Halloween★night


 

 
【Halloween】とは。 
毎年十月三十一日に行われる、古代ケルト人が起源と考えられている祭りのこと。(~中略)カボチャの中身をくりぬいて「ジャック・オー・ランタン」を作って飾ったり、子どもたちが魔女やお化けに仮装して近くの家々を訪れてお菓子をもらったりする風習などがある。 
 
 
「って、ウィキペディアに書いてあるぜ?」 
「知ってますよっ! それは」 
 
 携帯で検索した詳細を、滑舌よく読み上げた晶に対して信二が悲痛な叫びを返す。 
 LISKDRUGで毎年行われるハロウィンパーティの飾り付けをしていた後輩は、信二の大声で飾りのミニカボチャをビックリして落下させた。 
 コロコロと足下に転がってきたカボチャは、意地悪な笑みを象るようにくり抜かれていて、こんな衣装の自分を嘲笑っているみたいだ。 
 晶は、それを拾うと後輩へと放り投げた。緩やかに弧を描いて宙を舞うカボチャ、それを視線で追いながら、信二はカボチャにも恨み節を吐きそうになる。 
 
「お! ナイスキャッチ、俺って投球コントロール抜群じゃね!?」 
 
 自画自賛の晶に「流石です! オーナー」と持ち上げる女装の後輩。まるで学芸会の楽屋裏のような雰囲気が店内を満たしていた。 
 そんな中、オレンジと黒の派手な風船飾りの前に立っている信二は明らかにふて腐れていた。 
 
「信二、お前。なーに、不機嫌になってんだよ。毎年やってんだから、慣れてるっしょ?」 
 
 晶が衣装を着たまま、宥めるように信二の肩へ手を置く。 
 
「パーティーに文句言ってる訳じゃなくて、この衣装っす! 納得いかないっす!!」 
「衣装? 気に入らねーの?」 
「当たり前でしょ!? なんで、俺だけ着ぐるみなんっすか!? しかもピンクのクマって!!」 
「しょーがねぇだろ。レンタルのハロウィンセットBにそれが入ってたんだからさ。王子コスは楠原がやることになったし、康生はゾンビでいいって言ってたし、他は、えぇっと……それと魔女とナースだったか? とにかく、女装はお前、去年絶対嫌だって言ってたしそれしかなくね?」 
「それは、そうっすけど……」 
 
 毎年同じ仮装だと、客もつまらないだろうという事で、祭り好きの晶自らが、毎年この時期になるとレンタル衣装を揃えてくるのが恒例となっているわけだが。どこで取り寄せたのか、某量販店で売られている安っぽい物ではなく、その衣装は舞台で使われるような本格的なものだ。 
 昨夜やけに大荷物が店に届き、嫌な予感がしたがそれは的中した。 
 
 去年のハロウィンは、晶は魔法使いで、信二は海賊の衣装だった。海賊のそれは評判も良く、自分でも結構イケていたのではないかと思う。現に客にもカッコイイと大人気だったのだ。しかし、今年はそういうわけにはいかない。 
 
 今年の信二の仮装。それはピンクのクマの着ぐるみだった。しかも、ハロウィンバージョンなので、大きな口元に血がペイントされているホラー映画に出て来そうな物である。その口元に穴が空いていて視界はそこしかない。尊敬する晶だとしても、これを借りてきた事に文句の一つも言いたくなるのは仕方がないだろう。 
 連続して溜め息をつきまくっている信二に、晶は小道具の鎌でちょっかいを出し、ピンクの全身姿を見て苦笑した。 
 
「晶先輩はカッコいいからいいっすよね。自分だけズルくないっすか?」 
「何言ってんだよ。可愛いじゃん、お前のそのクマも。大丈夫だって、安心しろ。似合ってっから」 
「似合うとか、顔見えてないのに適当だなぁ、もう……」 
「あーあれだ。お前の声と似合ってるっていうか、うん!」 
「……。はぁ……、ハロウィンセットAにしてくれれば良かったのに」 
「セットAは、クマがウサギになってるだけだったぞ?」 
「マジっすか?」 
「うん、マジ」 
「へぇ……。じゃぁまぁ、クマの方がいいのかな」 
 
――って、危ない! 
 
