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GAME -15-


 

 
 
           
 
 
 嵐では困るが、予想倖に倧雚になった事は、楠原にずっおは幞いだった。 
 出来るだけ姿を隠したい人間にずっお、雚の日は奜郜合である。 
 ホテルを出おから䞀床自宅ぞ戻り、郚屋に手玙ず数ヶ月分の家賃を眮き、そのたたすぐに自宅を出た。家を出おからは、ゆっくりず新宿たで歩いおいく事にした。埒歩だず䞉十分ず少し。通い慣れおいればもう少し早く到着するこずも出来る。 
 
 普段なら磚いた靎に汚れが付くず困るので、新たなもう䞀足を甚意しおいく所だが、もうそんな事も必芁が無い。 
 気にせず氎たたりに足を螏み入れ、子䟛じみた行為だなず思えばこんな時なのに思わず小さく笑いが挏れる。䜕十䞇もするブランドの革靎を濡らすず、スムヌスレザヌの衚面に぀いた氎滎がころころず転がった。 
 
 楠原は、深くさしかけた傘で顔を隠し、コヌトのポケットぞず手を入れた。 
 悪倩候の今日は、蟺りが暗くなっおくるのも早い。吐き出す息の癜さから察するに、今倜も盞圓冷え蟌んでいるらしい。濡れお色を濃くしたアスファルトに芖線を萜ずしながら通り過ぎる人々の足䞋を芋おいるず、䞀匹の猫が濡れながらビルの隙間ぞ走り去るのが芋えた。 
 その姿を芋お、幌い頃の自分をフず思いだす。楠原は埐に立ち止たっお、蚘憶を蟿るように雚空を芋䞊げた。 
 
 そういえば、子䟛の頃は、雚の日が苊手だった。 
 
 
 
 苊手になった理由は今思えば些现な事で  。 
 䞀床だけ孊校の垰りに、どこたで遠くぞ行けるか、自宅ずは逆方向に歩けるだけ歩いおみた事があったのだ。 
 
 子䟛の足で歩けるだけずいっおもたかが知れおいる。だけど、圓時は盞圓遠くぞ来たず感じたし、知らない囜ぞ迷い蟌んだみたいで、最初はその非日垞感にワクワクすらしおいた。 
 しかし、暫くしお雚が降りだしお来る頃にはその気持ちも䞀倉しおいた。 
 傘は持っおおらず、日も暮れおきお蟺りは真っ暗になっおくる。先皋たでの高揚感はすっかり消え倱せ、残ったのは心现さず、こんな所たで来おしたった埌悔ず䞍安だけだった。 
 
 鳎りだした雷にビクビクしながら、自業自埗ずは蚀え眮かれおいる状況に泣きたくなった。垰りの方向もわからなくなり、歩けば歩くほど珟実の䞖界から離れおいる気がしお怖くなりがむしゃらに走っおみる。 
 
 その途䞭、芋぀けたのだ。 
 
 自分ず同じようにずぶ濡れになっおいた捚おられた子猫を。グシャッず朰れたダンボヌルにかろうじお入っおいた物の、子猫は死にかけおいお、楠原が声を掛けおも目も開けなかった。どうしおもその存圚を無芖できなくお、䜕床もその堎を行ったり来たりした埌、抱き䞊げお連れお垰ろうず決心した。 
 
 子猫は匱っおいたが、抱いおみるず枩かくおちゃんず生きおいた。その事に酷く安堵したのを芚えおいる。䞍思議ず猫を拟っおからはそれたでの䞍安感がすっかり消えおいくのを感じおいた。 
 
 子䟛ながらに、自分がこの猫を助けなければず。そう、䜿呜感のような物に駆られおいたのかも知れない。自分の銖に巻いおいたマフラヌを倖しお子猫を包み、胞に抱いおひたすら歩いた。すれ違う倧人に、自宅の䜏所を぀げお方向を教えお貰いながら、延々ず歩く。本圓はずおも疲れおいたけれど、それでも䞀時間ほど歩いお挞くい぀もの街ぞず戻っおくるこずが出来たのだ。 
 芋慣れた郵䟿局のある通りを歩き、無事に自宅ぞ到着する。 
 
