店がクローズの時間になり、ラストソングが店内にかかる。
今日のラストソングは洋楽で、よく聴く曲だがタイトルはわからなかった。確か相当古い曲だったはずだ。アンプラグドのバラードはどこか哀愁があり、一日の終わりには相応しい。楠原らしい選曲に、信二はうんうんと独りごちていた。
ホストクラブには、ラストソングというのがあるのだ。その日売り上げが多かったホストが選曲、ホストによってはその曲を最後にカラオケで歌ったりすることも多い。ここ最近は楠原がずっと売り上げのTOPなので今夜の曲も楠原の選曲だった。
晶がトップを張っていた麻布店では、だいたいノリの良いロックかパワーバラード系がメインで一日の終わりには晶の熱唱を聴くというのが日課になっていた。
晶の派手なパフォーマンス見たさに、ラストソング目当てでクローズ間近にくる客もいたぐらいだ。
楠原は自分は歌わず、曲を選ぶだけというスタイルである。
UKロックであったりR&Bであったり、曲のジャンルは色々違ったがどれも洋楽なので、流行の曲専門の信二が口づさめるような物は無かった。
客を送り出し、アフターにそのまま行くホストは店を後にする。晶は用事があって今夜は店に居ないので多分最後に店を閉めるのはマネージャーか自分になるだろう。
信二は曲が終わる前に最後の客を送り出し、暫くして外から店内へ戻ってきた。
入ってきてまず一声「寒っ!!」、短く息を吸って素早く店のドアを閉めた後に第二声。
「マジ、今日寒すぎ、上着着てけば良かった……」
温度差に肩を竦め、誰に言うでもなく呟く。
すぐそこまでなのでスーツのジャケットも羽織らず出て行ったのは大失敗だった。特に指名客もまだいない新入りのホスト達が、店内の鏡やグラスを磨きつつ信二に「お疲れ様です」と会釈する。
信二のホスト歴もそれなりに長くなり。二号店では一番の若手だったが、現在は3人後輩もいるのだ。
女性客をもてなす空間として一番大切なのは、ぱっと見の華やかさではなく、細かく店内を見渡した際の清潔感だというのが玖珂の口癖である。なのでLISKDRUGでは常にマネージャーの目が光っていた。客が席に着いた横の鏡が曇っていたりするのはもっての他だし、グラスも灰皿も指紋一つ無いように常に磨き、化粧室などの清掃も徹底している。勿論それは新入りの仕事というわけでもなく、時間が空いた時は晶や楠原も率先して実行している事だ。
しかし、指名が続くと中々時間も取れないので、店が始まる前や店が終わった後などに余裕のある新入りが磨いている事が多かった。
「お疲れ」と挨拶を返し、信二がふざけて一番近くに居た鏡磨き中の後輩ホストの背中から抱きつく。後輩の中でも一番小柄なので、抱かれた腕の中にすっぽり収まってしまった後輩は驚いたように信二を見上げた。
「うわ、信二さん、なんですか!?ビックリするじゃないですか」
苦笑している抱きつかれた後輩に信二が笑う。
「いや、外めっちゃ寒いんだよ。こういう時は人肌に限るからな~」
「もうー。だからって、そういうのは客にして下さいよ」
そう言いながらでも、やはり先輩に親しげに接して貰える事は嬉しいようで、後輩の顔には安心したような笑みが浮かんだ。同じホストクラブという職場でも、やはり店によってはいじめがあったり、新人は先輩ホストに口も聞いて貰えないような店もあるのだ。
その点、LISKDRUGは働きやすい職場という事になるだろう。そういう雰囲気作りが徹底されているのも、オーナーが晶だからである。
「冷たいな~。んな事言うなって、俺が指名してるって思えばよくない?」
「オレ、まだ指名ゼロなのに、初指名が信二さんとか、喜んでていいのかな」
「いいに決まってるだろ。なーに不満そうな顔してんだよ」
後輩が背伸びして届かない場所を、信二が布をひょいと取り上げ磨いてから返す。
「あっ、すみません。有難うございます。信二さん、やっぱ背高いですよね……」
「そう?まぁ、俺、牛乳好きだったからなぁ。今はあんま飲まないけど」
「オレ苦手です」
「だからじゃないの?」
「今から頑張って飲もうかな……」
