「あー。いや、俺はどっちかって言うと……、こっちの方が観たいかなーって」
「どれだ、見せて見ろ……」
――[ロマンスはディナーの後で]
「…………」
「…………」
佐伯は明らかに『観たくない』というような不機嫌な顔で晶を見返した。
如何にも流行ったドラマの焼き直しといった感じのパッケージを裏返して佐伯はもう一度眺める。時間は100分、これはまぁ妥当な時間である。そして出演者の欄に目を移すと、そこには名の知れた若手俳優陣がズラッと名を連ねていた。名前を知っている者もいるにはいるが、特に興味があるわけではない。
少し呆れた声を滲ませて、佐伯は「本当にこれが観たいのか?」と眉を顰めた。キラキラした表紙を横目でチラリとみた後、晶は誤魔化すように頬を掻く。
――もう一段上まで手を伸ばせば良かった……。
後悔しても始まらないことを悔やみ、晶は佐伯の手からそれを奪うと顔を上げた。だって、それしか方法がないのだから。
- ホラー映画は恋の予感!?-
――時間を遡ること30分前の事
久々の休日を二人で過ごすために佐伯達が訪れたのは、駅前のレンタルDVDショップだった。
先々週は晶の買い物に付き合う名目で表参道あたりをブラブラし、先週は互いに用事があって会えなかった。その前は少し遠くまでドライブをした。そして今週、外でのデートばかりが続いているので二人で過ごしたいという晶の提案を佐伯が受け入れ、こうして自宅デートの定番とも言える映画鑑賞の材料を探しに来ているのである。
現在土曜日の3時過ぎ、週末に映画でも観ようという客で店内はそれなりに賑わっていた。
まずは、それぞれが観たい映画を探そうという事になり、広い店内で一度別れる。
晶はというと、まず最初に向かったのは、ランキングベスト10のコーナーである。1位に並んでいるのは、ついこの前までやたらと宣伝をみかけた気がするハリウッド映画のアクション物だった。3列ぐらいを占拠しているそれを手に取り内容をチェックする。そして次に2位、3位、と順番に眺めて見た所で晶は背後からかかった声に驚いて振り向いた。
「あれ?晶?」
真後ろには等身大のアメコミヒーローのパネルがどんと構えているが、勿論それが喋ったわけではない。
ヒーローの少し奥に見慣れた顔を発見し、晶は「あっ」と声を漏らした。こんな場所で誰かに会うとは思ってもいなかったからだ。偶然にも店で晶を指名している客の女性が驚いた様子で立っていた。
「瞳ちゃん!?どうしたの?こんな所で偶然」
「ホント偶然!私、今からこの近くのお店で撮影なの。早く来過ぎちゃったからちょっと時間潰しに来たんだけど、もしかして晶この辺住みなの??」
「いや、俺もたまたまっつーか。友人の家が近所でさ、映画借りに来たとこなんだけど」
「へぇ!そうなんだ!ねぇ、晶のお友達どこ?気になる~、イケメン?紹介してよ」
「えっ!?」
晶は誤魔化すようにサングラスを押し上げると、周囲を素早く見渡す。とりあえず近くには佐伯はいないようである。佐伯を友達として紹介するのは色々とまずい気がする。店の仲間とは雰囲気が違うし、学生時代の友人と言ったとしても、色々聞かれたらすぐにボロがでるに違いない。出来るだけ会わせずに済むように……。
晶は一段階声を落とすと、佐伯が側にいないことをもう一度確認し口を開く。
「あー、えっと。普通の奴だからさ、それに、結構恥ずかしがり屋だし紹介とかどうかなー……」
「えー。そうなの~?残念~」
がっかりしたように彼女が肩を落とした時、何というタイミングの悪さなのか向こうから佐伯が此方に向かって歩いて来ているのが見えた。長い髪を今日は後ろで一つに結んでおり、すらりと長い手足と周りの誰よりも高い身長が一際佐伯を目立たせている。優しい表情とはかけ離れた、やもすると不機嫌そうにも見えるその顔は、どこから見ても『恥ずかしがり屋』の片鱗でさえ見つけることが出来ない。――頼む、そこの角を曲がって別のコーナーへ行ってくれ!!――晶のそんな思いもつゆ知らず、佐伯は少し遠くから名を呼んで声をかけてきた。
