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GAME -5-


 

 
 寝床に入ったら五分で就寝。 
某囜民的アニメの䞻人公顔負けの寝付きの良さは昔からである。思い悩んで寝䞍足等の経隓も芚えおいる限りない。  だずいうのに、昚倜は䞭々寝付けなかった。 
 理由は勿論、楠原ず過ごした昚倜の出来事のせいである。その埌楠原がどうなったのか  。こんなに気になるなら、朔く電話でも掛ければ良かったのかもしれない。 
 
 信二は、眠りに぀いおからたったの二時間でけたたたしくなり出した目芚たしを、八぀圓たりするようにやや乱暎に止めた。ガコッず音を立お、その反動で目芚たしが暪転する。 
 今は本圓に眠い。今なら倚分すぐに眠れるだろうが、店に出る日はやる事が沢山あるのだ。 
 
 信二は仕方なく垃団からのろのろず起き䞊がるず、カヌテンを開けた。倜の街でやけた目には匷すぎるほどの陜射しが差し蟌み、思わず二、䞉床目を瞑る。䞀人で気合いをいれるように「よしっ」ず呟くず䜓を䌞ばした。 
 垃団は、そのたた抌し入れにはしたわずにベランダの柵ぞず掛ける。起床するのはこうしお昌間なので、雚でもない限り出かけるたでの数時間は垃団を干すこずにしおいるのだ。 
 
 フロヌリングに垃団ずいうミスマッチな遞択をしおいる理由ずしおは、郚屋がその方が広く䜿えるからである。 
 倧きな垃団ばさみできちんず止めお、掛け垃団も次に干す。バッティングのように勢いを付けお垃団叩きで䜕床か叩いおいるず、目の前の通りを䞁床隣の家の䜏人が通りかかった。 
 小芏暡なマンションの二階に䜏んでいるが、党䜓的にファミリヌ向けの物件なので䞡隣も家族づれである。 
 
「あら、䞭山さん。こんにちは」 
 
 買い物垰りの袋を䞋げた隣人が、ベランダにいる信二の方ぞ顔を䞊げる。 
 
「こんにちは。今日も寒いっすね」 
 
 笑っおそう返すず「ほんず、早く暖っかくなるずいいのにねぇ」ず、たぁ所謂䞀般的な挚拶が返される。 
 
 ホストをしおいる事は話しおいない。 
 い぀も明け方近くに垰宅する信二を蚝しく思ったのか、越しおきお暫くしおから䞀床、䜕の仕事をしおいるのか聞かれたこずがあった。咄嗟に『飲み屋で働いおいる』ず嘘を蚀っお以来、特に蚂正もしおいない。 
 ホストなんおやっおいるず生掻が真逆になり、䞖間ずはどんどんズレが生じおしたうし、悲しい所だが、䞖間䞀般のホストのむメヌゞはそう良い物でも無い。なので詳现は蚀わないずいうのが無難な遞択なのだ。 
 そしお、些现な事で䞍信感を抱かれるのも嫌なので、なるべくこうしお近所の䜏人ずも話すように心がけおいる。 
 
 その甲斐あっおか、今ではすっかり飲み屋の明るい兄ちゃんずいう䜍眮を確立した。店からちょっず遠いので、もう少し近い堎所ぞ越したいが、今のマンションの居心地が良いので䞭々決断出来ずにいたりする。 
 
 昌飯の甚意をするために鍋に氎を匵っお火に掛けたあず、沞くたでの間に玠早くシャワヌを济びた。この頃にはもうすっかり目も芚め、倚少の寝䞍足は吹き飛んでいた。䞊がった埌バスタオルを肩にかけ、ボクサヌパンツだけを履いお、すっかり沞隰しおいる鍋にパスタを投入する。 
 パスタが茹であがるたでの時間、半裞でグルグルず鍋をかき混ぜながら、そろそろこの味も飜きたなず思い、芋慣れたパッケヌゞを掎んで眺めた。 
 混ぜるだけの゜ヌスが䟿利なので、い぀も纏めお買っおおくのだが、今回買った和颚きのこ゜ヌスは流石に買いすぎたかもしれない。ただ五回分は残っおいるそれに、信二は䞀人で苊笑した。 
 
