「……次の回にはいけそうだな」
「う、うん」
都内某遊園地内。
キャッキャとはしゃぐ低学年の児童や、お互いの世界に入り込んでいる甘い雰囲気の恋人達に混じって、佐伯と晶はアトラクションの待機列に並んでいた。列は非常に長く、所々で折り返しながらアトラクションの周りを一周する感じになっている。
途中、飽きる事の無いようにテーマに沿ったオブジェや、写真撮影用のキャラクターの等身大ポスター等が飾られており、暇を持て余している待機中の人間がスマホをかざしてポスターを背景に自撮りしたりしている。
そんな中、佐伯と晶は只管無言だった。列が進む度に、数歩足を前に進ませるだけである。自分から言い出したはずの晶でさえ、長い前髪をわざと前方に傾け、恥ずかしい様子で顔を伏せている。佐伯に至ってはもろに苦痛の表情を浮かべて腕を組み、何度も溜め息をついていた。
周りは当然だが女性客が圧倒的に多く、その周囲より二十センチは高い身長の佐伯と晶は浮いているを通り越して異様な二人に見える。
せめて拓也も一緒に連れて来ていれば、保護者の体でそんなにおかしくはないのかもしれない。佐伯はそれをしなかった事に後悔したが、後の祭りである。
徐々に列は進んでついに次の回で佐伯達の番という所まで到達していた。
――時を遡ること、一ヶ月前。
――とある夜の出来事。
一生のお願いというのは、一生に一度のお願いの事である。
しかし、実際はというと『それぐらい必死なお願い』という程度の意味合いでしか使われていないのが現状だ。
誰だってそんな一生涯を掛けて一つのお願いをするなんて事は馬鹿げているとわかっている。
今だって世界中のあちこちで、『一生のお願い』は五秒に一回ぐらいは繰り返されているはずだ。
二人で飲みに行った帰り道、ほろ酔い気分の晶もまた、世界中のその中の一人でもあった。人生で何度目かのそれを絶賛発動中である。
「あのさ、……要に一生のお願いがあるんだけ――、」
「――断る」
「……って!! 俺まだなんも言ってねーのに被せ気味に拒否かよ!? ちょっとは恋人のお願いを聞いてあげようかな、とかそういう優しさはねぇの?」
「ないな。どうせ碌でもない事に決まっている」
「いや、わかんねーだろ? 何かこう……、すっごい大切なお願いかも知れねーじゃん」
「お前の『すっごい大切なお願い』自体がくだらない可能性が高い」
「…………」
佐伯も今夜はかなり酒を飲んでいるので、ノリがいつもより軽くなってOKが貰えるのではと思っていた事が間違いだったらしい。
――酒! 仕事しろ!
と、心の中でツッコミをいれつつ、普段と寸分変わらず冷たい佐伯に、晶はつまらない気持ちで足下にある砂利を蹴飛ばす。正攻法でお願いしても、佐伯に「うん」と言わせるのは難しそうなので、晶は別の手段を実行することにした。最初から成功するとは思っていないので何種類かの方法を考え済みなのだ。
「あっそ。……じゃぁ、別の人にお願いしちゃおっかな~?」
――これでどうだ!
心の中で少しだけ手応えを感じてみる。どんなお願いかも言っていないので、少しは慌てるかも知れない。もし仮にこのお願いが「キスして欲しい」とか、いや、そのもっと上を行く「抱いて欲しい」とかだった場合、佐伯も流石に他の奴に頼むのはまずいと思うはずある。
佐伯以外の男に抱かれるなんてまっぴらごめんだが、そこはこの際棚に上げておくことにする。
晶が少し期待して佐伯をチラチラとみると、佐伯は少し困ったように眉を顰めた。
(じゃぁ、仕方がないな。何だ? ……聞いてやる)そう返事が来るのを待っていると、佐伯が歩む速度を少し緩めて呆れたように息を吐いた。
「あまり他人に迷惑を掛けるな。皆、お前の戯れ言に付き合ってやるほど暇じゃないだろう」
「……うん」
本当に佐伯の言う通りです。思わず納得して「うん」と言ってしまった晶は、慌ててそれを訂正する。
「あっぶねー。思わず「うん」とか言っちゃっただろ。とにかくいいから、願いを聞くだけは聞けよ」
「もう案は尽きたのか? 安物ドラマの浅はかな犯人みたいだな」
佐伯は馬鹿にしたように鼻で笑って晶を見る。酷い言われようではあるが、すっかり慣れているので大して腹が立たない自分にちょっぴり腹が立つ。というか、佐伯の返しにいちいち腹を立てていては会話が成立しないので仕方がない。
しかし、ここで引き下がるわけにもいかなかった。浅はかな犯人だってやる時はやるのだ、多分……。
晶は最終手段に出る事にし、ひとつだけ残している切り札を使う事にした。
「じゃぁさ……」
「……?」
「賭けにしようぜ」
挑発するような笑みを浮かべて、隣の佐伯を横目で見る。
「俺が勝ったら要は俺の願いを聞く事。要が勝ったら、俺は要の願いを何でも聞いてやるよ」