 もっと最悪な例を持ち出されて、危うくクマで良かったなんて一瞬思ってしまった信二、もといクマの着ぐるみは、一人で頭を振った。もっとこう、普段着れないような格好良い衣装が良かった。 
 
「つか、なんで鎌持ってるんっすか? 晶先輩の仮装ってドラキュラでしょ?」 
 
 真っ黒なマントの裏地は深紅。いつもと違い、髪型もサイドを固めて後ろで結んだスタイルで絶妙にかっこよくキめている。晶は信二の言葉を受けて、「え?」というように首を傾げた。 
 
「なんでって、ドラキュラは鎌持ってるっしょ」 
「いや、持ってないでしょ。それって死に神っすよね? ミックスしてません?」 
「そうなん?」 
 
 何かの冗談で持っていると思っていたのに、晶は素でドラキュラは鎌を持っていると思い込んでいたらしい。 
 
「んじゃ、これお前の小道具なのかな? 欲しいなら、やろうか?」 
「いやいや、クマが鎌持ってるって、それも意味不明ッすよね!? っていうか、俺……手がモコモコなんで、そういうの長時間握れないし」 
「あーそっか。まぁ、いっか。ドラキュラでも鎌持ってたっていいよな」 
 
 アルミ箔が貼ってあるような鎌のオモチャを、晶は近くへのソファへとひょいと置いた。マントは結構重いらしく、邪魔そうにたくしあげて晶がその横へ腰を下ろす。ポケットから煙草を取り出して咥えると、ゆっくり紫煙を燻らせた。黙っている晶の横顔は、妖艶とも言って良いほどの色気が溢れている。 
 口元に覗くドラキュラの牙と、付属していた血のペイントがまるで本物のようで、かなり様になっていた。パーティーが始まれば、女性客がこぞって「私の血を吸って~!」と群がるのが目に見えるようだ。自分が客だったら間違いなく言う。 
 
 それに比べて自分は……。信二はモコモコの巨大な手をバフッと頭部にあてた。片手だけで顔を隠すほどのそれは、あらゆる行動を制限する。 
 もうこうなったら、このモコモコで「信二フワフワじゃん~!」と気に入って貰えるようにゆるキャラ路線に変更するしかない。 
 信二もそのまま腰を下ろすと、裏で着替えを済ませた康生がフロアへと入ってきたのが狭い視界から見えた。 
 
――何故だ……。 
 
 信二がクマの頭部の中で目を丸くする。 
 康生の仮装はゾンビだったはずではないのか。 
 
 確かに衣装はボロボロで汚れている雰囲気のものだったが、ゾンビというにはワイルドすぎる。破れたネルシャツに、血で汚れたジーンズ。その隙間から康生の鍛えられた筋肉質な身体が露出していた。これでモヒカンだったなら、パンクバンドのメンバーだと言われても納得出来そうな仮装である。 
 顔の傷のペイントも相まって、すっかりイケメンゾンビになっていた。こんなゾンビなら自分が率先して立候補すれば良かったと思うが後の祭りである。 
 そんな康生が側にやってきて信二の姿を見つけると……。 
 
「……信二……お前、それ……」 
 
 哀れな者をみる目でみつめ、それだけ呟いた後、急に腹を抱えて笑い出す。信二は舌打ちすると眉を顰め、着ぐるみの中から声を上げた。結構大きな声で話さないと周囲には聞こえない。元から声の大きな信二には、不便さは無かったけれど。 
 
「康生、笑いすぎ!!」 
「だって、おまっ。何それ、最高にうけるだろっ。え? クマかよ? しかも、何か食ったみてぇな口だし。廃園になった遊園地に居そう」 
「ゾンビに言われたくないし。はぁ……、晶先輩のせいで……、俺、今日テンションだださがりっすよ。……もう、帰りたいっす……」 
 
 言いたい放題、笑いたい放題の康生を軽く睨んで、信二が疲れ切ったように背もたれへと寄りかかった。重心がずれたことで思い切り後ろへ頭が動き、壁にゴンという音を立ててぶつかる。危うくむちうちになる所だった。信二は慌てて少し起きあがった。これじゃ、身動きも出来ない。 
 いつもの五倍は重さがありそうなのだから当然ではあるが……。 
 パーティーが始まる最初だけとはいえ、この格好で過ごすなんて頭以上に気も重すぎる。 
 
