店を出る頃は十一時近くになっており、すっかりいつも通りの賑やかな街になっている。昼にはまだ少し早いので『大きなハンバーガーが食べたい』は後にして、先にクリスマスプレゼントを買ってあげる事になった。
通りを並んで歩いていると、勇太が信二と楠原をチラチラと見ては視線が合うと目を逸らすという、あからさまに何か言いたげな様子を見せていた。
「勇太、もしかしてオシッコか? どっかでトイレ借りる?」
信二がそれに気付いてそう言うと、勇太に足を蹴られた。
「オシッコなんかいかねぇよ!」
「痛っ、お前な、急に蹴るなよ。乱暴な男は女の子に嫌われちゃうぞ」
「別にいいよ。女子とか興味ないもん」
「へぇ~。んじゃ、なに?」
「手……」
「手がどうした?」
「もしかして……、手を繋ぎたいんですか?」
「ん」
勇太は照れたようにふくれっ面になりながら、楠原と信二の方に両手を伸ばした。信二と楠原が顔を見合わせて笑みを浮かべる。勇太の手をそれぞれ握ってやると、勇太は嬉しそうにぎゅっと小さな手に力を込めた。
なんだ、可愛いところもあるんだなと信二が優しげに目を細める。
「勇太君は、プレゼントには何が欲しいんですか?」
「えっとねー。ゲーム! 車でレースして戦うやつ! 友達の家で遊んだことあるんだ。車の後ろに爆弾がついててドッカーンって敵をやっつけられんの」
「なるほど。結構激しいゲームですね。それは、ゲームソフト単体ってことですか?」
「うん、そう! 本体は去年母ちゃんに買って貰った」
「わかりました。では、家電量販店に行って見てみましょうか。昨日までのクリスマスで売り切れていないといいのですが」
「きっと大丈夫っすよ。続くお年玉商戦に切り替えるはずだし、在庫一杯あるでしょ」
「それもそうですね」
行き先を決定し、道を曲がる。勇太はそのソフトがどれだけ面白いのかを楠原に夢中で話していて、楠原はそれを楽しそうに聞いている。
三人で並んで歩きながら、信二はその様子を見ていた。勇太が楠原の子供である可能性は限りなく低いと思うけれど、こうしていると何だか家族でいるような錯覚に陥る。
「なぁ、茶髪!」
「俺は、信二って名前があんの。茶髪はやめろって。周りにも茶髪の人いっぱいいるんだから、みんな振り向いちゃうだろ?」
「んー。じゃぁ、わかった。信二って呼んでやるよ」
「はいはい。で、どうした?」
茶髪から信二へ格上げされたのはめでたい事だ。
「信二はさ、ゲームしないの? アオイは?」
「俺はたまにするよ。多分勇太よりは下手だけど」
「僕はしないですね。別に嫌いではありませんが」
「ふーん。すげぇ面白いから対戦相手になってやろうかと思ったのに」
「ありがと。もしそのソフト買ったら対戦しような」
「うん!」
辿り着いた大型の家電量販店は、昨日まではクリスマスを前面に押し出して営業していたのに、今日はもう既にBGMまで和風に変わり、すっかり年末年始の飾り付けがしてあった。
信二は、「この店の店員も一晩で頑張ったんだな」と先程までの自分達を思い浮かべ、その苦労を想像して労いたい気分になっていた。五階のテレビゲーム売り場へ行くと、こんな平日の日中にもかかわらず結構な人が居た。
「勇太の言ってたゲームってどれだ?」
似たようなゲームが並ぶ中、勇太は二人の手を離してあちこちを楽しそうに回り始めた。目を離さぬように気をつけながら着いていくと、お目当てのゲームを発見した勇太が手に取って「これだ!」と大声で呼ぶ。
「へぇ、このゲームか。コマーシャルで見たな」
「信二も買うだろ?」
二本ソフトを手にして差し出す勇太に、信二は苦笑する。
「あー……」
確かに、もしそのソフトを買ったら~なんて話はしたが、そこまで本気で言ったわけでは無かった。しかし、子供相手にそれは通用しないのかも知れない。
「そうだなぁ。んじゃ俺も買っていこうかな」
「では、お二人に僕からクリスマスプレゼントって事にしましょうか」
信二は楠原に「俺は自分で買いますよ」と小声で告げたが、ここは一緒にクリスマス気分を勇太と楽しんだ方がいいのではという楠原の計らいにより、プレゼントという形を取ることになった。
