──RIFF 2 
 
 
 大切にロッカーへとしまっておいたフィギュアの事で頭がいっぱいの数時間。 
 釣り銭は間違えるし、熱い珈琲を溢して火傷しそうになるしで、日が沈む頃にはすっかりニールは疲れ切っていた。 
 だけど、それ以上に幸せな気分である。 
 部屋のどこへ飾るか……。コレクションケースにはもう既にフィギュアがひしめき合っていて各々にポーズを取らせる隙間がない。 
 遊びに来る度にクリスが「もうちょっと、格好よく並べれば?」と言っているのを思いだして、ニールは「うーん」と難しい顔で考え込んだ。 
 確かに、折角手に入れたのに他のフィギュアと同じく棒立ちで飾るのも味気ない。かといってそんなに広くもない部屋にギターやらアンプやらもあるので置き場所がないのだ。 
 
「なにか悩み事ですか? 難しい顔してますけど」 
 
 入れ替えで夜のシフトに入ってきたバイト仲間に声をかけられ、ニールはさも大問題のように眉間の皺を深くした。 
 
「人生の5番目ぐらいの重要な事で悩んでんだよ。教えねぇけど」 
「ふーん、なるほど……」 
「ふーん、ってお前な。訊いておいてそれかよ」 
 
 ニールはエプロンを外してロッカーの中にかけながら苦笑する。教えないもなにも、悩みには全く興味がなさそうである。 
 
「お前さ、その眼鏡。早く替えた方がいいぜ?」 
 
 彼の興味は、今日もニールの腕に入っているタトゥー、その一点のみだ。 
 痛いほどの視線を逸らすために、関係ない話題をこうして振ってもまるで意味が無かった。 
 
「ニールさんのタトゥー、どういう意味があるんですか? ああ、あと背中とかの柄も気になります」 
 
 この街では珍しくもなんともないというのに、彼はそれを着替えの度に至近距離で観察してくるのだ。見られて困る物ではないが、マジマジと観察されると居心地が悪い。 
 
「なんで俺が、お前にわざわざ説明しなきゃなんねぇんだよ。その賢い頭の中で好きに想像しとけ」 
 
 今時こんな分厚いレンズの眼鏡を掛けている人間なんて滅多にお目にかかれない。しかも、レンズの所々が小さく欠けている始末だ。その眼鏡を神経質そうに押し上げると、彼は漸くタトゥーから視線を外した。 
 ロックとは程遠そうな彼が何故ここでのバイトを選んだのか不思議で仕方がない。 
 
「ああ、いいんです。僕こういうの気にしないので、ちゃんとこの眼鏡で視界は良好ですから」 
 
 ワンテンポ遅れて返される二言前のニールのアドバイスへの返事。 
 
「本人がそう言うなら、まぁ、それもありかもな。よし、んじゃ後頼んだぜ!」 
「はい、お疲れ様です」 
「お疲れ-」 
 
 ロッカーからフィギュアを取り出して勢いよく閉めると、ニールは立てかけてあったギターケースを担いで従業員口から店を出た。 
 
 
 
 
 
 
 すっかり落ちた夕陽が、遠くの海の際だけを茜色に染めている。 
 あちこちでかかっているロックのラジオを耳にしながらサンセット通りを歩く。 
 
――あ……、この曲。 
 
 聴き慣れたフレーズ。懐かしいバラードだ。まだ自分のギターもない子供の頃、夢中で聴いた記憶がある。ポケットに突っ込んでいる指先が自然に音を拾ってコードの形に変わっていく。 
 B♭を半音上げたコードCmM7。 
 ラジオの曲に自らが脳内で奏でるギター音が重なり合う。 
 ニールは深く息を吸った。 
 
 悪くない。この街も、周りの仲間も。好きな音楽をやってやりたいように生きているのだから当然だ。100%の充実感、それに満たない原因を置き去りにしたことを忘れる日はこないだろうけれど。 
 バンドの練習場所であるSHOUT&LOUDに向かいながら、ニールはポケットから手を出し、一度掌を眺めるとギュッと握りしめた。 
 
 
 
 SHOUT&LOUDは楽器屋が二階三階にあり、一階は受付兼買い取りカウンターで地下一階と二階が練習スタジオになっている仕組みだ。店に入ると馴染みの店員ステイシーがニールに気付き片手を挙げると笑みを浮かべた。 
 
「よぉ、ニール。今日は早いな。他のメンバーはまだ来てないぜ」 
「だろうな。ちょっと店で時間でも潰すわ」 
「あぁ、そうだ。じゃぁさ、チューニング手伝えよ。中古がたまってるんだ」 
「またかよ!? いっつもたまってんじゃねぇか。まぁ、暇だからいいけどよ」 
 
 中古のギターを買い取りもしているので、店内に並べるまでにチューニングをしておかなければいけない。ギターというのはやっかいで、弾いていても弾いていなくても時間が経つと少しずつ音が狂っていくのだ。 
 ステイシーの後についてバックへ行くと、歩けないほどの狭さの廊下に中古のギターが何十本も並べられていた。 
 来る度というのは大袈裟だが、それなりの頻度で手伝ってやっているのにこの有様とは、店が繁盛していて何よりである。 
 
 背もたれもないキャンプで使いそうな簡易椅子を適当に引っ張ってきて座り、ニールは一番端のアコースティックギターを手に取った。 
 軽く鳴らしただけで盛大に狂っていることがわかる。これは相当弾いていない物なのだろう。被っている埃を軽く払い、ペグを摘まんで音を確認しながら音のうねりを聴き弦を調整していく。 
 指先に伝わる金属の感触、弦の張り具合、もうすっかり身体の一部のようにも感じる感覚だ。念の為最終確認をするために自分のギターケースから音叉を取り出すとステイシーが顔を上げた。 
 
