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「お会計136,400円になります」 
「んじゃ、これで一回で」 
「かしこまりました」 
「あー、あと。それ、ここに全部送って下さい」 
 
 晶がブラックカードと共に店の住所が書いた名刺を店員へと渡す。 
――あ、普通の名刺だ。 
 なんて、信二は当たり前のことを思う。 
 
 ホスト時代の晶の名刺を知っている身としては、目の前に出されたまるで一般企業営業マンのようなそれに、違和感を抱いてしまうのは仕方がない。白地に黒文字、金の箔押しでも無ければ、四隅にあった華美な柄もない。こんな所で、現役から遠のきつつある晶の存在を感じずには居られない。 
 しかし信二は、それ以上の驚きを持って背後からその光景を覗き込んでいた。水商売をしていてブラックカードを持てるというのはある意味凄い事なのだ。 
 
 普通のクレジットカードと違い利用限度額もないそれを持つには……。 
 身元が確かで、一度も借金をせず、支払いが滞らず、それでいて年収が常に安定している上に使いっぷりが半端ない。それら全てが揃っていてやっとブラックの審査が通るかどうかといった所だ。晶の場合は実家が老舗旅館なのでその点も有利なのかも知れない。 
 店員がその場を離れて会計と発送の準備をするため姿を消すと、信二は晶の背中で感心したように呟いた。 
 
「晶先輩、流石っすね……カード、ブラックなんだ……」 
 
 晶は一瞬、信二の言う『カード』の意味がわからず首を傾げた後、財布を見て「ああ」とワンテンポ遅れて理解した。 
 
「クレジットか。まぁ、最近だけどな、ブラックになれたの」 
「そうなんっすか?」 
「そうそ、やっとだよ。ホストとか水商売は中々信用ねぇからさ。実績積んで証明するしかないっしょ。散々申請蹴られまくって、もう仕方ねぇから黒のマジックで塗ろうかと思ってたくらいだし」 
 
 嘘か本当かはわからないが、マジックで塗るという行動が晶らしいと思ってしまえば思わず笑いが漏れた。晶が下を向いて小さく笑った後信二へと振り向く。 
 
「お前は? ブラックじゃねぇの?」 
「まさか、違いますよ。俺はゴールドでもないっす」 
「マジで? あー、やっぱ申請通んねぇのか?」 
「や、そうじゃないっす。ゴールドぐらいにはなれると思いますけど、あえて普通のままにしてるんっすよ」 
 
 信二は先程自分が会計時に出したカードを思い浮かべる。カードを作った当時キャンペーンをやっていたので、別に好きでもないキャラクターが描いてあるそれは、色は薄い水色ではっきり言ってダサい。 
 あえて、の部分が気になったのか、晶はその理由を訊ねてきた。 
 
「その理由は??」 
「ゴールドカードとか持ったら、俺絶対調子に乗るじゃないっすか? 自分の性格わかってるんで自重してるんです。ぐぐっと堪えて!」 
 
 馬鹿だなと笑われるかと思ったのに、晶はその言葉を聞いて感心したように何度も頷いた。 
 
「信二、お前ほんと見た目と違って真面目だな。武士かと思ったわ」 
「……武士ってなんっすか。どっから出て来たんっすか」 
 
 真面目=武士という発想。それもどうなのだろうと思う。 
 
「侍的な?」 
「そういう意味じゃ無くて」 
 
 確かに、ホストなんてしているわりには硬派だとたまに言われることもある。しかし、別にそうしようと気をつけているわけでもないし、信二にとってはこれが普通なのだ。 
 そんな事を話しながら会計が終わるのを待っていると、別の店員から新作のフランボワーズ味マカロンの試食を貰った。 
 
 いかにも女性が好みそうな見た目であるそれは、握りつぶしたら1cm角になりそうな小ささなのに、かなり高い。しかも、値段の割に口に入れるとあっという間になくなって食べ応えもない。 
 美味しいとは言え、これならばケーキの方がいい等と心の中で思っていると、隣の晶が店員に愛想良く感想を述べていた。 
 
「すげぇ美味しいですね。見ためも女の子が好きそうだし、今度買うときこれにしようかな。ご馳走様でした」 
 
 ニッコリ笑ってそう言われた店員は、褒められたのはあくまで菓子だというのに、自分が褒められたかのように赤面して「有難うございます」と礼を言っている。 
 元No.1の悩殺スマイルを前にすれば当然か。そう思うと同時に、晶はこの菓子が気に入ったことが少し意外だった。 
 
 いつも二人で定期的に開催しているコンビニスイーツLOVEの会(晶命名)では、圧倒的に食べ応えのある物の方が評価が高いのだ。 
 審査員は基本自分と晶だけだが。今はたまに楠原や康生が加わることもある。 
 しかし、そうではない事がすぐわかる。気をよくした店員が晶にだけもう一種類試食を運んできて、晶はそれを喜んで試食する。そして、店員が奥へいなくなったのを見計らって呟いた。 
 
