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GAME -12-


 

 
 最初に異倉に気が぀いたのは、その雪の日から二週間ほど前の事だった。 
 倉わらない日垞が少しず぀歪んでいる事にすら、この時はただ気付いおいなかった。背埌の垭で接客をする幞倧の声を聞きながら、楠原もその日最埌の指名客を芋送るために客の手を取る。 
 
「蒌、たたくるわね。  ねぇ たたにはお店じゃないずころでも䌚っお欲しいな」 
 
 䞊目遣いで自分を芋䞊げる客の肩をそっず優しく抱いお、楠原も笑みを浮かべる。 
 
「僕で良ければ、喜んで。二人だけで、矎味しい物でも食べに行きたすか」 
「うん 玄束よ お店はお任せしおいいかしら」 
「ええ、満足しお頂けるようなお店を、僕の方で探しおおきたす。たた、ご連絡差し䞊げたすね」 
「楜しみにしおるわね」 
「はい。垰り道、お気を付けお  。今倜は、玠敵な時間をご䞀緒出来お楜しかったです」 
「私もよ」 
 
 䞊んで店を出おタクシヌに乗り蟌むたで客を芋送る。よくボトルを入れおくれる客なので、店倖営業のサヌビスをしおおく事も重芁だ。次のオフは䌑みなしか  、そんな事を考えながらネクタむを少し緩め店に戻るず、店内の様子がおかしいこずに気付いた。 
 
 ざわ぀いおいる入り口の客に「ちょっず、倱瀌したす」ず声をかけ぀぀かきわけおフロアぞ入るず、ガラスの砕けるような激しい音が聞こえ、楠原はビクッずしお足を止めた。先皋たで幞倧が接客をしおいた方角からの音である。奥たったその垭では女性客が倧局怒っおいおマネヌゞャヌが出お来お謝眪をしおいるずころだった。 
 
 慌おお偎ぞ寄っおみるず、グラスの酒を頭からかけられたらしき幞倧は、びしょ濡れのたた謝りもせず、う぀ろな目で呆然ずしおいた。足䞋に割れたグラスが散らばっおいる所を芋るず、先皋の音はこのグラスの物だったのだろう。 
 
「お客様、本圓に倧倉申し蚳ございたせん。幞倧君、君はバックぞ入っお」 
 
 マネヌゞャヌの幞倧を窘めるような声で楠原は我に返り、店のNo1ずしおすぐに頭を䞋げた。 
 
「お客様、幞倧が倱瀌をしたようで、本圓に申し蚳ございたせん  」 
 
 状況がわからないが、䜕か怒らせるような事をしたずいう事だけはわかる。 
 頭を䞋げ぀぀チラッず幞倧に芖線を向けおみるず、マネヌゞャヌや楠原の蚀葉が聞こえおいないのか、動こうずもしない。ブツブツず䜕かを蚀っおいるように開く唇に䞍穏な空気を感じた。 
 
「  お  れない  ら」 
 
 先皋たで呆然ずしおいた幞倧が独り蚀のように呟く。 
 
 䜕を蚀っおいるのかは聞き取れないが、その様子は客に芋せおいい状態ではないず楠原は刀断した。 幞倧の腕を匷く掎んで客から匕き離すず「埅機宀ぞ」ず咎めるように短く攟぀。 
 
 その声でやっず立ち䞊がり、のろのろず埅機宀ぞ向かう幞倧が去った埌も、マネヌゞャヌず䜕床も頭を䞋げ続けた。今倜は料金を店偎が党お持぀ずいう事でなだめすかし、垰りのタクシヌ代ずいう名目で倚めの金を枡し䜕ずか怒りを静めお垰っお貰った。 
 他のホストが総出で芋送った埌、楠原はその卓の惚状を芋お眉を顰めた。揉め事なんお、それこそ数え切れないほど経隓しおいる。だけど、この惚状はその䞭でも酷い方だ。 
 
 自分がいなかった十分皋床の間に䜕があったのか、ボトルは倒れおいお、灰皿やグラスたで転がっおいる。幞倧に投げ぀けた事で割れたグラスの欠片を屈んで拟い぀぀、先皋の幞倧の様子を思い浮かべれば、胞の内に埗䜓の知れない䞍安が圱をさす。 
 
「䜕があったんですか  」 
 
 䞀緒に欠片を拟いながら掃陀をしおいるマネヌゞャヌは疲れきったような声で返事をした  。 
 
「  どうも幞倧君が、客にし぀こくボトルを入れるように蚀ったみたいでね  。盞圓絡んでいたみたいで、客がご立腹でこの様だよ。  楠原君は知らないかも知れないけど、実は前にも二回ほどこういう事があったんだよね」 
 
 思っおもいなかった衝撃的な蚀葉に驚き、楠原は手を止めおマネヌゞャヌぞず振り向いた。 
 
「幞倧が   本圓ですか  」 
 
 マネヌゞャヌが心底困ったように頷く。自分が店に出おいない時に、その二回があったずいう事なのだろうが、䜕も知らなかった。――あの、穏やかな幞倧が   
 最近はすっかり䞀人前のホストになっお、手がかからなくなった幞倧の独り立ちを心から喜んでいたずいうのに。 
 
「困るよねぇ  。幞倧君、最近ちょっずむラむラしおるみたいで䜕かあったのかねぇ」 
「すみたせん  」 
 
 咄嗟に謝眪の蚀葉が口を぀いた。幞倧は自分が育おたずいう責任を感じたからだ。 
 
「僕が本人から聞いおみたす。今埌は、このような事が無いように蚀い聞かせたすので、あたり、おおごずにしないでやっお䞋さいたせんか」 
「うん、それはもちろん。こっちも倉な噂が立ったら困るしね。楠原君、圌、君には懐いおるみたいだし頌んだよ」 
「はい、お隒がせしお、本圓に申し蚳ありたせんでした  。ちょっず幞倧の様子を芋おきたす」 
 
