──RIFF 25 
 
 
 
 セットリストは最後の曲を残すのみ。 
 
 ライブハウスの外はコートが必要なほど冷えているだろうが、ここは真逆だ。ステージを照らす照明と観客の熱気にあてられて皆の首筋から汗がひっきりなしに流れている。 
 
 モニターに足を掛けたニールがサビのフレーズを繰り返す。完璧な流れだった。問題はなにひとつ起きていない。まるで何度目かのライブをしているような感じだ。 
 最初にメンバー紹介とバンドについてMCで話したきり一度もMCを挟まずここまで演奏してきた。曲数はそんなに多くは無い物の、どの曲も初の演奏なのでそこはやはり神経を使う。 
 拭っても拭っても滴り落ちる汗がポタリとステージの床へ落下し、目に入った汗の雫は視界を滲ませる。 
 
 ライブが始まる前にニールが言っていたとおり、客席は本当に近かった。 
 初めてこの場所でライブをやったクリスは、先日参加した時とはまた違った雰囲気に驚いていた。最初から来ていることを知っているブラスだけではなく、演奏中、客席にケリーやステイシーの姿も発見した。それぐらい客の姿がはっきりと視認できるのだ。 
 この感覚を忘れるなという、ニールの言葉の意味がよくわかる。 
 
 正式なメンバーとして立つ初めてのステージというのもあって、客席からダイレクトに伝わる熱を、圧倒されるほどに肌で感じる事が出来た。チリチリと焼けつくような心地よい緊張感と、完成した曲を思いっきり演奏できる開放感に脳内からアドレナリンが出る。 
 長距離選手がよくランナーズハイになるというけれど、多分今自分はそれと同じ状態なのかも知れない。 
 
 ここまでミスもなく安心して演奏を続けて来られたのは、時々様子を窺うように視線を向けてくれたり、歌の途中で近くに来てくれたりしたニールのおかげだ。 
 ギターの弦に掛かる指が、頭で考えるより先に、滑るように次々と勝手にリフを刻んでいく。 
 クリスは多幸感の中、ニールに視線を向けた。 
 
 ニールの歌声は、あの日ままで……。 
 今夜初めて聴いたファンも大勢いるだろうが、その誰もが魅了されているのはステージ上から見ていてもよくわかる。時には力強く、時には切なげに、ニールの歌う生き生きとした姿は堂に入っていて、何年も憧れ続けたカリスマ性は今も顕在だった。 
 これがニールなんだ。歌いながらでも安定したテクニックでギターを操る指先も、客を惹きつける感情の籠もった歌い方も全て……。 
 
――……遠いな。 
 
 普段一緒に居るときはあんなに近くにニールを感じられるのに……。 
 クリスは大きすぎるニールの存在に、まだまだ届かない自分を感じていた。 
 それは多分これからも抱き続ける感情で、恋愛とはまた別の、同じ男として目指したい目標でもある。 
 
 歌が終わると、興奮した前列のファンが少しでも近づこうとしステージ上のニールに手を伸ばす。 
 一番前に通常ならあるはずの柵は、今回ニールが撤去してくれと最初からライブハウス側に頼んであるので存在しない。 
 ズボンの裾を掴んで歓声を上げる熱狂的なファンにもニールは嫌な顔一つせず、寧ろ楽しんでいるように見えた。突き出されるメロイックサインの指先にニールが触れるだけで黄色い声があがる。 
 
 ニールはギターを下げ、スタンドからマイクを抜くと、それを持ったまま腰に手を当てた。はぁはぁと息を切らしたまま、掴まれたズボンに視線を落とす。 
 
「おいおい、あんま引っ張んじゃねぇぞ。一張羅なんだ。破れたら次のステージが出来なくなっちまうだろ」 
 
 ニールの冗談に笑いが起きる。クリスも釣られて一緒に笑いながら、ごく自然にファンとのやりとりを楽しむニールの背中を見つめていた。 
 
「あー、ちょっと、一息いれっか。お前らも少しクールダウンしろ」 
 
 客席を宥めるように「少し抑えて」と言うようにジェスチャーをする。 
 アンプの上に置かれていたタオルで汗を拭って中央に戻ったニールが、息を整えて客席を見渡す。 
 
「残すところ、あと一曲になっちまったが。今夜は、WILD LUCKのLiveを観に来てくれて本当にありがとな。初めて俺たちの音楽を聴きに来てくれた人も、SADCRUEの頃から応援してくれてる人も。みんな、愛してるぜ」 
 
 女性の観客だけでなく、男の観客からもラブコールを浴びている所が凄いところだ。ニールが肩に掛けていたメインで使用しているレスポールを外し、後ろのアンプに立てかけてあるテレキャスターと持ち変える。最後の曲の準備である。 
 
「最後の曲にいくまえに、ほんの少しだけ俺の話を聞いてくれ」 
 
 ニールがそう言うと、声が聞こえないほどにあがっていた歓声がざわざわとしたのち一気に静まりかえった。 
 ステージ上のスポットライトがニールに当たる部分だけ色を変える。 
 ニールは汗で濡れた髪をかき上げると、優しげな笑みを浮かべて手に持っていたテレキャスターのストラップをゆっくりと肩に掛けた。 
 
