GAME -1-


 

 
 ホストになってすぐに出会った晶は、信二の憧れであり、恩師でもある。店を変わった今でもそれは変わらない。だけど、いつからだろうか。それだけではない気持ちを感じるようになったのは……。 
 先輩である晶をどうこうしたいとか、日頃から具体的に思っているわけではないとはいえ……。多分抱かせてくれるというなら喜んで抱くと思う。寧ろ晶になら抱かれてもいいかもしれない。 
 
 容姿だけでなく、言動も、それに伴った行動も男前の晶を見ていて最初に感じたのは強烈な羨望だった。男としての憧れ。隣に並ぶだけで感じる雄の色気。現に老若男女を魅きつけてやまない晶は、天性のホストと言っても過言ではない。時々見せる鈍感で可愛い所も、以前一度だけ見た、いや、見てしまった……あの泣き顔も。 
 
 人なつこく、わざと隙を多くして相手に心を開かせる。その手腕で落としてきた数え切れない客の数。晶はそれを自然体でやってのける。計算高い人間では必ず滲み出てしまう傲慢さや、慣れによる怠惰、そういった物を晶からは一度も感じた事が無かった。そして、何よりも努力家である。 
 
 とにかく、晶の全てが好きなのだ。 
 いつも同じ場所に辿り着いてしまう答えに、信二は真顔でゆっくり頷いた。 
 
 しかしそれと同時にどこかで気付いてもいる。この『好き』は好きなアイドルに抱くような強い憧れに限りなく近いことも。手に入れたいと言うよりは、一生追い続けたいという気持ちの方が強いのだ。触れてしまうのが怖いような……、高嶺の存在。 
――だから、告白をするつもりもない。 
 
「ああ……!! 晶先輩、マジ最高っス!!!」 
 
 誰もいないのを良い事に、信二は声に出して昂ぶった気持ちを吐き出した。独り言ではかたづけられないテンションでの台詞が部屋に響く。つい先ほど、我ながら気持ち悪いと諫めたこともすっかり忘れての発言である。言った後で、本当に誰もいないか辺りを見渡して確認し胸をなで下ろした。 
 
 気持ちを落ち着かせるためにポケットから煙草を取り出して口に咥え、店のマッチを擦る。紙軸が焦げるような匂いがふわっと一瞬鼻腔を掠めた後、凄い勢いで空気清浄機へ吸い込まれる。咥えた煙草に火を灯し、マッチを数回振って消すと、灰皿へと投げ入れた。 
 二度ほど肺の奥深くを煙でみたし、ゆるゆると吐き出す。 
 
 早く来すぎるのも考え物かも知れない。只管暇である。だから、こんな恋する中学生のような事を考えてしまうのだ。 
 暇潰しのためにテレビを買って待機室へ置いて欲しいと提案してみようか、そんな事を考えて、信二は拳が入りそうなほど大きく欠伸をして足先だけをソファからはみ出させて横になった。 
 どうせ、暫くは誰も来ないだろう。 
 手持ち無沙汰なので携帯を取りだして写真を眺めてみる。整理しないまましょっちゅう撮る物だからそのフォルダ内部には千枚を優に越した写真があった。大半のくだらない写真の中で、信二は、まだ新しい一枚の写真に目を留めた。 
 店のオープニングパーティーの日に撮った写真。晶が新しくオーナーに就任した日でもある。 
 
 
 
 
 
 あの日は、晶についている客がほぼ全員入れ替わり立ち替わり祝いに駆けつけたせいもあって、普段滅多にお目にかかれないプラチナのドンペリが何本も出たのだ。シャンパンタワーに注がれるそれをみて、あまりの豪華さに、鳴り止まないコールをしばし忘れ溜め息が出てしまったくらいだ。 
 鏡を多く使用した内装のせいで、何処までも広がっているように錯覚を起こす空間。玖珂が現地にまで出向いて揃えたインテリアは、ホストクラブにしてはシックだが、女性が一番美しく見えるような照明との絶妙なバランスで配置され、統一されたブランドによる高級感が客を非日常へと導く。 
 