 晶と康生が格好良くキめているのを横目で見ながら落胆していると、暫くして楠原がフロアへ入ってきた。 
 
「わ!……蒼先輩! かっこいいです! 男のオレでも抱いて欲しくなります!!」 
 
 信二は聞き捨てならない台詞に反応し、後輩が手を止めて感嘆の声を漏らす方へ鋭く視線だけを向ける。 
 
「僕は、高いですよ? それでも良ければいつでもお相手しますが」 
 
 楠原が笑って冗談で返す。後輩は視界の悪い信二からみても赤くなっていた。男をも魅了する楠原は、確かに凄い。そして、抱きたい。 
 本当に咲いてはいないけれど、これが漫画だったら楠原の周りにはキラキラのエフェクトと薔薇が咲き乱れているだろう。そう思ってしまうほどに、楠原の王子コスプレは超絶似合っていた。ハロウィンセットに何故王子衣装が入っていたのかは疑問だが、そんな事を言ったらクマだっておかしいのでそこは考えないことにする。 
 
――『俺の』蒼先輩、綺麗すぎる!!! 
 言えない言葉を、まずは心の中で叫んで心を落ち着かせる。 
 
「おや……、皆さん、もう着替え終わっていたのですね。僕が最後ですか」 
「おっ! 楠原。サイズピッタリじゃん。本物の王子みてぇだな。すげぇ似合ってる。これはいっぱい写真撮られると見たね、俺は」 
「そうですか? 少し動きづらいですが、そう仰って頂けると仮装した甲斐がありますね。オーナーこそ、よくお似合いですよ。夜に相応しい、闇の王者の貫禄が感じられます」 
「マジで? よっしゃ! まぁ、ホントは闇の王者ってがらじゃねぇんだけどさ、サンキュ」 
 
 先陣を切って絶賛した後輩や晶に続きたいのはやまやまだが、楠原の方へ振り向きたくなかった。いずれ気付かれるとしても、数分でいい。いや、数秒でも良いからその時間を遅らせたい。穴があったら入りたいというのはまさに今の事だろう。 
 しかし、信二の願いは虚しくもたった5秒で消えた。 
 
「……そこにいるのは、……信二君ですよね?」 
「……ぅ……」 
 
――気付かれた。一番見られたくない相手に……。 
 
 信二が俯いたまま、と言っても着ぐるみなので端から見たら微動だにしていないまま、やや小声で口を開く。 
 
「いや、あの……。晶先輩がこんなの借りて来ちゃって」 
 
 中で口ごもる信二の目の前へやってくると、楠原はクマの顔を覗き込んだ。 
 
「とても愛らしいですね。きっとお客様にも、可愛がって貰えますよ」 
 
 それを聞いていた晶が、「その通り」とでも言いたげにうんうんと頷く。 
 楠原に可愛いと言われて、ほんの少しだけテンションがあがったが、きっと気を遣って言ってくれたのだろう。しかも、可愛いのはクマであって信二ではない。そう思うとやっぱり虚しい。 
 
「蒼先輩の王子衣装、凄いカッコいいっすね。マジ、見惚れます」 
「有難うございます。こういう物は、誰が来ても様になるよう、作られているのでしょうね」 
 
 晶が後輩に呼ばれてそちらへ向かったのを見届け、近づいている楠原の側で信二が囁く。 
 
「あんまし人に見せたくないぐらい素敵っす。俺、お客さんに嫉妬しちゃいそう」 
 
 楠原が小さく笑って、信二のクマの手を握る。 
 せっかく楠原に手を握ってもらっているのに、残念ながら感触はほぼわからない。王子に手を握られるピンクのクマ。何ともシュールな光景である。 
 しかも、段々着ぐるみの中が暑くなってきて、汗が滲んできた。夏でもないのに。信二はひとまず頭のかぶり物だけを取ることにした。 
 身体は着るのも大変だったのでこのままでいるしかないが、頭の部分は今は必要ない。ズボッと取り外して隣へ置くと、包まれていた頭部があらわになった事で味わったことのない開放感に包まれた。 
 
 楠原の衣装を改めて見てみると、本当によく出来ている。 
 おとぎ話に出てくるような白を基調としたフロックコートとズボンの衣装で、肩や胸の飾りには深い緑の品のある飾り、細身の楠原の腰辺りには、きゅっと絞るような太い紐に金色のタッセルが付いていた。 
 