「やったな! 信二。オレのおかげじゃん」
「そうだな」
レジに持っていき、プレゼント用の包装をして貰っている間、勇太は包装途中の店員の手元を嬉しそうに眺めていた。クリスマス用の包装ではないが、真っ赤な包みに金色のリボンがかけてある。ショップの紙袋に入れて手渡されると、勇太ははしゃいでプレゼントを持った手をぶんぶん回して信二達の方へ振り向いた。
「アオイ! ありがとな!」
「いいえ、どういたしまして」
勇太の一つ目の願いは叶えたので、次は昼食時間も近いのでハンバーガーショップを探すことになった。「大きな」と指定されている所を見ると、どこにでもあるファーストフードとは別なのだろう。
携帯のポータルサイトで検索していた信二が「ここはどうっすかね?」と楠原へと見せる。今居る場所から近いのでそこに行ってみることにした。
店で片付けの作業をしていた際は、本当に疲れていたし、今から遊びに行くなんて……と考えていたが、案外こうして出掛けるのも悪くなかった。勇太の元気パワーが楠原や信二にも影響しているのは間違いない。
ハンバーガーショップに到着すると、ランチタイムで店内は満席で暫く待たないと入れないようだ。
その時、信二の携帯がポケットの中で振動した。画面を見た信二が待っている席から腰を上げる。
「すみません、ちょっと客の子からなんで。外出て、掛け直してきます。呼ばれたら先入ってていいっすから」
「わかりました。ごゆっくり」
店から出て行った信二を見て、勇太は「信二、どうしたの?」と楠原へ振り向いた。
「お仕事の電話です。勇太君は心配しなくても大丈夫ですよ」
「別に、心配してねーし」
「……ふふ」
なにかにつけて認めたくないのは、この年頃のせいなのか。次々に客は出てくるが、先客もいるので中々順番が回ってこない。プレゼントの袋を抱えた勇太は、楠原を見上げて急に「アオイの父ちゃんってさ、どんな人?」と聞いてきた。
「どんなって、普通の父親ですよ。一緒に住んだことがないのであまりよく覚えていませんが」
子供ながらに悲しませるような事を言ったと察したのか、勇太が膝の上に置く楠原の手に自分の手を重ねた。
「大丈夫だって! オレんちもさ、リコン? っていうのをしてるんだって。だから父ちゃんとは住んだことないんだ」
「そうなんですか、じゃぁ僕と一緒ですね」
「うん!」
勇太はまだ子供なので、言う必要も無い部分は省略した。
楠原はフと自分が勇太ぐらいの年齢だったときに、同じように父親に一人で会いに行ったことを思いだしていた。
両親は離婚したわけではなく、母は所謂未婚の母だった。ただ、子供を認知はしており、何不自由なく暮らせていたし、一般家庭より裕福な生活を送れるぐらいの援助も受けていた。大人になってから、母親は父親の愛人で自分と姉は妾腹の子供にあたるという事実を知った。
父親の事は、今でもよく知っているし会った事も何度もある。それにテレビ画面の中でたまに見る顔だ。しかし、その男を父親だと感じた事は一度も無かった。
子供の頃はともかく、大人になった今は恨む気持ちもないし、どこか他人事のように考えている自分がいる。信二にさえ話したことがない話だが、隠しているわけでもない。
なのに、何故か急にその事を言いたくなった。
勇太に幼少時の自分を重ねていると言えば、そうなのかも知れないが。
「僕も、勇太君の歳ぐらいの時に、お父さんに会いに行ったことがあるんですよ」
「アオイも!? それで? ちゃんと父ちゃんに会えたのか!?」
「ええ。会うことは出来ましたよ。ですが……、話しかけられなくて、姿を見ただけで帰りました」
「どうして……? 父ちゃんなのに?」
「どうしてでしょうね。僕に、勇太君のような勇気がなかったのかもしれませんね」
微笑んでそう言った楠原が、勇太の目には寂しげにうつったのか、勇太は酷く慌てて「アオイ!」と楠原の名前を呼んで真っ直ぐ目を見つめてきた。
「オレ、今度アオイが、アオイの父ちゃんに会いに行く時さ、ついて行ってやるよ!」
「勇太君がですか?」