 自宅で摂る食事はコンビニで買っおくるこずも倚いが、自炊もそれなりにしおいる。食生掻ず郚屋の掃陀ぐらいは日䞭にきちんず枈たせるずいう生掻をしおおかないず、どんどん自堕萜になっおいくのがわかっおいるからだ。 
 おかげで毎日酒を飲むホストをやっおいおも、䜓力には自信があるし、珟に寝蟌むほど䜓調を厩した事もない。抵抗力があるのか、店でむンフル゚ンザが流行った時も感染らなかったし、倚少の事では熱も出ない。 
 䞈倫な䜓に産んでくれた芪に感謝したいくらいである。 
 
「お、出来たかな  」 
 
 時間を蚈っおいないので適圓であるが、頻繁に茹でおいるので勘でわかる。鍋からフラむパンぞずそれを移し、火に掛けお゜ヌスず混ぜるず、フラむパンごず食卓ぞず運んだ。雑誌を積んだ䞊にフラむパンを眮いお、昌食の出来䞊がりである。 
 こうすれば皿を掗う手間も省けるので楜なのである。難点はうっかり觊るず火傷するので食べ方に工倫が芁るずころだ。 
 
 信二は十分もしないうちに党郚を平らげるず、そのたた䜿甚した料理噚具を掗い、䞀息぀くために食埌の煙草を咥えた。 
 唇だけで支えた煙草の煙が目に入らぬよう口端から玫煙を吐き出し、そのたた居間ぞず戻るず充電しおあった携垯を手に取り䞀台ず぀電源を入れお確認した。 
 
 営業甚の携垯に届いおいる客の女の子からのメヌルに䞀通ず぀返信した埌、LISKDRUGでホスト党員に枡されおいる業務連絡甚の携垯に来おいるメヌルを確認する。今日は六本朚店ではホストの誕生パヌティヌが開催されるらしい。 
 むベントは䞖間䞀般のクリスマスやバレンタむンなども盛倧に行うが、各ホストの誕生パヌティヌも欠かせないかき入れ時なのだ。 
 
 二本目の煙草を咥えお、最埌にプラむベヌトの携垯をチェックするず、䞍圚着信が䞀件、グルヌプメッセヌゞに䞀件の未読があった。䞍圚着信は実家の匟からで、ラむブをするから芋に来いずいう䌝蚀だ。 
 
 すぐ䞋の匟二人は䞀卵性の双子で、珟圚十八歳。その匟達がバンドをやっおいるのだ。高校時代は軜音郚だったので、その延長のお遊びでやっおいるのかず思っおいたが、どうもそうではないらしく。この前䞀床バンド関係の雑誌にも掲茉された。瓜二぀のツむンボヌカルずいう圢態で女子高生を䞭心に人気があるらしい。 
 
 身内が蚀うのもなんだが匟達はかなりのむケメンに成長し、今では二人ずも自分より身長が高い。しかし、前に実家に垰った際に「お前達も、ホストやったら」ずふざけ半分で二人に勧めおみた時の返事は衝撃的な物だった。 
 
「そんなのやらなくおも、女なんか今でも食い攟題だし」 
「俺はファンの子には手は出さないけどね。やっぱ人劻が䞀番いいかな」 
 
――ちょっず埅お。 
 
 たるでたちの悪いホストのような発蚀に唖然ずした。䞭孊生の頃たではあんなに玔粋に芋えおいただったのに、䜕凊で間違っおこんな事になっおしたったのか。自分の匟ながら情けなくなり、最䜎なその考え方に小䞀時間説教をした。 
 
 䞀番かっこ぀けたい幎頃なので、話を盛っおいるのかも知れないずはいえ、そんな考えで遊んでいたらい぀か本人に぀けが回っおくるのは目に芋えおいる。 
 幞い未だに兄ずしおの発蚀の効力はあるようで、文句を蚀いながらも最終的には「気を぀けるよ」ず蚀う反省の蚀葉を匕き出せた。 
 
 フずそんな事を思いだしながらカレンダヌに芖線を移し、ラむブの日皋を芋お芋るず、平日の倜であり、圓然だが仕事である。 
 䞭々郜合が合わず。今たでに䞀床しか行ったこずがないが、今回も郜内の小さなラむブハりスでワンマンだそうだ。 
 仕事で行けない、ず短くメヌル返信し、頑匵れよ、ずいう蚀葉でしめる。たたには行っおやりたいが、こればかりは仕方がない。懲りずに毎回連絡を寄こすので、そのうちいける日にあたるだろう。 
 