「今、俺が持ってるこのギターの持ち主だった男が、先日他界した。俺の親友で、長い間バンドを一緒にやってきた仲間だった。どうしようもねぇ奴だったが、心からロックを愛していた男だ。俺は、そいつから色々なモノをもらってきた。こうして今、ステージに立てているのも、半分ぐらいはそいつのおかげだ」 
 
 クリスはニールの言葉を聞きながら、シンクロして胸がギュッと締め付けられるのを感じていた。こんなにも愛しさを込めた『どうしようもない奴だ』という言い方があるだろうか。 
 
 
 新しいバンドでやる曲を決めているとき、ニールから話があったのだ。 
「俺が歌詞を書くから、曲を作って欲しい。マットのために」と。 
 
 マットが亡くなった後、ニールはマットの叔父に頼まれて遺品の整理に付き合い、そこで形見として今手にしているテレキャスターを譲り受けたらしい。ライブで完成したその曲を弾く時に、使うつもりだと。 
 詳しくは聞いていないけれど、相当昔に買った初めてのギターだという事だ。 
 
 ニールの肩に掛けられたその使い込まれたギターを見ていると、マットの姿と、ニールの無念さやマットへの気持ち、葬儀があった夜に見たニールの涙、全てが一緒くたになって胸の内に流れ込んでくる。ニールの左手中指に入っているクロスのタトゥーがマットのギターのネックを優しく包み込んでいる。 
 
 ニールの言葉は続いた。 
 
 
「だけど、礼の一つも言えねぇまま逝っちまった。最後の曲は、友でもあり、最高にクールなギタリストだったそいつに捧げる曲だ。俺は、ちゃんと届くって信じてる。お前らも、一緒に信じてやってくれ」 
 ニールがトミーの方へ振り向き、始まりの合図を促す。 
「それじゃ、最後の曲。エンド・オブ・ヒストリー」 
 
 スタンドにマイクをさしこむと、ニールはマットのテレキャスターを構えた。トミーの静かなドラムから始まり、ニールのギターのメロディが続く。 
 皆の祈りが、マットに届くように全員が想いを込めた。 
 色とりどりのライトで照らされたステージの中、想いに乗せた透明な音が響く。 
 ニールの歌声が、キラキラと天に昇っていくような……、ギターを弾きながら、クリスにはそれが見えたような気がした。 
 
 静かに曲が終わり、セットリストの全てが演奏を終えた。 
 
「みんな有難う。また、お前達に会えるのを楽しみにしてるぜ」 
 
 ニールが最後に挨拶をして、弾いていたピックを何枚か後方の客席に投げた。 
 
 
 
 一度ステージ袖に戻ると、客席からはすでにアンコールの歓声が沸いていた。勿論アンコール用の曲も用意しているが一度休憩だ。 
 明るい場所から急に暗い場所へと移動したので目がチカチカする。 
 
「お疲れさん、無事に成功したな」 
 
 皆がそれぞれ労いの言葉を言った後、揃って口にしたのは同じ言葉だった。 
 
「暑い……」 
 
 とにかく暑かった。 
 メイクをした事も忘れてクリスが顔をゴシゴシと拭いていると、同じく汗を滴らせたニールが隣でペットボトルの飲み物を一気に半分ほど飲み口元をぬぐった。 
 
「くそっ、……アンコールの曲、バラードにすりゃよかったな。こんなにクソ暑いとは計算外だった」 
 
 ニールがそういって苦笑する。 
 
「ほんとだよな。どうなってんだ、このライブハウスは」 
 
 トミーが大きな声でそう言うと、控えていたスタッフから「これでも暖房じゃなく、冷房を入れてる。外へ出て見ろ、天国のように寒いぞ」と笑われた。スティーブンはジャケットを着たままで涼しい顔をしていると思いきや、そうでもないらしい。 
 
「お前、暑くねぇのか? 上脱いでアンコールに出たらどうだ」 
 
 ニールに訊ねられたスティーブンが両掌を上に向けて苦笑する。 
 
「汗で張り付いて、脱ぎたいけど脱げないんだ。アンコールの途中で倒れたら救急車を呼んでくれ」 
「え! 大丈夫!?」 
「おま、馬鹿だな~。そんなジャストフィットのジャケット着てくるからだろ」 
「今回はトミーの言う通りだな。この服を選んだ自分を、殴りたい気分だ」 
 
 トミーがスティーブンの背中を思い切り叩いて、皆で笑った。 
 水分補給をし、乱れた髪を軽く整えて準備を終わらせるとバラバラと再び光のあるステージへと出て行く。 
 鳴り止まないアンコールの嵐は、メンバーが出て行くと一気にボリュームを増した。アンプのつまみが振り切れそうな音量だ。 
 