「うん! ぜってー話せるようにオレが言ってやるから、元気出せって」
本当に勇太は優しくて、男らしい性格である。楠原は勇太の肩に手を回してそっと引き寄せた。
「有難う。頼もしいですね。僕も勇太君のように、勇気ある男にならないといけませんね」
楠原の笑みに勇太は嬉しそうに笑った。
勇太の父親は、自分ではない。だけれど、本当の父親がいるなら、一度会わせてやりたいと強く思った。
「三人でお待ちの中山様」
「あ、はい。僕達です」
「お待たせ致しました。お席にご案内します」
順番が来たので勇太の手を引き立ち上がると、丁度信二が外から戻ってきたので揃って席に向かうことが出来た。
ボックス席の向かい側にそれぞれが座ってメニューを開く。
「お、うまそうっすね。二人は何にするんっすか?」
「そうですね……」
沢山あるメニューから楠原は当店No.1とシールが貼ってあるランチセットを選ぶ。信二も同じ物にすると、勇太もじゃぁオレも! と結局同じ物を三セット頼むことになった。
「勇太君は、食べられない物はないんですか?」
グラスの水に口を付けて、楠原が隣の勇太を見る。
「オレはなんでも食えるよ! あっ! でも、辛いのは嫌い。だっておいしくねぇもん。あとね、オレが一番好きなのは牛乳!」
「確かにあまり辛いものは、味もわかりませんからね。でも、なんでも食べられるのは偉いですね」
「うんうん、さっすが勇太。牛乳好きとか、きっと背も高くなるな」
二人に褒められた勇太は得意げになっている。
暫くして運ばれてきたメニューはアメリカンサイズで、すでに木製プレートの上で傾いている。全粒粉バンズに挟まれた肉厚のパティに、とろりとかかったチェダーチーズ。サイドメニューのポテトフライとオニオンリングが、はみ出しそうな程盛られている。
「凄い量ですね」
思わず笑ってしまうほどにビッグサイズだ。
勇太は驚いたように、手にしたフォークでチラッとバンズをもちあげて「すげー! いっぱい中に入ってる!」と目を丸くした。
「よしっ、冷めないうちに食べよう。勇太、熱いから火傷すんなよ」
「うん! いただきます!!」
楠原と信二もいただきますと口にして、食べ始める。そもそも一口で食べる用には出来ていないらしく、ナイフとフォークで食べるようだ。
「おいしい!」
と勇太の大声が店内響き、店員が嬉しそうに笑っていた。
ジューシーなパテはナイフをいれると肉汁が溢れ出る。ソースと絡み合って、肉本来の味が堪能できた。見た目の派手さとは違って味付けはシンプルなので、そこまでしつこくもない。だからなのか、女性客も多いようだ。
楠原と勇太がやっと半分食べ終わったあたりで、すでに信二は全部を食べ終えていた。
「信二君、早いですね」
「そうっすか? 別に早食いってわけでもないけど、まぁ、これぐらいは朝飯前っすね」
「信二、これ朝ごはんなの?」
朝飯前の意味がわからない勇太がそんな事を言うので、楠原と信二は苦笑した。
「信二君、もしかして足りないですか?」
「いや、平気っすよ。でも蒼先輩が食えないなら残りは食いますけど」
「そうですか。さすがにサイドメニューまでは多いですね。良かったら食べて下さい」
楠原がそう言ってサイドメニューの方を信二の方へ向けると、勇太は全部食べ終えて楠原を見て顔を覗き込んだ。
「アオイもいっぱい食わないと、オレみたいに大きくなれないぞ」
「そうですね。でももうお腹がいっぱいです。困りましたね」
苦笑する楠原に、勇太は「しょうがないなー」とまるで子供に言うように言って、ポテトフライを少しだけ食べてくれた。
「今度、母ちゃんにここ教えて、一緒に食べに来るんだ」
「いいですね。お母さんとデートですか」
「違う! デートじゃねぇよ。母ちゃんきっと全部食えないから、オレが食ってやらないとダメだから、しかたなく一緒に来てやるんだ」
「勇太は優しいな。お母さんきっと喜ぶよ。今だけじゃなくて、勇太がもっと大人になっても、お母さんには優しくしてあげろよ」
「当然じゃん!」
「お母さんが羨ましいですね」
へへっと照れたように笑った勇太は、二つ目のサンタへの願いが叶って満足そうだ。最後に残ったコーラを三人でストローで飲んでいると、勇太の持っている携帯から着信音がした。