「これなら……、二十個ぐらい一気に食えるな」と。 
「ですよね、こうなんていうか……食べた気がしないみたいな」苦笑して返せば、晶も「ほんとそれな」と小さく笑った。質より量、悲しいかな考えることは一緒である。 
 
 
 
 何故晶とデパートの地下なんかにいるかというと。 
 今日は間近に迫ったホワイトデーのために、お返しを買いに来ているのである。昼を食べる時間に一時間ほど使ったとは言え、もうすでに店の梯子で三時間は買い物している状態だ。 
 これでも晶は、現役の時よりはかなり少なくなったらしいが……。 
 各店での支払いを合計すると軽自動車が買えそうな勢いのショッピングなのは間違いない。 
 
 信二もそれなりに買ったが、今現在手で持って帰れる範囲である。重さはないが、かなり嵩張ってきていて、先程からラッピングが潰れぬように纏めて手に持つのに苦労しているところだ。 
 それと比べ、会計を済ませた晶は全て店に送るようにしているので手ぶらである。確かに手持ちで済むような量ではないので当然の行動だ。 
 
「よっし、んじゃ次行くか」 
 両手をスーツのポケットに突っ込んだまま、晶が歩き出す。 
「え!? まだ買うんっすか? 今の店でまとめて買えば良かったのに」 
 両手の手提げ袋を肩にかけて信二は慌てて晶との距離を詰めた。 
「馬鹿だな、お前。全員一緒ってわけにいかねーだろ」 
 ふざけて晶に後頭部をはたかれる。 
「痛っ! や、でも、もう五パターンぐらい買いましたよね?」 
「『もう』じゃなくて『まだ』だろ。女の子は自分が他の客と違う物を貰った! っていう特別感が嬉しいんだよ。だから何種類も選んでるんだろ。昼に肉食ったんだから、体力有り余ってるっしょ。グダグダ言ってないで付き合えって」 
 
 言っていることはホストとしては正論である。どう進んでも甘い香りが広がっているフロアを足早に歩きながら、晶が手書きのメモを信二へと見せる。 
 そこには、それぞれの客の好みの詳細がぎっしりと書かれていた。 
 
 酒が強い、可愛い物が好き、好きな色、派手な物が好き、甘い物は嫌い、クッキーは食べない、ダイエット中、最近興味のあること等など。それを分類して、各客が喜びそうな物を選んでいるらしい。 
 徹底しているというか、恐ろしいほどのサービス精神というか。ホストの試験があったら「ここ! 試験に出まーす!」と言われそうな部分である。 
 
 その手書きメモを一生懸命作ったであろう晶を思い浮かべると、心から尊敬せざるを得ない。 
 人を纏めて先頭に立つ男、それは権力のような強さを持っているだけではダメなのだ。こういう些細な部分での努力、それをスマートにこなす行動力、晶を見ているとつくづくそう思う。晶はもう既にホスト業界のTOPでもあると思うのにまだまだ立ち止まるつもりはなさそうだ。 
 
 面と向かってそんな事を言えば、晶が途端に照れるのがわかっているので、信二はメモを晶へと返却するとあえて真面目な顔で頷いた。 
 
「相変わらず、字めっちゃ汚いっすね」 
「そこかよ! もっとリスペクトするとこあんだろ」 
 
 笑っている信二に、晶がわざと不満そうに眉を寄せた。「冗談ですって、晶先輩のそういうとこ、マジリスペクトしてますから」信二の言い直した言葉を聞いて、晶は満足気に頷き納得したようだ。 
 それにしても、凄い人混みである。 
 
 ホワイトデーは男性からお返しをするという日なのに、周囲のほとんどが女性なのが謎である。慣れていない感じのサラリーマンが義理のお返しを買っているのか、少し恥ずかしそうに品物を指さしているのを横目で見ながら晶の後に続くと、晶はハッとしたように一度足を止め、携帯を取りだした。 
 
「ん? 電話っすか?」 
「ああ……、いや。ただの、迷惑メールだった。最近めっちゃくるからさ」 
 
 晶がすぐに携帯をポケットへしまう。 
 そのまま並んで暫く歩いていると、胸元で今度は信二の携帯が振動し、信二は徐にそれを取りだし、人混みを避けてわきへと一歩退いた。 
 メッセージ画面に映し出される『蒼先輩』という文字の後のハートマーク。プライベートの楠原とのやりとりに使用しているグループだった。画面を確認した瞬間、思わずはしゃいだ声が漏れた。 
 
「あっ! 蒼先輩からだ!」 
 
 顔を輝かせて喜ぶ信二を見て、晶が苦笑しながら同じく足を止める。本当は今日、楠原も一緒に来るはずだったのだが、通院日と重なってしまったので結局別行動になってしまったのだ。 
 
「楠原、なんだって?」 
 
 画面を覗くのも失礼だと思っているのか、晶がそこを見ずに口を開く。別に誰に見られても……、いや、勿論交際していることを知っている相手限定ではあるが。おかしなやりとりはしていない。信二は晶に画面を見せると、笑みを浮かべた。 
 