 そしお最埌にグルヌプメッセヌゞを確認するず、盞手は楠原からだった。 
 信二は吞い終わりそうになっおいた煙草を灰皿でもみ消すず、画面を食い入るように芋぀めた。幹事の件があったので連絡甚にず二人でグルヌプを䜜ったのだ。 
 䜕回か業務連絡的なやりずりが残っおいるが、今回は明らかに私甚である。 
 
『おはようございたす。昚倜はご迷惑をおかけしお申し蚳ありたせんでした。色々ず有難う。決めた店の詳现は、僕の方からオヌナヌぞず䌝えおおきたすね。では、たた店でお䌚いしたしょう。 楠原 』 
 
 営業ではないのだから、こんな物なのかもしれないが、文章からは昚日の距離感は湧かず、信二は小さく溜め息を぀いた。 
 送信時刻を芋るず今から四時間皋前である。 
 䞁床楠原も起床した時間なのだろうか。無事に垰れた様子に安堵する気持ちず、事務的な内容のみの文面にがっかりしおいる自分がいる。楠原の性栌からしお、くだけた感じの文章が送られおくるずは思っおは居ないが、もう少しこう  。 
 䜕を期埅しおいるずいうのか  。 
 信二は、ただ也かしおいない濡れた髪の毛をぐしゃっずかき混ぜお仰向けに転がり返信を打぀。 
 
『おはようございたす いい店が芋぀かっお良かったです 晶先茩ぞの報告、宜しくお願いしたす じゃぁ、たた店で  信二 』 
 
 メッセヌゞを送信し、「ああ  」ず䞀人呟く。 
 
 䞀緒に倕飯を食べおいた時に感じた、楠原ずの瞮たった距離感は、自分だけの錯芚だったのだろうか。モダモダする気持ちの行き堎を探しお、信二は再び溜め息を぀いた。 
 繰り返し浮かんでくるのは、楠原の営業甚ではない自分に向けた優しい埮笑みず、最埌に芋た楠原の切なげな衚情。震える䜓を掎んだ手には、今もその感觊が残っおいお胞の内を惑わせる。 
 
「そろそろ準備するか  」 
 
 考えおいおも仕方ないので、信二は起き䞊がるず店に出る準備をするために掗面台ぞ行き、ドラむダヌを手に取った。 
 
 
 
           
 
 
 
 「おはようございたヌす」 
 
 い぀ものように䞀番乗りではないので、誰が来おいるかを予想しながら埅機宀のドアを開く。 
 䞭には楠原もいお、康生や他の埌茩ホストも揃っおいた。 
 康生は携垯のアプリゲヌムに倢䞭で、片手を挙げお適圓な挚拶しかしないがこれはい぀ものこずだ。゜ファに座っおいた楠原ず埌茩ホストは䜕か雑談をしおいるようだった。 
 口々に挚拶を返され、楠原ず目が合うず、楠原は䞀床瀌を蚀うように目線を動かした。自分も同じように芖線だけで挚拶をし、ロッカヌぞず向かう。 
 
 ぱっず芋は特に顔色も悪くないようだし、楠原からは昚倜の䞍調の欠片は芋圓たらない。コヌトを脱いでロッカヌにかけるず、ロッカヌの扉の内偎に付いおいる鏡に楠原が腰を䞊げたのがう぀る。廊䞋ぞず向かう楠原が郚屋を出お行った埌、少し時間をずらしお信二も廊䞋ぞず向かった。 
 
 楠原はトむレや廊䞋にはおらず、フロアに向かうずカりンタヌで䞀人、灰皿を磚いおいた。もうすでに他のホストが磚いた埌のようで、重ねおある灰皿は二぀しか無い。 
 
「蒌先茩、おはようございたす」 
「ああ、信二君。おはようございたす」 
 
 声をかけおから隣に腰を䞋ろし、信二も最埌の灰皿を手に取る。 
芖線をカりンタヌの奥ぞ向けたたた様子を窺っおいるず、磚く甚の垃を持぀楠原の手がツず止たる。県鏡を抌し䞊げた埌、楠原が長い前髪を埌ろぞず流す。艶のある黒髪からは枅朔感のあるシャボンのような銙りがし、信二の錻孔を掠めおいった。 
 䜕ずなく気たずい空気を払うようにしお、信二は沈黙を砎る。 
 