「なぁ、ニール」 
「うん?」 
「お前、なんでメーター使わないんだ? 今はアプリでも出来るらしいぞ」 
 
 ステイシーはニールを見て苦笑する。今は性能の良い物も沢山市場には出回っているのに、ニールが使っているのはチューニングフォークとも言われる音叉である。 
 
「俺は、機械は信じない派なんだよ」 
「なぁに頑固じじいみたいな事言ってんだよ」 
「まぁ、それは冗談だけどよ。慣れてるからさ、最後の確認だけ音叉で十分だろ。売りもんだからまずいか?」 
「いや、お前の腕は勿論知ってるからそれで十分だけど。なんなら音叉なくても完璧だし」 
「そりゃ、どうも」 
 
 ニールも苦笑し、音叉の付け根をギターのボディにあてる。響く音と、ニールが指で弦を弾いた音は寸分の違いも無かった。完璧なチューニングである。 
 メーターを使っているステイシーと同じスピードでチューニングを仕上げていくニールを、ステイシーは感心したように眺めていた。 
 ニールの耳はどんな小さな音の歪みも聞きのがさない。 
 心底ギターの音に惚れているようにボディに触れる指先は、まるで恋人への愛撫のようにも見えた。 
 
 
 
「これで最後?」 
「うん、そうそう。ありがとなニール、おかげで今日早くあがれるわ」 
「そりゃ、おめでとさん」 
 
 最後のギターを元あった場所へとそっと戻すと、ニールは時計を見た。そろそろメンバーもスタジオに来ているかも知れない。 
 まだ裏で仕事があるというステイシーを残して、ニールは地下への階段を下りた。幾つかのスタジオは既に他のバンドが練習に入っているようだ。 
 喫煙所の前を通ると前を歩く見慣れた後ろ姿。どうやらメンバーがもう来ていたらしい。 
 
 予約してあるスタジオの防音ドアをあけて室内へ入り軽く挨拶をする。メンバーは揃っていた。たった一人を抜かして。 
 ニールは肩からギターケースを下ろすと、入り口の方へもう一度視線を向けた。誰も歩いてくる様子はない。 
 
「マットはどうした?」 
「さぁ……」 
 
 メンバーは一様に表情を曇らせ、半ば呆れたように溜め息をつく者もいた。マットはSADCRUEのリズムギターである。メンバーの顔を見てだいたいの察しがついたニールは、やれやれと肩を竦めた。 
 
「連絡もねぇのか?」 
「……俺は聞いてないけど。ってかマットいつも電話に出ないじゃん」 
 
 今日で何度目だ。今のメンバーになってから比較的真面目に顔を出していたのも最初だけで、ここ最近はマットが練習に来ないことが頻繁にあった。 
 リーダーとして何度も練習には来いと言っているが、こういう事態はやはり防げない。 
 メンバーの士気を下げないように、ニールは軽く手を鳴らしてニッと笑った。 
 
「OK、わかった。30分待って来なかったら、俺があいつん家みてくるから。お前ら、先に練習してろ。セトリはこの前決めたままでいいから」 
「了解、ニール悪いな。いつもマットのこと任せちゃって」 
「いいって、あいつとは古い付き合いだし。俺以外じゃ追い返されるのが目に見えてるしな」 
 
 なにも返してこないのは、ニールの言ったことが本当だからだ。 
 今でもマットとは相性が悪いと思っているが、それでもハイスクール時代からの腐れ縁だ。ギターに関しては素質がある事も認めているし、根は悪い奴じゃない。 
 ベースのメンバーへ振り向くと、ニールは思いだしたように「あ」と小さく声を漏らす。 
 
「そういえば、前の練習の時言いそびれちまったけど。お前、どの曲も出だしの弾きが弱いから、そこ気をつけろ。入りが弱ぇと他が引きづられちまう」 
「ああ、わかった。本番までには直しておくようにするわ」 
 
 自覚はあったのだろう。素直に聞きいれてくれたことにニールは頷くと、自分のギターをケースから出してひとまずアンプのスイッチを入れた。真空管アンプは使えるようになるまで時間がかかるのでこうしてまず暖めておくのである。その間にチューニングだけ確認しておく。暫くして音が出るのを確認した後、試し弾きで短めの曲を弾いた。 
 
 バンドオリジナルの曲でなく、この曲はクリスが作った曲である。 
 満遍なく音を確認出来るように作られており指のストレッチにもなるし、なおかつかっこいい。 
 ニールが曲を弾き終えると、アンプにもたれ掛かっていたメンバーが「ああーあ」と誰にいうでもなく呟く。 
 
「クリスがうちのメンバーだったらな~。その曲も、あいつが作ったんだっけ」 
「ああ、即興でな。あいつの作曲センスは凄ぇよ」 
 
 まるで自分の事を褒められたようにニールは少し得意げな顔で笑った。 
 
「やべ、そろそろ時間か」 
 
 ニールは全ての電源を落としてギターを肩から外す。マットは予想通りまだ姿を現さない。 
 財布と携帯だけをポケットに突っ込んで、忙しなくSHOUT&LOUDを後にした。ワンマンではないが、ライブが近い。今、何か問題を起こされるわけにはいかないのだ。 
 
 
 
 スタジオを出て通りに出ると辺りはすっかり暗くなっており、ニールの長い髪が色とりどりのネオンで染まる。 
 
――クリスの家行くの相当遅くなりそうだな、この分じゃ……。 
 
 どこかスッキリ晴れない不穏な空気を静めるように、ニールは長い髪をかき上げる。吹く潮風にわずかに舞った毛先が、音もなく肩へと落ちた。