焦ったような勇太が楠原と信二の見ている前で取り出して電話には出ずにすぐに切った。
「出なくていいんですか?」
勇太の持っているのは子供向けの携帯で、群青色の本体の上で緑のランプが点滅していた。
「……ヤバイ、母ちゃんからだった」
「マジで!? きっと、探してたんだよ」
「でも……」
「どうかしましたか?」
「母ちゃんからメッセージも入ってたけど、オレがここにいるの知ってるっぽい」
信二は「ああ」と勇太の携帯を見て納得した。子供向けの携帯は、何処にいるかの追跡機能もついているはずだ。勇太が内緒で行動しても、母親なら調べればどこにいるかわかるのだろう。
「勇太、もう子供じゃないって言ってたろ? だったら、ちゃんと話せるよな。お母さん、きっとびっくりしてるからさ。かけ直してやれって」
「そうですね。勇太君が話したあと、僕に代わって下さい」
夕方までには少し早いが、最初に楠原とした約束もあるので、勇太は渋々「……わかった」と受け入れた。
混雑する店内で長居するのも悪いので、店を出てから連絡するという事になり。支払いを済ませて店を出た。
向かい側の店から美味しそうな別の料理の匂いが漂ってくるが、流石に今は腹が満たされているのでそそられない。
昨日までは確かこの辺り一体はクリスマスの飾り付けが街路樹に施されていたはずだが、今はすっかりいつも通りだ。
少し通りを歩いて、ベンチのあるビルの間の広場に移動し足を止めた。
勇太が携帯を取りだして、先程の番号へリダイヤルする。
「あ……。母ちゃん、オレだけど……」
さっきまでの元気はどこへ行ったのか、勇太は小声で呟いた。
「わかってるって」とか「うん、平気」とか、なにか暫く話した後で勇太が携帯を楠原へと差し出した。
「約束だから、これ貸す」
「有難う、勇太君。では、少しお母さんと話してみますね」
楠原は勇太の頭を撫でて優しい笑みを浮かべ、携帯を受け取る。父親の件なども話さなくてはいけないので、楠原は少し離れた場所へと携帯を持って移動した。
母親にバレた事でこのあとの遊びが中止されるのは何となくわかるのだろう。勇太は俯いて「あぁーあ……もう、おしまいかぁ……」と声に出して落胆した様子を見せた。
「お母さん、なんだって?」
「んー。……一人で勝手なコトしたって怒ってた……」
「そっか。でもさ、それは勇太がした事にじゃなくて、心配だから言ってるんだと思うよ」
「そうかもしんねーけど……。母ちゃん、多分そろそろこっちに着くと思う」
「え? 迎えに来てくれるって?」
「知らね。さっきのビルで待ってろって」
さっきのビルというのは、LISKDRUGが入っているビルのことだろう。先程から、楠原の会話が所々耳に届くが、どうやら、やはり楠原は父親ではないようだ。
「勇太」
「ん?」
「今日はちょっとだけだけど、一緒に遊べて楽しかったよ。ゲームも買ったし、今度はちゃんとお母さんに許可をとってから、また遊びにおいで」
信二は勇太と揃いのクリスマスプレゼントを指して笑みを浮かべた。
「……いいの?」
「なにが?」
「オレと、……また遊んでくれるの?」
「当然だろ。対戦する約束もしたじゃん。忘れたとかなしだぞ?」
「忘れてねーよ! しょーがないから、また遊んでやる……」
「約束な。指切りする?」
「しないっ。でも……ちゃんと覚えてるからな」
「うん、俺も」
勇太は照れ笑いで信二の方へ顔を向けた。これはまずいやつ……。信二は自分の中に湧いた感情を知られぬように空を見上げた。弟達が幼い頃に、遊んでやった記憶と重なるのか。勇太と別れるのが寂しいと思っている自分がいる。
今年ももうすぐ終わりである。
寒いけれどとてもいい天気で、視界のずっと先にはビルの合間を彩るように真っ青な空が広がっていた。東京の空はくすんでいるなどと言われるけれど、そんなことはない。十分綺麗だなと思った。
楠原が戻ってきて、勇太が先程言っていたとおり母親が迎えに来るらしい事を告げる。