「今度100本ぐらい買ってきてやろうか?」
「お願いします」
信二の冗談に笑顔で返す後輩は、そういって再び背伸びすると上の方を磨きだした。
「届くとこだけやればいいからさ。続き頑張ってピカピカにしとけよ」
「はい!」
二人のやりとりを少し離れた場所に居る楠原とマネージャーが微笑ましそうに見守っていた。
信二の後輩への接し方は、晶が自分にしてくれたのと全く同じだった。どうせ、クールな先輩ではない事ぐらいバレているだろうし、本当に嫌がっているかどうかは流石に分かるのでその調整も出来ているつもりだ。
自分も「信二先輩」といつか呼ばれる日が来るのかと楽しみにしていたというのに、最近ではそういうノリも古いのか後輩からは揃って「信二さん」と呼ばれているのがちょっと悲しいところでもある。
しかし、積極的に面倒を見ているだけあって、仲間内では一番後輩ホストからは慕われていた。歳が近いのも大きな要因だろうが、そこはやはり性格の問題だろう。だてに長年、弟三人の世話をしてきていない。……と、自分では思っている。
リピートされているラストソングを聴きながら、煙草を吸おうとポケットに手を入れると丁度空になっていた。そういえば、最後に吸った時、後でロッカーに取りに行こうと思っていた事を思い出す。信二はソフトパックのそれを捻って丸めると店内のダストボックスめがけて軽く放り投げた。
初球コントロールは抜群で、狭めの入り口のど真ん中へ気持ちよくストンと落下する。運動神経だけは昔からいいのだ。今の所ほとんど役には立っていないけれど……。
そのまま新しい煙草を取りに行くために待機室への廊下を歩いていると、従業員用トイレのドアが開いているのに灯りが点いている事に気付いた。デカデカと晶の字で【電気はちゃんと消す事】と書いてある。フロアの高級感を吹き飛ばす庶民的な張り紙をみるといつも笑ってしまう。
――しょうがないな、消しとくか……。
信二は待機室の斜め前にあるトイレに顔を出した。ついでに用も足しておくかと思い足を踏み入れると、足元に新入りのホストが蹲っていた。先日もこの光景を見た気がする。
新米ホストの内は、本指名を貰うホストよりよっぽど酒を飲まされるので酔い潰れる事は珍しくない。自分も新人の頃は店が終わると直行し、もうトイレに住んでいると言って良いほど毎晩世話になっていたのだ。その度に晶や他の先輩ホストが介抱してくれていた。
あの当時は相当しんどくて、ホストには向いていないのではと弱気になった物だ。結果としていつのまにか慣れてきて今に至っては吐くまで酔う事も覚えている限りない。そんな昔の自分を思い出しつつ、信二は後輩の背中にそっと手を置いた。
「おいおい、大丈夫か?いつから吐いてんだよ」
ぐったりしている後輩の背中を摩って顔を覗き込む。意識はあるようだが、意識消失までのカウントダウンは始まっていそうである。
「……店、……終わっ、て……」
弱々しく声を返す後輩は、折角キめていた髪型も酷く乱れており、何着も持っていないだろうに自前のスーツも汚している。顔は真っ青なのに目元は赤く、涙が浮かんでいた。かなり我慢して店が終わるまで耐えていたらしい。客の前で粗相しなかった事は褒めてやりたいと思う。
ほぼアルコールのみの嘔吐なので喉もやられているらしく、咳き込んでいる声さえがらがらだ。ここまで悲惨だと流石に哀れになってくる。
トイレットペーパーを何周か千切って涙と鼻水を拭いてやっていると、丁度廊下を歩いてきた仲間を発見したので、信二はトイレから顔を出した。
「あ、康生。丁度良かった。ちょっと水持ってきてやってよ」
「何、また潰れてる奴いんの?一昨日と同じ奴?」
六本木店から一緒に三号店に配属されたホストの木場 康生(きば こうせい)。
歳は一つ上だが、最初の入店が信二のいた麻布店であり、半年ほど一緒に働いていたので、ほぼ同期のような物である。たまに一緒に飲みに行く程度には気心の知れた仲間だ。みるからに体育会系の大男で、多分店の中で一番酒に強い。何せ、飲み過ぎて酔った事が一度も無いというのだから驚きである。そんな奴だからと言うのもあるが、こうして酒で酔って潰れている人間のことが理解できないのだ。
