GAME -11-


 

 
    *    *    * 
 
――ここか……。 
 
 近代的な建築物は一見図書館には見えず、壁にある不規則に並んだ硝子窓は美術館のようでもある。 
 信二は眩しさに目を眇め、建物を見上げると寝不足の目を擦って、図書館の入り口を抜けた。 
 学生の頃だって図書館等ほとんど行ったことも無かった。思い返せば小学生の頃、読書感想文の宿題が夏休みに出された時に来た以来かもしれない。 
 
 信二は入ってすぐにあった案内をじっくりと見て確認すると、四階にある新聞や雑誌の資料室へ向かった。開館して間もない時間のため、誰ともすれ違うこともなく部屋へと辿り着く。 
 
 綺麗に掃除されているものの、やはり古い本も多いからなのか図書館独特の匂いがする。中央に設置してある巨大な円形のテーブルへと荷物を置き、どこから手を付けたらいいのかわからなくなりそうな膨大な資料をグルリと見渡した。 
 
 勝手がわからないが、よくよく見ると新聞各社の棚の中で年代別にわかれているようだ。 
 ポケットからメモを取り出して、調べる日付の場所をまず探す。すぐに見つかった縮刷版を取り出してその重さに驚く。ほとんど鈍器のようなそれは、それでも一ヶ月分であり、世の中の情報の多さを考えさせられる。 
 
 重いそれを一冊ずつ手に取り机に運んで重ねる。信二は椅子を引いて腰を下ろした。縮刷版の最後のページを見ると1300ページを越している。どうりで分厚くなるはずである。 
 朝刊、夕刊と交互にある記事を片っ端から捲っていくと、調べた日付の夕刊にCUBEの事件は掲載されていた。 
 
 
『店裏の金庫に大量の覚醒剤』東京・歌舞伎町 
 覚醒剤を所持していたとして、覚醒剤取締法違反(使用)容疑で歌舞伎町にあるホストクラブCUBEの従業員五名を逮捕。警視庁関係者によると取り調べ中二名は「間違いありません」と容疑を認めており、三名は「街で声をかけられて買ったが使用していない」「覚醒剤だと知らずに使用していた」などと曖昧な供述をしている。警察当局は背後の入手経路についても追及する。 
 
 
 と書いてある。正確な日時、その当時の写真、逮捕された人数。 
 覚えきれない数字や名前を書き取っては、また別の新聞社の記事を読む。何社か揃っていたが、大まかなところは最初から知っていた情報とそう違わない物だった。 
 
 しかし、ひとつ前進した事もある。逮捕されたホストの名前と年齢が挙がっているが、その中に当時楠原より年下であったはずの後輩ホストが見当たらなかったのだ。 
 楠原の言っていた事が本当なら、その後輩は楠原より年下でまだ若かったはず……。記事に載っていたのは28~32までのホスト五名。どうやら店の全員が薬をやっていたわけではなかったようだ。 
 
 先程壁に貼ってある注意書きを見たが、各社の縮刷版のコピーは片面のみが許可されているらしい。念の為そのページをコピーしようと腰を上げると、丁度向かい側に三人組の真面目そうな学生がいて目が合った。 
 
 自分と同じように何かの記事を探しているようで、コピー機へ向かおうとしていたらしいが、信二が腰を上げると相手は即座に腰を下ろした。隣の友人とひそひそ話しているのを見て信二は軽く溜め息をついた。この場に場違いなことはわかっている。 
 店に行く前の格好のまま来ているので、所謂普通の会社員のスーツではない。見るからにホストだとわかったのかもしれない。世間一般のホストに対する態度なんてこんなものである。 
 これで、覚醒剤の事件を調べているなんて知られた日には余計に怪しまれるだろう。 
 
 やれやれと思いながら片隅にあるコピー機で印刷をし、席へと戻ったが、集中力が途切れた途端、無性に煙草が吸いたくなった。 
 活字を追うことに慣れていないため、疲労感が半端ない。つくづくこういう真面目な場所には向いていないのだ。 
 
 
 たいした収穫もないまま窓の外に視線を向ける。日は高くなっており、時刻は正午にさしかかっていた。 
 ネット検索で閲覧可能な情報はどうしても限られていて、望んでいた場所へ中々辿り着けなかった。なので、調べている最中に知った図書館での過去記事に望みを掛けていたのだ。 
 信二は重い息をついて、机に伏せた。 
 
――はぁ……、マジ疲れた……。 
 
 探偵でもない素人が自力で調べ物をしたところで、結果はこんなものなのかもしれない……。半分ほど諦めの気持ちが湧いてきた所で、視界の隅にまだ見ていない週刊誌の棚がうつりこんだ。 
 よくみかける女性週刊誌。芸能人のスクープや、話題になりそうなネタがあるとこぞって特集を組んでいる。スキャンダルや嘘も多いが、虚構の中に隠された真実があることもある。 
 