 メンバーが位置に着いたのを見計らってニールが再びマイクを取る。 
 
「ただいま。案外、早く会えたな」 
 
 ステージに戻ったことにたいしてニールがふざけてそんな事を言う。ノリのいいファンから一気に「おかえり」コールが沸き起こり、ニールは笑いながらスティーブンの方をちらっと見た。 
 
「スティーブンが暑さで瀕死らしいんだ。だけど、安心してくれ。倒れるまでは演奏を続けるってさっき言ってたからな」 
 
 スティーブンのファンも当然沢山居る。ニールの言葉を受けて、スティーブンコールが起こる。ニールと会話するように次々に変わる歓声に、客席との一体感を抱いた。 
 ニールが人差し指を鼻に当て「シーッ」と静まるように合図する。 
 
「アンコール前に、もうちょいスティーブンのファンに温度を上げて貰うか。お前らも声が聞きたいだろ?」 
 
 そう言うと、スティーブンの方へ歩いて行きマイクを向ける。 
 全てがニールのアドリブなので、ここでマイクを向けられることを想定していなかったスティーブンが、一瞬驚いていた。 
 
「皆を熱くする一言、頼むぜ」 
 
 だけど、さすがに物怖じしないスティーブンなだけはあり、ニールからマイクを受け取ると一度小さく笑い顔を上げた。 
 
「多分大丈夫だけど、倒れたらステージに上がって人工呼吸をしにきてくれ。舌を入れたらごめんな」 
 
 ファンサービスの煽りに案の定スティーブン目当ての女性客から悲鳴のような声が響き渡った。 
 戻されたマイクを受け取ってニールがステージ前に出て行くと一部のトミーのファンから「トミーにもマイクを!」と声が上がる。見るからに屈強そうな大男からだ。トミーのファンは何故か昔から男が圧倒的に多い。 
 
「OK、じゃぁトミーにも一言貰うか」 
 
 ニールがドラムセットに付属しているマイクを指す。 
 トミーは、やけにかっこをつけて立ち上がると、野太い声援を浴びて苦笑した。 
 
「俺は涼しいぜ。むしろスースーしてる、特にこの辺」 
 トミーがスティックで股間をさす。 
「何故かって? 今日の俺は、ノーパンなんだ。ってなわけで、脱がしたい奴は順番にステージに上がってくれ」 
 
 そう言って投げキッスをしたトミーに男のファンが「任せろ!」とかなんとか……。トミーのファンはノリもトミーに似てサービス精神旺盛らしい。 
 
 「ったく、ライブ中になんの報告だよ」ニールの笑い声がマイクを通して響く。そして、クリスの方へ向いた。全員から一言ずつメッセージを言わせるつもりだと途中から気付いていたけれど、本当に回ってきてしまうとは。 
 クリスは頭の中で必死で何を言えば良いか考えていた。自分は今日が初めてのライブなのでニール達のように特別なファンがいない。だからもしかして、回ってこない可能性もあると信じていたのに。 
 
「ラスト、クリスに一言貰おうか」 
 
 ニールがマイクを渡してくるのをぎこちなく受け取ったクリスは、客席が期待の眼差しで自分をみているのを感じて焦りまくっていた。 
 
「あ、えっと……。みんな、暑いと思うけど、俺も凄く暑い。でも、最後まで応援してくれて嬉しいよ。今度からもう少し空調を効かせるように頑張ってみる」 
「そこを頑張っちゃうのかよ」 
 
 トミーが突っ込んで客席がドッと沸く。 
 赤くなったままニールにマイクを返すクリスに笑いが起きると思ったが、予想を裏切って客からは「He’s cute!!」と評判は上々のようだ。 
 
「というわけで、次のライブからはクリスが空調を頑張って調整してくれるらしいからな、俺たちも安心だ」 
 
 ニールが笑いながらギターを高く掲げる。 
 
「OK、皆のおかげで充分温度があがったみてぇだから、そろそろラスト行くぜ! お前ら、ちゃんと最後まで着いてこいよ」 
 
 ニールが「Are you all set?」のかけ声のあと客席へとマイクを向けると、トミーのドラムが絶妙なタイミングでカウントを始める。アンコールで用意している曲はハイスピードでノリのいい二曲だ。 
 ベースのソロ、クリスのギターソロ、それぞれが散りばめられており、ライブ用のアレンジでトミーのドラムソロまで組み込まれている。 
 狭いステージを端から端まで歩きながらニールは歌い続ける。 
 
 こんなに楽しくて、客席と共に盛り上がれるステージに自分が立っているのだという事が信じられないぐらいだった。 
 今夜の初ライブを一生忘れることはないと思う。 
 自身のギターソロを弾きながら、クリスは今の幸せを身体中で感じていた。 
 
 
 
 アンコール後も続く歓声……。 
 控え室に戻る中、メンバー全員が満ち足りた表情で、軽い冗談を言いふざけあう。 
 最高の仲間達と共に並んで歩きながら、クリスは満面の笑みを浮かべた。 
 
 
 
 初ライブは大成功を収め、今夜、WILD LUCKの名はロックの道筋に確実な爪痕を刻んだ。