「いやぁ、今日は買い物しまくりましたね。当日、渡す相手間違わないようにしないと……。去年そう思ってひとつひとつに付箋貼って名前書いてたら、渡す時剥がすの忘れてめっちゃ笑われたんっすよ」
「そりゃ、そうだろ。まっ! 俺は平気だけどな。ちゃんと頭に全員分インプットしてあるから」
「実は、晶先輩って頭いいっすよね」
「『実は』ってなんだよ。そこ要らねーだろ」
駅へと向かおうと踵を返すと、晶は逆方向へそのまま歩いて行く。少し距離が開いて晶がいないことに気づき信二は慌てて駆け寄った。
「あれ? 帰らないんっすか?」
「帰るって。あれ? 言ってなかったっけ? 俺、今日車なんだよ」
「マジっすか!? 晶先輩が車持ってるの知ってたけど、乗ってるの見た事ないかも……」
「まーなー。滅多に乗らねぇから。でも、たまには乗ってやった方が車も喜ぶだろ? あ、お前も駅まで送ってやろうか?」
「いいんっすか!?」
「別にいいでしょ。もし客にみられても、お前となら何も言われねーし」
「じゃ、お言葉に甘えて」
「OK、そこのパーキングに停めてあっから」
まだ麻布にいた頃、数回晶が車で店に来たという事があったが、帰りの代行を頼むのが面倒だと言ってそれっきり乗ってこなくなったのである。それに、その数回も、話に聞いただけで、実際は見ることも無く終わった。
都内では駐車スペースを探すのも苦労するし、駐車代も馬鹿にならないので基本電車移動が楽なのはわかる。
現に、信二もマンションの地下にある駐車場に車は置きっぱなしで、休日に遠出する以外は乗る機会もない。それでも最近は楠原と二人でドライブには行くようになったので、以前よりは活躍しているが。
晶がひょいと角を曲がり、ポケットから小銭と札を取り出して数える。たった五時間程なのに一万円近い額を何も気にせず払っているが、信二は心の中で「自分なら停めないな」と考えていた。
三十分で千円もとられるとか、これだから駅前は……という気分になる。
それでも駐車場は満車で、その中でも晶の車は目が痛いほどに目立っていた。そういえば、晶が前に言っていたことを想い出す。
――俺の車? 赤のオープンカーだけど
ドイツの某有名カーブランドでスポーツタイプのカブリオレ、しかもワインレッドなどの渋めの色ではない、鮮やかなシャインレッドである。公道で走っていたら目立つ事この上ない。しかもそこへ運転しているのが晶とくれば……。ソフトトップの屋根を閉じているのがせめてもの救いである。
何も気にせず乗り込む晶に続いて助手席から信二が乗り込もうとすると……晶から声がかかった。
「あ、ちょい待ち」
「?」
助手席のドアを開けると、そこには雑誌が数冊と空のペットボトルが置かれていて座れない状態だった。晶がそれを纏めて後部座席へと放る。チラッとみた後部座席は、控えめに言っても散らかり放題だった。高級車なのにこの扱い。
信二は助手席に腰を下ろすと後部座席を振り返る。
「あぁーあ、こんなに散らかしちゃって。ちゃんと掃除した方が良いっすよ。折角高級車なのに勿体ない」
「掃除する暇ねぇし、誰も乗らねーから気にすんなって」
晶がそう言って、信二の荷物を置く場所を作る為に、これまた乱暴にそこらへんの物を腕でまとめて脇へと押す。信二は見かねて一度車を降りると、後部座席へと移った。不思議そうに見ている晶に腕を伸ばしながら足下のゴミを拾い上げる。
「なんか、コンビニの袋とか無いっすか?」
「あるけど? お前、車酔うタイプなの? 大丈夫かな……、俺、運転下手だけど」
「いや、吐くからとかそういう意味じゃないっす。俺がちょっと片付けておきますよ。乗せて貰った御礼に」
「あー、そういうことか! お前、マジ気が利くな~。一家に一台は信二って感じだな!」
「一台って。人を家電扱いしないで下さいよ」
「んじゃ、頼むわ」
燃えるゴミ用の袋と、燃えないゴミ用の袋に分けて、とりあえず捨てて良いかを聞きながら後部座席で分類する。晶は運転しながら適当に「OK」と繰り返すだけなので、本当に捨てて良いか不安である。
明らかにゴミなのは良いとして、新しめの雑誌等はとりあえず重ねて隣へ置いておいた。
「晶先輩」
「んー? 捨てて良いぞー」
「まだ何も言ってないっす。そうじゃなくて、この車って自分で買ったんっすか?」
「まぁ、……そういう事にしてあるけど」
晶にしては、何とも歯切れの悪い言い種なのがひっかかる。
「っていうと? 本当は違うんっすか?」
「ああ、……うん。他の奴には言うなよ?」
「絶対言いません。で?」
「選んだのは俺だけど、……客に買って貰った」
普通のNo.1ホストなら、今の台詞はそんなにおかしくない。マンションを買って貰う強者もいるぐらいなので車を一台買って貰ったって驚くことではない。だけど、晶は違う。
