「澪、もうそろそろ今年が終わるね」 
「ああ」 
 
 澪はニュース内で放送されているカウントダウンライブの様子に、つい見入っていた。 
 同じアメリカでもLAとNYは時差がある。澪達の居る場所は現在新年を迎える直前だがNYでは数時間前にとっくに年を越しているのだ。 
 競うように花火が何発も打ち上がり、カウントダウン後には電気という電気が点灯したレベルのイルミネーションが煌めく。 
 舞い散る紙吹雪の中に、人、人、人。ニューヨークのタイムズスクエアでのお祭り騒ぎを見ていると、その場に居なくて本当に良かったと思う。 
 
「この中に誠二が居たら、絶対迷子になってるよな……」 
 
 心の中で思っただけの筈なのに、それは声になっていて、傍にいる椎堂がすかさず澪の方を向いた。 
 まぁ、聞かれても別に困ることではない。だって本当に、心の底から自宅に二人で居れて良かったと思っているのだから。お祭り騒ぎが嫌とかでは無いけれど、この人混みの中、はぐれた椎堂を探す労力を考えると……、考えるだけで疲れてくる。 
 そして、心配だ。 
 
 しかし、椎堂は自分ではそうは思っていないらしい。 
 あまり納得いかない様子で澪の肩にふざけて寄りかかった。 
 
「迷子になる前提で話してるみたいだけど、僕だって子供じゃないんだから、きっと大丈夫だよ」 
「いや、大丈夫じゃないだろ……」 
「そうかな?」 
「だって、大した人混みじゃ無くてもすぐいなくなるし」 
「それは、迷子じゃないよ? 途中の店で発見した物を見てたら、気付いたらはぐれちゃってるだけだよ。僕が迷ったんじゃ無くて、一緒に居る人が僕を見失っただけなんだ」 
「そういうのを迷子って言うんだろ。前にさ、彼女とこのカウントダウンライブに行った奴から話を聞いたんだけど。はぐれて、会えたのは次の日だったって」 
「えぇ? 次の日!?」 
「そう。連絡取れても、場所を移動出来ないほど混み合っててとにかく大変らしい。しかも、スリに遭って財布もなくなったって、悲惨だよな」 
「……そんなに。怖い場所だね……。一度行ってみたいと思ってたけど、一人じゃ怖そうだね。やめておこうかな……」 
 
 今、椎堂からとんでもない言葉を聞いた気がする。行ってみたいと思うのはありえるけれど、何故一人で!? 澪は椎堂の言葉を聞いて眉を顰めた。 
 
「一人でとか絶対だめに決まってるだろ」 
「えー。どうして? お財布はお腹に隠して取られないようにギュッてしとくよ?」 
「……そういう問題じゃないし。財布とか迷子以前の問題」 
「迷子になるならないの他にも理由があるの?」 
「……と、とにかく、一人はダメ。理由はないけど……」 
 
 テレビ画面の向こう、大勢の人間がごく自然に、周囲に居る誰彼構わずキスをしてハグをしている。椎堂が迷子になるならない問題より、澪にとってはこちらの方が大問題だった。これはやはり環境の違いなのだろうか。日本でのお祭り騒ぎではこうはならない。 
 
「理由がないのにダメなの?」 
「…………」 
 
 生まれてからずっと日本での正月を過ごしてきたので、アメリカの年越しはやはり馴染みがない。 
 除夜の鐘を数える静寂した、どこか厳かな静の雰囲気とは違い、アメリカではとにかく大騒ぎをする祝日以外の何物でも無い。 
 椎堂はこうみえて案外大胆な行動に出る事があるので、雰囲気に流されて周囲の見知らぬ男女とキスしてしまう可能性は大いにあると思う。盛り上がる空気を読まずに止めるのも気まずいし、かといって椎堂が自分以外とキスをしているのを見るなんてとんでもない。色々な理由を纏めてみると……そう、ヤキモチだ。 
 
「ねぇ、澪。理由は? 何か思ってるけど隠してるよね? 僕にはバレてるよ。白状しなさい」 
 
 椎堂はついに、だんまりを決め込んでいる澪の膝の上に跨がると、テレビを観る澪の視界を塞ぐように悪戯にあちこちに軽い口付けをし出した。一度口付けては澪の様子をちらっと窺い、また一度口付ける。何回目で反応をするか遊んでいるようだ。 
 正月だからと多めに飲んだ酒で酔っているのか、いつもより甘えてくる椎堂に苦笑するしかない。表情には出さず、全てを躱しているが、正直、少し唇が触れるだけのキスは、じゃれている子犬のようで妙にくすぐったかった。 
 
「邪魔、テレビが見えないんだけど」 
「そんな事言って、ごまかそうとしてもダメだよ」 
 
 顔を覗き込まれ六度目のキス。そろそろ反応しないと、拗ねるかもしれない。澪はふぅと息を吐き、膝の上の椎堂をギュッと自身の身体に引き寄せた。危ういバランスで膝に乗っていた椎堂はいとも簡単に重心を崩し、澪の方へなだれこんだ。 
 
「澪っ、急に危ないよ」 
「誠二が悪戯してくるからだろ」 
 
 観念した澪が椎堂を一度離して額にチュッと口付けた後、額を突き合わせる。僅かに擦れ合う鼻先、その距離で見つめられ、椎堂は顔を赤くして「教えてくれるの?」と小声で呟いた。 
 