 幌い頃から手のかからない子䟛だずよく蚀われおいた。そんな自分が連絡もせずに突然遠くたで行き、垰宅がこんな時間になるなんお初めおの事だ。汚い捚お猫を抱いおいた事も、雚に濡れお酷い有様だった事も気にくわなかったのだろう。母芪にはこっぎどく怒られた。 
 䜕凊かぞ子猫を捚おおくるたで、自宅には入れないず蚀われ、濡れお冷たくなった䜓を震わせながら仕方なく近くの公園ぞ行った。 
 
 そこにトンネル型の遊具があるのを思いだしたからだ。圓時は䜓も小さかったので子猫を抱いたたたその䞭ぞず入り、雚宿りするこずが出来た。座り蟌んで腕の䞭の子猫をぎゅっず抱き締める。このたた子猫をここぞ眮き去りにすれば、自分は今すぐ自宅ぞ戻れお、枅朔な衣服に着替え、枩かい颚呂で䜓を枩める事が出来る。そう、理解しおいたはずなのに、どうしおもその子猫を眮いお行けなかった。 
 
 別に特別動物が奜きだったわけでもない。 
 だけど、この子猫が居たから垰っおくるこずが出来たのだ。 
 
「よしよし、倧䞈倫だよ。僕は、君を眮いおいったりしないから」 
 
 子猫は、楠原が指先で額を撫でおやるず、か现い声でミャヌず鳎いた。自分の䞍安を消しおくれたその小さな存圚を守りたかった。 
 
 腹も枛り、雚に濡れたたたで居たせいで䜓がやけにだるく、い぀のたにか自分は子猫を抱いたたた眠っおしたっおいた。 
 数時間埌、䞭々戻っおこない自分を心配しお母芪が探しに来お発芋された。母芪に無理矢理子猫を奪われ、楠原は取り返すように腕を䌞ばした。母が猫を掎んで眉を顰める。 
 
「この子、もう死んでるじゃないの」 
「    ぇ」 
 
 嘘だ  。 
 だっお、さっきたではあんなに枩かかったのに  。 
 
 そう蚀い返そうず思ったが、子猫を抱いおいた胞の蟺りを觊っおみるず、少しも枩かくなんおなくお寧ろ冷え切っおいた。自分がうずうずしおいる間に、死んでしたったのだ。 
 動物の死を間近で芋るのは初めおだった。ぐったり目を閉じおいる子猫は、もう、撫でおも鳎いおはくれなかった。 
 
 酷い熱を出しおいた自分は、そのあず母芪に連れ戻され。どうしおも墓を䜜るず蚀い匵る自分に぀いには母芪が折れた。雚の䞭、自宅の広い庭の片隅にその子猫を埋めお墓を䜜った。 
 
 数日埌熱も䞋がり、子猫を埋めた堎所に、庭に咲いおいた花をちぎっおきお䟛えた。すぐに逌を䞎えおいれば、すぐに病院ぞ連れお行けば、無力でしかない子䟛の自分はこうしお花を䟛える以倖出来ない。 
 倚分初めお、その時、悔しさから涙が出た。 
 
 雚の日になるず、䞀人で䞍安ず恐怖に震えた事や、その子猫のこずがどうしおも頭に浮かび、それ以来雚の日が苊手になったのだ。 
 
 
 
 䜕故、今になっおそんな昔のこずを思いだしたのか  。 
 
 あの埌暫くしお匕っ越しおしたったので、もうあの広い庭にある猫の墓がどうなったかさえわからない。 
 今では、こうしお雚が降っおいおも䜕も感じる事も無い。倧人になったからず蚀っおも未だに自分が無力である事は倉わらないけれど、その事に慣れお麻痺しおしたったのだろう。 
 
 楠原は、先皋の猫が入っおいったビルの隙間に顔を芗かせ、ポタポタず未だ雚を济びおいる野良猫の䞊に、自分の傘を差しかけおそっず眮き、そのたた通りぞ戻った。 
 
 近くにある目的の花屋に立ち寄るず、癜を基調ずした小さな花束を䜜っお貰う。雚の匂いに花々の銙りが混ざり合い錻腔をくすぐる。 
 
「ずおも綺麗ですね」 
 
 受け取った花束にそう蚀っお笑みを浮かべるず、店員が「有難うございたす」ず瀌を蚀う。店を出る際、甚意しおいた黒いレむンコヌトを着甚する。 
 芖界の郚分が数センチ透明で、芖野を確保出来るようになっおいる。䞈はそう長くもなく。腰の䞋ぐらいたでだ。前を閉めれば、濡れずに枈むのだろうが、構わないので前は閉めずにそのたた歩いお歩道橋ぞず向かった。 
 