面白い物をみるように顔を覗かせ、呆れた口調でそんな事を言う。
「一昨日とは違う奴。って、康生もちょっとは面倒みてやれよ。可哀想だろ」
「俺、無理だわ。貰いゲロするし。水持ってきてやるから、新人君は信二に任せた」
「あっ!こら、康生。逃げんなって」
笑いながら水を取りに行く非情な康生に文句の一つも言いたくなるが、普段はあれで結構優しいところもあるのだ。【根性と気合い】でどうとでもなるという信念の持ち主なだけで、悪気はない。今回だって、酔っているだけなのがわかっているからさほど取り合わないのだろう。
そうしている間にも、呻いて吐いている後輩を励ましていると、中々戻ってこない康生の代わりに、何故か水のペットボトルを手にした楠原が戻ってきた。
「あれ?蒼先輩、康生は……?」
「康生君はフロアでお客様と電話していたので、代理できました」
「あいつ……ったく、しょうがねぇな。マジ面倒見悪くて、すみません」
信二が苦笑してペットボトルを受け取ろうと手を伸ばすと、楠原はボトルをもったままトイレへと入ってきた。結構広いトイレではあるが、男三人が入れるほどの広さはない。
「蒼、先輩?」
「大丈夫ですよ。僕に任せて下さい。信二君は狭いのでちょっと後ろに下がって」
「え?あ、……はい」
楠原に言われるままに後ろへ下がり、代わりに楠原が後輩の隣へとしゃがむ。No1自らが介抱してくれる事に恐縮しているのか、後輩が小さな声で「……すみません」と申し訳なさそうに呟くのが聞こえた。
側でみていると、体を支え持ってきたペットボトルをゆっくり飲ませた後幾つか質問をしている。急性アルコール中毒ではない事を確認しているのか、冷静なそれはまるで問診のようである。
「大丈夫そうですね。では、少し苦しいかも知れませんが全部出してしまいましょうか」
口調は優しいが、そう言って背後から後輩を抱くように回した腕には結構力が入っているようにみえる。口に指でも突っ込んで吐かせるのかと思ったがそうではないらしい。されるがままの後輩の頭を便器へ固定させると、楠原は腰を浮かせて鳩尾の辺りをねじ込むように強く押しあげた。一回目で激しく水を吐き出した後も、続けて同じ行為をする。
今までにない勢いで嘔吐した後輩は、三回ほど繰り返された行為の後徐々に頬に赤みが差してきた。楠原は自分のハンカチを取り出すと、吐瀉物で汚れた後輩の口を丁寧に拭い、それを内側に折り込むと手に持って立ち上がった。
「これで大丈夫でしょう。少し痛みが残りますがすぐに治まります。安心して下さい」
すっかり落ち着いた様子の後輩が、ほっとしたようにゆっくり息を吐き楠原と信二を見上げる。
「蒼さん、信二さんも……有難うございました。迷惑掛けてすんません……」
「あんま無理すんなよ?二日ぐらいは酒控えめにしてさ。俺もなるべく気をつけといてやるから」
「……はい」
「今、僕が押した箇所覚えてますか?」
楠原は側の水道でハンカチを濯ぎながら後輩へ振り向く。
「え?」
「指を入れて吐くと喉や指が傷つきます。より負担がかからなくて早く復帰できる今の方法を覚えておくといいですよ。いつも誰かが介抱できるわけじゃないですから、自分で素早く対処出来るように」
「……はい」
楠原が洗い終わったハンカチを硬く絞って洗面台へと置く。
「ホストでやっていくつもりなら、自分の限界を知ることは大事です。ちゃんと見極めて、体で覚えましょう」
最後にそう言ってもう一度後輩の前にしゃがんだ。胸ポケットからミントのタブレットを一粒取り出すと細い指先でつまみゆっくりと後輩の口へと差し込む。
「大丈夫、ちゃんと慣れますよ」
優しい笑みで楠原に肩をポンポンと撫でられた後輩は、恥ずかしくなったのか、それとも別の意味もあるのか。楠原に見惚れたように顔を赤面させた。
「覚えておきます。あの……助かりました」
「いえ、頑張って下さいね」
「はい!」
流石経験年数の違う楠原である。的確な対処法。言っていることは厳しさも含んでいるが、この先やって行くには重要な事である。そして、厳しく指導した後のフォローはとても優しい物だった。