「バスに乗る、だけは叶えられませんでしたが、それはまた機会があったら……。お母さん、勇太君の事をすごく心配していましたよ」
「ふーん……」
「あ、そうだ。勇太君、良かったら僕と携帯の番号を交換しましょうか?」
楠原が自分の携帯を取りだして掌へとのせてみせる。勇太はパッと表情を明るくさせた。
「うん! じゃぁ、信二も!」
「OK」
「おや、信二君も、もうすっかり勇太君とお友達ですね」
フフッと笑う楠原に、信二も微笑む。三人で番号を交換すると、勇太は楠原の事は『アオイ』信二の事は『しんじ』とひらがなで名前を編集していた。
「これで、また勇太君と遊べますね」
「うん!」
勇太の母親と話した後に、楠原はLISKDRUGへも連絡を入れていたらしい。丁度晶が最後に帰ろうとしていた所らしく、事情を話してもうしばらく店を開けておいてくれと頼んだそうだ。
暫く歩いて帰り着くと、ビルのエレベーターへ乗り込む。
エレベーターが店のある階で止まって開くと、一人の若い女性と晶が待っていた。
「勇太っ!」
母親はすぐに駆け寄り膝を突いて勇太を抱き締めると、酷く安心したように何度も勇太の背中を撫でた。
「母ちゃん、痛いって。それに……恥ずかしいだろ」
勇太が身体を捩って母親の抱擁から抜け出す。その様子を見ていた晶は「良かった良かった」といって、同じく安心したように店のドアに寄りかかった。
その後、迷惑を掛けたことを何度も謝った母親が、プレゼント代を払うと言うのをなんとかなだめて断り、勇太の手を引いて帰っていくのを皆で見送った。
「またな! 今日、すっげー楽しかった!」勇太が最後に振り返って大きく手を振るのを見ながら、楠原が静かに呟く。
「勇太君、お父さんに会えるといいですね」
その言葉で、「あ!」となった信二と晶は、同時に楠原へと振り向いた。
「結局どういう事だったんだ?」
「今説明します。寒いので、ひとまずお店へ戻りましょう」
後輩は先に返したらしく、店の中は静かだった。すっかり片付けられた店内の席へ座って久々の一服をする。勇太といるときは我慢していたのだ。
「で、勿論蒼先輩は父親じゃ無かったってことっすよね?」
「ええ、そうですね。LISKDRUGがこのビルに入る前、別のホストクラブがここにあったそうです」
「ああ、そういや。玖珂先輩が前にそんな事言ってた気がすんな」
「そのホストクラブの従業員に、僕と同じ名前の方がいたみたいですよ。ホストではなく、当時はボーイだったみたいですが」
「へー……。あ、じゃ、そのボーイが勇太の父親だったんっすか?」
「みたいですね。母親の方は、今でもその方と連絡は取れるそうです」
「そっか……。連絡取れるなら会わせてやりゃいいのにな。……って一瞬思ったけど、俺たちの知らない都合があるんだろうし、迂闊なことは言えねぇよな」
「そうですね。一応、勇太君が父親に会いたがっているという事だけは話しましたが。あとは立ち入れる問題でも無いですしね」
数時間前に会ったばかりの子供の家庭環境に首を突っ込む訳にもいかない。それぞれが、想うところを胸の中に留めたまま、三人分の煙草の煙がゆっくりと立ち上っていた。
楠原の細い指先に挟まれた煙草から、灰が落ちそうになっている。
「まっ、無事解決して良かったよ。これで安心して帰れんな」
「そうっすね」
「って、楠原、おーい」
名を呼ばれた楠原がハッとした瞬間、長くなっていた煙草の灰が、はらりとテーブルへと落ちた。
「あ、すみません」
楠原はテーブルに置かれていた紙ナプキンで灰を拭った。
「蒼先輩、疲れてるんじゃないっすか? 平気?」
「ええ、大丈夫です。……ただ、少し寂しいですね」
楠原も信二と同じ事を感じていたのだろう。先程はあんなに騒がしかった店内も、大人しかいないとこんなにも静かだ。
勇太は今頃、母親と手を繋いで帰りの電車にでも乗っている頃だろうか。
それぞれが吸い終わった煙草を灰皿でもみ消すと、晶がそれを手にして立ち上がった。
「よし! んじゃ今日は解散するとすっか。お前らもお疲れさん、早く帰って休めよ」
晶に続いて信二も腰を上げる。
「晶先輩も、お疲れ様でした。待っててくれてマジ助かったし、今日はケーキでも食ってゆっくり休んで下さい」