 当然だがオープニングパーティー初日だけでいつもの一週間分以上の売り上げがあった。 
 ホストなんて華やかなだけではないという事は身をもって経験しているが、晶を見ていると華やかさが凄すぎて目が眩む思いだった。 
 名の知れたモデルから花が届いたり、店に来られない上客からは驚きの額の贈り物が届いたり……。何故か某有名出版社の現社長(五十八歳男性)から電報も届いていた。どういう関係なのだろう……。 
 晶の人脈は凡人の自分には計り知れない。普段一緒になって、コンビニの新作スイーツであぁだこうだ言っている晶だが、やはり到底自分の及ばない域に立っているのだと、あぁいう時には痛感してしまう。自分もかなり頑張って客を呼んだが、晶を指名してくる客とは太さが違うのでその額は勿論半分にも及ばない。 
 
 そして晶の次にその日を飾り立てたのは、新宿店に来てから初めて会った楠原というホストだった。 
 楠原 蒼(くすはら あおい)。現時点では、ここ新宿店で群を抜いてNo1の売り上げを稼いでいる。ホストの経験年数から計算すると年齢は多分晶と同じぐらいかと思われる。 
 
 歌舞伎町にあったホストクラブ『CUBE』の元No1で、店が潰れた後行方がわからなくなっていたらしいが、一般の募集で面接に来たらしい。入店から数日は、他の一般募集で募った新米ホスト数人と同等にヘルプ等をしていたが、あっというまに指名客は増え、また、元の店から着いてきている客も結構いたため、飛ぶ鳥を落とす勢いでトップに駆け上がった実力者だ。 
 
 信二も当然蹴落とされた中の一人であるが、楠原を見ているとそれも当然だなと思えてしまうので、嫉妬などは全く湧かなかった。嫉妬は自分も辿り着けると思える立場の相手にしか沸き起こらないと以前誰かに聞いたが、その通りだと思う。寧ろ、晶以外で初めて『凄いホスト』だと認めた一人である。 
 
 ホストクラブは元来年齢などはほとんど関係なく、売り上げで全ての序列が決まる。No1になった楠原は、実質今の新宿店ではオーナーである晶の次にくる重鎮の座を射止めて、それは現在も揺らいでいない。しかし、彼も又、晶と同じく、立場が上になったからと言って高圧的な態度に出るような男ではないので店の中は今の所平和そのものである。 
 
 
 『CUBE』が廃業に追い込まれた事件があったのは、去年の同じ季節だった。 
 店の幹部を含む他のホスト数人が覚醒剤を所持していた事と、未成年への飲酒を黙認していた事。その二つが一斉捜査で発覚して営業停止に追い込まれたのだ。正直、あと数ヶ月で二十歳を迎える十九歳のホストが飲酒をしているのはよくあることだったりする。違法なのはわかっているが警察側も目をつぶってくれることも多い。 
 
 しかし、クリーンな経営を掲げている昨今のホストクラブで、薬絡みだけは言い逃れようがない。『CUBE』営業停止を擁護する声は当時も当然聞こえなかった。 
 他のホストクラブも同時に一斉摘発が入り界隈が騒がしくなる時期があるが、『CUBE』の時は、そうではなかった。『CUBE』を狙い撃ちで捜査が入ったそうだ。結果的に、警察の思惑通り十分見せしめの効果はあったと思う。 
 『LISK DRUG』でも当時玖珂がその話を皆の前でし、気を引き締めるようにとお達しがあったのを覚えている。 
 『CUBE』廃業は、ホスト業界にいる人間なら誰もが知っている事件。だが、その詳細を語る者もおらず皆それぞれ憶測で話す程度である。 
 楠原に直接その事を聞く人間もいないが、彼が今こうしてまたホストをしている所を見るに、事件とは関わっていなかったのだろう。 
 