――もしかして……。 
 
 信二は椅子から立ち上がると、その雑誌の方へと足を運んだ。しかし、そこにあったのは五ヶ月前が一番古く、流石に一年前のバックナンバーまでは揃っていない。 
 
「あ、……そうか」 
 
 思わず一人で呟き、ポケットから携帯を取り出す。 
 窓際に寄りかかると、週刊誌を発行している出版社からバックナンバーのページへアクセスしてみた。バックナンバーは電子書籍としてその場で購入可能な状態だった。調べたい日付の近くに発行されている物を片っ端から全て購入する。 
 
 CUBEの事件も何号にも渡って派手に取り上げられており、『歌舞伎町・ホスト業界の闇にメス』等ともっともらしい見出しがついている。小見出しの『クリーンなイメージアップにSTOP!!』という文字、目線を消されたどこかのホストクラブの店内の様子が載っているが、酔っている様子のホストがもう一人のホストに土下座をさせている写真であり。周囲の客が手を叩いて盛り上がっているようなシーンだ。 
 
 如何にホストクラブが普通じゃない場所かを印象づけさせたいのだろう。こんな場面なんて、そうそう見られる物じゃないのに……、と信二は盛られた記事に対し呆れて溜め息をつく。 
 
 出所の怪しい仮名の人物の証言がいくつか載せられているのを読んでみるが、見事にどれも胡散臭い。しかし、信二は一カ所で視線を止めるとハッとしたように文字に指を添えた。 
 
 証言者は、CUBEに常連として通っていた女性A子(26)。覚醒剤の件を摘発される前から、指名していたホストの様子が度々おかしいことがあったという物だ。性格が変わったように怒鳴り散らしたり、時には暴言を吐き脅しに近いことをされ酒を入れさせられていて、その頃から、仲間内では薬でもやっているのではないかと噂になっていたというのだ。 
 
 次の証言者は、CUBEへ酒を入れていた業者の男で、CUBEは事件のあったひと月前にも表だってはいない事件があったという事。ホストの一人が自殺したという物だった。物騒な店なので、取り引きをやめるかどうか迷っていた所で覚醒剤の例の事件が起こったと男の証言はそこで締められていた。 
 
 他には昔CUBEでホストをしていたという男性(28)、CUBEは売り上げ至上主義で、自分が当時居た頃から新人でもノルマが厳しかった。という物だ。そこはそう珍しい話ではないが、前二つの証言と組み合わせるとうっすらと浮かび上がってくる事があった。 
 
 こんな所で、勘が的中した事への嬉しさは全く無く、携帯を持つ手が小さく震える。呆然としていると待ち受け時間が終了した携帯の画面に自動ロックがかかり勝手に暗くなって落ちた。 
 
「……、……」 
 
 やけに渇く喉に唾を飲みこみ、信二は一度携帯をポケットにしまい前髪をぐしゃっと指に絡ませた。ざわめく不吉な予感と連動するように、皮膚を辿る指先が嫌な汗で濡れる。 
 事件の一ヶ月前。事件の日付がわかっているので必然的に一ヶ月前がいつだったのかも割り出せる。頭の中で急激に詰め込まれた真実が押し寄せて、指先が冷たくなり強張る気がした。 
 
――これ以上……知ってどうなるんだろう。 
 
 正直、全てを知ってしまう事の恐怖もある。 
 楠原が立っている場所は、今まで生きてきた自分には全く縁の無かった世界だった。どこか映画の中の出来事のような、そうであったらいいのにと思いたいような……。 
 信二は一度、頭を冷やすために図書館を出た。 
 
 
 
 
 側にあったコンビニで飲み物を買い、店の前の駐車場の片隅にある喫煙所で煙草を咥える。うっすらと吐き気がするほどに全身が緊張していて、知らず心音が上がる。煙草を吸いながらも息苦しいような気がしてひとつ咳をした。 
 
 楠原が、自ら警察へ情報を売ったと聞いた瞬間。すぐに頭に浮かんだ事があった。 
 その売った仲間の中に、楠原が可愛がっていたという後輩がいるとは思えなかった。もしいたとしたら、楠原はあの時、自分に話さなかったのではないかと思うのだ。 
 