「おう、サンキュー。クリスマスケーキ買ってあるんだよ。ちっせぇサンタが上のクリームに埋まってるやつ。家帰って食おうっと」
「昨日は、結局食べに帰る暇も無かったですもんね。それにしてもオーナー、随分可愛らしいケーキを選びましたね。ちなみに、何個買ってあるんですか?」
「んー? そりゃ一人だから一個だろ」
「えっ! 一個? 晶先輩にしちゃ少ないっすね」
「一個は一個でも、ホールだけどな」
「いやそれ、食い過ぎでしょ。糖尿病になりますよ?」
「一日でなるわけねーだろ」
信二と晶のやりとりを聞いて楠原が笑っている。帰り支度を済ませ、皆で店を出る頃には二時を回っていた。
* * *
晶と別れて電車に乗り込む。昼間なのでガラガラですぐに席に座ることが出来た。車内は顔が火照るほど暖かく、差し込む陽射しが眩しい。楠原と並んで三人座れる席に二人で座っているが、今の所、途中の駅で乗ってきた客が残りの一席に座ってくる気配はない。
向かいの窓からの景色を眺めていると、先程勇太のプレゼントを買った家電量販店の支店違いのビルが遠くに見えた。
「クリスマス、あっという間に終わっちゃいましたね」
電車が走る音に混ざる程度に声を落として信二が口を開く。
「ええ、そうですね。楽しいクリスマスでした」
「店めっちゃ盛り上がりましたもんね。でもなぁ、いつか二人っきりで過ごしたいっすよね……。まぁ仕事柄無理だけど……」
言葉の途中から、更に声を落とした。いくら店の中ではないと言っても誰が聞いているかわからない公共の場で恋人宣言をするのはあまりよろしくないと思ったからだ。
「いつか、なら叶うんじゃないですか? 二十年後とか」
「……二十年後かぁ」
信二は気が遠くなる数字に思わず肩を落とした。……が、落とした肩はすぐに天井を突き抜ける勢いで上昇した。何故なら。
「あっ、蒼先輩!? それって……」
信二が照れたように頬をかいて隣の楠原に耳打ちする。
「俺へのプロポーズってことっすか?」
楠原は「さぁ、どうでしょう」と小さく笑う。ここで「そうですよ」とは言ってくれないところが楠原らしい。
こんな時の楠原は、少し悪戯っぽい表情をしていて。その表情は店では見せない物で……。つまり、自分と二人だけの時にしか見せてくれない表情なのだ。だから、肯定の言葉ではなくても、ほぼ肯定と思っていい。多分。
信二は、幸せ気分を噛みしめてふぅと長く息を吐いた。
「蒼先輩、今眠いっすか?」
「んー……さすがに少し眠いですね。でも、どうして? 信二君も同じでしょう?」
「ああ、さっきまでは俺もちょっと眠かったんですけど、今は平気つーか」
「僕も、信二君が思っているほどには疲れていませんよ?」
「そうっすか。じゃぁ……」
「……?」
「折角休みだし、このままちょっと寄りたいところがあるんっすけど。あ、無理にとは言わないんで」
「いいですよ」
楠原は思いのほかあっさりと提案を受け入れた。
「じゃぁ、一カ所だけ。この線で行ける場所なんで」
「わかりました。というか、目的地が決まっているみたいですが、教えてくれないんですか?」
「着いてからのお楽しみってことで」
自宅最寄り駅の二駅手前で、信二と楠原は電車を降りた。快速に乗ってしまえば止まらずスルーされてしまうような何の変哲もない小さな駅である。
改札を出て、信二の後についていく楠原は、どうやら初めて下車した駅のようで見慣れない駅前の風景に「静かな場所ですね」と感想を述べた。
「駅からすぐなんで」
信二が慣れた感じでどんどん歩いて行く。
「信二君はこの辺りにも詳しいんですか? 自宅とは少し離れていますが」
「ジョギングのコースでこの辺も通るんっすよ。いつも同じコースだと飽きるから、最近はちょっと来てなかったけど」
「ここまで!? 結構遠くまで走ってるんですね」
楠原は感心したようにそう言って、通りにある幾つかの店に視線を向けた。さほど栄えた駅ではないと思っていたが、目に付く店舗は洒落たものが多く、中には店内を覗いてみたいと思わせるような店もある。
「ここです」