 
 
 
 信二は、写真を眺めながらぼんやりと自分に置き換えて楠原の気持ちを考えていた。 
 愛着のある店が潰れて追い出され、慕っている晶や玖珂とも離れ、店の仲間も散っていく。その先、どこへ行っても『薬をやっていた店のホスト』という要らぬ肩書きが常につきまとう事になるだろう。店の顔でもあるNo1だったのならば、尚更の話だ。自分が関与していなかったとしても、世間からの風当たりが強いだろう事は想像に容易い。 
 
――俺だったら、もう……ホストは辞めるかもな……。 
 
 その立場を想像して信二はそんな事を考えた。玖珂や晶がいるこの店だからこそ、ホストを続けている部分が大きいのだ。今となってはもう、他の店でなんて考えられない。楠原は、何故又ホスト業界へ戻ってきたのだろうか……。 
 
 No1の栄光が忘れられないとしても、次の店でも同じくNo1になれるかもわからない業界だし、ここでも時々、店のホスト仲間が楠原のいない場所で彼を疑うような事を言っているのも耳にしている。そんな思いまでして本当に何故……。 
 
 晶とは真逆のイメージ。 
 男に対して美しいという表現はどうなのかとも思うが、楠原はまさに美しい男だった。 
 生活感の欠如した人形のような造形、口調も穏やかでいつも落ち着いていて行動もスマート。接客も完璧で、さすがは前の店でNo1を張っていただけはある。本来なら店が潰れてすぐにでも他のホストクラブから引き抜きがかかるような逸材。そんな男なのだ。信二は天井の一点を見つめ、楠原の顔を思い浮かべた。 
 
――蒼先輩……か……。 
 
 ホストには珍しくピアスも時計類も一切身につけていないのを不思議に思い、「アクセサリーとかしてないんっすね」と言った信二に「僕は、金属アレルギーなんですよ」と少し困ったように楠原は言った。これが一番初めに彼と交わした会話である。 
 
 同じ男なのに、ゾクリとしたのを覚えている。それが美しさによる物なのか、彼の奥底にある別の感情を一瞬抱いてしまったからなのか。それ以来、そんな気持ちを感じる事もなく、今はそれなりに同じ店のホストとしてうまくやっている。 
 そして、言うまでもなく。楠原がいることによって、No1の座は奪われ、新宿店で信二のNo1への道は余計に険しい物となった。 
 
 
 
 
 携帯を手から離して、溜め息をつく。今まで出会った事の無いタイプの人間だが、晶とは違った意味でホストの頂点に近い男だと確信している。世の中の女性にとって美しい物はそれだけで価値があるのだ。その点だけでも楠原の魅力は強力な武器となる。 
 
――信ちゃんってさ、喋らなければクールなイケメンよね。 
 
 今まで数え切れないほど言われてきた台詞である。自分を長年指名してくれている固定客にさえ言われてしまう始末だ。そこを気に入ってくれているからこそ、今も指名して貰えているわけだが……。時々ガッカリされることがあるのも事実だった。 
 明朗快活。自分にはそれしか武器がない。履歴書に苦し紛れに書く長所の定番みたいだと思えば、溜め息は重なるばかりだ。ホストとして今後もっと上へ行くためにはどうしたらいいのだろう。 
 
 グルグルと脳内を巡る答えの出ない問題。壁にある時計にフと視線を投げた所で、ドア付近に足音が聞こえてきた。誰か出勤してきたのだろうか。そう思っていると、ドアが開かれると同時に晶の声が部屋の入り口から届いた。 
 
「お! 信二、もう来てたのか。来んのはえーな~相変わらず」 
 信二は勢いをつけて振り返り笑みを浮かべる。 
「晶先輩っ! おはようございます!」 
 
 一番乗りで毎日店に来ているには訳がある。晶も店に来るのが案外早いのだ。毎日顔を合わせているが、二人きりで話す機会はそう多くない。皆が店に出てくるまでの数十分。その僅かな時間が二十四時間の中で一番楽しみな時間だった。 
 隣に腰を下ろして煙草を咥えた晶へと、信二はさっとマッチを翳しその火を灯す。「サンキュ」と笑顔で礼をいって微笑んでくれる晶の顔に見惚れながら、今日も晶への心酔度は100%だ。 
 