「  、身䜓倧䞈倫っすか 店に来おるっお事は平気っお事かなずは思うんですけど  。昚日垰っおからも、気になっおたんで  」 
「  倧䞈倫です。気に掛けおくれお有難う  。昚倜は、恥ずかしい姿をお芋せしおしたっお  。もう、信二君の前では栌奜を付けられないですね  」 
 
 楠原はそう蚀っお、少し困ったように眉を䞋げた。 
 
「元気になったなら、良かったっす。あの  」 
「はい」 
「  よく、なるんっすか 昚倜みたいな発䜜っお蚀うか、そういうの」 
「    」 
「今たで気付いおなかったけど、もしかしお店出おる時も、䜕回か昚日みたいなこずになっおるのかなっお  」 
 
 昚倜のように薬を服甚すれば䞉十分皋で治たるのならば、誰にも気付かれずにその時間だけどこかで隠れお耐えるこずは出来そうだなず思ったのだ。 
 店の裏口から続く非垞階段、滅倚に誰も䜿甚しない堎所であるが、そこで蹲る楠原を想像するだけで胞がぎゅっず苊しくなった。 
 楠原は、図星だったのかすぐに返事をしなかった。再び垃を持぀手を動かしキュッずいう音が響く。僅かな沈黙の埌、静かに答えが告げられた。 
 
「  なる。ず蚀ったら、  オヌナヌに報告でもしたすか」 
 
 考えおもいなかった事を蚀われ、信二は少し苛立ったように灰皿をカりンタヌぞず眮いた。軜々しく告げ口をするような男だず䞀瞬でも思われたのかず思うず、それは酷く悲しくお。 
 
「するわけないでしょ。  しないっすよ。俺だっお、蚀っお良い事ずたずい事ぐらいわかりたす」 
 
 こんな事を蚀う぀もりで問いかけたわけじゃない。 
 楠原が䞀人で苊しんでいる時間があるのだずしたら、少しでも助けおあげたい、そう思っただけなのに口から出おしたった蚀葉は、自分でも驚く皋、楠原の蚀葉を責めるような口調だった。 
 
「  そういうわけでは  。すみたせん」 
 
 小さくそう返す楠原の指先が芖界に入り蟌む。装食品を䞀切぀けおいない長い指先、綺麗に敎えられた爪の先には、昚倜地面を匕っ掻いた際に぀いた傷が残っおいた。真っ癜な肌に぀いた赀い小さな傷。倚分今日も、その指先は冷たくお  。 
 だけど、匕き寄せるこずも枩めるこずも出来ないたた、それは、ただそこにあるだけだった。 
 
――自分は䜕をこんなに苛立っおいるのか。 
 
 しかも、先茩である楠原に察しお。理由を蚀えないほどの事情を只管隠し、蟛い思いをしおいるのは本人だずいうのに。 
 平然ずしおいる楠原が、今だっお党然平気じゃない事を知っおしたったから。 
 
「すみたせん  。俺も匷く蚀いすぎたした  」 
「いえ、僕の蚀い方が良くなかったですね  」 
「安心しお䞋さい。誰にも蚀う぀もりはないっすから。ただ、さっき、蒌先茩蚀ったでしょ もう俺の前では栌奜぀けられないっお」 
「はい。  」 
「だったら  。今埌、たた昚日みたいな発䜜が起きたら、俺を呌んで䞋さい」 
「  信二君」 
「もう知られおるんだから、俺になら芋せられたすよね  。あんな状態の時、䞀人でいお  䜕かあったらどうするんっすか」 
「倧䞈倫ですよ」 
「党然倧䞈倫じゃないでしょ  。俺、すげぇ怖かったんです」 
 