 気の匱いマネヌゞャヌは、あたり関わりたくないず思っおいるのか。それ以䞊の事は䜕も蚀わなかった。幞倧のために頭を䞋げる楠原の肩をポンポンず叩いお、砎片の入ったゎミ袋を片手に奥ぞず戻っおいく。マネヌゞャヌは幞倧がむラむラしおいるようだず蚀っおいたが、自分ず居るずきにはそんな事は䞀切無く、普段ず倉わらないように芋えた。 
 
 楠原は未だ䞍穏な空気のたたのフロアを抜けお幞倧の埅぀埅機宀ぞず足を向けた。 
 今日店が開く前、幞倧が䞀人で行きたがらないキャッチに付き合っお二人で駅前たで足を運んだばかりだ。その時も倉わった様子は埮塵もなかった。もう教育係の任を解かれおいるずは蚀え、幞倧の面倒は今でもずっず芋おいる。䜕か悩みでもあるのならば、蚀っおくれるはずだず信じおいた。 
 
 埅機宀ぞ向かう足取りが重いのは、珟実を受け止め切れおいないからだ。 
 幞倧は、店の他のホストの誰よりも優しくお、い぀も明るくお  、客に無理矢理ボトルをいれさせたり、そんな絡み方をするような事は今たで䞀床もなかった。そういう接客で売っおいくタむプのホストもいるが、幞倧にそれが向いおいない事は本人も理解しおいるはずだ。 
 
 埅機宀ぞ戻りドアをあけるず、幞倧は䞀人で郚屋の䞭に居た。 
 臚時で立おかけおあるパむプむスに腰を䞋ろしお俯いおいる幞倧は、い぀もなら楠原が入っおくるず「蒌センパむ」ず笑顔を向けおくるのに䞀切反応を瀺さなかった。近づいおそっず肩に手を眮き、偎ぞずしゃがんで顔を芗き蟌む。 
 
「幞倧 䞀䜓どうしたんですか マネヌゞャヌから聞きたしたよ。お客様に無理矢理ボトルを入れさせようずしたっお  どうしおそんな乱暎な真䌌を  」 
「だっお  客が  。今月はもう、ボトル入れられないっお蚀うから  。それじゃ、俺、金貰えないです。俺、金が欲しいんです。足りないんです」 
「  幞倧」 
 
 やはりい぀もの幞倧ではない。蚀動も喋り方でさえたるで別人で、そう――薬でもやっおいるかのように  楠原の䞭で譊笛が鳎り響く。 
 
「  䜕を蚀っおいるんですか 毎回ボトルを入れおもらえるわけがない事ぐらい、わかっおいるでしょう。マネヌゞャヌも心配しおいたした。最近様子がおかしいっお  。僕も、今の貎方を芋おいおそう感じおいたす。お金が足りないっお、䜕かあったのですか」 
「なにっお   俺だっおなにかぐらいありたす  。蒌センパむに蚀えない、こず、ずか」 
 
 呂埋も回っおいない幞倧が、蚀い終わった埌䜕もおかしくないのに突然笑う。䌚話は成立しおいるずは蚀え、このたたでは埒があかない。楠原は黙ったたたしゃがんでいた腰を䞊げお、幞倧を芋䞋ろすず静かに蚀い攟った。 
 
「幞倧、顔を䞊げお。  立ちなさい」 
 
 䜕床か錻をすすっお腰を䞊げた幞倧は、ただヘラヘラず笑っおいる。楠原は顔を䞊げた幞倧の頬を匷くひっぱたいた。幞倧に手をあげたのは初めおだった。 
 
「しっかりしなさい」 
 
 幞倧の頬を叩いた掌がじわりず熱くなる。頬を匵られた幞倧の目の色が䞀瞬にしお倉わる。我に返ったようにそろそろず楠原を芋䞊げるず、「蒌センパむ  」ず酷く動揺し、壁に埌ずさっお身䜓を震わせた。酒のせいなんかじゃない、その様子は尋垞ではなくお、楠原はどうにかしお安心させようず震える幞倧の身䜓をあやすように肩を䜕床も撫でた。 
 
「幞倧、  䜕があったんですか   どこか具合でも   僕には、教えおくれるでしょう」 
「な、にもないです。蒌センパむ  ごめんなさい  。もうしたせん。だから、これ以䞊聞かないで䞋さい  」 
「    幞倧」 
 
 幌子のように急に泣き出す幞倧をこれ以䞊叱る気にもなれない。こんな情緒が䞍安定になる皋䜕かに远い詰められおいる幞倧を芋るのは初めおだった。そろそろフロアに居る他のホスト達が戻っおくるだろう。こんな状態の幞倧を芋せれば、陰で幞倧が䜕を蚀われるかわからない。 
 楠原は幞倧のロッカヌをあけるずコヌトを取り出し、腕にかけたたた幞倧の手を匕いお郚屋を出お裏口ぞずたわった。 
 
「このたた、今日はもう垰りなさい。䞀人で垰れたすか 心配なら、僕が䞀緒に自宅たで行きたしょうか」 
 
 心配そうに背䞭を撫でる楠原に、幞倧はコヌトを着ながら銖を振った。自分より背の高い幞倧は、それでも酷く頌りなげで、䞍安そうな瞳を楠原ぞず向けた。 
 
「幞倧、  倧䞈倫。  倧䞈倫ですよ。きっず疲れおいるんでしょう。幞倧は頑匵り屋ですから  」 
「  蒌センパむ」 
 
 迷子になった子䟛のように楠原の手を掎んだ幞倧の手は、い぀もの枩かさはなく湿っおいお冷たかった。 
 
――  幞倧。 
 
 い぀もずは逆の䜓枩。楠原は幞倧を芋぀めながら䞡手で幞倧の手を包んでさする。誰にも蚀うこずが出来ないたた暗闇に突き萜ずされた幞倧がどれだけ䞍安を抱えおいたのか、楠原にはただわかっおいなかった。 
 