「テレビ見てただろ? こんな場所に行ったら、周りの知らない奴にキスされるかもしれないんだぞ?」 
「……」 
「俺は、誠二が他の奴にキスされたりするの見たくないから。それが理由。わかった?」 
「…………そ、そんなの」 
「そんなの、なに?」 
「そんなの……僕だって嫌だよ。澪が他の人にキスするって考えたら悲しいし、嫌だな……」 
「だろ?」 
 
 椎堂は一度身体を立て直すと、途端に真剣な表情で心配そうに澪の瞳を見つめた。 
 
「ねぇ、澪、行っちゃダメだよ? お正月にタイムズスクエアに行くのは絶対禁止!」 
「いや……、行きたいって言ったの誠二だろ? 俺、別に行きたいって言ってないんだけど……」 
「あ、そうか……。良かったぁ……」 
 
 椎堂は安心したように澪に抱きつくと、接着剤のようにくっついて離れなくなった。椎堂は小柄で体重も重くないので、膝に乗られてもどうってことはない。澪はそのまま椎堂の柔らかな髪を指で弄りながら放送を眺め、少ししてテレビのリモコンを手に取った。 
 騒がしい中継がプツンと途切れ、部屋が一気に静かになる。後15分程で今年が終わる。二人きりの年越しは、とても静かで一瞬自分達がいるのがアメリカだという事を忘れそうになる。 
 
「澪」 
「んー?」 
「僕達、来年のお正月はどうしてるかな?」 
「変わらないんじゃない? 多分来年の今日も同じ番組やってるだろうし、それ観て、タイムズスクエアに行くのは禁止って、同じ事を言うと思う」 
「そうだね。それで、僕が「去年も澪、同じ事言ったよ?」って言うんだ」 
「じゃぁ俺は、「この会話、録音しとく? 来年のために」って返そうかな」 
 
 多分本当にそうなりそうで、顔を見合わせて笑った。 
 
「今年もいっぱい楽しい想い出を作ろうね。澪が元気で、来年もまた禁止令を出してくれたらいいな」 
「毎年同じだと飽きるだろうから、バリエーション考えなくちゃな」 
 
 身体をくっつけたまま何度か冗談っぽく口付けを交わしていると、次第に身体が冗談から本気へシフトする。 
 つい夢中で椎堂の唇を貪っていると、椎堂はキスの合間にやや苦しげに濡れた息を溢した。 
 
「み、お……」 
 
 体勢をかえ、椎堂の背中をソファへと沈めるとフワリと舞った椎堂の洗い立ての髪からいい匂いがした。最近長めにしている椎堂の髪が、くるんとカールして頬の上に乗る。椎堂のパジャマのボタンを片手で幾つか外し、澪が耳元で囁いた。 
 
「……寒い?」 
 
 椎堂は小さくかぶりを振って笑みを浮かべた。 
 
「澪がパジャマの代わりに温めてくれるから、平気だよ」 
 
 澪も自身の上を脱ぎ去ると、椎堂の浮き出た肩甲骨に口付けを落とした。澪の滑らかな肌に手を伸ばした椎堂がなぞるように腰の方へ手を滑らす。 
 
「こら、……くすぐったいだろ……」 
「澪、ちょっと逞しくなったね」 
 
 そう言った椎堂がとっても嬉しそうで、何となく恥ずかしくなる。病気になった当時は相当体重が落ちていたが、最近は昔と同じとまではいかなくても、それなりに戻りつつある。それは、体調が安定している証拠でもあった。 
 
「成長期だからかな」 
 
 冗談で返した澪は、椎堂の眼鏡をそっと外すと側のテーブルへと腕を伸ばして置いた。 
 
「いっぱい食べて大きくなってね、澪」 
「どんな会話だよ」 
 
 苦笑しながら浅く口付け、椎堂の顔を見つめる。濡れたような椎堂の淡い色の瞳を何時間でも見ていたいのに、椎堂は長い睫を伏せてそれをすぐに隠してしまう。睫を唇で食んで、瞼にキスをすると再びゆっくりと覗く隠れていた瞳。 
 
「誠二」 
 
 名前を呼んだだけで椎堂は嬉しそうに目を細めた。耳に届く秒針の進む音。時計の針が真上で重なり、一秒、また一秒と新たな時間を刻む。 
 
「年が明けたな」 
「うん、今年もよろしく。澪」 
「こちらこそ」 
 
 新しく始まったこの一年最初の日、腕の中に最愛の人が居ることの幸せを実感せざるを得ない。 
 澪の口付けで漏れる、微かな椎堂の吐息が静かな部屋に密やかに響く。快楽の兆しを見せるそれを掌で包みながら、先端を指で優しく押すと、濡れたそこで指がつるりと滑った。 
 
「ぁ、……澪、っん、」 
 
 澪は被さるように深く椎堂の唇にキスを落としながら、「愛してる」の言葉ごと唇の中へ運ぶ。 
 今年最初のキス、今年最初の告白。 
 椎堂の体温を直に感じながら、澪は柔らかな椎堂の頬を愛しそうに撫でた。 
 
 
 
 
 
Fin