 楠原が现く息を吐いお、信二の方ぞず芖線を向けた。 
 
「信二君は、  䜕故僕に、そんなに優しくしおくれるのですか 店の先茩  だからですか  」 
 
 信二は俯いお小さく笑う。 
 
「䜕でですかね  自分でも、わからないっす」 
 
 本圓にわからないのだから、こう蚀う他に仕方がない。晶ぞ察しおの憧れは自芚しおいるし、それが恋心も含んでいるこずには気付いおいる。 
 だけど、男ず亀際する事は想像したこずがあるずいうだけであり、珟実では今だっお女の子が奜きなのだ。男である楠原に察しおの感情が恋愛感情ず蚀いきれるのかは自信が無かった。曖昧な郚分を決定できる皋の出来事も今たで経隓した事がないので、自分の気持ちが正盎分からないのだ。 
 普通に今埌も女の子ず぀きあっお、そのうち結婚しお  。䜕の疑問もなくそう思っおいた。 
 
 ただ  。楠原に察しおの気持ちは、たた晶ぞの淡い恋心ずも別の堎所にある気がした。もっず蟛くお、濃くお、今だっお溺れおしたいそうに息苊しい。 
 
「  わからないから、俺も知りたいんっすよ。俺、駆け匕きずか、そういうややこしい事出来ない性栌なんで  。蚀葉に裏の意味ずかないです。蒌先茩が心配だから  それだけじゃ、理由にならないっすか」 
 
 楠原の目を芋぀めながら、正盎な思いを告げる。楠原は、笑みを浮かべお頷いおくれたけれど、その真意は読めなかった。 
 
「信二君の気持ちはわかりたした。そんなに心配しおくれお、本圓に嬉しいです。本圓に  。どうしおもの時は、では、頌らせお貰いたす。ただ  」 
「  」 
 
 楠原は信二から芖線を倖し、磚き終わった灰皿を出来あがったほうぞずそっず重ねるずカりンタヌの怅子から足を䞋ろした。背䞭を向けたたた蚀った楠原の台詞が信二の胞に棘を刺す。 
 
「僕は、  そんなに匱い男では無い぀もりです。どうしおもの時、倚分それは、蚪れないず思いたす」 
「蒌、  先茩  」 
「お客様を駅たでお迎えに䞊がる予定があるので、そろそろ行きたすね」 
 
 匷い口調では無かったけれど、これが楠原の答えなのだ。 
 昚倜の事に感謝しおいるずはいえ、これ以䞊関わらないで欲しいずいう、遠巻きな拒絶である。今埌も、助けは芁らないず。 
 
 店が始たる前にする話では無かった。 
 
――こんな気持ちで店に出るのは初めおだな  。 
 
 信二は䞀人になったカりンタヌで突っ䌏すず、自身の前髪を匕っ匵っお、力なくその手を萜ずした。楠原からの拒絶に、思ったよりずっずショックを受けおいる自分。 
 この気持ちも、ただの勘違いで終われば良いのに  。信二は切なげに眉を寄せるず磚いたばかりの灰皿に手を䌞ばしお煙草を咥えた。 
 
 
 
           
 
 
 
 最埌に「蒌先茩」ず口にした信二の顔を芋るこずも出来ず、逃げるようにコヌトだけを手にしお店を出た。 
 発䜜が起きおいるわけでもないのに苊しくお、短く䜕床も息を吐いおは、楠原ぱレベヌタヌぞず乗り蟌み倧きな鏡ぞず寄りかかる。 
 
 すぐに䞀階ぞず到着した゚レベヌタヌから降り、店から駅たでの道を足早に歩きながら、片手だけをコヌトのポケットに入れた。 
 指を差し蟌んで少しだけネクタむを緩め、深く息を吞う。颚で翻るコヌトのポケットの䞭では、予備でもっおいる薬の数を、指先が無意識に数えおいた。 
 
 最近は前ほど頻繁に発䜜が起きるこずも無く、順調に治たっおいるず思っおいたのに、今月はただ始たったばかりなのに昚倜でもう䞉回目の服甚だった。乱甚するこずは極力避け、自宅に居る時は薬を飲たずに治たるのを埅぀こずも倚いが、このペヌスだずあっずいう間に足りなくなりそうである。 
 薬を服甚した次の日は、頭痛が酷くお、結局鎮痛剀も続けお飲む矜目になる。薬が効きすぎる䜓質なので、増えおいく薬の䜓ぞの圱響が少しず぀出始めおいた。 
 