「あれ? 晶先輩、シャワー浴びてきました?」 
 
 ふわりと香るシャンプーのいい香り。そして髪も濡れているのに気付いて信二が首を傾げる。 
 
「あー、うん。1時間ぐらい前だけどな。まだ乾かしてねーから」 
「え? もしかして……家に帰ってないとか……?」 
 
 晶がちょっと困った顔で笑い、信二の言った台詞が正解である事を告げる。一番乗りで来たと思い込んでいたが、晶は最初からいたらしい。オーナーの部屋までは確認しなかったので、そこにいるのは知らなかった……。 
 
――何で店中探さなかったんだ、俺!! 
 
 心の中で頭を抱えながら、自分に言い訳をする。 
 探さなかったのは、晶はほとんどオーナー室にはいないからだ。オーナーに就任してからは序列からは抜けているのでNo1ではないにせよ、今でも晶は二号店にいた頃とほぼ変わらず客を取っている。店を閉めてからオーナーとしての仕事もしているので、信二達が店にいる間はフロアかここにいる事が多いのだ。その多忙さは計り知れない。 
 
「何処で寝てるんっすか? ダメっすよ、ちゃんと帰らないと」 
「オーナー室のソファ。まぁ、俺どこでも寝られる人間だからさ。特技っつーの?」 
「そういう問題じゃないっす。体壊したらどうするんっすか」 
「そこは……うん。まぁ一応気をつけてるから平気っしょ。俺、結構丈夫だし! だってさ~」 
 
 晶は盛大に溜め息をつくとソファの背もたれへ首を預けて天井を仰いだ。 
 
「売り上げと在庫の数が合わねぇんだよ……。何度計算しても五本ぐらいズレがある。昨日店閉めてからそれに気付いちゃってさ……。それってやばいだろ」 
「……やばい……ですね」 
 
 信二は二つの意味でその言葉を口にする。 
 一本の額が桁違いのホストクラブではたかが五本でも問題がある事は分かる。なので帳簿が合わないのは勿論やばい。しかしそれ以上に、今目の前で曝されている晶の真っ白な首筋、そこにある喉仏が晶が喋る度に上下する。同じ男とは思えない色っぽさ。そのやばさのほうが、信二には大問題だった。いつものごとく第四ボタン辺りまで豪快にあけている晶の胸元から喉までを視線で追い、ゴクリと唾を飲む。本人は無自覚なので、一番やっかいである。その後、信二は我に返って無理矢理視線をはがした。 
 
 天井に向かって吐き出した煙を最後にして、晶はひょいと起き上がると吸い殻を灰皿で消す。そして、隣においてある爪ヤスリをみつけて徐に手に取った。 
 
「あ、丁度いいや。俺も爪やっとこう」 
「俺もさっきまで削ってたんっすよ」 
「これ、めんどくせーよな。俺、爪伸びんのはえーんだよ」 
 
 晶が眉を顰める。 
 
「エロいからじゃないっすか? それって」 
「それは、髪の毛だっつーの」 
 
 晶にツッコまれて信二は、へへっと肩を竦めた。晶がオーナーになった今でも、自分が初めてホストになったあの日から何も変わらない。気さくな態度で接してくれる晶との会話はいつだって心地よい物だった。シャカシャカとリズミカルに爪先を削りながら晶が口を開く。 
 
「この前さ、爪結構伸びてて。客のストッキング伝線させちゃったんだよな」 
「あー。……あるあるっすね。俺も何度かあります。ストッキングって何であんなに薄いんっすかね。あれじゃ簡単にいきますよね」 
「ストッキングが厚手だったら、色気もクソもねぇだろ。透けてるあの感じ。あれがいいんだよ。俺達が気をつけりゃ良いだけ」 
 