「晶、もう決まったのか?」
ヒーローの陰になっていて見えていないのか彼女の存在に気付いていないようである。「えーっと」と晶が口籠もるのと「やだ!お友達すごいイケメン!!」と彼女が驚いた声を発したのはほぼ同時だった。見知らぬ女に突然褒められ、佐伯は「誰だ?」とでもいうように訝しげに眉を寄せると側へ来て足を止めた。
もうこうなったら説明するしかなさそうである。観念して晶はそれぞれを軽く紹介する。
「あー、えっと、彼女、店のお客さんで、瞳ちゃん。んで、こいつは、俺の友達で佐伯っていうんだ」
すぐに状況を察した佐伯が晶をチラッと見てにやりと一瞬笑ったのが見えた。自分と彼女とヒーローと佐伯、4人(といっても一人はパネルだが)が不揃いに並んでいる中で、一番背が高いのが佐伯だった。こんな時でさえ、『ヒーローより要の方がかっこいいな』等とパネルと見比べて思ってしまっている事に一人で苦笑する。全くいつから自分はこんなに恋愛脳になってしまったのだろうか。
佐伯はポケットへと突っ込んだ手を出しもせず、感情の籠もらない口調で挨拶をした。
「どうも、友人の佐伯です」
――『友人』って入れる必要ある!?
明らかに、晶の言葉への皮肉をこめた挨拶である。
「佐伯さんっていうんですか、かっこいいー!!どこのお店ですか??私今度行っちゃおうかな!」
佐伯の事もホストだと勘違いしているらしい彼女はテンション高くそんな事を言って、仏頂面の佐伯へと満面の笑みを浮かべている。常日頃、笑顔の大切さを後輩にも説いている晶だが、こんな愛想のない男でも見た目さえ合格なら受け入れられるのかと思うと、世の中やっぱり容姿なのかと世知辛い気分にもなるというものだ。
「瞳ちゃん、酷いな~。まさかの指名替え!?俺泣いちゃうよ~?」
合わせてそう返しつつ苦笑していると、佐伯が薄い笑みを浮かべて彼女を見下ろす。
「悪いが、俺はホストじゃない。店じゃなく、診察室で、お望みなら隅々まで診てあげられるが?」
出会った頃の佐伯を彷彿とさせる口調でそう言うと、彼女も驚いたように佐伯を見上げている。意味がわからないといったその表情に晶は同情した。勿論彼女に。若干の気まずい空気が流れ、晶が瞬時に横やりをいれる。
「ちょ、佐伯何言ってんの!瞳ちゃん驚いてるっしょ?あー、瞳ちゃん、こいつホストじゃなくて医者なんだよ、だから冗談通じないっつーか」
「え!?お医者さん!?佐伯さんって何かミステリアスー!瞳うっかりはまっちゃいそう」
意味不明な言葉は、佐伯が言うとミステリアスに昇格するらしい。
うっとりした表情で佐伯を見つめる彼女と、恥ずかしがり屋設定を瞬時に消し飛ばす自信家然とした佐伯を交互に見て、晶は――何この微妙な組み合わせ……――と心の中で溜息をついた。
それと……ほんの少し焼きもちらしき感情がよぎる自分にも呆れてしまう。佐伯がそんな事を言うとは思っていなかった。でもまぁ、仕方がないとは思う。彼女はモデルなだけあり、スタイルは勿論のこと、顔も美人でもある。普通の男なら、彼女に好意を寄せられれば悪い気はしないだろう。佐伯も男なのだから……。
そう思いつつ、ちょっと悔しい気分で隣の佐伯を見ると、佐伯は褒められた事に喜びを見せる所か顔色一つ変えていなかった。そのまま晶へと振り向くと一言言い放つ。
「早く決めろよ?俺も他の棚を見てくる」
彼女に軽く「では」と挨拶をすると、佐伯はその先へさっさと歩いて行ってしまった。
佐伯はどうやら普通の男ではないらしい。
「ごめんねー、あいつ。ちょっと変わった奴だから、瞳ちゃんもぜんっぜん気にしないでいいからさ」
フォローを入れつつ、佐伯が彼女にさほど興味を示さなかった事に安堵している自分がいる。
「うん、平気。でも晶ってホント凄いよね!」
「凄い??どうして?」
「佐伯さんちょっと気難しいタイプっぽいのに、晶とはすっごく仲良さそうだったから」
――そうなんだよ!あいつほんっと気難しいんだよ!