――僕にも、丁度オーナーと信二君のような関係の、可愛がっていた後輩がいたんですよ……。 
 
 この業界のことを全く知らないまま入ってきたと聞き、教えることが一杯ありそうですね、と返した信二に「そうでしょう?」と少し困ったような……、それでいて懐かしむように笑みを浮かべた楠原。まるで、もうその後輩がいないような話しぶりだった。 
 だとしたら、その可愛がっていたという後輩は、今、どうしているのか……。それがわかれば、楠原が何故そんな行動を取ったのかわかるような気がしていたのだ。 
 
 さきほど調べた限りでは、逮捕された中にはいないようである。彼は何処へ行ったのかと思ったが、週刊誌で見たCUBEのホストが一人自殺をしていたという件と合わせると辻褄が合う。そのホストが楠原の言う後輩なのだとしたら……、楠原が店を売った理由は……。 
 
――……復讐なのではないか。 
 
 楠原の取った行動は晶が言ったとおり間違っていない。だけれど、言い方次第で人に与える印象も変わるはずで。あの晩、楠原が自分に向けた言葉は、わざと悪い印象を与えるよう誘導しているように思えた。 
 信二の性格を把握した上での、印象操作……。楠原ほどのホストなら自分の与えたいイメージを相手側に受け取らせることは容易なはずだ。本当に知られたくない過去はこの事で、彼の中ではまだそれが『過去』ではない。そして、手を汚したその罪を背負ったまま、何か理由があって誰も近づけないようにしている。 
 
 先日晶の言っていた言葉が脳裏によぎる。 
 
――どっか一カ所でも綻びが出来ると……そういう人間って一気に崩れんだよ。普段が完璧であればあるほど脆い。 
 
 すんでのところで均整を保っている楠原が、このまま向こう側へ消えてしまえばもう二度と手が届かない……。 
 そうなる前に……。晶が言ってくれたように、自分に、本当に周りを照らすだけの力があるというならば、今立ち止まっている時間は一秒だってない……。 
 
 信二は連続で二本煙草を吸い終え、缶コーヒーをゴミ箱へ捨てると、先程までいた図書館にもう一度足を向けた。 
 来た時は朝だったが、もう昼過ぎなので子供から老人まで、様々な人々が館内には増えている。 
 壁には、児童が書いた『夢の世界』というテーマの絵が展示されている。ずっと続いているそれを見ながら階段を上り先程の部屋へ入ると、信二は目的の日付の新聞記事を再び手に取った。 
 
 CUBEの事件の丁度一ヶ月前。 
 大きな記事は、政治家の汚職事件が主でそれにまつわる物が多い。 
 一面は飛ばし細かく割り当てられている記事を目をこらして探す。まだ事件が起きる前なので、そう大きく取り上げられていないことは容易に想像が付く。信二は小さな文字を只管追い、やっと見つけた。 
 
 それは見逃してもおかしくないほど小さな記事で、ほとんどの人間が興味もなく読み飛ばすような物だった。 
 ちっぽけで、一面の政治家汚職事件の欠片ほども価値のない記事。 
 
【歌舞伎町のホストクラブ従業員歩道橋から転落死】 
 
 夕方頃、三松幸大(21)という男が歩道橋から転落死したという物だった。周囲の証言と、共にいた同僚の証言により投身自殺として処理されたらしい。三松は精神疾患による衝動的な自殺とみられている。 
 
 本当に三松幸大という男が楠原の後輩なのかどうか、検索画面に打ち込んでみると、何人かのブログで名前が出ており、CUBEの若手ホストだった事がわかった。 
 
 事故のあった場所は……、予想通り楠原が最初に発作を起こしたあの歩道橋だった。 
 共にいた同僚というのが楠原である事は、もう間違いないのだろう。 
 話していたあの後輩は、楠原の目の前で自ら死を選んだのだ。最後に交わした会話は何だったのだろうか……。 
 
 それから一ヶ月の間に、楠原は証拠と情報を警察へ流してCUBEを潰し、事件の後姿を消した。念の為、他の新聞社の記事も探し真実である事を確認する。 
 
 
 信二は何度か浅く息を吐くと、机に肘をつき重い頭を乗せて目を閉じた。 
 浮かんでくるのは、あの歩道橋で発作が起きたときの楠原の様子だ。何かに怯えているように震えた身体、地面を悔しげに引っ掻く爪先。血が滲む傷。 
 
 あの日の後も、同じ場所で楠原は景色を見続けているのを見かけた。多分彼の目には、当時の様子が映っていて、繰り返し繰り返しその映像が流れていたのかもしれない。まるで目が覚めている時にみる気が狂いそうな悪夢だ。それを見続けていた楠原の事を想うだけで、胸が詰まる。 
 
「……蒼先輩」 
 
 全てを自分の中に留めて隠し続け、常に笑顔で優しい表情を浮かべる楠原。もし、自分なら到底耐えられない。彼の見ている世界は、こんなにも遠くて……想像を絶する物だったなんて……。 
 