 信二が、「え、晶先輩そういう性癖?」と真顔で聞くもんだから、晶は小さく吹き出した。 
 
「さて、と」 
 
 整え終わった爪にふっと息を吹きかけて、晶は腰を上げた。晶も忙しいのだから、そうそう引き留めるのは気が引ける。しかし、もう少しだけ話していたくて、信二は先程自分でグルグルと考えていた事を聞いてみようと思った。 
 
「あの、晶先輩。少し時間いいっすか?」 
「んー? まぁ、ちょっとなら平気だけど、どした?」 
「俺の魅力って何っすかね。あ、魅力って言うか……、その……、売りに出来る所って意味で」 
 
 晶は立ち上がっていた腰を再び下ろして「そうだな~」と真剣に考えこみ、少ししてから顔をあげた。 
 
「明朗快活、ってとこじゃね?」 
「…………」 
 
 泣きたくなった。やはり自分にはそれしかないのだ。長年一緒にいる晶から見ても、魅力は「明朗快活」ただそれのみなのだから。晶は自分の言葉で何故かがっかりしたような信二を不思議に思い、その顔を覗き込む。 
 
「なーに、どうしたよ」 
「……それって価値あるんっすかね。蒼先輩みたいに、超絶美男子! とかならわかるけど……」 
 
 信二の言葉を聞いて、晶は軽く信二の後頭部をはたいた。 
 
「バカ、お前。明朗快活ってすげーんだぞ? 明るく朗らかで小さいことを気にしない。それって理想の男の見本って意味だからな?」 
「いや、前半はわかるっすけど、後半初耳っす」 
 
 晶は「お前、鋭いな」と言って笑っている。笑い事じゃないのに、と思いつつ釣られて苦笑していると、晶はふっと信二を見守るような笑みを浮かべて振り向いた。 
 
「楠原は、確かにすげぇ美男子だとは思うよ。んで、それがホストとして売りかって言われれば間違いなく売りにはなる。だけどな、店に来る女性が全員好みが一緒って訳じゃないの、お前もわかるよな?」 
「……はい、まぁ」 
「美しい男と話して愛でたいという女性もいるし、楽しい会話がしたくて足を運ぶ客もいる。自分の容姿にどこかコンプレックスがあって男に対してすぐに心を開かない女性もいるじゃん。そういう女性は警戒心強いからガードもかたいっしょ?」 
「確かに、そうですね……」 
「楠原はさ、流石に経験積んでるだけ合ってどのタイプの客にも合わせられる接客術を持ってるけど。楠原みたいなタイプは、今最後に言ったような女性達には、本当は向いてない。でもそれでいいんだよ。相性ってやっぱ人間あるからな。そういう他のホストに向いてない客がきても、うちにはお前がいる」 
「……え……」 
「信二の会話術と明るい雰囲気は、嫌な日常を忘れたい女性も、コンプレックスに悩む女性にも心を開いてもらいやすい。店に来てくれる客をこっちは選ぶ権利がない以上、全ての客を満足させるには多種多様のベストな接客が必要だろ?」 
「……はい」 
「ほら、明るくて楽しい会話って、無理してすると必ず伝わるからな。自然にそういう接客が出来るお前の明朗快活さは、ホストとしても人間としても強みだって事。OK?」 
「晶先輩っ!!!」 
 
 冗談ではなく今度は感動して泣きたくなった。晶にそう言って貰えただけで『明朗快活推進委員会』を立ち上げて会長になっても良いとさえ思う。しかし、力強く励ましてくれた晶が、直後、何故か急に「……はぁ」と溜め息をついて辛そうに眉を顰めた。 
 
「信二……。今、うちの店で欠けてる物ってわかるか……?」 
「え? いや……なんっすか、わかりません」 
「ダンディな大人の男だよ……。そこだけ、まじやばい。欠落してる……」 
 