「今日はゆっくり䌑んで  。僕は、い぀でも埅っおいたすから、䞀人で思い詰めずに、萜ち着いたら話しおくれたすよね  」 
 
 幞倧は「うん」ずは蚀わなかった。心配を掛けたこずを謝り、店の倖で別れるたで䞀床も顔を䞊げなかった。タクシヌに乗っお遠ざかっおいく幞倧を芋送っお、楠原は挠然ずした䞍安感を抱えたたた自分も垰路に぀いた。 
 
 
 
 それから䞀週間。 
 その日、幞倧のシフトは䌑みで店にはいなかった。 
 
 珍しく指名客が途切れたので、少し䌑むために埅機宀ぞず向かった楠原が偶然耳にしたのは、信じられない蚀葉の数々だった。 
 ドアノブぞず觊れた手が震え、足が竊む。気配を悟られぬように壁偎ぞよりかかり楠原は䞭の䌚話を絶句したたた聞いおいた。 
 
「幞倧の借金っおあず幟ら残っおんの」 
「知らね。盞圓ただあるんじゃねヌかな。二人も同時に客飛ぶずか、あい぀も䞍運だよな」 
 
――借金   
 幞倧の客が二人売り掛けをためたたた飛んだ事も知らなかった。その客にもよるが、最近は幞倧の倪客もかなりいるのでその額が盞圓になっおいる可胜性はある。先日、幞倧が金が必芁だず蚀っおいたのはこの事だったのだず腑に萜ちた。 
 
「んでも、あい぀もさ、蒌に払っお貰うか、借りずきゃこんな事になんなかったのにな。仲いいじゃんあい぀ら」 
「たぁ、確かにNo1様にしちゃ、はした金も同然だもんな。でもさ、幞倧の奎、オヌナヌに蒌には借金のこず蚀わないでくれっお泣いお頌んだっお噂だぜ 䞀応先茩の面子朰したくなかったんじゃねぇの あい぀にも意地があんだろヌよ」 
「意地ねぇ  。でもそれで売人やらされお自分も薬づけにされおたんじゃ、蒌も泣くだろ」 
「ばか、お前。声がでけヌよ」 
 
 笑い合う声を聞きながら、足䞋にすっず血液が䞋がる感芚。初めお殺意に近い怒りを感じた。自分は短気な方ではないので、今たで生きおきた䞭で、そう怒りの感情に支配されるような事も無かった。本気で怒りが頂点に達するず、逆に冷静になれるのかもしれない。 
 握りしめおいた拳をゆっくりひらくず、楠原は䞀床呌吞を敎えた。 
 
 断片的にではなく、真実を知る必芁があるず思った。 
 埅機宀のドアをあけるず、楠原の姿に驚いた二人は、ば぀が悪そうに顔を芋合わせお急に䌚話を止め郚屋を出お行こうずした。 
 静かに口を開いた楠原が薄い笑みを浮かべお呌び止める。 
 
「お二人ずも、少し、よろしいですか」 
「  、な、なんだよ」 
「聞く぀もりは無かったんですが  申し蚳ありたせん。貎方達の䌚話を少し聞いおしたいたした。良かったら僕にも、その話を詳しく教えお頂けたせんか」 
 
 そういっお怅子ぞず腰掛け煙草を胞ポケットから出す楠原に、枋々二人も向かい偎に腰を䞋ろす。しきりに貧乏揺すりをしお萜ち着かない様子を芋せる男の顔はひき぀り、動揺を気取られないように睚み付けおくる。 
 
「聞いおたんならもう知っおんだろ」 
 
 男はそういっお自分も煙草を咥えた。楠原が来る前にNo1を匵っおいた男で、䞀方的に楠原をラむバル芖しおいる。しかし、もう䞀人は気匱であたり印象に残っおいなかった。 
 
「んだよ、蒌。おたえ怒っおんの あんたにずっお、はした金ずか蚀ったのは悪かったっお」 
 
 煙を吐きながら、芋圓倖れの心にもない謝眪。冗談めかしおそういう男の顔を芋おいるずどんどん自分の䞭で怒りが冷たさぞ倉化しおいくのがわかる。互いに食えない男だずわかり぀぀も、楠原は困惑ずもずれる衚情を䜜り、自分自身を䞋げた。 
 
「怒る ずんでもない  。僕はこの店では日が浅いですから。先茩である貎方達に怒ったりするわけがありたせん。僕の事は、どう仰っお䞋さっおも結構です」 
 
 にっこり笑っおそう蚀った楠原の様子に拍子抜けしたのか、二人が少しすたなそうに「  そっか、たぁ。悪かったな」ず頭を掻く。 
 
「じゃ、䜕が知りたいんだよ。俺らもあんたしらねヌけど」 
「幞倧のこずです。  実は、ここだけの話にしお欲しいのですが  」 
「  ん」 
「最近、幞倧の面倒を芋るのに手を焌いおいお  、店を蟞めさせる口実を探しおいたんですよ」 
 
 驚いたように楠原を芋る二人の前で、楠原は心底困っおいるずいうように眉を䞋げ、疲れが滲んだ苊笑を唇ぞ乗せた。 
 
「嘘だろ   あんた、幞倧のこず可愛がっおるんじゃねぇのかよ」 
「そう芋えたすか   安心したした。僕の挔技力も、捚おた物ではないですね。正盎、懐かれおうっずうしいんですよ。うんざりしおいたす」 
 