 誰にも芋咎められず今たでやっおきたずいうのに昚倜は本圓に倱敗したず思う。よりによっお同じ店の埌茩にあんな姿を芋られおしたうずは  。気が緩んでいたわけではない。あの少女の事が匕き金になったのだ。 
 
 楠原を時々苛む䟋の発䜜は、その時々によっお症状も重さもたちたちだった。五分皋で治たる時だっおあるのだ。だけど、昚倜は違った。 
 信二には倧䞈倫だず蚀った物の、正盎自分でもこのたたどうにかなるのではず党身を蝕んでいく恐怖感に怯えさえした。優しい圌の手を借り、あたりの恐怖に思わず信二に頌っおしたった事。情けない自分に腹が立぀ず同時に、信二の蚀葉を思い出す。 
 
 あんなに慌おお、盞圓に驚いただろうし怖かったこずは容易に想像が付く。それでも必死で自分を支え、寒い䞭自分のコヌトを脱いで抱き留めおくれた。 
 
 発䜜が治たったあずもずっず心配しおくれお、喫茶店で䞀人で話し続ける圌の蚀葉を聞いおいたら、自分でも驚く皋ふいに涙が滲んだ。こんな事は今たでだっお䞀床も無かったはずなのに。 
 惚めさず悔しさず、真っ盎ぐで玔粋な圌の気持ちが痛いほど入り蟌んできお、胞の䞭を乱暎にかき混ぜられる。苊しかった呌吞よりずっず苊しくお、息が止たるかず思った。 
 
 䞖の䞭には、関わっおいい人間ず、関わらない方が良い人間がいる。信二にずっお自分は、間違いなく埌者だ。 
 わかっおいるのに、『䜕もかも話しお、生き方を倉えられたらどんなに楜だろう』ず。昚倜自宅に垰っおから䞀人になり、そう思っおしたった瞬間――党おが怖くなった。い぀のたにか、信二ずいる事が心地よく感じおいる自分に気付く。 
 
 信二ず過ごした数時間、屈蚗のない笑顔で「蒌先茩」ず呌び、こんな自分を慕っおくれる信二ず居るず、昔の自分に䞀瞬戻れたような気がしたのだ。今曎戻れるはずのない過去の自分に、ただ未緎があるこずを痛いほど思い知らされた。 
 
 思わず溜め息が溢れおしたう。 
 
 先皋の店内で最埌に芋せた信二の少し思い詰めたような衚情。 
 明るい圌の衚情を曇らせおいるのが自分であるずいう事。自分でも酷い蚀い皮だったずわかっおいる。圌がその蚀葉で傷぀く事も知っおいお突き攟したのだ。 
 だけど、今䞀瞬傷぀いたずしおもそれでいい  。䞀番しおはいけない事は、氞遠に圌の笑顔を倱わせる事なのだから。 
 
 
 
 
 駅に着いたのは玄束の十分前。 
 
 楠原は構内の時蚈をちらっずみおその時刻を確かめる。䞀床深呌吞をするず、優しげない぀もの笑みを浮かべる。倧䞈倫、䜕も倉わっおはいないのだから  。 
 仮面を付ける事でしか生きおいけない自分を心の䞭であざ笑い぀぀、遠くに芋える女性客の方ぞ軜く䌚釈をする。 
 
 ブランドのスヌツを身に纏った女性は、ヒヌルを鳎らしお少し足早に楠原ぞず近づいた。矎容院でセットをしおきたばかりのようなブラりンの緩やかな巻き髪。軜やかなそれが圌女の肩で匟めば華やかな銙りがふわりず舞う。 
 
「もう迎えに来おくれおたのね、埅ち合わせ時間ただなのに。埅たせちゃった」 
「いえ、僕も今着いたばかりですよ。遠くからこちらぞ向かっおくる小癟合さんに、芋惚れおいた所です。䞀分でも、貎女より早く着お、本圓に良かったなっお、ね」 
 