信二の声に釣られるように楠原も足を止める。ヨーロッパ調のサインプレートが飾ってある。
「洋菓子店……ですか?」
「そうっす。ここでクリスマスケーキの代わりに、好きなケーキ買って帰ろうかと思って」
こぢんまりとした佇まいの洋菓子店で、店のショーウィンドウは半分がスモークがかかっており雪の結晶の形にスモークがくり抜かれていた。
「あっ」
楠原は店の看板を見て、思わず声を漏らした。
「気付きました?」
「ええ」
エレガントな書体で綴られた店名は「AOI」楠原と同じ名前だった。
「ここ見つけた時、今度、蒼先輩を連れてこようってずっと思ってたんっすよね。中入りましょう」
楠原が嬉しそうに微笑むのを見て、信二はもう既に満足した気持ちになっていた。これで、買ったケーキが美味しかったら最高である。
店内には、下が木製の冷蔵ケースがあって、その中に可愛らしい小さなケーキが沢山並んでいた。『もぎたてラズベリーのふわふわムース』『スノードリーム』『ほろ酔いガナッシュのタルト』ちらっとカウンター内にいる店主を見て、信二は「この人が作ったのか……この名前を決めたのも……」と何とも言えぬ感情を抱いた。
どうみても洋菓子店ではなく、市場で競りをしている魚屋のオヤジといった風貌だったからだ。
しかし、よくテレビで見るパティシエなども見た目は普通のおじさんなので、そんなに珍しいことではないのかもしれない。
「蒼先輩はどれにします?」
「そうですね……。どれも美味しそうです」
迷う楠原の隣で、信二もどれにしようかを考えていた。かなり小ぶりなケーキなので二、三個は余裕で食べられそうである。右から左へ眺めていると一番上の棚にあるホールのケーキに目がとまった。そういえば晶も、ホールのケーキを買ったと言っていたなと思い出す。
サイズはそんなに大きくなく、四号? 五号? 詳しくはわからないが、二人で食べれば問題はなさそうである。鮮やかなグリーンのシンプルな台は、珍しい色なのでとても目を引く。抹茶味なのかと思い値札に書いてある説明を読むと、ピスタチオのケーキだそうだ。
金色のアラザンが散りばめられ、シックで洒落ている。店名のせいもあるのだろうが、楠原の緑がかった瞳と、纏う雰囲気がどことなくこのケーキに似ていると思ってしまえば、無性にこのケーキを選びたくなった。
「このホールの一番小さいやつとかどうっすか?」
「珍しい色ですね。ピスタチオ、ですか。いいですね、どんな味か気になります」
「じゃぁ、これにしちゃいますね」
「ええ」
店主に伝えると、身体にはおおよそ似つかわしくない優しげな声で「新作なんですよ」と教えられた。
買ったケーキを持って、もう一度電車に乗り今度は自宅へとそのまま帰り着いた。
一日半ぶりの我が家にホッとし、隣を見ると楠原も信二と同じような表情を浮かべていた。同棲してからもう結構な月日が経つ。
楠原にとってもここが『帰ってきてホッと出来る場所』になっている事がたまらなく嬉しかった。
「シャワー浴びて、少し寝ます?」
信二が次々に服を脱いで半袖の下着姿になる。まだ暖房を付けたばかりなので寒いが、じきに部屋も暖まってくるだろう。
「今から寝たら、中途半端になっちゃいそうですね」
楠原はコートとジャケットだけを脱いだ格好で、今し方買ってきたケーキを冷蔵庫にしまっていた。
それぞれ自室で部屋着に着替え終わって居間へ戻ると、とりあえずソファへと腰を下ろした。同棲し始めた当初、このソファはなかった。しかし、二人で寛ぐのに床に直接座るのは落ち着かないので、暫くしてから買ったのだ。
楠原の選んだ焦げ茶色のシンプルなソファは大きめで、男二人が並んで座ってもかなり余裕がある。
煙草を咥えた信二が、ソファの背もたれに寄りかかって天井へと煙を吐き出す。
「今日は、なんか偶然がいっぱいでしたね。蒼先輩の『アオイ』って名前にまつわる出来事が多発っていうか」
「そうですね。もしかしてアオイという名前は結構多いんでしょうか」
「どうなんっすかねー。俺の知り合いでは蒼先輩以外はいないっすけど」
「今日の事は忘れられそうにないですね。勇太君とお友達になれましたし」