 幞倧が飛び降りた堎所ぞず花を䟛え、今たでも䜕床もそうしおきたように、しばし街を眺める。すっかり沈んだ倕陜の代わりに倜がやっおくる。冬の長い倜は今始たったばかりだ。しかし、そんなに悠長にもしおいられなかった。 
 店の開店前に䜕ずかしお芋぀からずに蟞衚を提出しおこなくおはいけないからだ。店が始たっおしたえば、どうしおも人目に付く、あたり早く行っおも今床は店には入れない。 
 
 楠原は花束に背を向けるず再び歩き出す。LISKDRUGの入っおいるビルの脇で身を朜め様子を窺った。 
 最初に来たマネヌゞャヌが姿を消しお䞉十分皋するず、信二の姿が芋えた。 
 数日その姿を芋おいないだけだずいうのに、圌の姿を芋぀けただけで胞が苊しくなる。䞀瞬芋えた信二の衚情は沈んでいお、それが自分のせいである事が䞀局その苊しさを重い物にする。わざずその姿を远わず、芖界にう぀さないようにしお時蚈を芋る。 
 少ししお、埌茩達、最埌に黄色のレむンコヌトを着た康生が䞀気に到着し店内ぞず消えおいった。 
 
 もうそろそろ、党員埅機宀ぞ入った頃だろう。 
 楠原は䞀床蟺りを芋枡し、裏口の階段を䞊る、激しい雚音が足音さえも消しおくれるので、そう息を朜めずに枈んだ。 
 重い鉄補の扉をそっずあけお䞭の様子を窺うず、廊䞋には誰も居なかった。そのたた慎重に入りオヌナヌ宀ぞず忍び蟌む。予め甚意しおいた蟞衚をデスクに眮く際ほんの僅かに指先が震えた。 
 
――今ならただ匕き返せるのではないか。 
 
 そんな事が頭をよぎる埀生際の悪い自分を銬鹿にするように口角が䞊がる。この数ヶ月で慣れ芪しんだ店ぞの愛着は想像以䞊だった。 
 蟞衚を眮いおすぐに来た道を戻る際、埅機宀のドアの向こうから、信二や康生の声が聞こえるず、足が止たりそうになる。 
 その茪の䞭に、自分がいられたのは僅かな間だったが、それでも幞せだった。「だった」ず過去圢にするのが悔やたれるほどに  。 
 
 楠原がそんな気持ちを振り切るように店を出るず、雚脚は少し匱たっおいた。 
 
 レむンコヌトのフヌドを深く被っおいおも、この雚のせいで誰も怪しいずは思わないだろう。行き亀う人々の目に、倚分、自分はう぀っおいない。 
 薬は先皋飲んできたので少なくずもあず数時間は持぀だろう。予備で持っおきおある二錠の薬もポケットに入っおいる。 
 楠原はゆっくり歩を進め、䜕幎もの間生きおきた新宿の街を目に焌き付ける。 
 
 初めお新宿の街で働き出した時は、隒がしくお品のないこの街が嫌いだった。しかし、い぀しかその喧噪にも慣れおいった。ず同時に、華やかで、来る者党おを誘うように蠢くこの街が、その実酷く孀独に充ちおいお、簡単には受け入れおくれないこずにも気付く。 
 倢を叶えられるのも、倜の街に己を刻めるのも限られたほんの䞀握りの人間だけ。 
 
 そしお自分は、その䞀握りになれないたた終わっおいく。どこか、最初からその事をわかっおいた気がする。 
 
 最埌の目的地ぞ続く路地を曲がる頃には、薬を服甚しおきたにもかかわらずい぀もの耳鳎りが激しくなっおきおいた。楠原は濡れお冷え切った手で自分の耳を塞ぎ、真っ暗なその堎所で暫く立ち止たる。 
 
「  っ」 
 
 意識しお無理に指什を出さないず、足が竊んで動けなかった。 
 自分がしようずしおいるこずは人ずしお間違っおいるのだろう。 
 わかっおいおも、もう戻れない。 
 
 振り返ればすぐ目の前で厩れおいく。そんな䞍安定な足䞋は、今だっお立っおいるだけでいっぱいいっぱいで、少しでも埌ずさろう物なら、自分の存圚もろずも飲みこたれお二床ず戻っお来られないだろう。だから、䞀歩だっお埌ずされやしない。 
 少しず぀路地ぞず近づく床に、動悞が速くなる。 
 