「俺も、王子の衣装が良かったっす……」 
「信二君が着たら、僕より似合いそうですね。ああ……、でもこれ。ワンサイズしかないそうですよ? オーナーが着ようとしたら、入らなかったとか」 
「そうなんっすか? ああ、じゃぁ、俺もきっと入らないな」 
 
 残念そうに呟く信二に、いつのまにかまた戻ってきていた晶が口を挟む。 
 
「信二は俺よりでかいんだから、丈も足りないんじゃね?」 
「かもしんないっすね」 
 
 嬉々として血塗れナースコスをしている後輩を横目に、飾り付けたハロウィンという文字のプレートを晶が指で揺らす。鼻歌でも歌い出しそうな晶は楽しげだ。 
 
「晶先輩、さっきから気になってたんっすけど、その髪飾りなんでつけてるんっすか?」 
「んー? あ、これ?」 
 
 サイドの固めた髪に晶が付けているのは、ハート柄のピン止めだ。せっかくカッコよくキめているのに、そこだけ外しているのが不思議だった。 
 
「別に深い意味はねーよ。カワイイっしょ? ほら、お客さんの中には怖いのとかマジ苦手な人もいるしさ、かわいい感じもプラスしとかねーと」 
「なるほど、流石オーナーですね。お客様のことを考えての飾りとは」 
「そうそ」 
 
 楠原は納得したようだが、わかるようでわからない。 
 だけど、それをきっかけに客にツッコまれたりして、話題作りにはなりそうである。楽しそうな晶を見ていると、何だか着ぐるみも別に悪くない気がして、信二は一人笑みを浮かべた。ちょっとしたお遊びなのだから、別にこれでもいいかという気分になってくる。 
 
 しかし、着ぐるみを受け入れるとしても、煙草が吸えないのは痛い。 
 もう店が開くまで三十分程しかないので、今更待機室へ戻って脱いで一服するというわけにもいかない。 
 信二は「うーん」と神妙な顔をして店の天井を仰いだ。 
 
「どうかしましたか?」 
 
 店内の装飾をチェックしながら巡回している晶はまたフラフラと何処かへ行ってしまった。晶を目で追っていた楠原が、信二へと振り向く。 
 
「いや、煙草が吸いたいんっすけど……。これ着てると煙草持てないんで……」 
「ああ……。確かに、この手では煙草は挟めませんね」 
「でしょ? 失敗した……これ着る前に、吸っておけば良かったっす」 
「でしたら、僕が吸わせてあげましょうか?」 
「え?」 
 
 ニッコリ笑った楠原が腰を上げて信二の腕を掴む。 
 
「どうやって?」 
「簡単ですよ。ちょっと着いてきて下さい」 
 
 楠原がフロアを出て非常階段のある裏口から出る。続いて信二も屋外へ出ると、外はかなり涼しくて、着ぐるみの身体に風が心地よかった。隣のビルの壁が遮っているおかげで人目に付かない踊り場で、楠原は自分のポケットからすっと煙草を取り出した。 
 
「僕の煙草でも、構いませんか?」 
「はい、吸えるなら何でも」 
 
 楠原が煙草を咥えて、ライターで火を灯す。一度吸い込んで火種を安定させると、それを信二の口元へと寄せた。『吸わせてあげる』というからにはこうするしか方法が無いわけで、わかっていたが……。こうして現実に行われるとドキッとしてしまう。 
 それを気取られぬよう、信二は楠原の指に挟まれた煙草へ首を伸ばし唇へ咥えた。自分の煙草ではないので若干物足りないが、楠原の煙草も今では時々貰うので慣れている。数時間ぶりに吸う煙草はやけに美味しかった。 
 深く吸い込むと、楠原が再び煙草を離す。楠原の衣装についている飾りが、隙間から差し込むネオンできらりと輝いた。 
 
「煙草を吸わせて貰うとか、初めてっすよ。このクマの手のおかげで」 
「ホントに。ですが、もし誰かに見られても、その衣装なら言い訳ができるので安心ですね」 
「まぁ、確かに」 
 