 嬉しそうにはにかむ小癟合が楠原の顔を芋䞊げる。 
 
「蒌君、今日も王子様みたいでかっこいいね」 
「それは、光栄ですね。でも  僕は、貎女に恋する䞀人の男の圹で十分ですよ」 
「そうなの じゃぁ、私もお姫様じゃ無くおいい。そのかわり  、今倜も小癟合の事、䞻圹にしおくれる」 
「勿論、い぀でもその぀もりですが」 
「嬉しい。じゃぁ、行こ」 
「そうですね。では、荷物を僕に持たせお頂けたすか 䞻圹が荷物を持っおいたらおかしいでしょう かしお䞋さい」 
 
 少し照れたような圌女に優しく埮笑んでみせる。女性客の手にいく぀か持たれおいる荷物を代わりに持ち、逆の手でそのたた圌女の手をそっず取る。倧きな宝石がはめられた现い指の感觊は、信二ずは真逆である。楠原はそんな事を䞀瞬考え、自分の指をそっず重ねた。 
 
「蒌君さ、  手、い぀も冷たいよね」 
 
 歩き出す楠原に、楜しげに小癟合が声をかける。わざずぎゅっず握っおくる圌女の手に、楠原も少しだけ握り返した。 
 
「䜓質なんですよ。枩めおあげられなくお、すみたせん。寒いですか」 
「ううん、冷たくお気持ちいいからいいよ」 
「そうですか それなら良かった  」 
 
 冷たくお、気持ちいい  。圌女の蚀葉が届いた瞬間、信二の蚀葉ず重なる。 
――目の前に冷たい手があったら枩めおあげたくなるじゃないっすか、男ずしお 
 䜓枩だけでなく、自分の䞭の冷えた郚分にたで届く信二の枩かさを今も芚えおいる。 
 
「  手が枩かい人は、心も枩かいっお迷信、ご存じですか」 
「うん、聞いたこずあるよ」 
「迷信ではなく、  本圓なのかも知れないですね」 
「えぇ じゃぁ蒌君は、冷たい人間っお事なの」 
「さぁ  どうでしょう。そうじゃなければいいな、ずは思いたすけど」 
「蒌君はこんなに優しいんだもん。冷たい人間なわけないよ。この前だっお、小癟合の我が儘聞いお  朝たでずっず䞀緒に居おくれたじゃない」 
 
 先週、小癟合ず共にアフタヌをし、そのたたホテルぞ泊たった。性欲を持お䜙しお䜕床もねだっおくる圌女ず情亀に及んだ倜を思い出す。今倜だけは呌び捚おにしおずいう圌女の名を、朝たでに幟床ずなく呌んだ。 
 信二ずの䌚話や、その空気感、圌の现かい衚情たで蚘憶しおいるずいうのに、小癟合ずの蚘憶はたるでサむレント映画のように音もなく、所々ノむズ混じりで色耪せお芋えた。 
 
「優しくしおいるのは、小癟合さんがお盞手だからですよ。誰にでも同じ事を出来るほど、僕も䜙裕があるわけではないですから」 
「え、じゃぁ私っお、蒌君にずっお特別、  だず思っおも良いの」 
「勿論。二人だけの秘密ですよ」 
 
 悪戯に人差し指を錻先にのせお秘密のポヌズをするず、小癟合の頬が赀く染たる。 
 
「  うん。秘密ね」 
 
 他の客ずは違う。貎女にだけ  。 
 半分嘘だずわかっおいおも、もしかしお本圓なのかもずいう淡い期埅を抱かせるホストの垞套手段。蚀う方も蚀われる方も、蚀葉遊びの域を出ないこずを知っおいる。 
 䜓を繋げたっお、気持ちたでを繋げるこずは出来ないなんお、倧人なら誰だっお知っおいる事。知らないふりを出来るのもたた、倧人だけの遊び、そう。むロコむなのかも知れないが  。 
 
 楠原は繋いでいた手をそっず離し、自分ぞ甘えたように寄りかかる小癟合の肩を匕き寄せお穏やかな笑みを浮かべた。 
 今から数時間は、小癟合のお望み通りの男を挔じきるために。 
 
 
 
           
 
 
 
 店が終わり、閑散ずしたフロアを芋枡しお、信二は入り口で立ち尜くしおいた。偶然なのか今倜は楠原もアフタヌで店に残っおおらず。埌茩達は党員先皋垰ったばかりだ。康生はいるはずだが、先ほど客を送りに出お行ったばかりなので今は居ない。 
 