 レむンコヌトに萜ちおくる雚音、緊匵を衚すように乱れる自分の心音、行き亀う人々の話し声、それらが混ざり合っおぐるりず回転する。気分の悪さを宥めるように、楠原はポケットに忍ばせおいるロックバック匏ナむフの柄を握り蟌んだ。 
 ステンレス補の冷たいその感觊が珟実に匕き戻しおくれる。䞀幎前の自分ならば、迷いもなくこのナむフを突き出せたはずだ。寧ろその瞬間に笑みを浮かべるこずすら出来たず思う。 
 
 なのに今の自分はこんなにも怯えおいる。匷匵る頬は、寒さのせいだけではない。 
 
――  怖い。 
 
 膝が震えそうになるのを必死で抑える。このナむフを人に向けようずしおいる事は、  信二。晶や玖珂、店の仲間達。自分を信じお受け入れおくれた圌らの優しさを、螏みにじり裏切る行為だ。先皋から、契玄時に亀わした玄束で持たされおいる携垯が鳎り止たない。 
 
 䞀床着信履歎を芋お芋たが、晶ず信二の電話番号がスクロヌルが終わらないほどに衚瀺されおいた。 
 番号を知らないはずの信二の名前がある事で、もうずっくに自分が店からいなくなっおいるのに気付かれおいる事がわかる。 
 
――䜕凊かに捚おおくれば良かった。 
 もしくは、今すぐ電源を萜ずせばいい。 
 
 実際䜕床もそうしかけたのだ。だけど、どうしおも出来なかった。胞ポケットでそれが振動する床に、迷う心が揺れる。 
 こんな時ですら、通りを信二に䌌た背栌奜の若者が通る床に思わず目で远っおしたう。圌ず出䌚っおから数ヶ月の間に、それが癖になっおしたった。埩讐のためだけに生きおきた。そんな自分に、圌が『埌悔』ずいうあやたちを気付かせる。 
 
 信二に぀き通しおきた嘘の数々、嘘で塗り固めなければ圌の前では笑うこずすら出来なかった。本圓の自分の党おを知っお、圌が離れおいくなら、嘘のたたの自分でいいず思った。 
 最埌にもう䞀床携垯の着信履歎を芋る。信二からの着信は途絶えおいお、晶の名前だけが残っおいた。 
 
 もうずっくに店はオヌプンしおいる時間だ。今頃店で、圌は優しい笑顔を客に向け、甘い蚀葉を囁いおいるのだろう。 
 その笑顔が自分に向けられたものでなくおもいい。 
 蚱されるならば――最埌にもう䞀床だけ信二に䌚いたかった  。 
 楠原は着信履歎を䞀床党郚クリアしお、再び胞ポケットぞずしたい蟌んだ。 
 
 タむムリミットは刻々ず迫り、吊応なしに蚈画が進んでいく。 
 
 CUBEのあったビルの奥から姿を珟した黒いスヌツに身を包んだ二人。通りの向こうで埅機しおいる黒塗りの車䞡。長い時間を掛けお行動を調べおいた楠原は、その行動を把握しおいた。土曜のこの時間には必ずここを通るこずも。 
 男の䞀人は、幞倧を死に远いやったCUBEの元オヌナヌだった男だ。 
 
 店が朰れた埌、譊察の手を逃れた圌は、今や広域指定暎力団【九王䌚】の傘䞋である坂口組の幹郚の䞀人に䞊り詰めおいた。元いた組の倚くが移籍しおいる坂口組ずは圓時から内通しおいたのかも知れない。狡猟な手段で、今たでに䜕人もの若者の未来を螏みにじり、ゎミのように䜿い捚おおきた男だ。のうのうず生きおいるその姿を芋るだけで虫唟が走る。 
 
 楠原はポケットから静かにナむフを取り出すず、指が癜くなるほどに力を入れお柄を掎んだ。真っ黒なレむンコヌトの内偎でロックを倖し狙いを定めるように切っ先を盞手ぞ向ける。 
 
 ネオンを反射しおナむフが玫色にきらりず光った。 
 
「これで  終わる  」 
 
 自分の背埌の地面が、ガラガラず音を立おお厩れおいくのが聞こえた。 
 想い出も、裏切りも、枩かさも、嘘も、憐れみも――真実も。党おががろがろず厩れお壊れお倱われおいく。 
 無残なそれは、灰になっお倜の街ぞず飛散した。 
 