と思わず同意を求めたくなるのを我慢して、晶は曖昧に笑って返事を返した。
「そ、そうかな?まぁ、……そうかもね」
――それは、やっぱ……一応恋人だし……。
「あ、いけない。私そろそろ行くね。佐伯さんにも宜しく言っておいて」
「うんうん、後で言っとくよ。撮影頑張れよ~」
「有難う~!ねぇ、晶っ」
「どした?」
晶の袖をひっぱって彼女が背伸びをし、晶との距離を縮める。彼女の緩やかなウェーブをした髪からふわりと甘い香りが漂い鼻腔をくすぐる。少し腰をかがめた晶の耳元で内緒話をするように手を当てると彼女は悪戯に囁いた。
「指名替えとかするわけないじゃん。私、晶一筋だよ?水曜日に店行くから待っててね」
晶も笑顔を返すと彼女の頭を軽く撫でる。
「サンキュ、すげー楽しみにしてっから。んじゃな、ばいばい」
「うん、ばいばい」
階段を降りていく彼女に手を振って見送り、その姿が視界から消えると晶はやれやれと安堵の息をもらした。とんだハプニングである。一部始終をみていたヒーローに心の中を読まれているような気がして、晶はパネルを指で一度はじいて背を向けた。
再び棚へと戻り、映画を物色しながら先程の彼女の言葉を思い出す。
――「晶とはすっごく仲良さそうだったから」
そんなに仲がいいというような会話もしていないし、態度にも表していないつもりだった。だけど、端からみたらそう見えるのかと思うと少し気をつけた方がいいのかなとも思う。またいつこうして知り合いに会うかわからないのだから。
今でも時々一人の時に考える事がある。自分は佐伯と一緒にいて、傍目にはどう写っているのだろうか、と。信二と一緒にいる時にはそんな事を考えないというのに……。それはやはり自分たちの関係が公に出来る物ではないからなのだろう。
そんな事を何となく考えながら暫く順番に棚を見ていると、少し脇へと避けた所で、隣に接近していた客とぶつかってしまった。
「あ、すみません」
そう言って顔を上げて隣の人物を見て晶は『謝って損した』とでもいうように肩を竦めた。
「……って要かよっ」
隣にいつのまにかいたのは先程他の棚を見てくるといって去って行った佐伯だったのだ。何かさっきの彼女のことで言ってくるかと思ったが、佐伯は何も言わず、一番上の棚にすっと手を伸ばした。釣られて晶も同じ棚に目を配る。
――そして。
何故ランキングトップ10の横にこんなコーナーがあるんだ!?と思い、思わず目を瞠った。
佐伯が興味深げに眺めていた棚には、『極上のスリルをあなたにも!!背筋も凍るサスペンス特集』と書かれている。横並びに飾られている幾つかのジャケットを観ただけで、晶は「うぅ-」と低く呻いて目を閉じた。
最も苦手とするホラーではないが、どこが違うのか説明に困るレベルでおぞましいジャケットが並んでいたのだ。そういえばここへ来る前に、好きな映画を借りて一緒に観るという話しはしたが、佐伯がどんな映画が好きなのかは聞かなかった。今更になって、本日のデートが間違いだった事に気付く。
佐伯は、一本を手に取り晶へと「これにするか」と渡してくる。
薄く目を開いて、直視しないように受け取ったジャケットを見ると、まるでダイイングメッセージかのような真っ赤な字で[血と狂気 心理分析官に迫る]と書いてある。やっぱり、という気持ちと、これはまずい展開という警笛が晶の中で鳴り出す。
「猟奇殺人をテーマにしたサスペンス物だ」
「……。あぁ……そーね」
猟奇殺人の映画って何!?恋人同士で休日に一緒に観る映画がこれでいいのか?いや!よくない!
晶は手に持ったそれを元あった場所へとそっと戻す。そして右手を伸ばして、手近にあったランキング上位の映画を取り出して佐伯へと渡した。