──RIFF 1 
 
 挽きたてのコーヒーの香りが濃厚に漂う店内。 
 レジ横のショーウィンドウに並ぶのは店長お手製の数々の焼き菓子。味はいいのだが見た目が一風変わっているので、この街の人間以外の土産にはお勧めできない。 
 大きな蜘蛛の巣柄の入ったクッキーの中心には、焼いた際に若干歪んだ蜘蛛の形をしたココア生地。他にも、毒々しい紫で彩られたドーナツや髑髏型のクッキーなど。場所がここでなければ売れそうにない焼き菓子ばかりだ。店長曰く、最高にロックな菓子だそうだ。 
 
 二軒隣は貸しスタジオ。向かい側には中古の楽器屋とロック専門のCDショップ。当然ニールのバイトする店に来る客層も、音楽関係に興味がある者が多い。 
 
 ランチタイムの賑わいも漸く落ち着いてきた一時過ぎ。 
 Mary’scoffeでは時間交代で休憩に入っていたニールが、店の裏にある店員専用の小部屋で売り物のサンドウィッチを勝手に食べていた。 
 Tシャツの袖から見える部分にびっしり描き込まれたタトゥー。ニール・ドレイコリアスもまた、この界隈に相応しいロックな男だった。 
 長く伸ばした髪を適当に一本で結んでいるが、下ろせばかなり長い。店の名前が入った可愛らしいエプロンからのぞく逞しい腕は、ライブになればアグレッシブなリフを刻む。 
 ニールは休憩場所から見える店内の様子をちらっと横目で見ながらLサイズのコーラの半分ほどを一気飲みした。コーヒーショップでバイトしていたとしてもサンドウィッチにはコーラが一番合うと思っている。 
 ここでのバイトはもう三年目だ。 
 
 店長が店にいることも滅多にないし三年もいれば嫌でもベテランになり、大抵の事は勝手に何でも出来た。 
 携帯を手に取り時間をチェックする。休み時間は一応、あと十五分のはずだった。突如部屋にギターのリズムが鳴り響く。けたたましいそれはニールの設定しているスマートフォンの着信音である。ニールはサンドウィッチをテーブルにおくと、ディスプレイにクリス・ディングレイの名前が点滅しているのを確認して通話ボタンをスライドした。 
 
「おう、どうした? 珍しいじゃん。お前がこんな時間に電話してくるなんてよ」 
「あぁ。今、休憩中か?」 
「まぁな。んで? 急用?」 
「急用じゃ無かったらバイト中に電話しないって。例のニールが欲しがってたやつが入荷したんだ。一応、教えておこうと思ってさ」 
「マジ!? すぐにそっち行くからよ」 
 
 椅子を倒しそうな勢いで腰を上げたニールの様子が目に浮かぶようで、電話越しにクリスは苦笑した。 
 
「すぐってバイトは?」 
 
 笑いながらクリスが問いかけたがその返事は無かった。ニールは電話をポケットにつっこむと食べかけのサンドウィッチを一気に口に放りこんで残りのコーラで流し込み、裏口から店を飛び出した。ちょうど店の前にまわり込んだ所で常連客とぶつかりそうになり、慌てて足を止める。 
 
「ビックリした! ニール。あんた、またさぼり?」 
 
 店内にちらりと目を向けると、まだニールの脱走に気付いていない店番の店員がカウンターを拭いている。 
「まさか。そ、そう! 休憩中なんだって! マジで!」 
「後10分じゃないの? 店長に告げ口しちゃおうかな」 
 
 さすがに常連だけあり、店員が交代するシフトまで覚えているらしい。 
 
「今回だけは急用! 黙っておいてよ。頼む!」 
「今度サービスしなさいよ」 
 
 背後で聞こえる声にニールは片手をあげてOKのサインを出しまた走り出す。 
 ニールのバイトする喫茶店Mary’scoffeからウォリングアヴェニューにあるトイショップまでは走って十分という所だ。クリスから連絡を貰ってすぐに店を出たから多分……、間に合うはず。 
 
――クリスのやつ……、まさか取り置きしていないとか言わねぇだろうな。 
 
 おっとりとしていて、何処か抜けているクリスを思い浮かべると、今の考えは当たっているような気がした。焦る気持ちを抑えてニールは足を速めた。 
 
 
 
 
 その頃クリスはというと、例の物を棚に並べようかどうかしばし悩んでいた。 
 何せ、希少価値の高い大人気商品なのだ。いくら友人の頼みとはいっても、予約を受け付けていなかった以上一般の客でも欲しがる客は大勢いるので勝手に取り置きをすることも難しい。 
 こっそりどこかに隠しておくことが出来ないか考えを巡らせていると、店長から見透かされたように声がかかった。 
 