 確かに、言われてみればそのタイプのホストは店にいない。 
 
「若い奴らが多いから……そこはまぁ、仕方ないっていうか。んじゃぁ、いっそ三十代限定で募集するとかどうっすかね」 
 
 晶は、そうじゃないとでも言うように首を振って呟く。 
 
「玖珂先輩はな、二十代だった頃からダンディで大人の男だったんだよ……。俺もさ、オーナーになる頃にはそうなってる予定だったんだけど……。何で俺、いまだにダンディさ皆無なんだろうなぁ。何処に売ってんだよダンディの素、信二、俺に買ってこいよ」 
「いや……まぁ、……うん。晶先輩も、どっちかっていうと明朗快活グループ、っすよね……」 
「……追い打ちかよ」 
「だって……」 
「俺、今日から接客変えよっかな『レディの魅力の前では、この綺麗な花たちも霞んで見えてしまうね……』とか渋く言うとかさ」 
「いや、すんません……。そんな晶先輩、正直キモイんですけど」 
 
 キモイとか言うな、と今度は晶にちょっとだけ本気でどつかれて信二は苦笑いを浮かべた。同じ台詞を玖珂が言うのは、もう自然すぎて女性客のハートを鷲掴みにするのに何の不思議もないけれど、やはり人には向き不向きがあると思う。 
 玖珂の事も尊敬しているし、憧れてはいるけれど。自分とは違うタイプなのもわかっているので目指そうと思った事は無かった。 
 
「玖珂先輩みたいになりたい……」 
「晶先輩みたいになりたいっす……」 
 
 同時に言った言葉で、二人顔を見合わせて吹き出していると、背後のドアが音もなく開いた。 
 というか、開いていたようだ。その音さえ気付かなかったのだ。楠原は笑い合う信二達を見て、ほんの数秒視線を彷徨わせ、しかしそれを即座に消すといつもの笑みを浮かべ、軽く音を鳴らすように足を出した。踵が床に着くたった一回だけの音。 
 その音でやっと気付いた信二が、足音の方へと振り返る。 
 
「おはようございます。オーナーも信二君も、楽しそうですね。何を話していたんですか?」 
「あ! 蒼先輩。おはようございます!」 
「おー、楠原。今日も頑張ってくれよ~No1!!」 
 
 晶の冗談交じりの激励に、楠原は「勿論、精一杯頑張りますよ」と言ってニッコリ笑った。楠原がロッカーをあける背中に、晶が声をかける。 
 
「今な、信二が自分のホストとしての売りって何だと思います? とか聞いてきたからさ。答えてたんだよ」 
 
 楠原は着てきたコートとマフラーをするりと脱いでハンガーへとかけながら、「売り、ですか?」と首を傾げた。 
 
「そう、楠原はどう思う? ホストの先輩としてアドバイスしてやってくんねーかな」 
 
 話の輪に自然に入れようと、晶がさりげなく楠原を誘い入れる。新宿店はまだ開店したばかりで、前の二号店と違いホスト全員が馴染みのある人間ではない。溝が出来るようなことにならぬよう、晶は最大限公平に接するように心がけていた。 
 
「蒼先輩、『なし』はダメっすよ? 俺、泣きますから」 
 
 ふざけて信二がそう言うと、楠原は「まさか」と苦笑して、目の前のソファへとゆっくりと腰を下ろした。一見すると黒にも見えるが、よくみると若干青みがかかった色味をしている三つ揃いのスーツ。晶と違い首もとまでを隠すようにきっちりしめられたネクタイの奥の細い首。右側で緩く纏められた長い髪が、蛍光灯の光を僅かに反射して濡れたように艶を浮かべていた。 
 