 楠原と付き合っていることは、晶や康生にはバレているけれど、後輩達や勿論客にも秘密である。互いに店では以前と変わらぬ振る舞いをするよう気をつけているので、こうして店で二人きりで話す事は少なかった。 
 傍に楠原がいると、どうしても抱き締めたくなってしまう。今だって本当はそう思っているけれど、我慢しているのだ。クマの格好のせいで、それが出来ない事が、ほんのちょっぴり有難い。 
 
「……何か俺、こんな衣装でめちゃくちゃカッコつかないっすよね……ちょっと恥ずかしいっつーか……」 
「そんな事はありませんよ。女性は、ぬいぐるみとか好きな方が多いでしょうし」 
「ぬいぐるみと着ぐるみって、同じカテゴリーなんっすかね?」 
「多分」 
 
 何度目かの煙草を咥えさせて貰いながら、顔を見合わせて苦笑する。 
 
「……信二君」 
「ん? なんっすか?」 
「信二君は、僕の衣装を着たかったってさっき言っていましたが……」 
「ああ、はい」 
「僕は、信二君にこの衣装は、正直を言うと着て欲しくないですね」 
「え、……どうしてっすか? 本当は似合わなそうって思ってるとか?」 
「いえ……。そうではありません」 
 
 短くなった煙草を携帯灰皿で潰して、楠原が顔を上げる。長い睫が何度か瞬かれ、レンズの奥にある濡れたような瞳に吸い込まれそうになる。 
 
「信二君には、僕だけの王子でいて欲しいですから」 
「……………………」 
 
 今、もの凄く甘い愛の告白を受けた気がする。 
 突然、しかもさらりと口にされて思考が追いつかないどころか、停止した。じっと見つめてくる楠原の視線に我に返った信二は、困ったように眉を下げて息を吐いた。 
 
「王子の格好で、……その台詞はやばいっすよ」 
「そうでしょうか?」 
「そうですっ! だって……、もうっ、なんでわかんないんっすか。我慢、……出来なくなるでしょ」 
 
 楠原の頬に、クマの手のままそっと触れると、楠原はくすぐったそうに肩を竦めた。 
 
「フワフワですね。とても気持ちいいです」 
「そうっすか? ……クマも、たまにはいいかもしれないっすね。来年も、コレ着よっかな」 
 
 信二がそう言って笑う。 
 
「また、煙草が吸えなくなりますが、構わないんですか?」 
「別にいいっす。だって、そん時はまた、蒼先輩が吸わせてくれるんでしょ?」 
「ええ、もちろん」 
 
 楠原の額に一度だけ軽くキスをして、信二は裏口のドアに手を掛けた。これ以上二人きりでいたら、冗談ではなく額にキスだけでは終われそうに無い。 
 
「そろそろ戻らないと」 
「そうですね」 
 
 チラッと隣の楠原を見ると、今し方口付けを落とした額を指で少しだけ触って、愛しげな笑みを浮かべていた。その表情は、普段見せない物ではあるが、自分と二人の時は時々見せてくれる。 
 
「信二君」 
「なんっすか?」 
 
 フロアへ向かう廊下を歩きながら、楠原に声をかけられ振り向いた瞬間シャッターを切る音がした。 
 楠原が携帯を振って、「記念に」と悪戯に笑う。 
 
「どうせ記念なら、蒼先輩も一緒に写って下さいよ。家帰ったら俺の携帯にも送って欲しいし」 
「そうですね、じゃぁ、撮りますか?」 
 
 携帯を操作できない信二に変わって楠原が腕を伸ばす。二メートル近い大きな着ぐるみが画角に入るように腰を屈めて、信二は楠原の肩に巨大な手を回した。カシャッというシャッター音、撮影できているかを確認するために携帯を覗き込んで見ると、キラキラした楠原と着ぐるみの自分が幸せそうに写っていた。 
 
「良い写真っすね、家に飾ります? 魔除けになるかも」 
 
 冗談でそう言うと、楠原が「魔除けですか」と苦笑する。 
 
 
 
 
 フロアへ戻ると、もう照明が落とされていて、飾り付けのランプが点滅していた。アップテンポのBGMが大音量でかかり、すっかり会場は準備万端だ。中央にあるシャンパンタワーには赤いライトがあてられていて怪しげに輝いていた。 
 
