──RIFF 7 
 
 
 最後にもう一度セットリストを最初から通すことになっていて、それが終わったら全ての準備が完了という予定だ。 
 先程までくだらない冗談を言って笑い合っていた全員の顔が引き締まる。クリスもギターストラップの長さを再度調整してニールの方へ顔を向けた。 
ニールが長い髪を上の方で適当に結んで、首を回す。 
 
「OK、じゃぁ最後の通しだ。本番だと思っていけ。ブラス、バラードの時は、少し歌が先走りすぎだ。よくリズム隊の音を聞いてから言葉を乗せろ」 
「わかった」 
 
 真面目な表情で頷いたブラスの隣、ベースのスティーブンの元へ向かいニールがその足下に屈む。視線を向けているのはエフェクターだ。スティーブンが確認するように一緒に腰を屈める。 
 
「なにか、問題が?」 
「いや、問題って程じゃねぇが、……ゲインを少し下げてみろ。ピッキングノイズが目立ちすぎる」 
 
 ハッとしたようなスティーブンがエフェクターのつまみを調整して試し弾きをする。何度か弾いては調整していくと、はっきり音の存在感に変化がある場所があった。 
 エフェクターは音をひずませたり様々な効果を足下のペダルを踏むことで演出できる物だ。なくても弾けるが、使っている者がほとんどだ。ベースの場合はソロの部分で音を変えたいときなどをメインに使用する。 
 しかし、ひずみを強くしすぎると逆効果の場合もあるのだ。 
 
「明日もこの状態に合わせた方がいいな、他は完璧だ」 
「了解」 
 
 ニールが自分の場所に戻り、アンプの準備をしながらギターを肩に掛けた。 
 
「クリス、お前には特に言う事は無いが、あれだ……。もうちょっと自信を持って弾いてもいいんじゃねぇか。折角一緒にステージに立つんだ、盛り上がらねぇと。だろ?」 
「うん、そうだな。わかった」 
 
 ニールがそういって笑みを浮かべた。ベテランメンバーに囲まれて若干プレイが硬くなっているという事だ。ニールに言われて気付くなんて、やはり意識しすぎているのかも知れない。肩の力を抜くように、クリスは一度深呼吸をし腕を上に伸ばした。 
 
「あとは特に言う事はねぇかな。俺にも遠慮なく、気付いたことがあれば言ってくれ、なにかあるか?」 
 
 ニールがメンバーの顔を見る。トミーがスティックをくるりと遊ぶように回して。ニールのギターを指した。 
 
「ニール、ピック何枚客席に投げる気なんだ? ブラックフライデーにはまだ早いぜ?」 
 
 それを聞いてニールが笑う。ニールのギターには、ライブ中にファンサービスで投げたり、弾いている際に紛失した時の為に予備のピックが貼り付けてある。それは皆もやっていることだが、ニールのはその数がやけに多いからだ。 
 メンバーも同じ事を思っていたのか、皆に笑いが起こる。 
 
「ファンにはサービスしないといけねぇだろ? クリスがこの前、優しくしろって言うからよ」 
「そういう意味じゃなかったのに」 
 
 クリスもそれを聞いて笑う。 
――いいな……。 
 クリスは心地よい雰囲気にそう感じていた。 
 
 ずっと前にトミーから聞いた話だと、ニールはライブ前に直せるところを指摘するのみで、それまではそれぞれのスタイルを極力尊重しているらしい。 
 「自分の事は自分が一番知っているから余計な事は言わない」のだそうだ。バンドをやっている人間は皆多少なりとも拘りを持っていて癖がある者が多い。下手に指摘すればプライドを傷つけるし、そういうメンバーをまとめるリーダーは実はとても難しい。 
 
 クリスが籍を置いているバンドはリーダーがいないのだ。掛け持ちのバンドなせいもあってどこか趣味の延長という軽さがある。そろそろ別のバンドを探して抜けようかとも思っていたが、そう簡単に自分の理想のバンドに巡り会うのは難しかった。声をかけてくれても、音楽性があうバンドはひとつもないのが現状だ。 
 
 ニールが足下のエフェクタ一を引き寄せ、トミーに合図する。 
 
「よし、じゃぁ始めるぞ」 
 
 トミーの手が動き、スティックを上げる。ハイハットオープンでのカウントが三回、始まりの合図だ。一曲目はSADCRUEの中でも一番激しい曲だ。この曲で一気にスピードをあげ三曲目までを畳みかけるように駆け抜ける。ロックのライブで一番盛り上がるセットリストの組み方だった。 
 
 
 ラストの”Truth”を演奏し終え、音が一気に止む。トミーが上機嫌で高い口笛を吹いた。 
 
「最高だったな」 
 
 トミーの言うとおり、一度も躓くこともなく、それぞれが力を出し切った。 
 
「ああ、これで完璧だな。明日もこの調子でやろうぜ」 
 
 ニールも機嫌良くそう言ってギターを肩から下ろした。心地よい達成感と明日への期待、昂揚する気分を残して練習は終わった。時刻は九時を回った所だ。 
 合計八時間は籠もっていた計算になる。集中していたせいで時間はあっという間に過ぎた。スタジオ内の熱気にあてられ、こめかみから流れる汗。それを袖で拭い、クリスもギターを片付け始める。 
 