「ですね。蒼先輩が父親かもってなった時、めっちゃビックリしましたけど」
「僕もそうですよ。勇太君を可愛いと思っている事と、父親になることとはまた違いますからね」
「ですね」
「そういえば、信二君が電話で席を離れていたとき、勇太君に聞かれたんですよ。僕の父親はどんな人なのかって」
「へぇ。それで?」
「普通の父親だと答えましたよ」
「俺も聞きたいな。蒼先輩のお父さんってどんな人だったんっすか?」
楠原は一瞬躊躇う素振りを見せたが、そのまま話を聞かせてくれた。
予想していた普通の家族と形が違ったが、楠原が自分の家族の話を聞かせてくれるのは初めてなので感慨深い物がある。一般的な家庭で育った信二には想像がつかない部分が多々あったが、こうして自ら話をするぐらいには楠原の中で整理のついている話なのだろう。
「テレビでたまに見るって、蒼先輩のお父さんって、もしかして俳優さんだったり?」
「俳優ではありませんよ。……ピアニストです。名切 国治って知りませんか?」
「知ってます! え!? あの人が!? マジっすか!?」
名切国治、ピアニストに全く疎い信二でさえよく名前を聞くことがある人だ。
確か、夜のニュース番組のオープニングの曲を作曲した人物だ。そんな有名な人が楠原の父親だなんて思ってもみなかった。
楠原が以前ピアノが弾けると言っていた事も、父親の影響を受けての事だったのだと納得がいく。
「誰にも言ったことが無いんです。信二君が初めてかも知れません」
「そ、そうなんっすね……。いや、安心して下さい! 他言するつもりはないんで」
「わかっています。だから、教えても大丈夫だと思ったんですよ。僕には、父親というのがどういうものなのか、想像でしかありませんが。それでも、信二君はいいお父さんになりそうな気がします」
「そうっすかね……。蒼先輩だって、いや、他のみんなもそうだけど、父親って頑張ってなるもんじゃないし、そういうのは子供が居て自然になっていくものなんじゃないかなって俺は思うけど」
「そうかもしれないですね」
「俺、蒼先輩が父親だったら、やばいっすよ」
「どうしてですか?」
「だって、好きになっちゃうでしょ? さすがに親子でそれはまずいし」
「まさか」
楠原がおかしそうに笑う。楠原には悪いけれど、楠原が父親じゃ無くて本当に良かったと思う。
「蒼先輩」
「なんですか?」
「今度生まれ変わっても、俺必ず見つけるんで、また恋人になって下さいね」
「その時僕が、信二君の二十歳年上だったらどうするんですか?」
「それでも、口説き落とします」
「でしたら逆に、まだ五歳とかだったら?」
「んー……。とりあえず十五年待ってから告白するかな」
楠原が柔らかく微笑む。
「じゃぁ、どんなに時期がずれても安心して生まれ変われますね」
「任せて下さい! でも、とりあえず……」
信二が吸い終わった煙草を灰皿へ捨て、楠原の腰を引き寄せる。人差し指を結わいた部分に差し込んでするりと解けば、楠原の髪はゆっくりと肩へこぼれ落ちた。
「信二君……」
楠原の吐息のような囁きに、身体が熱くなる。
「生まれ変わる前に、来世でも忘れられないぐらい想い出作っとかないと」
「同感です。ちゃんと刻まないといけませんね……」
「蒼先輩、愛してます。一日遅れだけど、Merry Christmas」
信二は目を閉じる楠原の薄い唇に、自身の唇を重ねた。
Fin
後書き
皆様こんばんは。最後まで読んで下さって嬉しいです♪
今年は信二×楠原(+LISKDRUG)でのクリスマスを書きました。これを書いている今、あと三時間でクリスマスが終わってしまいます(笑
登場した勇太に、楠原は自分を、信二は幼い頃の弟達を、それぞれ重ねて見ています。
ドタバタないつものLISKDRUGや、勇太に振り回されるコメディ部分、所々にちょっぴり切ない要素をみせつつ、最後はラブラブで締めました。
信二×楠原を書くのは久し振りの登場だったので時間がかかりましたが、楽しんで頂けたら幸いです。
残り少ないですが、皆様も素敵なクリスマスをお過ごし下さいね。
2020/12/25 紫音