「信二先輩! 聞いて下さい!」 
「ん? どうした?」 
 
 フロアに入って楠原と離れると、近くに居たナースコスの後輩に呼び止められた。 
 
「オレ、女装に目覚めそうです!」 
 
 ピンヒールにがに股で、後輩がとんでもない事を言う。確かに細くて小さい後輩は、ウィッグも似合っていて結構美人だった。 
 
「目覚めても良いけど、店に女装してくんなよ?」 
「それはしないっすよ~。あの、信二先輩も目覚めそうだったりします?」 
「目覚めるって、何に?」 
「その着ぐるみに」 
「んなわけないだろ」 
 
 後輩の頭を軽くはたくと、ウィッグがずれたようで、後輩が「信二先輩酷いっ! 暴力反対ですわよ」と誰も使わないような女言葉で泣き真似をする。女装に目覚めるならもうちょい色気も勉強した方がよさそうである。その姿に笑いながら窓際まで行くと、別の魔女コスの後輩が、短いスカートからパンツが丸見えの状態で座っていた。 
 これだから女装は……、信二はやれやれと眉を寄せて店内の時計を見る。 
 
 『ハロウィンだから』その言葉で全てが片付けられる今夜は、賑やかになりそうだ。 
 
 マネージャーが店のドアの鍵を開け、外にかかっているOPENの文字を点灯させる。 
 信二はソファへ放置してあった頭のかぶり物を手に取ると、しっかりと身につけた。口に僅かに残るのは、先程吸わせて貰った楠原のメンソール煙草の味。 
 
 客が入り出すのに合わせてそれぞれのホスト達が入り口へと向かう。 
 予想通り、晶や楠原の客はその仮装にうっとりしていて夢中である。 
 
「いやー! 晶超かっこいいじゃん~。マジ、ドラキュラ感ある~! 後で一緒に写真撮ってインスタにあげてもいい!?」 
「もちろん、OK~。写真撮るとき、首元に噛みついてやろっか? その方がらしいじゃん?」 
「いいの? うん! 私、その写真一生の宝物にしちゃう~!」 
「んじゃ、俺も写真引き伸ばして部屋に飾ろっかな。宝物が一つ増えてラッキー」 
 
 肩を抱いて卓へ向かう晶と客の笑い声。 
 信二の背後では楠原の客も到着していて、甘い言葉が囁かれている。 
 
「蒼くん、今日は王子様なのね!? 素敵~!! 私も、もっとお洒落してくれば良かった……」 
「今夜も、僕には勿体ないぐらい美しいですよ? これ以上飾る必要はないのでは?」 
「えぇ……そ、そうかな。ありがと。今日ね、これ一応新しく買ったワンピなの。蒼くんに一番に見て欲しいなって思って……」 
「それは、嬉しいですね。よくお似合いです」 
 楠原はにっこり笑って女性客をみつめ、少し腰を屈めると耳元で囁く。 
「貴女の着ているワンピースに、思わず嫉妬してしまいそうですよ」 
「……え?」 
「こんなに近くで、貴女を輝かせることが出来るのですから……。王子の嫉妬は、お嫌いですか?」 
 
 真っ赤になった客の腰に手を回し、楠原が自分へと引き寄せる。揃って卓へ向かう後ろ姿は、本当に舞踏会へ向かう王子と姫のようだった。 
 影からそんな様子を見ていた信二は、今日来る予定の指名客を待ちつつドアの方へ身を乗り出した。 
 と、その瞬間。丁度入ってきた女性客にぶつかってしまった。驚いて悲鳴を上げる女性客を慌てて起こしてよく見てみると自分の客である。 
 巨大な着ぐるみが登場したら、誰だって驚くだろう。 
 
「ビックリさせてごめん! 俺だって、信二だよ」 
 
 客は名乗った瞬間笑い声を上げた。 
 
「やだっ、嘘っ、信二なの!? 中の人っ! 超こわいんだけど~」 
 
 晶や楠原と違い、客のリアクションが悲しい。 
 
「酷いな~! 可愛いでしょ? ほら、フワフワだし!」 
「えぇ~。でも、ネタとしては最高だねっ! さすが信二、身体張ったギャグは評価してあげる~」 
「あざっす! って、俺は芸人じゃないんだけど? まぁいいや。今夜は美女と野獣ってことで一つ宜しく」 
「うん! よく見るとまぁ、可愛いかも。ねぇねぇ、後で膝に乗ってもいい? すごく気持ちよさそう~」 
「いいよ、今夜は触り放題!何ならアフターもこのクマで行こうか?」 
「信二がいいならいいけど~??」 
 