最初の印象と違った一面を見た気がして、信二の中に楠原への興味が色濃くなる。
この騒動で、自分も用を足そうかと思っていた事をすっかり忘れて、信二はトイレを出て待機室へと戻った。備え付けの薬箱から胃薬を探して後輩へと渡し、少し横になって休むように促す。
新しい煙草をひとつロッカーから取り出してフロアへと戻る。待機室で一服しても良かったのだが、気分が悪くて休んでいる後輩の側で煙草を吸うのもどうかと思ったのだ。
さっき水を頼んだ康生は、フロアに戻るとまだ電話をしていた。通りすがりに抗議の意味も含め、ふざけて足を軽く蹴ると、さすがに悪いと思ったのか康生が片手で「すまん」とでもいうようなジェスチャーをする。
一服するために適当に近場の卓へと腰掛けようと足を向けると、丁度楠原が濡れたハンカチを入れるビニールを厨房で探しているのがみえた。目的の物はすぐにみつかったらしい。
その後フロアへ戻ってきた楠原に信二は声をかけた。
「蒼先輩、今日はアフターなかったんっすか?」
「ええ。今日はお終いですね」
「そうなんっすね。ここ連日アフター出てましたもんね。お疲れ様っす!」
「信二君も、お疲れ様です。今日はもうあがりですか?」
「そうっすよ。寒いから早く帰って布団入りたいっす」
「そうですね。同感です」
楠原が優しい笑みを浮かべて信二へ視線を向ける。
「でも、マジ助かりました。介抱もプロ級なんっすね。あいつもだいぶ落ち着いたみたいだし、俺も安心しました」
「信二君は、本当に後輩思いですね」
「いや……。俺も新入りの時、先輩達に散々面倒見て貰ったんで」
「……そうですか。僕が前に居た店でも、凄くお酒に弱い子がいたんですよ。丁度今夜みたいに、ね……。何度も介抱していて……。ちょっと思い出しました」
初めて楠原から出た前に居た店の話。今はもうないその場所を思い出したからなのか、そう言った楠原は寂しそうに見えた。楽しかった想い出、辛かった想い出、どんな想い出であったとしても、その数が多ければ多いほど失った空虚感は中々埋められないだろう。楠原が経験してきた過去のひとつも知らない自分では、とてもじゃないが、前の店の話をこのまま振れそうになかった。
信二は煙草を取り出すと、新しいそれの封を切りつつ話題を変えた。
「蒼先輩って、さっきフと思ったんっすけど体温低そうっすよね?」
「高くはないですね」
唐突な話題変えは我ながらスマートではないとは思ったが、楠原は気付いていないかのように返事をする。
騒がしく雑談している仲間達に背を向けて、楠原は信二の隣へ来ると「隣、座っても?」と確認する。「勿論」と信二が返し少し横にずれると、楠原はジャケットを脱いで脇へ置き、隣に腰を下ろした。
信二が煙草を咥えた瞬間、楠原から火が差し出される。手首に香水を付けているのか、楠原のその動きで辺りをいい香りが包んだ。先輩に火を点けてもらうなど滅多にないが、折角の好意なので信二はその火を受け取った。
「有難うございます」
「いえ」
楠原は喫煙者ではあるが、一人の時に吸っているのは一度も見たことは無い。
「蒼先輩は、煙草、普段は吸わないんっすか?」
煙を楠原と反対側に吐き出し、信二が首を傾げる。
「たまには吸いますけど、基本吸わないですね……。喫煙されるお客様が気を遣わないよう、そういう場合は僕も一緒に吸うようにしていますが……」
「へぇ……。徹底してるんっすね。俺なんて一時間吸わないともう禁断症状出ますよ。落ち着かなくなってくると女の子から「そろそろ煙草吸いたいんじゃないの~?」なんて言われたりして。マジやばいっすよね」
「煙草は中毒性がありますからね。でも、煙草の煙は好きですよ。吸っている煙草の匂いで、その人を思い出すこともあるでしょう?記憶と結びつく一つのきっかけにもなります。信二君は、セブンスターですよね?」
手元の箱を見ているそぶりもなくすぐに名称を口にする楠原に、ちゃんと見ていてくれたんだと少し嬉しくなる。「正解です」と言いながら脇に置いてあったソフトパックを取り出すと、信二は底を指で弾き、反動で飛び出た煙草を楠原に向けた。