 そろそろ切り上げて、店へ向かわないといけない時間が迫っている。目的はほぼ達成した。 
 信二は積み上げた閲覧用のそれを閉じようとして、ふと気付いて目を瞠った。 
 
 楠原の後輩が自殺をした日。――その日付は丁度一年前の明日だった。 
 
 
 
 
*     *     * 
 
 
 
 
 信二が図書館へいた頃。 
 時を同じくして、楠原は病院の診察室内にいた。 
 
 受付で、薬がなくなったのでそれだけ処方してくれと頼んでみた物の、一ヶ月以上診察に来ていない場合、薬だけの処方は出来ないと断られてしまったからだ。前に病院に来たのが三ヶ月以上前なので、仕方なく診察を受ける羽目になった。 
 本当はもう通院は止める予定だったのだ。薬があと一錠だけあれば、それで十分なのだから。 
 
 
 店には今日は体調が悪いので休む旨の連絡を入れてある。なので時間はあるが、出来れば長居したくない場所である。 
 目の前の医者は白衣を着用しておらずスーツ姿だ。そのせいでどこかの教授のようにもみえるが、内科や外科でもないので白衣は必要ないのだろう。カウンセリングも行う診察室内は、落ち着いた木目調で揃えられている。 
 患者の緊張を和らげる計らいでそう設計してあるのかも知れないが、効果はほとんど感じられない。いつだって、ここに来る際は息が詰まる。 
 
 診察は簡易的なカウンターテーブルがあって、そこで患者と医者が向き合う形になる。手元のPCに何かを打ち込みながらカルテを捲った後、医者が大袈裟に眉を顰め溜め息をつく。 
 
「頓服なのに、もう全部飲んだの? 前回は、余っていると言ってたよね? それもなくなっちゃいましたか?」 
「……はい」 
「うーん……。前にも言ったと思うけど、そんなに飲んだらよくないよ。どうしました? 最近また、調子悪いですか?」 
 
 処方されている薬は、発作時に飲む物で依存を防ぐ目的もあり強度が高いので量を多く貰えないのだ。普段酒を飲む仕事なので通常の薬と併用できないため、発作時のみの薬でやり過ごしている。 
 ここ最近頻繁に飲んでいたせいで、過去に余っていた分も一気に消費してしまった。半年前の酷い状態だった時にここを初めて訪れ、二ヶ月ほど入院を強いられていた。 
 その頃と比べれば、今はまだ全然マシな方ではあるが、このままいけばあの時と同じようになる事は自分でもわかっていた。 
 楠原は平静を装って、医者の質問に答える。 
 
「……少し。でも、薬さえ頂ければ大丈夫です」 
「いや、そうはいかないんだよ。睡眠はちゃんととれてる? 食欲の方も大丈夫?」 
「はい、……大丈夫です」 
「楠原さんは、夜の時間帯に接客業だったよね……。本当は朝ちゃんと起きて日を浴びる生活をしないとよくないんだけどねぇ……」 
 
 返事を求めるわけでもなく、毎度同じ台詞を言われる。出来るだけ短く問診を終えたいので、差し支えのありそうな問いには答えなかった。 
 
「声はどう? まだ聞こえたりするのかな?」 
 
 カルテに何やら走り書きをしながら、楠原へと問う医師は、精神科の医師独特のどこか冷めたようなそれでいて口調は穏やかなのに見透かすような視線を向けてくる。 
 決して同情もしないし、共感も示さない。人の心理を読むことに関してはホストと同類なので同族嫌悪のような物なのか、居心地が非常に悪い。 
 
「……たまに」 
 
 短く返し、その嘘がバレない事を願う。 
 
「うーん。……そうか」 
 
 楠原の言葉を信じたのか、それとも嘘をついているのがバレているのか、どちらともとれない返事をして何度か頷くのを見て楠原は視線を落とした。 
 
 
 本当は今だって、いや、最近は発作が起きる起きない関係なくどこか遠くから常に声が聞こえているような状態だった。本当の音ではないそれは、耳を塞げば聞こえなくなるような物ではない。 
 背後から何度も名前を呼ばれ、振り向く事も出来ないままその声を聞き続ける。朝も昼も夜も、呼ばれ続ける自分の名前。蒼センパイ、蒼センパイ、蒼センパイ……。 
 
 幻聴が聞こえるようになったのはあの日からだ。 
 丁度一年前の今頃。 
 
 確か気温が急激に下がり都内ではやや季節外れの雪がちらついていた。大雪なら話は別だが、いつもと違うその天候を喜ぶ者も少なくなかった。うっすらと白く積もった雪が、人の歩かない路地を白く染めていた。