 悪戯な笑みでそういい、身体に抱きつく客が着ぐるみに顔を埋める。信二の客層は基本的にノリがいいのが救いである。いつもと違ったこんな状態でも楽しげな様子を見せてくれる客に、信二も笑みを浮かべ卓へ向かった。 
 
 その後も次々と客が訪れ、キャストも忙しなく卓をまわって大忙しである。 
 店内はすぐに満卓になった。予めパーティーの開催日程は知らせてあるので店内にいるのは常連の客が多く、待ちの卓にも数人が座っている。ちょっとした仮装をしている客もちらほらいて、いつもより随分と華やかだった。 
 
 揃った客の卓へ挨拶に回った晶が一段落付いた所で、いよいよパーティの開催である。 
 
 フロアには、ハロウィンナイト開催を告げるMCが響き渡り、満を期して常連客が入れたシャンパンが中央のステージに登場する。今日は特別なので晶が代表してコールをする事になっている。手拍子が始まり、一気に盛り上がりをみせた。 
 
「OK~! みんな揃ってるか~? 今夜もいくぜ、シャンパンコール!」 
「待ってました!」 
「きゃぁ~! 晶~!!」 
「いけ~、元ホスト!」 
「はーい、そこ~。余計な事言わな~い。俺は今も現役で~す!」 
 
 ツッコミを入れてくる女性客に晶が笑って切り返す。 
 手拍子が鳴り響き、晶が漆黒のマントを翻し、段差になっているステージに片足を上げた。晶のリードで他のキャストや客も台詞を追従したりアレンジして付け加えたりを繰り返すのだ。 
 間髪入れずにマイクを通し、いつもの晶の台詞が放たれる。 
 
「俺の美声、姫達に届いてる~?」 
 
 始まりの合図でもある恒例の台詞に黄色い声援を浴びながら、晶は一度大きく息を吸った。 
 
 
――今夜は?(今夜も!!)ハロウィーンナイトッ(ナイトッ) 
――姫も王子もドラキュラも~!今夜は飲まね~わけがないッ!(ナイナイッ) 
――姫に捧げるシャンパンコール!(俺の全てを捧げますっ!)貴女のために贈ります(受け取って~!) 
 
「あー、そこのクマにちゅーも~く!!中の人はグラス持てねぇから、姫が飲ませにいっちゃって~!」 
 
 合間にいれた台詞で信二の客が座る卓から「OK~!!」という声と周りから笑い声が上がる。信二もクマのまま晶へ手を挙げた。 
 
――溢れるシャンパン(シャンパン!)姫の愛情受け止めて(マジ受け止めます!)最高最高(最高!)絶好調~!(テンションMAX!!) 
――今宵も飲みますっ!(飲ませます!)ラブアルコーーール!(らぶ!) 
――抜いて~抜いて~!抜いちゃって~!(抜きすぎ~!!) 
 
 晶のコールに合わせて次々と用意されていたシャンパンの栓が抜かれる。てっぺんから惜しみなく注がれタワーをこぼれ落ちるアルコール。 
 
――今夜は最高!(サイコー!)姫のおかげで! (あざーっす!) 
――ゾンビも魔女もナースもみんな、酔わせていただく(ハロウィンナイト!!) 
――グイグイいって(いっちゃって!) 
――3・2.・1!!ハイ、愛情一気!(一気!)トリック!(トリート!!)お菓子をくれても悪戯しちゃう(意味ねー!!) 
――みんな楽しんで行ってね~! (ハーイ!) 
 
 グラスからこぼれ落ちる大量のシャンパンは、照明のせいでまるでルビーのように輝き、フロアを酔わせた。 
 店にいる全ての客が、一夜限りの姫になる瞬間だ。 
 
 トリックもトリートもなくて、そこにあるのはイロコイを楽しむ誰もが主役の舞台だけ。それぞれの王子は今夜も愛の言葉を囁く。 
 
 
 
――貴女だけの王子でいるために……。 
 
 
 
~Fin~ 
 
 
 
 
 
 
 
 
※引用 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ハロウィンより