「吸いますか?まぁ、よくある味ですけど」
「じゃぁ、折角だから一本頂くとしましょうか」
楠原が煙草を咥えたタイミングで信二が火を灯す。その際、煙草を挟む楠原の指と一瞬触れあった。恐ろしく冷たい楠原の指先に驚き、信二は間近にある楠原の顔を思わず見る。先程「高くはない」と本人も言っていたが、高くない所の話ではない。まるで、そう――人間ではないかのように……。
「どうかしましたか……?」
少し驚いているような信二をみて楠原が何度か瞬きをする。
「あ……いや。凄い冷たいから。指……。マジで体温低いんっすね」
楠原は何故かほんの少し動揺したように視線を泳がせた。言い訳のように「さっきまで水に触れていたからでしょう……」と呟き、口から離した煙草の先に視線を落とす。
フと気付くと騒いでいたホスト達は待機室へいったようで、少し遠くにマネージャーがいるだけで店内には自分と楠原の二人になっていた。
「ちょっと手、いいっすか?」
「……え」
楠原の返事を待たずに、信二は煙草を持っていない方の手をとると自分の両手で温めるように包んだ。元々体温が高めの信二の掌からじんわりと伝わってくる熱、少しずつ混ざり合っては自分の冷えた体へ侵入してくる。デジャヴユ感に軽い目眩がするのを感じて、楠原は信二にわからないように息を呑んだ。引き攣ったような喉に、震えた呼気が入り込む。
楠原は誤魔化すように小さく笑って、煙草を挟んだ指先で眼鏡を押し上げると信二へと顔を向けた。
「営業、今夜はもうお終いだったんじゃないんですか?」
「ああ……。別に、これは営業じゃないっすよ?まぁ、なんて言うか……。ほら。目の前に冷たい手があったら温めてあげたくなるじゃないっすか、男として!」
「相手が男でも、ですか?」
楠原が苦笑いを浮かべる。
「男とか女とか関係ないっす。体温高い系男子の使命みたいなもんっすよ」
冗談を言ってへへと照れ笑いをする信二に、楠原は柔和な笑みを浮かべた。
「信二君らしいですね」
そう言った楠原を見て、先程前の店の話をした際の寂しそうな顔が浮かぶ。信二はなんとかしてそれを消してやりたくて握った手に力をこめた。楠原は空いている方の手で吸い終わった煙草をもみ消すと、信二の手からすっとその手を離した。
「随分温かくなりました。有難う。煙草も美味しかったです。たまには、別の煙草もいいものですね」
「蒼先輩……」
「はい」
――元気出して下さい。
喉元まで出掛かった言葉。だけどそれを軽々しく口にするのは違うと思った。
「いや……、何でも無いっす。また……明日」
「はい、信二君も暖かいベッドでいい夢を見て下さいね」
「はい……。お疲れ様っす」
信二は笑みを浮かべた。すっと立ち上がり待機室の方へ向かって行く楠原の背中をぼんやりと見つめて、最後にもう一本煙草を取り出した。咄嗟にあんな事をしてしまったけれど、もしかして迷惑だっただろうか。
泣いてる子がいたら抱き締めてやりたくなるし、落ち込んでいる子がいたら冗談を言って笑わせて、笑顔にしてやりたいと思う。ホストだからとか、男だからとか、そんな理由じゃ無くて……。
何もない自分でも、してあげられる事がある。そう思うと勝手に体が動いてしまうのだ。
楠原は拒否しなかったし、嫌な顔もしなかったが彼が内心どう思っていたかなんてわからない。女性客の心理を見抜くのには慣れてきたというのに、こんな時には通用しないなんてまだまだ修行が足りないなと思う。
わかりやすい晶と一緒に居るときは、言葉通りの会話をしてその言葉を深く考えることもないのだ。こんな所でも真逆の楠原の素顔。何故か知りたいと、そう思った。
自分で火を点けた煙草を口から外し、卓上の灰皿を引き寄せる。
楠原が先程まで吸っていた煙草、消し方さえ楠原らしくて、力を入れて適当に消している自分の吸い殻は途中で折れていたりするが、楠原の残していった吸い殻は先が少し潰れているだけで真っ直ぐだった。
信二は背もたれへと寄りかかると、紫煙を吐き出し、自身の掌を照明にかざした。