──epilog

 
     *     *     * 
 
――あ……、そうだ。あれ、鞄に入れたままだった。 
 
 ライブ後一度車を置きに帰り、打ち上げをしていた店に遅れて顔を出したニールからCDを受け取ったのだ。ライブが終わったら渡そうと思っていて渡しそびれた物らしい。 
 初めてのライブで疲れていたので先にシャワーを浴びたせいで、それをまだ聞いていないのだ。クリスは洗い立ての濡れた髪にタオルを被せて鞄からそのCDを取り出した。 
 
 打ち上げ中は、周囲に皆がいたので詳しく内容を聞くことはできなかった。なので、なんのCDだかわからない。ジャケットは勿論なく、CDラベルにも何も印刷がされていない真っ白なCDだ。 
 クリスはステレオのトレイに入ったままのCDを取り出し、代わりにニールから受け取ったCDを入れた。 
 音量を調節して再生してみる。 
 
――ん? ……これって……。 
 
 数秒間の雑音の後、アコースティックギターの音色が耳に届く。 
 練習スタジオで録音したのだろうか。弾き方のクセで、ニールが弾いているのだとすぐわかった。 
 だけど、一度も聞いた覚えがない曲である。 
 CコードからGコード、AマイナーからEマイナー、シンプルなコード進行にアレンジを加えた物だが、凄くかっこよくて優しさのある曲だ。前奏の後、ニールの歌声が乗った。 
 
Have you already noticed?
That you’ve somehow vanished my insecurity
You were always next to me just like the Sun
Just melt me down with your heat
The past, the future and my impure, tainted ugly heart
I was able to forget them all only when I was with you 
(お前は気付いているのか?
俺の不安をいつしか消し去ってくれていた事を
いつだって太陽のように傍にいてくれたお前
その熱で溶かしてくれ
過去も未来も、不浄で汚れた心も
お前と居る時だけは、忘れられたんだ)
 
 
――……もしかして。 
 続く曲を耳にしながら、クリスは歌詞の言葉を反芻して唇を震わせた。
 
 
Have you already noticed?
The smile you gave me when I was too afraid to know more and gave you a bitter laug
The meaning of your smile
I didn’t know
We were so close, but I didn’t know
That it was me who was being saved
(俺は気付いていたのか?
お前の言葉の意味を
深く知ることを恐れて苦笑いしか出来ない俺に
笑ってくれたお前の笑顔の意味を
知らなかったんだ
こんなに傍にいたのに、気付かなかった
救われていたのは俺だって事)
 
 
 これは、ニールが作った曲だ。 
 世界中で誰も聴いたことが無い、たった一人の、そう……。ニールがクリスのために作った曲だった。 
 落としたトーンのニール独特のやや掠れたハスキーボイス。 
 
――……ニール。 
 
 アコースティックギターを抱えて弾き語りをするニールの姿が、目の前に浮かぶようだ。 
 
 
Where are we heading to?
No one knows
No one cares to know
It doesn’t matter
You are next to me and I’m next to you
We don’t need a nice alcohol, do we?
Cheap alcohol and your voice familiar to my ears
Just have some cigarettes and listen to the music you like
We don’t need anything else
(俺たちの道がどこに向かっているかだって?
そんなものは、誰だって知りやしない
知ろうともしない
それでも構わない
俺の傍にはお前が居て、お前の傍には俺がいる
上等な酒なんか必要ないだろ?
安物の酒と、聴き慣れたお前の声
煙草でも吸いながら好きな曲を聴けばいいさ
他には何も要らない)
 
 
Tonight, I’m having an endless dream
On the stage of me and you
Playing the best rock 
(今夜は醒めない夢を見る
俺とお前のステージで
最高のロックを奏でる夢を)
 
 
 サビを繰り返した後、ギターは静かにアルペジオを奏でフェードアウトした。 
 ニールが椅子を引いて立ち上がる音。ザザッという雑音の後に、「ちゃんと録れてんだろうな」という聞こえないほどの独り言。 
 そして、最後にニールが「I Love You Chris」と囁く声が入っていて、録音はそこで終わりだった。 
 一曲しか入っていないのでトレイの中でシュルシュルと音を立てていたCDがゆっくりと回転を止める。ステレオの04:15というデジタル表示、平になったイコライザーを見たまま暫く動けなかった。 
 
 ライブ後の打ち上げで結構酒を呑んだから、もしかして自分は酔っているのかも。だってそう思わないといけないほど、実感が湧かないのだ。大成功した初ライブだけでも最高の日だというのに、自分の為にニールが曲を作ってくれた? ……もしかして、今夜眠ったらそのまま目が覚めないのではと考えてしまう。 
 
 無意識に指がもう一度再生ボタンを押し、同じ曲がまた最初から流れ出す。二度目の歌詞はより脳内に入ってきて、それを噛みしめながら聴いていると、まるですぐそこでニールが囁いてくれているように感じた。 
 