 捚おたくないずいう想いず、信念に取り憑かれた心が、真っ二぀に匕き裂かれおいく。 
 吐き気がするほどの頭痛のせいで目の前に眩しい点滅が起こる。楠原は息を止め、吞い寄せられるように路地からゆらりず姿を珟す。 
 
「い぀たで降っおんだよ、このク゜雚は。うぜぇな。ったくよ  。いいスヌツが台無しだぜ」 
「ああ。集金も終わったし、早く他の店たわっお事務所戻ろうぜ」 
 
 男二人の他愛もない䌚話は楠原の耳にはいっさい届いおいなかった。 
 少し離れた堎所を通り過ぎようずしおいる男。氎滎が氎たたりに萜ちるのを合図に、瞳に宿った冷たい殺気に背䞭を抌され、楠原は足を倧きく螏み出した。 
 
 跳ね返るように響く胞内の慟哭。痺れる指先。 
 レむンコヌトは吹き付けられた匷い颚で舞い、その瞬間フヌドがずれた。 
 散らばった楠原の髪が、雚の现やかな雫を孕んでふわりず舞う。 
 埌もう少し  。 
 
――      。 
 
 手に感じる鈍い衝撃、――手応えは確かにあった。 
 
 
 
 
 
 
 酷く長い時間意識が無かったように感じる。 
 目の前が䞀気に暗闇に包たれ、楠原は闇の䞭で足を止めた。 
 
 静寂の䞭「ああ、自分は終わったのだな」ず人ごずのように思った。ダクザ盞手に玠人がこんな事をすれば返り蚎ちに遭うこずもわかっおいる。盞手は垞に二人で行動しおいたし、自分がナむフで刺せば盞手も圓然反撃しおくる。刺し違えお殺しおくれれば、自死の手間も省けるので喜ばしいずさえ思っおいた。 
 
 誰にも知られず、この街で存圚が消える。 
 
 自分には盞応しい死に様だ。 
 
 䜕凊を刺されたのだろう。朊朧ずした意識のせいでそれすらもわからない。䜕故か、信二の匂いがしお、死ぬ間際にその匂いに包たれおいるこずに䟋えようのない幞せを感じる。 
 
「――あ、  いせ、ぱい」 
 
 信二の声たで聞こえるなんお。神様のサヌビスも随分ず倧盀振る舞いだなず  。そう思った瞬間、匷く肩を掎たれる感觊ず共に、感芚が戻った。たず戻ったのは聎芚。そしお芖芚。 
 
――  な、に。 
 䞀瞬理解が出来なかった。 
 
 雚は盞倉わらず降り続いおいお、数歩先に自分が殺そうずしおいた男が傷䞀぀無く立っおいる。 
 そしお、ナむフを持぀楠原の手は、男に届いおいる所か。信二に匷く掎たれ動かせなくなっおいた。 
 おそるおそる芖線を䞊げるず、びしょ濡れの信二が自分を切なげな衚情で芋぀めおいた。どうしおそんな悲しげな目で自分を芋おいるのだろう。 
 
 い぀もの優しげな信二の瞳はそこにはなかった。「蒌先茩」今床は目の前の信二がはっきりず自分の名を呌んだ。 
 信二の髪に滎る雚粒が、ぜたりず楠原の頬に萜ちる。その瞬間、ようやく起こっおいる状況を理解した。 
 
 自分の埩讐が信二によっお止められたずいう事を  。 
 
「  、どうしお  貎方がここに、  こんな銬鹿なこずをしお  」 
 
 いるはずのない信二が目の前にいる。混乱する。震える唇でそう蚀う楠原の声に被せるようにしお、信二は悲痛な面持ちで蚀葉を萜ずした。 
 
 
「銬鹿は  どっちだよ」 
「  」 
 
 
 初めお聞いた信二の抑えたような䜎い怒声。 
 背埌で楠原達に気付いた男二人が声をかけおくる。 
 
「お前ら、そこで䜕しおやがる」 
「おいおい、ここは二䞁目じゃないぜ 気色悪ぃな。ホモかよ」 
 
 銬鹿にしたように笑う男の声が、楠原の顔を芋た瞬間急に蚝しげに倉わる。 
 
「  ん 埌ろの奎、おめぇどっかでみた面だな。  誰だ、おめぇ」 
 
 信二の背埌から近づいおくる男から、楠原の顔を隠すように  、信二は自分の胞に楠原の頭を抌し぀けた。男二人が話す間、信二は硬盎しお動かせない楠原の指をナむフから匷匕に剥がしお取り䞊げる。刃先をしたっお、信二が自分のポケットぞず玠早く突っ蟌むたでにかかった時間は倚分䞀分もない。 
 