「……ほう。何でもか。本当だろうな?」
やっぱり。佐伯は勝負事を挑むとたいていの場合こうして乗ってきてくれる。晶が何でも言うことを聞くという条件も佐伯の好む所なのだろう。満更でもなさそうな佐伯をみて、第一段階を突破したことに安堵する。
しかし、もう引き戻れないが重大な問題があった。今までも散々この手の賭け事をしてきたが、晶は佐伯に一度も勝った事がないのである。
以前一度、これは自分が絶対勝てるだろうという条件で挑んだことがあった。
【毎日メールをする。先に途切れた方が負け・メール内容は問わないが、『あいうえお』等の適当な文字列は禁止】という物だ。
晶から佐伯へは、日頃から頻繁にメールをしているし、客への営業電話やメール等はもう生活の一部と言っても過言ではない。スマホでの文字の打ち込みの早さやコミュニケーションのバリエーションにも自信がある。ホストというのはそういう物だ。
それに引き換え、佐伯からは滅多にメールはこないし、以前本人からも「メールは面倒だ」という様な事も聞いたことがある。総合して考えると断然有利なのは晶であり、この勝負は余裕だと思っていたのだ。
その勝負が始まって五日ぐらいまでは、お互いかかさずメールをしあっていた。佐伯も予想外にちゃんとした文章で送ってきていたので、これはもしかして永遠に続くのではないかと晶も若干焦っていた。
しかし、日が経つにつれて次第にメールに書く事も無くなってくる。佐伯は丁度一週間が経った日からは、もう、その日のニュース記事をコピーして貼り付けて送ってよこすというありえない手抜き手段に出ていた。
しかも、その記事が微妙に癪に障る内容の物ばかりだった。
――現代の若者の言葉の乱れについて
――コンビニ飯の健康被害~実は恐ろしい保存料~
――片付けられない若者の実態~貴方のお部屋は大丈夫?~
当てつけメールに文句を言いたいが、メール内容は問わないと最初に決めてしまった為、違反ではない所が憎いところである。
そんな勝負を続けて十日が経とうとしていた頃、いつもきまった時間、就寝前にメールをしていたのだが、うっかり寝てしまい気付いたら前回のメールから二十四時間が経過してしまっていたのである。
起床して慌てて佐伯へメールを送ると、【GAME OVER】とたった一言書いた返信が届いた。晶はその画面を呆然と見たまま、子供の頃に読んだ『ウサギとカメ』の話を思い出してがっくりと項垂れた。
その数日後の夜、満足そうな佐伯に散々好き勝手な事をされ、実は今でもちょっと根に持っていたりする。
何をされたかは、口にしたくもないのでご想像にお任せしよう。
今回はそうならないためにも、佐伯の尤も苦手としている事で勝負するしかない。
多少卑怯な気もするが、そうでもしないと勝てないので押し通す事にし、晶は歩きながらその条件を考えていた。
そこで閃いたのが【禁煙】である。これは自分にとっても諸刃の剣ではあったが、佐伯にとってもかなり厳しい賭けになるに違いない。肉を切らせて骨を断つというやつだ。
「じゃぁ、今最後に一本だけ吸って、そっから開始な。禁煙! 何日我慢出来るか長くもったほうが勝ち。OK?」
流石に佐伯もすぐには了承しなかった。佐伯の眉間の皺が益々深くなり、少し考えた後呟く。
「本気で言っているのか?」
「う、うん。俺は覚悟できてっけど? 要、さては自信が無いとか? いーんだぜ~? 最初から負けを認めても」
「生意気を言うな……いいだろう。今から開始だ。どうせ俺が勝つがな」
二人で歩きながら最後の煙草に火を点けて無言で吸う。
これで暫く吸えなくなるのかと思うと、早まってしまった気がするが……。もしかしたら一日で終わる可能性もあると晶は甘く考えていた。
最後の煙草に火を点けてから数分。佐伯の煙草を見るといつもよりかなり根元まで吸っている。これは早々に佐伯が負ける可能性が高くなってきた。
「あれれっ? 佐伯先生、だいぶ根元まで吸ってね? そんなんで、大丈夫かよ?」
からかうようにそう言って、自分も吸うと自分の煙草も相当口元まで火がのぼってきていた。その様子を見て佐伯がにやりとする。
「そう言うお前も、フィルターがもう焦げてるんじゃないか? 火傷するなよ?」
「…………」
これ以上吸えない部分まで吸った後、携帯灰皿に吸い殻を押しつける。互いに暫く名残惜しそうにその吸い殻を見ている事には気付いていなかった。
禁煙二日目
あの日以来佐伯とは会ってはいないが、お互い意地があるので見ていないところで吸うなどと姑息な手段を使うことはなく、禁煙して五十時間が経過しようとしていた。