「もう今家で、今夜は夕飯を用意してくれるって書いてありますね。食べますか? って」 
「へ~、あいつ、飯とか作れんだ? さっすが蒼ちゃん」 
 
 晶は時々楠原の事を「蒼ちゃん」と呼ぶ。 
 だいたいはふざけている時だが、親しみを込めてそう呼ばれる事を楠原が嬉しく感じていることも信二は知っていた。 
 孤高のNo1という渾名がつきそうな楠原は、当初は例の事件のせいもあり店ではどこか他のホスト達とは空気が違った。深く踏み込んで付き合った相手にしかわからない楠原の本来の性格。 
 それを周知させるには、まだ共に過ごす時間が皆は短すぎるのだ。なので、晶がその壁をまたいで接してくれることに感謝しているのだと楠原は以前言っていた。 
 
 晶の言葉でそんな事を思い出しつつ、画面をもう一度見る。そして気付く。メッセージの中に『夕飯』というパワーワードが書いてあることに。 
 信二の顔が一瞬曇った後、誤魔化すように引き攣る。晶はその様子を見て、すぐに察すると言葉を続けた。 
 
「なに? もしかして……、メシマズなの?」 
「いや……そういうわけじゃないんっすけど……」 
「……??」 
「その……料理は基本俺担当なんっすけど、蒼先輩が最近、『信二君だけに負担を掛けさせられないから』って作ってくれるようになったんっすよ」 
「へぇ、家事分担っってやつか。お前らもそろそろ一年近いもんな。いい事じゃん。何か不満でもあんのか?」 
「不満はないっす! ない……んだけど……今の所、毎回、親子丼なんっすよね……。メニューが……」 
「……そうなん? 楠原の得意料理なんじゃね?」 
「得意料理って言うか……実は、それ以外、作って貰った事ないんで……」 
「え……そ、そうか。まぁ、あれだ……。一つの料理を極めたい性格つーか」 
「めちゃくちゃ美味しいんっすけどね? ……すげぇ有難いし、うん……」 
「……うん」 
 
 何とも言えない空気のまま、信二は返信画面に視線を落とした。 
 自分の為に楠原が夕飯を作ってくれる。もうそれだけで幸せなのだ。どうして親子丼しか作らないのかは非常に気になりはするけれど……。それを振り払い、気合いをいれて画面に喜びを打ち込む。 
 
【もう病院は終わったんっすね? 買い物終わったら、すぐ帰ります! 夕飯楽しみにしてます! ちゃんと帰るまで良い子で待ってて下さいね。なんて! 冗談です】 
 送信。 
 
 画面にはすぐに楠原からの返信が届いた。 
 
【一時間ほど前に帰宅しました。僕も、ホワイトデーのお返しを帰りに買っていたので少し遅くなりました。オーナーとのお買い物は順調ですか? ご一緒出来なくて残念です。 
 良い子にして待っていますので安心して下さいね。夕飯は、親子丼です。】 
 
――やっぱり!!! 
 
 画面を覗きこんでいた晶が、最後の一言を見て声を出して笑う。 
 
「お前さ、これ絶対意味があるだろ」 
「意味って? 蒼先輩を怒らせるようなことしてないっすよ。……多分」 
「いや、別に怒ってるとかじゃなくてさ。理由があんだよ、きっと。聞いてみれば? 「なんで親子丼しか作らないんですかー?」って」 
「んな事聞け無いっすよ。好意で作ってくれてるのに。晶先輩、人ごとだと思って楽しんでないっすか!?」 
「うん、楽しんでる」 
「酷っ!! っつか、そういう佐伯さんはどうなんっすか? 料理とか作ってくれる人?」 
 
 以前はこの手の質問をすると、きまって佐伯とはそういう関係ではないとあくまで言い張っていたが、最近はやっと認めたようで一応聞けば話はしてくれる。 
 案外秘密主義の晶は、話を振られない限りは一切自分の恋愛については語らないので、佐伯と晶がどこで出会って、どのような感じで交際しているのかはベールに包まれたままではあるが。 
 
「アイツはかなり料理うまいよ。ってか、別に俺のために作ってるってわけじゃねぇけどな。自分が食うから作って、俺も一緒に食べるみたいなさ」 
「へぇ……。ちょっと意外っすね。佐伯さん、料理とかしなさそうに見えるけど」 
「あれはただの完璧お化けだから。料理に限らず、何でも全てを自分でパーフェクトにこなしたい性格っつーの? 俺とは真逆だよ。よくあんな性格で疲れねーよな」 
「なるほど……。あ! だから相性がいいんっすかね? 晶先輩の料理やばいっすもんね」 
「お前な、一言多いんだよ。まぁ、相性いいって言えんのかわかんねぇけど……、文句ばっか言ってくるし。……って! 俺の話は別にどうでもいいだろ。お前は親子丼問題を考えろって」 
「……そうっすね」 
 
 次の店からは、菓子ではなく電化製品やシガレットケース、アクセサリーなど。甘い物を食べないとリサーチ済みの客や、特別な客に対してのお返しの購入が続いた。信二も太客へのお返しにはアクセサリーにしたので何点かを購入し、全てが終わった頃には夕方四時を過ぎていた。