 こういう時、ドラムはいち早く帰る準備が完了する。持ち運ぶのはスティックのみだからだ。 
 先に片付け終わったスティーブンとブラスを見送り、スタジオ内は三人になった。トミーはニールの側のアンプに寄りかかりながらクリスへと身体を向ける。 
 
「なぁ、クリスどうよ? 正式にうちのバンド入らないか?」 
「また、冗談ばっかり。トミーはいつも調子いいよな」 
 
 取り合わずに片付けを続けるクリスはシールドを巻いてギターケースへ入れながらニールの方をチラッと窺った。先日の夜の事をフと思い出す。ライブが終わるまでは、その件には触れないようにすると決めた物の、やはりフとした瞬間に考えてしまう。 
 トミーが言っているのは冗談ではあるが、誘われた事は正直嬉しかった。 
 
「いや、俺マジよ? なぁ、ニール」 
 
 トミーはニールに同意を求めるように話を振った。ニールが小さく笑って呆れたように息を吐く。 
 
「ばーか、そんな事できっかよ。クリスだって自分のバンドあんだろ。今回はたまたま入って貰っただけだ。あんまり、困らせんじゃねぇよ」 
「まぁ、そうだけどさ~。クリスがギターで入ってくれればやりやすいよなぁ。クリスは曲も作れるしさ。あ!じゃぁさ、なんならもう一つバンド結成するか!ギターはクリスで、ニールはボーカル兼ギターとか。いいよな~」 
「……、……」 
 
 ニールは何も言わなかったけれど、動かしていた手が一瞬止まったのがわかった。 
 クリスは片付け終わったギターケースを肩に担いでもう一度ニールの方へ視線を向けて口を開く。 
 
「トミー、気持ちは嬉しいけど。俺がニール達とやるには、やっぱりまだテクニックが足りないって。今だって、ついていくのにいっぱいいっぱいだよ」 
「そっかぁ? あぁ、じゃぁさ。ニールにびっちり鍛えてもらえばよくないか?新しいバンド組むにしても今すぐって話じゃないしさ」 
「そうだとしても、すぐには上達しないし。この先もし、またそういう機会があったら誘ってよ」 
「だから、それが今なのになぁ。こういうのって、タイミングが大事だぜ?」 
 
 その時だった。トミーの台詞を遮るほどに大きなニールの声が、スタジオに響く。 
 
「ダメだって言ってんだろ!」 
 
 場の雰囲気を一瞬にして覆す声。ニールの言葉には本人さえも意図せぬ感情がこもっていた。ニールがギターケースを肩にかけると、気まずそうに顔を上げる。 
 
「悪ぃ……怒鳴ったりして。トミー、あんまりしつこくするな。クリスも断ってるだろ。それに、…………。俺には、ボーカルなんて出来ねぇよ……」 
「何だよ、ニール。急にご機嫌斜めかよ」 
「そんなんじゃねぇよ……。んじゃ、俺帰るわ。クリス、明日のライブ宜しくな。トミーも、お疲れさん」 
 
 スタジオをでていくニールの背中を目で追う。クリスは言葉をかけられないほど驚いていた。トミーが冗談交じりで言っていたことはわかっていたはずなのに、ニールがあんな風に怒鳴るなんて。 
 
 満更でもないような自分の返事が気に触ったのだろうか。調子に乗っていると思われた?ニールと一緒にバンドをやれるなんて、夢のようだけれど……。それを望むなんて、自分には早いという事なのだろうか。 
 先程まで少しでも喜んでしまった自分を恥じて、クリスはその場で俯いた。トミーが申し訳なさそうにクリスの肩に手を置く。 
 
「クリス、悪かったな。マジごめん。ちょっと調子に乗りすぎたわ。ニールがあんなに怒るなんて思わなくてさ……」 
「ううん、大丈夫。気にしなくていいよ。俺も、ちょっとビックリしたけど……、よく考えれば当然だよな、俺なんてまだまだなんだし。ニールが怒って当たり前だよ」 
「あぁ……。そうじゃないけどな……。そういう事で怒ったわけじゃないと思う。だって、クリスの腕は、他の誰よりもあいつが一番認めてる。これは本当だぜ?」 
「…………有難う」 
「クリス、お前今から用事ある?」 
「いや、もう帰るだけだけど」 
「じゃぁ、一杯付き合えよ。そこで、続きを話してやるからさ」 
「わかった。丁度俺も呑みたい気分だったんだ」 
「よし、そうと決まったらとっとと片付けるか」 
  
 最後にスタジオの鍵をステイシーに返し、二人でリトルハノイに向かった。