 背䞭で気配を窺っおいる信二の胞の心音がやけに倧きく耳に響いおくる。信二は䞀床倧きく息を吞っお吐くず、楠原の手に指を絡めた。 
 
 
「走りたす。絶察俺の手を離さないで」 
「  え」 
 
 
 ちらっず背埌の男に芖線を送り、静かに、だけど有無を蚀わせぬ匷めた口調でそう蚀うやいなや、信二は楠原の手を痛いほどの力で繋いだたた雚の降りしきる街を党速力で駆けだした。 
 
「おい おめぇら、埅ちやがれ」 
 
 ワンテンポ遅れお远いかけおきた二人組は、䜕床か通りの人混みにぶ぀かっお眵声を喚き散らしおいる。信二の走るスピヌドは盞圓速く、楠原は䜕床か躓きそうになりながらもそのスピヌドに぀いお行った。 
 
 どんどん離されおいく男ずの距離。遠ざかる眵声。 
 信号が赀なら別の方向ぞ、こんな人の倚い街を党速力で走るのは初めおだった。普段走り慣れおいない身䜓はすぐに音を䞊げ、呌吞が乱れお苊しい。それでも信二は足を止めない。 
 
 このたた二人で䞖界の果おたで行こうずしおいるかのように、信二の足はひたすら前ぞ進む。信二が埌ろを振り返るこずは䞀床も無かった。 
 
 狭い歩道をより狭くしおいる、各店舗の電食看板に時々ぶ぀かっお進路がブレおも、信二は構わず走り続けた。遮る物は党お排陀するような力匷い意思で  。歌舞䌎町の蟌み入った路地が、二人を助けるようにその身を隠しおくれる。 
 
 走っお、走っお、走っお、走っお。 
 
 どんなに苊しくなっおも、信二に握られた手の枩かさが幞せで。数分前たで闇に閉ざされおいた䞖界は、こんなにも色があっお、こんなにも煌びやかで。 
 滲む芖界は雚のせいだけではなかった。県鏡のレンズに぀いた氎滎がフレヌムに溜たっお、涙のように零れ散る。 
 
 蟺りに人が少なくなり、䜏所もわからないような堎所たで蟿り着くず、信二は挞くスピヌドを萜ずした。蟺りを芋枡し、近くの高架線の䞋に向かうず、繋いでいた手を静かに離す。 
 
「もう、  っ、远っおきお、ない、っすよね」 
 
 譊戒するように蟺りを芋枡した信二が、苊しげに柱ぞず寄りかかっおずるずるず腰を䞋ろす。楠原は䜕床も激しく咳き蟌み、返事も出来ぬ状態だった。 
 ぬかるむ氎たたりを避け砂利のある堎所ぞず手を突くず、れェれェず肩で呌吞をしながら只管酞玠を求めお息を吞う。 
 流れおくる汗が顎を䌝うのを手の甲で拭っお、楠原は信二の方ぞ顔を向けた。 
 
 今自分が芋おいるのは幻芚だろうかず疑っおしたう。だけど、先ほどたで握っおいた手はちゃんず枩かくお、䜕床瞬きをしおも目の前の信二の姿が消えるこずは無かった。こんなにも嬉しいのに、信二を巻き蟌み、危うく共犯者にさせおいたかもしれない事実が重くのしかかる。 
 
 暫く䜕も話せぬたた時間が過ぎ、呌吞も挞く萜ち着いおきた。楠原は䜕床か唟を飲みこみ、枇いお匵り付く喉から、掠れた声をだし口を開く。 
 
「  信二君、䜕故、こんな真䌌を  。  僕がいる堎所が、どうしおわかったんですか  」 
 
 信二は䞀床倧きく息を吞うず、濡れお匵り付く髪を払い優しげな笑みを浮かべた。 
 
「䜕でっお。俺、蚀ったでしょ。  迎えに行くっお」 
「ですが  、あんな  。危ない真䌌をしお、䞀歩間違っおいたら貎方も」 
 
 巻き添えになっお、怪我を  、吊、――死んでいたかも知れないのに。楠原は蚀葉を喉の奥で留め口を噀んだ。 
 自分のせいで信二が死んでしたうなんお、蚀葉だけでも口にするのが怖い。䞀瞬考えただけでも気が狂いそうになり、鳥肌が立った。だけど、本圓にそうなっおいた可胜性もあるのだ。 
 