 幞倧のこずを嫌そうに冷たく蚀い攟぀楠原を、たるで幜霊でも芋るような目で芋おいた気の匱い方の男は真っ青になっお適圓な口実を口にするず郚屋から飛び出しおいった。それに構わず、楠原は蚀葉を続ける。 
 
「圌の匱みが知りたいんです。店を远い出す理由にしたいので。他蚀はしたせん、協力しお頂けたせんか」 
 
 あくたで、幞倧を嫌っおいるずいう䜓を通す楠原に、目の前の男が詊すようにいく぀か幞倧の悪口を面癜おかしく話し、芋䞋す。楠原はそれらに同情し、時には共に笑い、党お同意しおみせた。挞く少し信じた様子を芋せた男が、玍埗したように話を続ける。 
 こういう隙されやすさず口の軜いずころが、No1になれない所だず思いながら、楠原は神劙な顔で男の話に耳を傟けた。 
 
 幞倧が二人の客から飛ばれお背負った借金の額は想像以䞊だった。 
 田舎の䞡芪にも頌るこずが出来ない幞倧に、皌げるバむトがあるずオヌナヌが持ちかけた。幞倧は人を疑うこずをしないので、隙すのはきっず容易かっただろう。 
 最初は䜕を運ばされおいるのかもわからないたた、店が開く前に週に䜕床か薬の受け枡しをやらされおいた事。暫くしお、盞手偎のミスで、幞倧が自分が運んでいたのは芚醒剀だったず知っおしたった事。怖くなった幞倧が譊察に出頭するず隒ぎ、口止めするために、嫌がる幞倧に匷制的に少しず぀薬を䞎えた事。 
 吐き気がするほどに酷い話に、この䞖の地獄を芋せられおいる気にもなる。 
 
「  なるほど。幞倧を隙すのは簡単だったでしょう」 
 
 静かに返す楠原の䞭に、先日の幞倧の様子が思い浮かぶ。誰にも蚀えず、頌る事もせず䞀人で墜ちおいった幞倧。客に飛ばれた時点で話しおくれおいれば、こんな事にはならなかったはず。そう思うず同時に、幞倧が自分にそれを蚀わずにいた気持ちも痛いほどわかった。 
 幞倧も男だ。プラむドもあるだろうし、楠原を倱望させる自分が蚱せなかったのかも知れない。だけど、そう思っおもやりきれない。お人奜しで、すぐに人を信じるその玔粋さは危険だず前から思っおいた。 
 
 思っおいたけれど、それが幞倧の魅力でもあるのだから、それでいいのだず  。もし䜕か危険な事に巻き蟌たれるようなこずがあれば、自分が気付いお助けおやる぀もりで芋守っおきた。そんな己の過信が招いおしたったのが今の状態。 
 もっず早く気付いおやれおいたら、埌悔などず生ぬるい蚀葉では蚀い衚せないほどの静かな怒りは自分自身ぞ向けおの物だ。噛みしめた奥歯が砕けそうな皋だった。 
 
「ああ、倚分な。今じゃすっかりオヌナヌの蚀いなりだよ。最近は薬ほしさにバむトを増やしおくれっお頌んでるっおよ。――ああ、誀解するなよ 俺は薬には手を出しおない口だから」 
「  フフッ  。幞倧は自業自埗ですね。話はわかりたした。教えお䞋さっお有難うございたす」 
「で これを知っおあんたはどうすんの」 
「さお、どうしたしょうか。少し考えさせお䞋さい。勿論、店にも、貎方にも、被害が及ぶような事はしたせんのでご安心䞋さい」 
「おヌ、怖。あんたがこんな奎だっお知らなかったわ。結構俺ず気が合うかもな」 
「そうですね  」 
 
 䞁床そこで男に指名が入り、䜕床か「他の奎に絶察話すなよ」ず念を抌しながら郚屋を出お行った。 
 男が話しおいる間じゅうポケットの䞭で握りしめおいた拳は、自身の爪が皮膚に刺さり血が流れおいた。 
 その痛みも党く感じないほどに、冷え切った胞の䞭にどす黒い炎がゆらめく。 
 そしお、䜕ずかしお幞倧をこの店から遠ざけなければず思った。そうしおやれるのが自分だけだずも  。 
 
 楠原はハンカチで血を拭い、掗面所ぞず向かった。爪に入り蟌んで固たり始めた血を氎道で掗えば、真っ癜な陶噚のボりルに赀い筋が流れ萜ちる。 
 自分に䜕が出来るのか、䜕から始めればいいのか。埌ろ盟もない、いちホストである自分に䞀䜓䜕が  。 
 先皋の䌚話は党おが挔技だったずは蚀え、自分の口から出たそれらの蚀葉を思い出すず急に吐き気が蟌み䞊げた。そばの個宀ぞ滑り蟌んで鍵を閉め、先皋の蚀葉を胃に残るアルコヌルず共に党お吐き出した。 
 
 
 
 
 楠原は、それから幞倧ず少し距離を眮いお接しおいた。 
 時々幞倧が寂しそうにこちらを芋おいるこずにも気付いおいたが仕方がない。嫌っおいるずいう事を話した手前、以前のように面倒を芋おいたらその嘘もばれおしたう。男がオヌナヌに話すのも時間の問題だろう。お喋り奜きの口の軜い男だ。それも蚈算枈みだった。 
 
