prologue


 

 
 ――身だしなみは爪先から。あまり爪が伸びているのも清潔感がないし、深爪はそれだけで神経質な印象を与える。 
 
 ゴウゴウという音を耳にしながら爪先を何度か指でなぞり、その感触を確かめる。待機室の空気清浄機の轟音は耳鳴りにも似ていて、ずっと聞いていると頭が痛くなってくるが、喫煙者揃いのホストが集う場所ではそれも致し方ないのかも知れない。 
 
 しかし、それを除けば新しい店舗に移ってから、ホスト達が待機する部屋も一新されたので居心地は悪くなかった。居抜き物件ではないため全ての調度品が新しい。二号店にはなかったシャワールームも完備しているし、今座っているソファだって以前の尻が痛くなる物と違いふかふかである。 
 信二はソファに深く腰掛けて再び爪ヤスリを手に取った。 
 
 最近いつも人差し指の右側、きまってそこにヒビのような物が入ってしまうのだ。バッサリ手前で切っても、伸びてきた爪には同じ場所に傷がある。気付かないうちに出来ているのか、それとも、削ったつもりで削り切れていないだけなのか。理由はわからなかった。その場しのぎのヤスリで滑らかに整えると、信二はふっと息を吹きかけヤスリをテーブルへと置いた。 
 
 爪はコレで完璧、美容院にも先日行ったし、靴も磨いたので気分が良い。そして気分が良いもう一つの理由。今日のネクタイは晶に貰った物なのだ。厳密に言えば、借りたまま返していないだけだけだが、晶自身も忘れているようなので未だにこうして持っていたりする。 
 
 多分、晶にとっては数あるネクタイの一つ。 
 だが、信二にとってはこれは宝物とも言える品なのだ。本当は毎日このネクタイを締めていたい所だが、そのうち晶に気付かれて返せと言われる心配もあるし、後はやはり、客に貰ったプレゼントのネクタイを締めて彼女たちを喜ばせたいというのもある。なので、結局は月に一度か二度締める程度になっている。 
 
 濃い紫の光沢のある生地に、不規則に並んでいるダイヤ型のドット。角度によってその柄が見え隠れする。 
 信二はネクタイを片手で掴んでマジマジと見ると、浮かんでくる笑みを咳払いで消した。誰も見ていないとはいえ、我ながら気持ち悪いと思ったからだ。リアクションが大袈裟だと言われる事が多いので最近はあまり顔に出さないように努力はしている物の、嬉しい時だけは中々隠すのも難しい。 
 俯くと、微かにだが、いつも晶がつけている香水の匂いがした。