「そうですね……信二君は。その饒舌な会話が強みだし、明朗快活って所じゃないですか。それって誰でも持っているわけじゃない素晴らしい魅力だと思いますよ」 
 
 全く晶と同じ事を言う楠原に、晶が小さく笑う。 
「やっぱそうだよな? 気付いてないのは本人だけってやつ」 
 信二が少し照れたように頬を掻く。 
「何すか……。二人して……」 
 同じく笑っている楠原が、信二に優しい笑みを向けた。 
 
「じゃぁ、僕からはもう一つ。その真っ直ぐさかな……。実直なんて、虚構を売りにするホストと対極でしょう? だからそれを持っている君は、余計に眩しい。十分武器になるんじゃないですか」 
 
 晶がうんうんと同意して頷きながら、まだ信二と共に過ごしている時間が短いはずの楠原はよく人を見ているなと感心していた。人を観察し、分析するスピードはホストをしていれば早くはなるが、楠原は元々そういう資質を持っているのかも知れない。 
 
「良かったな、信二。二つも売りがあって」 
「いや~……、何か照れますね。へへ……でも、ちょっと自信つきました!」 
「そうそ、ホストなんて多少ナルシスト入ってるぐらい自信ないとやってけねーからな」 
「晶先輩、ちょいナルシスト入ってますもんね」 
「あったりまえだろ。商品は自分自身だぜ? 自信なくておどおどしてる男なんて、誰も欲しくねぇだろ? 傲りは必要ねーけど、心の中の自信は有るに越したことはないって事だな」 
 
 晶はそう言いながら腰を上げた。そんな台詞が言えるようになるには、まだまだ先が長そうである。そして、口先だけでなく、そんな台詞を言えるだけの努力を晶が積んできているのは信二が一番よく知っていた。 
 
「ほんと、そうですね」 
 
 と同意している楠原が少し悪戯な笑みを浮かべていた。 
 
「え、でも。蒼先輩は、ナルシストじゃないっすよね?」 
 
 意外な同意に信二が驚いてそう言うと、楠原はすっと眼鏡越しの目を細めて視線を流し微笑んだ。信二へ向けた視線の色っぽさに、まるでその空気が染まったように見えドキリとする。 
 
「僕ですか? さぁ、どうでしょう。歌舞伎町の女性全員を、口説き落とす自信はないこともないですが」 
「えぇっ!? マジっすか?」 
 
 それが事実ならとんだ自信家である。 
 出かける準備をし出した晶が、鏡の前でドライヤーを手に取り口を挟む。 
 
「さっすが楠原。言うね~」 
「あれ? オーナーは日本中の女性、ですよね?」 
 
 冗談で返す楠原に、晶も同様に返す。 
 
「日本中? まさか、流石にそれはねーよ。世界中に決まってるっしょ」 
「それは、失礼しました」 
 
 笑っている二人を見て信二はぽかんとしていた。楠原が案外冗談好きなのも少し驚いたが、この二人はこれがまったくの冗談とも言えなさそうな所が怖い。 
 
「俺もいつか、宇宙中の女性口説く自信があります! とか言えるようになりたいな……」 
 
 夢は大きく。とりあえず範囲を広げてみる。 
 すっかり髪をセットし終えた晶が「銀河系まで足伸ばすとか。すげーな」とツッコミをいれてくれて信二は可笑しそうに笑った。 
 
「あー、俺今日ちょっと出てくるから、CLOSEまでには戻ると思うけど、店頼んだぞ。何かあったら電話してくれ」 
 
 しっかりスーツを着た晶は左右の髪をタイトにセットしておりいつもと雰囲気が違う。窮屈そうに首元に指を入れて緩めているのは、普段と違い首元までネクタイをしているからだ。細身のスーツの上に長いコートを羽織る。ドレスコードのあるオープニングパーティーのエスコートをするらしく、その姿は結婚情報誌にでも出てくる新郎モデルのようだった。 
 
 慌ただしく部屋を出て行った晶を見送ると同時に、数人のホストが出勤してきて待機室が一気に賑やかになる。 
『LISKDRUG』オープン時刻まで後三十分。 
 フロアに静かにBGMが流れ出した。