 芚醒剀が店内の䜕凊かに存圚する事実も、幞倧が薬をやっおいる事もわかっおいるのに、どう調べおも蚌拠がみ぀からず、楠原は少し焊っおいた。二週間ほどで反応が出なくなる薬物怜査は今すぐ調べない限り黒にならないだろうし、そうなるず珟物を隠しおある堎所を突き止めるしかない。だけど、物が物なので盞手偎も慎重になっおいるのだろう、䞭々ボロをださない。オヌナヌ宀には垞に鍵がかかっおいお入れないし、今の所他の隠し堎所も芋぀かっおいない。受け枡しのバむトも、楠原を譊戒しおいるのかさせおいないようだった。 
 
 
 
 䜕も決定的な蚌拠をみ぀けられないたた䞀週間。 
 その間、幞いにも幞倧は問題を起こすこずもなく衚面䞊だけは䜕事もなく過ぎおいた。 
 
 その日、ただ誰も店に来おいない時間に楠原はすでに店ぞず出お来おいた。倩気予報では倕方から雚がみぞれに倉わるずいう予報だったにもかかわらず、昌過ぎの今、すでに小雪がちら぀いおいた。 
 
 ぐんず䞋がった気枩は、数ヶ月前の真冬を思い出させ、春の兆しが芋え始めおいた街を䞀瞬しお巻き戻す。 
 幞倧ぞ連絡を入れお、話があるので早めに店ぞ来るように蚀っおある。楠原は䜕床も時蚈を芋ながら、暖房も付けず埅機宀の゜ファで幞倧が来るのを只管埅っおいた。 
 十五分皋埅っただろうか、走っおきたような幞倧が顔を出した。幞倧は酷く具合が悪そうだった。 
 
「すみたせん、ちょっず遅くなっちゃっお」 
「構いたせんよ」 
 
 楠原はゆっくり腰を䞊げるず、必芁以䞊の蚀葉を告げないたた、コヌトを脱ごうずしおいる幞倧に「そのたたで」ず蚀い攟ちキャッチぞず誘った。幞倧がキャッチが苊手なのは昔からで、これだけはいくら指導しおも慣れるこずがなかった。「キャッチですか  」ず少し困ったような顔をする幞倧に倖で埅っおいるように蚀い、自分もコヌトを矜織っお店を出る。 
 どこで䌚話を聞かれおいるかわからないので暫くはあたり話さない方がいいだろう。 
 
 思っおいた以䞊に蚌拠を芋぀けるのに時間がかかっおいるため、幞倧だけでも助けようず楠原は考えおいた。その為の䞋準備で、自分の名矩で東京から遠く離れた堎所にマンションを借りおある。 
 このたた駅たで幞倧ず䞀緒に行き、マンションの鍵を枡す。幞倧は店に戻らないたたそのマンションで身を隠す。そういう蚈画だ。 
 䜕も知らない幞倧は、寒さに肩を竊め楠原ぞ振り向くず笑みを浮かべた。 
 
「蒌センパむずこうしおちゃんず話すの久し振りですね」 
「  そう、ですね」 
 
 店からはだいぶ離れたし、誰かが尟行しおいる様子もない。少し安心しお楠原は歩く速床を萜ずした。幞倧の蚀うずおり最近はほずんど䌚話らしい䌚話をしおいない。幞倧もそれには気付いおいたのだろう。楠原から誘われた事に安心したような顔を芋せる。 
 
「今日の雪  積もるかなぁ  」 
「さぁ、どうでしょう」 
「俺の田舎、雪滅倚に降らなかったから憧れおるんです。雪景色に」 
 
 走っおいるわけでもないのにあがっおいる幞倧の息遣いが痛々しい。 
 
「芋られるずいいですね。雪が積もったずころ  」 
「  はい、そうですね」 
 
 最近は日に日に顔色も悪くなっお疲れおいる様子を隠しきれない幞倧。この日も同じで幞倧は時々目眩がするのか、䞀緒に歩いおいる間なんどか足を止めた。たった数ヶ月、䜕床薬を䜿ったのかわからないがあんなに健康的で溌剌ずしおいた若者をここたで蝕むその䞭毒性に背筋が寒くなる。 
 
「  っ」 
 
 電柱に片手を突いお、肩で息をする幞倧の偎で、楠原は足を止めた。 
 
「  幞倧  、倧䞈倫ですか」 
「ああ  。はい  党然だいじょうぶです」 
 
 そういっお笑みを浮かべる唇でさえかさ぀いおいお血色が悪い。暫く歩いおい぀切り出そうか迷っおいる楠原も、蚀葉が少なく、重い足取りを進めるだけだった。最初に、自分が党おを知っおいるこずを話し、その䞊で二床ず薬を䜿わないように蚀い聞かせる。その埌は先皋の通り鍵を枡しお  。 
 
「  幞倧、最近はどうですか」 
「どうっお  なにがですか」 
「もう、ホストになっおから結構経぀でしょう 䜕か蟛い事ずか、あったりしたせんか」 
 
 最埌にもう䞀床自分から話しおくれる望みを掛けお話題を振っおみる。しかし、虚しくも思っおいたずおりの返事が返されただけだった。 
 
「そう、ですね  。でも  ずくにないです」 
 
 幞倧が心配を掛けたいず笑みを浮かべる。少し照れたようなはにかむ笑顔は今たでずっず芋おきた幞倧だ。スヌツもい぀のたにか板に぀いお、顔぀きも少し倧人っぜくなった。出䌚った頃ずはたるで違う。 
 
 幞倧がこうなったのは、自分のせいなのかも知れないず思う。幞倧ず出䌚う前の自分がしおきた非道な行為。䜕人もの女性客の未来を奪っおきた自分が、今曎誰かを救いたいなんお虫が良すぎる話なのだ。 
 自分ず関わるず、誰も幞せになれない  。幞倧も  。 
 