「クリス、それは店の目玉になるんだからな。ショーウィンドウに陳列しておいてくれ。勿論、一番目立つところに、だ」 
 
 そう言われたら「はい」と言うしかない。 
 半年越でニールが手に入れたがっていたという事実を知っているからこそ、こっそりニールに連絡を入れた。それが精一杯だった。本人はまだ姿を現さないので、仕方なくクリスはショーウィンドウの中に脚立を持って入っていった。 
 上の棚にある別のおもちゃを隅に寄せて商品を並べようとしたその時背後の窓ガラスを激しく叩く音がした。 
 
「おい!! クリス」 
 振り向いた先には息を切らしたニールがいた。 
──良かった……間に合ったんだ。 
 
 クリスは並べようとしていた商品をまた手に取って脚立を降りる。中を覗き込むニールは目を輝かせてクリスの手にある物を見た。まるで子供のようである。 
 
「そんなに窓硝子叩いて、割れたらどうするんだよ。ニールは馬鹿力なんだからさ」 
「ああ。わりぃ」 
 
 言いながらもクリスの方は見向きもせず、未だ商品から目を離さない。漸く顔を上げたニールが訝しげに眉を寄せてクリスを見下ろした。 
 
「クリス、お前さ……。もしかしてコレ売ろうとしてなかった?」 
「え、そ、そんな事ないさ。ニールが来るまで飾っておこうと思ってただけだって。例え五分でも、見たい人はいるだろ」 
 
 クリスの苦しい言い訳を信じたわけじゃないが、結果手に入ったのだからよしとする。ニールが笑っていると、いつのまにか現れた店長が眉を寄せて後ろに仁王立ちしていた。おもちゃ屋の店主とは思えない強面で大柄な男で特技は射撃らしい。期待を裏切らない物騒さである。 
 
「随分タイミングがいいな、小僧。情報通の相棒でも飼ってるのか?」 
「飼ってる? 冗談。飼われてるのは俺だぜ? 毎晩尻尾を振ってるご褒美ってわけ」 
「……フン、金は払って貰うぞ。一括で払えないなら、お前さんには縁が無かったって事だ」 
「払うって。誰も払わねぇとか言ってないだろ」 
 
 嫌みたっぷりにそう言った店長はつまらなそうに店の中に戻っていった。偏屈な店長とのやりとり。これも毎度の事である。二人は連れだってレジに向かった。 
 クリスが少し心配げに声を落としてニールに声をかける。 
 
「大丈夫なのか?」 
「ああ、まぁ。なんとか」 
 
 ニールは苦笑いしながら、ポケットからくしゃくしゃになった札を出してカウンターに並べた。普通のギターが一本買えるような額。ニールの膨らんでいたポケットは、一瞬にして平たくなった。 
 
「今月のバイト代入った後で良かったぜ。あぶねーあぶねー」 
 
 言葉とは裏腹に嬉しそうに商品を受け取ると、何度も紙袋の中を覗き込んでいる。 
 ニールがここまで手に入れたがっていた商品。それは一部のバンドキッズに根強い人気を誇るDestructionRocksのメンバー全員のフィギュアである。 
 
 今回発売されたのは『GOLDMODEL』と呼ばれており、メンバー全員の楽器が全てゴールドで作られている。以前発売した『SILVERMODEL』の時同様、発売から数時間で完売という驚異の売れ行きを見せた。 
 クリスの店にも発売当時三セットほど入荷したのだが、予約客にすべて回ってしまってニールは手に入れられなかったのだ。たまたま今回は系列のメルローズ本店でキャンセルが入ったとの事で再版分を一セットまわしてもらう事ができたのである。 
 
「見てみろよ、クリス。パティのギターなんてちゃんと改造モデルのテレキャスだぜ!」 
「マジ? あ、ほんとだ。作り込みがすごいな」 
「やっぱ、これじゃなきゃな~。そんでよ、ほらベースも見てみろ。俺達がライブ行ったとき見た世界に一本しかない彼のオリジナルモデルだしよ」 
 
 ニールは、透明のブリスターから覗く中のフィギュアのあちこちを指さして熱く語る。そんなニールをクリスは微笑ましく思っていた。 
 
──見た目はこんなにおっかないのに、……何だか可愛い。 
 
 思わずクスリと笑ってしまい慌てて下を向いてごまかす。 
 
 
 
 
 初めてニールをライブハウスで紹介された時の事を今でも覚えている。 
 はっきりいって第一印象は『怖そうな奴』その一言だった。今となって思えば照れていたのかもしれないが、ずっと無愛想に煙草を吹かしていたし、クリスが話しかけてもほとんど返してこなかった。 
 身体中に入っている派手なタトゥー。ギターを弾く際に常に見える腕の内側には大きな骸骨がでかでかと彫られていた。暗いライブハウス内でもサングラスを掛けたままだったし、なんといっても一九〇を超える長身にがたいのよさも相まって威圧感が凄かったのだ。 
 
