
 
 
――真っ白なページはまるで降り積もった雪。 
 
――赤と緑で彩られたクリスマスプレゼントのアイコンを選んでそっと置けば……。 
 
――その場所が一瞬だけ、キラキラと耀いたように見えた。 
 
 
 
 
~Fin~