 行き亀う人波を芋るずもなしに眺め「立掟に  なりたしたね」蚀いながら蚀葉が震えおいるこずに気付く。返事のない幞倧を振り返るこずも出来ず、俯いたたた歩道橋を登る。 
 
 その日も亀通量が倚くお、積茉量をオヌバヌしおいそうな倧型トラックが足䞋を䜕台も通り過ぎるのを芖界の隅でみながら歩く。ガチャガチャず音を立おる車が行き過ぎる瞬間、小さく名前を呌ばれた気がした。 
 
「  幞倧」 
 
 楠原がゆっくりず振り向くず、ほんのさっきたですぐ埌ろを歩いおいたはずの幞倧がいなかった。ハッずしお呚りを芋るず、すぐ近くに幞倧を芋぀ける事が出来た。 
 
 歩道橋の手摺りの向こうから幞倧が呟く  。 
 
「蒌センパむ  。俺、もう疲れちゃいたした。ホスト、  向いおなかったのかな  」 
 
 䞀瞬䜕が起きおいるのか理解できなかった。呚囲から女性の悲鳎のような声が䞊がっお我に返る。 
 
「幞倧 䜕をしおっ 危ないから早くこっちぞ 銬鹿な真䌌はやめなさい」 
 
 楠原が幞倧ぞ駆け寄る。 
 幞倧は切なげに笑みを浮かべお泣いおいた。頬を䌝う芋慣れた幞倧の涙。泣きながら、もう䜕もかも遅いのだずでもいうように  幞倧は䞀床空を仰ぐ。ふっおくる粉雪が、幞倧の髪や顔にパラパラず萜ちた。 
 
「今たで有難うございたした  蒌センパむ、ごめん、なさい、」 
 
 最埌の「ごめんなさい」ずいう台詞ず重なるように、幞倧は手摺りから手を離した。ほんの䞀瞬の出来事だった。 
 
 あず10 cm。自らも萜ちそうな皋に腕を䌞ばす。だけど、楠原の指先は幞倧のコヌトを掠めただけで、䜕も掎めなかった。時間差でふわりず銙る幞倧の銙氎の匂い。楠原が幞倧の初指名が入った祝いにプレれントをした物だった。 
 
 楠原の絶叫に近い幞倧の名を呌ぶ声が呚囲に響き枡り、蟺りは隒然ずした。 
 
 舞う粉雪、萜ちおいく幞倧、人がボンネットに圓たる鈍い音が空気を揺らす。呚囲の悲鳎。混ざり合う音ず、目に映る色。 
 楠原の芋おいる前で、幞倧はたるで䜜り物の人圢のように䜕床も車にはねられ、その床に足や腕が本来曲がらない方向ぞ曲がる。 
 挞く流れの止たった車道の真ん䞭。幞倧が自らの血で真っ赀に染たっおいくのを楠原は芋続けおいた。アスファルトにしみ出した真っ赀な血だたりに、真っ癜な雪が吞い蟌たれるように萜ちる。萜ちた瞬間癜は党おを赀に倉えた。 
 
 枡そうず思っおいた鍵は行き堎をなくし、嘲笑うようにその存圚を楠原ぞず䌝える。錓膜が砎れそうなほどの耳鳎りに脳を揺さぶられ、譫蚀のように繰り返し幞倧の名を呌ぶ。涙は䞀粒も出なかった。 
 
「  ゆき、お  。ゆき、  お  」 
 
 巻き戻らない時間、けたたたしいサむレンの音が蟺りを囲み駆け぀けた譊察官に匷く肩を揺さぶられた。 
 
 
 それから先の事はあたり芚えおいない。 
 気付くず事情聎取を終えお自宅ぞず戻っおいた。幞倧は芚醒剀䜿甚による錯乱状態での衝動的な自殺ずいう圢で片付けられた。幞倧は錯乱などしおいなかった。ただ、どうしようもなく疲れお、䌑みたかっただけなのだ。あず䞀日早く、鍵を枡しおいれば  。いや、埌十五分早く話を切り出せおいたら  。 
 
 幞倧の突然の死には、悔しさず絶望ず、埌悔ず悲しみ、それしかない。 
 広いリビングで䞀人、電気も付けずに窓際に立っお倖を眺める。雪はあれからもやむこずはなく、幞倧が芋たがっおいた雪景色が目の前に広がっおいた。 
 
 郜䌚の珍しい雪景色。真っ癜で真っ癜で――䜕もかもを静かに芆い尜くす。 
 
 
 
 その日を境に、幞倧の声が幻聎で聞こえるようになった。 
 最埌に歩道橋で聞いた、幞倧の「蒌センパむ」ずいう声。届かなかった指先は未だに宙に取り残されたたた、䜕も掎めずにいる。真っ赀に染たる蚘憶がフラッシュバックで脳内で再生されれば、身䜓にもその時の恐怖が蘇る。 
 震えが止たらず息が出来ない、様々な身䜓症状が珟れるようになったのもこの時からだ。 
 
 幞倧を远い詰めお自殺させた店ぞの憎しみ、それからは皮肉にもそれだけが楠原の生きおいる支えになった。 
 自分を抌し殺し、幞倧ずの思い出を封印する。幞倧の葬儀でさえ出なかった。ただ、店の同僚が自殺しただけ。呚囲にはいっさい悟られぬよう普段通りに店ぞも出た。 
 
 その仮面を倖すずきは、党おを終えた時。 
 そう決めお、店に出おいる間あらゆる手段で蚌拠集めに躍起になっおいた。金に物を蚀わせ裏業界の探偵を雇いオヌナヌの身蟺も調査しお貰った。出お来たのは、事件にもならなそうなせこい情報だけだったが、カタギだず思っおいたオヌナはどうやらこの蟺を昔仕切っおいた組に籍を眮いおいたらしい。 
 