 だけど、紹介される前から実はよく知っていた。 
 SADCRUEのニールと言ったら巷ではちょっとした有名人だったのだ。ギターの腕には皆が一目置いていて、それはクリスも同じだった。憧れのギタリストで、尊敬していた。勿論ニールはそんな事は知らなかっただろうけど。 
 
 そんなニールとこうして仲良くなったのは、紹介されて少ししてから始めたバイト先にニールがいたからだ。昼はお互いコーヒーショップとオモチャ屋でバイトをしているが、夜は今でも続いているライブハウスのバイトに入っている。 
 ニールがそこのライブハウスでバイトをしていると知らず、友人のライブを見に行ったさいに誘われてクリスもバイトをするようになった。 
 
 シフトがあまり合わないが、それでも仲良くなったのは好みが同じだったというのも大きい。よく話すようになると第一印象で感じた怖さもなくなり、ニールは気さくで凄くいい奴だった。 
 好きなバンドはほぼ全部同じだったし、曲の趣味も驚くほど似ていた。いつのまにか一緒にライブに行ったり、ギターショップを見に行ったりするようになり、今ではすっかり親友である。 
  
「クリス? どうかしたか?」 
「え? あぁ、ううん。別に何でもない。それより、今日って夜バイト入ってるのか?」 
「バイトはねぇけど、バン練なんだよな。何か用事あったか?」 
「ちょっと聴いて欲しい曲があってさ。でも、いつでもいいから、また今度でいいよ」 
「悪ぃな」 
 
 ニールはしばらく考えていたが思い立ったようにクリスに振り向いた。 
 
「んじゃぁ……、バン練終わったら聴きに行くってのは? 俺もクリスの曲早く聴きてぇし、時間は遅くなるけど、お前が起きてるっつーなら」 
「勿論起きてるけど、いいのか?」 
「問題ないだろ。終わったら連絡すっから。待ってろよ」 
「うん、サンキュ」 
 
 クリスは嬉しそうに笑みを浮かべた。憧れのニールに曲を聴いて貰えるなんて、こんなに嬉しい事は無い。 
 クリスの作曲する音楽は、バンドの曲ではないのでメンバーに聴いて貰うわけにはいかない。否、自分が聴かせるのにためらいがあると言った方が正しいのかもしれない。自信が無いわけではないが、音楽性の違いを指摘されるのが怖いからだ。 
 その点、ニールは同じバンドではないし趣味も似ている。 
 そしてなにより、ニールのアドバイスはいつも自分が物足りないと感じている空白の部分を、パズルのように埋める指摘をしてくれるのだ。 
 
夜に会いに行くという約束を取り付けた後、ニールは慌てたように店内の時計を見て「まずい!」と眉を顰めた。休憩時間はもちろんとっくに過ぎており、そろそろ戻らないと流石にまずいのだ。 
 
「クリス、俺戻るわ、時間がやべぇし」 
「あ、うんうん。サボリだもんな」 
「サボリじゃねぇ、休憩だ」 
「はいはい」 
 
 買ったばかりのフィギュアを大切そうに抱えるとまたニールは店に戻るべく店を駆け足で出て行った。嵐のように現れて嵐のように去って行く男。よくきくそんなベタなフレーズが、クリスの脳内に思わず浮かんだ。 
 
「慌ててこけるなよ」 
 後ろから声をかけるクリスにニールが大声で返す。 
「ば~か そんなドジ踏むか」 
 
 後ろ手を振りながら小さく見えなくなっていくニールを見届けて、クリスは自分も店内へと戻った。 
 一部始終を何処かから見ていた店長が呆れたようにため息をつく。 
 
「まったく……、騒々しいやつだな。お前の飼い主は、ああ、お前が飼い主何だったか?」 
 
 嫌味交じりの冗談にもクリスはにっこり笑うと「ご想像にお任せします」といって肩を竦めた。 
 クリスがオモチャ屋でバイトをしているのを知ってから、ニールもよく店にくるようになった。ニールは玩具 特にフィギュアやモデルガンが大好きで凄く詳しい。店員のくせにあまり詳しくないクリスも、いつも聞かされているあれやこれで、今では何年製造のモデルガンかまで見るだけでわかるようになった。店でもそこだけは役に立っていると自信を持って言える。 
 
 ギターに関しては、テクニックも勿論だがニールは音に強いこだわりを持っており、よく自分で改造してはいい音が鳴るようになったと満足げに言っている。あまり器用そうには見えないが、クリスよりずっと手先は器用なのだ。 
 自分の奏でる楽器の音色に拘り、追及する姿勢。そういう部分も憧れている要因の一つだった。