晶は店で入れるボトル以外では、基本的に高級なプレゼントを受け取らないことでも有名なのだ。精々受け取って時計ぐらいの物だった。その晶が客から車を受け取っていたという事に信二は驚いていた。
「意外っすね……。晶先輩、こういうの受け取らない主義だと思ってました」
フロントミラー越しに晶が少し思いだし笑いをするのが見えた。
「まぁな。これが最初で最後じゃね」
ポッキーの空箱を燃えるゴミ袋へとねじ込んで、信二はゆっくりと手を止めた。「最初で最後だ」と晶が言うほどの客がどんな客だったのか興味があった。交差点でブレーキを踏み込む晶に、思わず好奇心で訊ねる。
「特別なお客さん……だったんですか?」
「そうだな……。俺まだ、No1でも何でもない頃だったしさ、当時は玖珂先輩がトップだったから」
「そうですよね。じゃ、相当気に入られてたんっすね」
「……うん。まぁ……。俺の初ボトルも彼女でさ。ずっと支えて貰ってた。ありきたりな言い方をするなら……、彼女がいたから、今の俺がいるって感じ」
晶にそこまで言わせるほどの影響力。そんな客がいたなんて知らなかった。だけど……。
「そのお客さん、晶先輩がオーナーになった事知ってるんっすか? 喜んでくれてるんじゃ」
「知らないんじゃね。つか、もう知ることも出来ないだろうし……。……亡くなってるからな」
「……え」
さらっと告げてくる衝撃的な話に面食らい、信二は持っていたゴミ袋を座席へと落とした。足下に落ちる缶コーヒーの空き缶は、音も立てずに信二の足にコツとあたると動きを止めた。慌てて落ちた物を拾い上げていると、晶が優しげな声で続ける。
「すげぇ昔の話。俺も色々あったのよ、若い頃はさ」
「…………」
信号が赤になれば停止し、また走り出す。車高の低い後部座席で揺られながら、視界の隅で車窓に切り取られた景色が移り変わる。夕方から夜へ、徐々に変化する街並み。あかね色に染まったシートがやけに目に沁みた。
ホストになってから、晶とは色々な話をしている。だけど、この話は今まで聞いたことが無かった。晶が話すのは明るい話題ばかりで、ホストになってからは楽しい事が沢山あったといつも言っていた。
辛かったことや苦しかったこと、そういう負の感情を表に出さない晶が、今まで経験してきた幾つもの事柄。当然、そこには楽しい事だけではなかったはずなのに、あまりにそういう話をしてこないので頭からスッポリ抜け落ちていた。
晶が煙草を取り出し火を点けると、小さくジュッという音が聞こえる。灰皿に投げ入れられたマッチからは暫くの間、細い白煙がゆらゆらとのぼっていた。
晶の存在はどこか自分達の生きている夜の街のようだとも思う。目を焼かれるほどの華やかさと明るさ。だけど、それはスポットライトが当たることのない闇があってこその輝きで……。表があれば裏が当然あるように、誰にだってその裏は存在しているのだ。
「すみません……。辛い事思い出させちゃって……」
咄嗟に信二がすまなそうに頭を下げると、晶の笑い声が車内に響いた。
煙草を咥えたまま、信号が青になると共に急発進する晶は、言っていた通り運転が荒く、思わずサイドの手摺りに掴まった。晶の吐き出した煙が、低い車内の天井をゆるやかに流れる。
「何謝ってんだ。すげぇいい想い出だっつーの。今の俺の通過点だったわけだし」
「……そうなんっすか?」
「そうそ。彼女さ、俺に負けず劣らず派手好きでさ。初日から気が合ったんだよな。店来る時も、すげぇ露出したド派手な格好で来るんだよ。色々な場所ではめ外したな~」
晶の視線が想い出を辿るように揺れる。
「意識なくなるまで飲み比べしたり、明け方に呼び出されて行ってみたら、全然知らない野郎の誕生パーティーだったりさ」
「マジっすか。それやばいでしょ」
「マジマジ。でも、最後にはその全然知らない奴と意気投合して夜通し語るくらい仲良くなったりさ」
「凄いっすね。今って、そういうノリの子あまりいないっすよね」
「だろ? でもめっちゃ純粋で可愛い子で、ちゃんと彼氏もいてさ。いっつも彼氏の惚気話聞かされてたんだよな」
ホストと客の関係にしては珍しいぐらいの良好な関係性である。信二はずっと昔に晶が話たことを思いだしていた。ホストになりたての頃、一人だけ特別扱いをした客がいたこと。本当はそういうのはあってはいけない事だと付け加えた上で、でも、晶は後悔していたようには見えなかった。
「……前に話してくれた、一人だけ特別扱いをしちゃったって言うの……その女性っすか……?」
「正解。そのあと、結婚が決まったからホスト遊びは辞めるって彼女が自分で決めて、俺は勿論引き留めなかった」
「え、どうしてっすか?」
「だって、俺は、彼女の家族でも恋人でもないわけだしさ。冷たいようだけど、あくまでホストと客だから。線引きっつーの? あんま好きな言葉じゃねぇけど。……で、最後の日に店にきてくれた彼女と飲んでて、今夜を最後にする『けじめの印』が欲しいから受け取って欲しいって言われちゃってさ……」