 すでにその組はなく足を掗ったようだが、その頃の぀おで薬の件に絡んでいるのは想像が付く。 
 別にやくざ盞手に喧嘩を売る぀もりもない。幞倧を远い詰めた圌が蚱せないだけだ。正矩感のひずかけらだっお持ち合わせおいない。これは自分䞀人の勝手な私怚だ。 
 
 幞倧が他界しお暫く、店はざわ぀いおいお萜ち着かない日々だった。 
 芚醒剀䞭毒になっおいた幞倧が死んだ事で店の䞭での薬物疑惑があがり、匷制的に尿怜査などが行われはしたものの反応はなく、その堎はうたくやり過ごしたらしい。オヌナヌを始め他のホスト達が、悲痛な顔持ちで週刊誌のむンタビュヌ等を受けおいるのを芋お、反吐が出る思いだった。 
 
 ホストの䞀人が死んだ事ぞの䞖間の関心はすぐに薄れおいく。 
 ホストで䞀攫千金を倢芋お挫折し、あげく薬に手を出した銬鹿な若者。この街では、その皋床の事件でしかないのだ。こうしおいる瞬間にだっお、あちこちで目も圓おられない悲惚な事件は起こっおいる。誰もが、それを知らない。知っおいおも知らないフリをしおいる。 
 圓然、店も通垞通りに戻るのにそう時間はかからなかった。 
 
 
 それから䞉週間が経った。 
 声が聞こえるようになった日から睡眠も食事もたずもにずれなくなっおいた。 
 䜕を食べおも味がわからず、無理に流し蟌んでも党お嘔吐しおしたう。そのうち食べるのも怖くなり、栄逊機胜食をだたしだたし囓っおはやり過ごす日々。䜕日も眠れないたた店ぞ出お、週に䜕床か極床の疲劎から倒れこみそのたた泥のようにやっず眠る。䜓重はみるみるうちに枛り、もう気力だけでかろうじお䜓を動かしおいるような状態だった。 
 
 集めおいた现かい蚌拠もかなり増えた頃、楠原はようやく決定的な蚌拠を手にしおいた。 
 芚醒剀の隠し堎所はオヌナヌ宀でも誰かのロッカヌでもなかった。裏口に攟眮されおいた廃棄物の山。異臭を攟぀その廃棄物は䜕故か回収されずずっずその堎所にある。芚醒剀は、その䞭に埋もれおいる金庫の䞭だったのだ。 
 店が䌑みの日に近くを匵っおいた際、オヌナヌが蟺りを芋枡した埌裏口ぞ消えたのを芋぀けた。バレないように裏路地から回り蟌んで尟行するず、その金庫から薬を取り出しおいるのを芋るこずが出来た。 
 
 すぐにその堎は離れたが、これでやっず終わるず思うず党身から蟌み䞊げるような喜びが溢れた。䞀人自宅ぞ戻った埌、  声をあげお笑った。もう自分はどこか壊れおいたのかもしれない。 
 
 CUBEは幞倧の自殺があっお以来客足が激枛し、䜕人ものホストが次々に蟞めおいった。䜓調䞍良を理由にその䞭に玛れお店を蟞めるのは容易だった。蚌拠さえ手に入れば、もう甚はない。 
 
 すぐに䜏んでいたマンションを匕き払い、家財も党お凊分した。その埌、倉装をした姿で人の倚い時間垯の駅構内ロッカヌに集めたそれらを入れ、䜿い捚おの携垯電話を䜿甚し、ロッカヌの堎所を匿名通報ダむダルを通じお教えた。 
 埌は譊察がやっおくれるず思った倜、達成感ず、目的を倱った空虚感で思わず街䞭で足が動かなくなった。誰かがこの瞬間自分を殺しおくれればいいのに、等ずずりずめもなく考えた。家を匕き払っおいるので垰る家もない。疲れ切った足を匕きずっお䜕ずか歩き、ネットカフェで久々に十分な睡眠を取った。 
 
 しかし、身䜓は自分の想像以䞊に危険な状態だったらしく、そのたた目が芚めるこずがなかったのだ。 
 
 数日埌、目を芚たした時には病宀のベッドの䞊だった。 
 海倖に䜏んでいる歳の離れた腹違いの姉ずは疎遠になっおいたせいで、遠い芪戚に圓たる身内に連絡が行ったようで入院の手続きなどをしおくれたらしい。ほずんど他人のようなその芪戚も、事務的な事を終えるず関わりたくないずいうようにさっさず垰っお行った。迷惑を掛けたこずは本圓に申し蚳なく思うが、話す事も無いのですぐに去っおくれたこずには感謝しかない。 
 
――二床ず、目なんお醒めなくお良かったのに  。 
 
 そう思った。暫くは、ベッドから起き䞊がるこずも出来ないほど䜓力が萜ちおいたが、怪我をしおいたわけでもないので䞀週間もするず動けるようになり、嫌でも生きおいるこずを実感させられた。 
 壊れた心を内包したたたでも、肉䜓は埐々に回埩しおいく。幞倧の声を聞きながら、䜕もかもがどうでも良くなり垌死念慮に取り憑かれおいた。自分では普通にしおいる぀もりだったが、端から芋れば異様だったのだろう。 
 
 䜓力の回埩を埅っお粟神科ぞ移され、そこで、知ったのだ。 
 CUBEが思惑通りなくなっおいた事は知っおいたが、その時は蚘事を確認する気力も無かった。入院棟で軜床の患者がカりンセリングを受ける時に埅機する埅合宀がある。そこで、数日前の事件の蚘事を初めお芋た。 
 自分が起こした事件である事は、医者も含め誰にも蚀っおいない。医者に䌝えおあるのは、目の前で友人が自殺したのを芋たずいう件だけ。 
 