――……ニール。 
 
 二回目の再生が終わった今も、胸がドキドキして鳴り止まない。クリスの濡れた毛先に水滴がプックリと溜まり、音もなく肩へと落ちる。 
  
 
 部屋の時計を見ると、もう時刻は深夜二時を過ぎていた。 
 数時間前まで一緒に居たのに、今すぐニールに会いたくなる。 
 どうしても、どうしても、会いたい。 
 
 クリスは被っていたタオルを側の椅子へとかけると、クローゼットの扉を開けた。選ぶ時間も惜しいというように手を伸ばし、先にあったシャツを手繰り寄せて羽織り、ジーンズを穿く。コートをハンガーから引っつかんで車のキーをトレイから奪うように掴んで玄関へ走る。 
 素足のままスニーカーに足を突っ込んだところで、家のインターフォンが鳴ってビックリして息を呑んだ。 
 急いでいるのに、タイミングが悪い。しかも、こんな時間に!? いつもならちゃんと誰がいるのかを覗いてみるが、今はどうでもよくて、確認せずに思いっきりドアを開けた。 
 勢いよく開いたドアを片手で止めているのは、今会いに行こうとしていたニールだった。 
 
――!? 
 
 飛び出す勢いで出て来たクリスに驚いた様子のニールが、クリスの全身を訝しげに眺める。 
 
「っと、危ねぇな。ぶつかるところだったじゃねぇか。お前、今からどっか出掛けんのか?」 
「ニ、ニール!?!? どうしてここに!?」 
「ああ、忘れもんを届けに来たんだ。俺の荷物に混ざってた」 
「え? ……」 
 
 ニールがポケットからギター型のキーホルダーを取り出し揺らしてみせる。 
 
「あっ、それ俺の」 
「だろ?」 
「うん、有難う」 
 
 クリスのギターケースにいつもついているものだ。どうやらどこかで落としていたらしい。 
 キーホルダーを玄関の棚へと置いたニールが「邪魔して悪かったな。出掛けんなら帰るわ」と言う。クリスはニールの腕をギュッと掴むと首を振った。 
 
「……出掛けない。違う。出掛けるつもりだったけど、もういいんだ。……っていうか、ニールに会いに行こうと思って、俺……それで」 
 
 何と言って良いかわからず、勢いでそれだけを伝えると、ニールがニヤリと口元に笑みを浮かべ、玄関へ足を踏み入れると後ろ手で鍵を掛けた。 
 
「んじゃ、丁度良かったわ」 
「ニール?」 
「ついでにもうひとつ、こいつも忘れもんだ」 
 
 ニールが外したサングラスを自身の胸元にひっかけて、クリスを壁に押しつける。見上げるクリスの顎を持ち上げ、首を傾けてクリスの唇へキスをする。ニールもシャワーを浴びてきたのか、サラサラとこぼれ落ちてくる長い髪が揺れる度にとてもいい匂いがした。 
 まだ濡れているクリスの髪に長い指をさしいれ、耳を塞ぐように掌で覆って引き寄せると口付けが深くなる。 
 クリスの足がぴくりと動き、先だけを突っ込んでいたスニーカーが横向きに脱げた。 
 
曲、聴いたよ。 
凄く良かった。かっこいい曲だったよ。すごく、すごく、嬉しくて嬉しくて。 
会いたかったんだ。今すぐニールの顔が見たくなった。 
大好き。ニール、愛してる。 
 
 ニールの唇で塞がれているけれど、伝えたい沢山の言葉があった。だけど今は、もう少しの間ニールの熱を感じていたくて、クリスはさしこまれるニールの舌に自身の舌を絡めて唇を開いた。 
 
――WILD LUCKは造語だけど、ラッキーの最上級って意味だよ。このバンドでいっぱいいい事があるといいなって 
 
 ニールの口付けに溺れながら思い出す自分が言った言葉。自分にとってのラッキーの最上級は、目の前に居るニールそのものなのかもしれない。 
 クリスはニールの腰に手を回すと幸せそうに目を閉じた。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
This Rock is to be continued. 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
後書き 
 
『WILD LUCK』を最後までお読み頂き有難うございました。 
約半年の連載でしたが、無事に最後まで書き終えることが出来ました。 
シリーズメインで執筆していたのを離れ、こうしてまた別のお話を書くというのは、最初は不安もあり、かつ、世界観が普段書いている日本の現代物と全く違うので、文体を変えるのが難しい物だなと実感しました。 
しかし、私自身は書いている間、とても楽しかったし勉強にもなったので、いい経験ができました。 
洋楽ロックは人を選ぶと思いますし、このジャンルに興味が全く無い方には読みづらい部分が多々あったと思いますが、最後までご一緒して貰えてとっても幸せです。 
 
ニールとクリスが新たに組んだバンドWILD LUCKはまだ始まったばかりです。 
彼らの夢でもあるThe Rocks theaterでのライブが叶うまで、このお話の後の二人の様子もいつか書いていけたらいいなと思っています。 
 
このお話は、イラスト等では登場しませんが、結構色々な脇役達が登場しました。 
中でも登場が多いトミーや、ケリー、そしてニールの過去のキーにもなっていたアンディなど。脇役の彼達彼女達も、私の中にはストーリーがあって、そこでは主人公です(笑)そこにいるリアルな存在としてえがけるように気をつけて書きました。 
ニールとクリスは勿論、脇役でも、誰か気に入って貰えるキャラがいると嬉しいなぁと思います。 
 
ここまで目を通して下さり、有難うございました。 
読後、ご感想等があれば、拍手やtwitterから一言でもOKなので送って下さると大変励みになります。気が向いたら宜しくお願いいたします。 
 
 
2020/8/21 
聖樹 紫音