晶は店のロッカールームで、真剣な顔をしてパッケージのビニールを紐解いていた。中から出てきたのは細い真っ白な棒。それを取り出して指の間に挟み、目を閉じ深呼吸する。
――これは煙草なんだ。これは煙草なんだ。これは煙草なんだ。
自分に暗示を掛けるために三回呟き口に咥える。目を閉じたまま咥えれば……。咥えた瞬間までは本当に煙草のようだった。唇にあたる乾いた紙の感触も再現率が高い。これを考えた人にはノーベル賞をあげてもいいとまで晶は考えていた。しかし次の瞬間……。
「懐かしいっすね~! その駄菓子! まだ売ってるんですね、それ」
信二の大きな声が背後にかかり、晶は目をゆっくり開けた。途端に訪れた空しい気持ちをどうしてくれる。そう思いながらシガレットチョコレートを唇から離す。そう、これはただのチョコレートなのである。
煙草に見た目が似ている、ただそれだけの駄菓子だ。
自己暗示はすっかりとけ、晶はピリピリと周りの紙を剥がしてチョコレートを口に放り込んだ。安物のチョコレートらしいざらざらした口溶けで別に美味しくもない。
「俺も一本貰っていいっすか?」
信二が懐かしそうにパッケージを手に取って、裏面を読んだりしている。
「いいよ。煙草じゃねーけどな」
「いや、それは知ってますって」
信二がチョコレートを食べながらポケットから煙草を取り出して、ハッとしてまたポケットへとそれを戻す。
「吸えよ。俺の事は気にしなくて良いから」
「え、でも……、晶先輩禁煙中でしょ? 隣で吸って平気なんすか?」
「……大丈夫。ってかそれくらいで我慢できないんじゃ勝てないからな。寧ろ隣で吸ってくれ」
ちょっと困ったように信二が笑い、晶の言うとおり煙草に火を点ける。すぐに煙が出て部屋に煙草の臭いが漂い出す。
晶は、部屋の空気を吸うと難しい顔をして腕を組んだ。
かっこつけて言ってはみたが、その実、副流煙でもいいから吸えば少しは衝動が治まるかと思っていたのだ。しかし、信二の言うとおり逆効果のようである。
ますます煙草が吸いたくなり、どうしようもない衝動にかられてしまう。晶はポケットからミントタブレットを取り出すと一気に十粒程まとめて口へと放り込んだ。タブレットの中でも最強に辛いエクストラクール味である。
舌が痺れるほどに爽快な気分にはなるが、求めているのは爽快さではない。吸いたくなると食べているので、一日に何十粒も食べる羽目になり、かえって体に悪いような気もしてくる。
店に出ている時は、客側が吸わない限り自分も吸わないのと、気が張っているので案外衝動にかられることもないのだが、こうして時間に余裕が出来てしまうとそうもいかなかった。
「ところで、禁煙いつまで続けるんっすか?」
「……賭けに勝つまで……」
「なるほど……。何かすでにやばそうですけど……?」
「そんな事ねーって。全然大丈夫。全く吸いたくないし」
まるで説得力の無い言葉である。テーブルに置かれているシガレットチョコレートの悲しき残骸を見て信二も苦笑する。
「期限決めてないとか、普通に禁煙っすよね。このまま煙草やめられるんじゃ?」
「それはない」
「……即答っすか」
そろそろ佐伯も我慢が効かなくなっているのではないかと晶は予想を立てていた。大概晶の予想を裏切る佐伯だが、今回ばかりは珍しくそれは当たっていた。
その頃、敬愛会総合病院では、オペを終えた佐伯が丁度手術室から出てきた所であった。
「佐伯先生、お疲れ様でした」
「ああ……、お疲れ様」
汚れた術衣をダストボックスに脱いでつっこみ、佐伯は廊下へと出て中庭へと向かっていた。
エレベーターに乗り、一階へと到着すると足早にシャッターの降りている売店の前を通り過ぎる。そして、フと気付いてぴたりと足を止めた。
両手を白衣のポケットへと突っ込んでみるが、ポケットの中は空っぽだった。
立ち止まったまま佐伯は深いため息をつく。オペを終えた後は必ず中庭にある喫煙所で一服をするのだ。何も考えずに癖のように中庭へ足を向けてしまったが、今はそこへ行ってもする事が無い。
あまりに毎回取り合わないでいると晶が拗ねるので、今回は仕方なくくだらない賭けに乗じてやったが、まさか禁煙だとは思ってもおらず、佐伯の中で僅かに後悔がわく。
しかし、乗ってしまった以上は、負ける気はさらさらなかった。
この賭けは晶より、自分の方が有利なようにも思う。それは周囲の環境が違うからである。
店や仲間達に喫煙者が多い晶と比べて、佐伯の周りには喫煙者はいるものの、館内が全て禁煙なので遭遇する確率は極めて低いのだ。
ただ、それでも吸いたい衝動は晶と同じで、佐伯はやれやれと肩を落とすと隣にあった自販機で缶コーヒーを買って医局へと戻った。
どうもすっきりしないが、無人島にでも漂流したとでも思ってひとまず我慢することにする。