 どこか他人事のような気持ちで蚘事を読んでいたが、ある郚分で楠原は息を呑んだ。 
 逮捕された五名はすぐに顔も思い浮かべられる皋床に知っおいる店のホスト達。 
 しかし、その䞭に幞倧を远い詰めた匵本人のオヌナヌの名前がなかった  。䜕床も蚘事を読み盎し、確認する心が震える。こんな結末になっおいるずは  。 
 
 楠原はその蚘事を握り぀ぶすず、苊しくなっおくる息に喘ぎ、冷たい笑みを浮かべた。 
 ただ仮面を脱ぐわけにはいかないず思った。 
 
 
 
 
「楠原さん」 
 
 
 
 
 朊朧ずする意識の䞭で、名前を呌ばれおいるのに気づき、楠原は顔を䞊げた。盞圓䜕床も呌んだのだろう、蚝しげに様子を窺う医垫が「倧䞈倫」ず声をかけおくる。 
 
「少し䌑んでいかれたすか」 
 
 今は蚺察䞭で問蚺を受けおいたずころなのだ。楠原は慌おお笑みを浮かべるず銖を振った。 
 
「すみたせん。倧䞈倫です」 
「ほんずうに 顔色が悪いよ 䜕か思い出したこずでも  」 
「いえ、  平気です。あの  、この埌甚事があるので、今日は時間がないのですが」 
「うヌん、そうなの。仕方がないね。でもね、楠原さん。少し良くない傟向が出始めおいるからね もう少しちゃんず話をしよう。受付で明日のカりンセリングの予玄をしおから垰っおくれるかな」 
「  わかりたした」 
 
 勿論明日来る぀もりはないが、こうでも蚀わないず解攟しおくれなさそうなので仕方がない。凊方箋を出しお貰ったが、次に必ず通院させるためなのか䞉錠しか出おいない。心蚱ないが、ずりあえず䞀錠でもいいず芚悟しおきたのだから文句は蚀えなかった。 
 
 調剀薬局で薬を受け取り、歩きながら空を芋䞊げる。はぁ、ず短く息を吐けば、癜いそれが県鏡の前を少しだけ曇らす。空は厚い雲で芆われおいる。今にも雚が降り出しそうなどんよりずした倩気にどこかホッずしおいた。 
 必芁な物を揃えるため自宅ずは逆方向ぞ足を向ける。 
 䜕もかも芆い尜くしお隠しお欲しいず願った。ここたで来たらもう匕き戻れないのだから。 
 
 
 昌の時間にこうしおゆっくり街を歩くのは久し振りである。自分の足音を耳にしながらゆっくり歩を進める。冷たい颚が吹いお、片偎で纏めおある髪の毛先を悪戯に揺らす。あの日からもう䞀幎が過ぎようずしおいるのだ。 
 楠原はLISKDRUGぞ入った頃を思い浮かべおいた。退院しおから今たで蚈画通りに過ごしおきたずはいうものの、やはり誀算はあった。 
 
 䞀぀はLISKDRUGに入っおしたったこずだ。どこでも構わないから、珟地で自然に行動できる近堎の店の求人を探しおいた。長く居る぀もりも最初から無かった。だけど、いざ入店しおみるず、店にいる皆の優しさ、CUBEずも、その前に居た店ずもたるで違うその枩かさは、今たで知らなかった物であり、楜しいずいう感情がただ自分に残っおいるこずに気付かされた。それはずおも甘い誘惑で、このたた浞かっおいたらきっず振り切れなくなりそうだった。 
 
 そしお最倧の誀算、――それは信二に出䌚っおしたった事なのだろう。 
 
 店に出た初日、真っ先に自分に声をかけおきたのは信二だった。 
 昔の仲間でもなく、CUBEの件も知っおいたはずの圌は、党くそんな事は関係ないずいうように明るい笑顔を向けおきた。 
 すらりず䌞びた手足にダヌクな色のスヌツを纏い、䞀芋するずクヌルなタむプに芋えたが。話すず気さくで人な぀こく、明るく染めたさらりずした前髪から芗く目元はい぀も優しげだった。 
 
 「蒌先茩」ず呌ぶ声、幞倧ず違うその声に最初こそ戞惑ったが、信二ず䞀緒に話しおいるず、きたっお自分も自然に笑みを浮かべおいるこずに気付かされるのだ。忘れかけおいた、穏やかで、居心地のいい時間。圌の話を聞いおいる間だけは、自分が背負っおいる物を忘れられた  。 
 
 圌から告癜を受けたずき、どれほどその手をずりたいず望んだか。自分が普通の人生を送っおいるただの男だったらどんなに良かっただろうず心から思った。圌ずなら、別の生き方も出来るのではないかずも  。この前䌚った倜、信二は蚀った。「俺が迎えに行きたす」ず。その蚀葉だけでもう十分だった。これ以䞊远わないで欲しい。圌が近づく床に、自分が圌を傷぀けるだけなのだから。 
 
 楠原は、もう二床ず䌚うこずのない店の仲間達、そしお信二の顔を次々ず思い浮かべる。 
 
「信二君  。僕も、  貎方の傍にいたかった」 
 
 柄にもない台詞を小さく口にしおみれば、胞が刺すように痛んだ。 
 
 切れ間のないどこたでも続く灰色の雲。光の差さない空。 
 だけど、そのもっず䞊空には晎れ枡った明るい青空があるのを知っおいる。たるで自分ず信二のようだず思う。 
 その青空はずおも高くお、焊がれおも、楠原の手には届かない。 
 
 ただ残る迷いも  圌に察する想いも、この数ヶ月で倉化しおしたった自分が埌戻りできないこずも知っおいる。 
 
――こんなにも匱い。 
 
 楠原はそっず息を吐くず、心の䞭に、その匱さを隠すように  、二床ずはずれないように仮面を付けた。 
 
 
 
 
 
 
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