「この、車?」
「そう。前に同伴の時見に行ったこの車を、プレゼントしてくれたんだよ。断ったんだけど、それじゃ未練が残るって言う事聞かねぇからさ……」
「そうだったんっすね……。それきり?」
「うん、それきり。偉いよな。ホスト遊びにはまってスッパリ辞められない子何人も見てきたけど、彼女はその日から一切連絡が来なくなった」
「意志が強い人だったんっすね。あ、でも……だったらどうして晶先輩は、彼女が亡くなった事知ってるんっすか?」
「三年ぐらい前かな。彼女の旦那が店に来て、亡くなったことを教えてくれたんだよ。財布に名刺があったんだってさ。まーだ俺の名刺持ってたとか、俺って惚れられてるな~って思ったね」
茶化したように言っている晶が、その当時かなりショックを受けたことは容易に想像がつく。そして、彼女のことを大切な客だと今も想っているだろう事も。この車に乗り続けているのがその証拠だ。
「素敵な想い出だったんっすね。話聞かせて貰えて嬉しいっす」
「うん。たまにはいいよな、昔話も。……信二もさ、ちゃんと客とまっすぐ向き合えよ?」
「……え? あ、……はい」
「後悔するような事は、なければないほどいい」
晶がそう言って、新しい煙草に火を点けた。信二もポケットから煙草を取り出すと同じように火を点ける。混ざり合う煙の中、窓の外をちらっと見ると、見慣れた景色が広がっていた。そろそろ自宅周辺である。後悔するような事をするなという晶の進む先には一体何が見えているのか。フと知りたくなった。
「……晶先輩は、この先の目標とかあるんっすか?」
袋の口を縛って、すっかり綺麗になった座席の端へと並べておく。
「目標? んなもんねぇよ」
「え? でも、将来どうなりたいとか、先のビジョンみたいのないとがんばれ無くないっすか?」
「んな事ねーって。じゃぁさ、逆に聞くけど、お前はその自分で決めた目標に到達したらその後どうすんだよ。満足して、その後は?」
「それは……。わからないっすけど……」
「だろ? 目標ってのはさ、近づけばもうそれはその壁を越えるためのチェックポイントでしかねぇんだよ。だからゴールとかは特に決めないで、自分の行けるとこまで行く。まぁ、それが目標って言うならそうなんだろうけどさ。自分が満足出来る限界を自分で決めるなんてナンセンスだろ。男は多少貪欲な方がいいんだって」
考えた事も無いような事を聞かされ、ただただ晶の言った今の台詞が脳内を回っていた。晶にとっての目標は『目標を決めないこと』矛盾しているように聞こえるがそういう事なのだ。
そう語った晶の背中がやけに頼もしく見えて、自身で貫く男の美学のような物を感じた。
「……普通はそれが出来ないんっすけどね。晶先輩はやっぱ格好いいっすね。俺もそう言えるようになりたいな……」
「別に、俺と一緒になる必要は無いって。信二は信二で、俺とは違う格好いい所がいっぱいあんだからさ」
「そう、っすか?」
「そりゃそうだろ。お前を指名してくれる客は、俺じゃなくて「お前」じゃなきゃ駄目なんだ。それってすげぇ事だから、お前はその気持ちにまっすぐ向いて応えてりゃいいんだよ。ちゃんと楽しませて、彼女たちを笑顔にしてやってくれ」
「はい、頑張ります!!」
信二の最寄りの駅へ車が到着し、信二は礼を言って車から降りた。
「送ってくれて有難うございました!」
「いいっていいって、昔話に付き合ってくれてサンキューな」
「とんでもないっす。勉強になりました。あ、後ろのゴミっすけど、仕分けしといたんで、家帰ったらちゃんと捨てて下さいよ?」
晶はハンドルから手を離して後部座席を振り返り、「おぉ、仕分け職人」と感心している。
「んじゃ、お疲れ様でした!」
「信二もお疲れ~、楠原にも宜しくな。じゃぁまた店で」
「はい! 運転、気をつけて帰って下さいね」
「OKOK。お前も楠原の親子丼の謎、解明しろよ? 明日店でこっそり理由を教えろ」
「はいはい」
軽くクラクションを鳴らし、晶が乗った真っ赤なオープンカーが信二の目の前を颯爽と通り過ぎる。信二は手に持ったホワイトデーの返しの入った袋を片手で纏めて持つと自宅へと向かった。
短い時間だったけれど、晶から聞いた今の話は、この先忘れないと思う。ホスト業界なんてピンキリで、何も考えずに今が楽しければ万事OKみたいな考え方の人間も多い。そんな中で、玖珂や晶、そして楠原も、自分が追っている背中はどこまでも大きくて、そして真っ直ぐだ。そんな先輩達に巡り会えて自分は幸せだと思う。信二は、どこか清々しい気分を抱きながら高い空を見上げた。
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