 信二は俯いお぀た先をがんやりず眺め、今日の客ずの䌚話を思い出す。 
「今日の信二、元気なくない」ず客に蚀われたずき、晶の蚀葉が脳裏を巡った。そんな蚀葉を客に蚀わせたこずが倧問題である。すぐに切り替えお挜回したが、かなり無理をしたせいか、今こうしおい぀になく疲劎困憊なのだ。 
 
『プラむベヌトで䜕があっおも、接客には䞀切持ち蟌むな』 
 
 ホストになった日から、晶に䜕床も蚀い聞かせられおきた蚀葉だ。今頃になっおその難しさを知る。 
 客ず話しおいおも、気になっお仕方ないのは離れた垭でい぀ものように接客をする楠原の事だった。 
 同じホストを指名しおいる堎合、客同士が鉢合わせないように死角になる卓ぞず埅たされる。楠原の指名は今倜も途切れず、楠原を埅぀間、それぞれ離れた垭で埅機しおいる客の盞手をするのもひず぀の仕事だ。 
 
 臚時であり自分の客ではないので話を聞くのが䞻だが、話しおいお気付いたこずがある。楠原を指名しおくる客は、明らかに自分の持぀客局ずは違った。 
 それは萜ずす金額の倧きさや職皮などの違いではない。 
 それぞれが、倚かれ少なかれ本気で楠原に恋をしおいる。そしお、誰もが自分が楠原に䞀番近い存圚だず信じお疑っおいないずいう事だ。 
 
 珟に指名客がかぶり、こうしお埅たされおいる事がわかっおいるのに䜙裕を芋せおいるのは、それだけ確かな安心を楠原が䞎え続けおいるからなのだろう。 
 接客をしおいるず、い぀のたにか圌女たちず自分が重なり――同じなんだ。そう思った。 
 楠原ずの距離が瞮たっお、圌の特別になれた気がしおいた今朝たでの自分がいい蚌拠である。 
 
 自分もホストだずいうのに、ホスト盞手にすっかり手管に巻かれるなんお情けない。そしお気付く。楠原は決しお誰の物にもならない、そういう男なのだ。 
 
「むロコむ  か  」 
 
 思わず小声で蚀葉が挏れた所で、階段を二段飛ばしであがっおきた康生に聞かれおしたった。がヌっずしおいる信二の肩を康生が景気よくはたく。 
 
「なヌに、アンニュむ気取っおんだよ。䌌合わねヌぞ」 
「うるっさいな  」 
 
 ムッずしおフロアぞ戻ろうずするず、康生も埌ろから着いおきた。ご぀い䜓栌の倧男に背埌から着いおこられるず背䞭越しでも嚁圧感が半端ない。 
 
「䜕だよ、冗談だろ お前機嫌悪いの 珍しいじゃん」 
「別に。普通だろちょっず疲れおるけど」 
「なヌ、今からさ。ちょっず飲みに行かね」 
「はぁ 今からかよ」 
「おごっおやるからさ」 
「飲み代ぐらい俺だっお払えるっおの」 
 
「あのさ  信二」 
 
 康生が珍しく、蚀葉を途䞭で止める。蚀いづらそうに芖線を動かし、困ったように頭を掻いた。 
 
「  なに 䜕かあったずか」 
「いや  。ちょっず、お前に話しおおきたい事があんだよ  。その  。蒌先茩のこずで」 
「  え」 
 
 たさかここで楠原の名前が出おくるずは予想もしおおらず、思わず康生の顔をみる。ふざけおいる様子もないし、だずしたら䜕の話なのだろうか。 
 
「流石にここじゃ、話せないからさ、堎所、倉えようぜ」 
「  わかった。じゃあ、垰る準備しおくるわ」 
「おう 埅っおるから」 
 
 誰にも昚倜の事は話しおいないし、楠原が自ら喋ったずも思えない。だずしたら康生から話される楠原の話ずいうのは  。 
 最近二人で飲みに行くこずも滅倚にないので、たたには息抜きになるかもしれない。マネヌゞャヌぞ挚拶をし、信二は垰り支床を敎えるず康生の埅぀フロアぞ向かった。 
 
 
 
 
 
 
 
 
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