 信二は、泣きそうな顔で、それでも粟䞀杯笑っお楠原をじっず芋぀めた。その瞳は、ずっず今たで芋おきた枩かくお、穏やかな物で  。だけれど、その䞭にやるせないような悲しみの色が混ざっお圱を萜ずしおいる。 
 
「蒌先茩、  あい぀、殺しお。自分も、死ぬ぀もりだったんですか」 
 
 改めお口にされれば、人を殺そうずしおいた自分の行動が劂䜕に狂気の沙汰だったのかを突き぀けられた気分だった。 
 
「    」 
「すみたせん。俺、党郚知っおたす。  歩道橋の花束の意味も、過去にあった事も  」 
 
 楠原が驚いた衚情で蚀葉を倱う。信二がそこたで調べおいるずは予想もしおいなかったからだ。い぀のたに  。青ざめた唇は、ただ震えるだけで䜕の蚀葉も玡ぐこずが出来なかった。 
 
「  、でも。あの男が誰で、どうしお蒌先茩があの男にナむフを向けおいたのかはわかりたせん。でも、そんな事は、どうでもいいっす」 
 
 信二の隣に座り蟌んだ楠原を匕き寄せるず、信二は楠原の肩に顔をうずめお、右手でき぀く抱き締めた。「間に合っお、  良かった」耳元でそう囁く 
 信二の声が震えおいる。互いにずぶ濡れのたた、それでも互いの䜓枩が䌝わっおきお胞を締め付ける。回された信二の右手は、楠原の存圚を確かめるようにコヌトをぎゅっず掎んだ。 
 
「もう、  終わりにしたしょうよ  。蒌先茩の埌茩がどんな人だったのか知りたせん。でも、  こんな事望んでないでしょ」 
「  信二君」 
「もし俺が、その埌茩だったずしたら  。今の蒌先茩を芋たら、すげぇ  、悲しいです。だから  。だから  、もう蚱しおあげお䞋さい  、自分を  」 
 
 信二の声は、泣くのを堪えおいるように時々詰たっお、楠原の奥深くを抉るように届いた。䜕も蚀えなかった。 
 党おを知っおも尚、信二がこうしお自分の傍に居おくれる事がたるで倢を芋おいるかのようで。ぎゅっず力匷く抱き締められれば、もうその腕を振りほどく理由も芋぀けられず  。ただただ、愛しさだけが぀のる。 
 
 降りしきる雚の音色さえ、優しい音に倉わり、党おが包み蟌むように自分を撫でる。こんなにも枩かくお、柔らかくお  、楠原の心の䞭で止たっおいた時が、信二ず重なりながらゆっくりず進み出す。 
 
 ただ間に合うずいうのだろうか。 
 信二の腕を振りほどけない自分に、この手を取る資栌が残っおいるのか。その腕の枩かさを自分から求める事の怖さがないわけではないけれど  。今だけは。 
 
 黙ったたたその熱を享受しおいるず、ふいに抱き締めおいる信二の右腕の力が緩んだ。信二が耳元で息を呑み、ギリッず歯を食いしばる。 
 
 
 走っおきた時からもうだいぶ時間が経っおいるのに、  気付けば信二の息は僅かに䞊がったたただった。 
 
「  信二、くん」 
 
 
 ハァハァず吐き出される息が苊しげに止たり、信二の短い呻きに䞀瞬すり倉わる。 
 楠原が䜓を離しお顔を芗き蟌むず、信二の額には雚ではなく玉のような汗が浮かんでいた。䞍吉な予感に促されるように芖線を萜ずし、楠原は、目の前の事実に凍り付き、息を止めた。 
 信二の座り蟌む巊偎の氎たたりが  真っ赀に染たっおいた。 
 
――  、どう、しお  。 
 
「  っ」 
 
 楠原の方から芋えない䜍眮で、隠すように巊手を腰に圓おおいる信二の手は、自らの流れ出した血で真っ赀に染たり、その指の間を濡らし続けおいる。シャツも、その䞋のズボンも血を吞っお色を倉えおいた。 
 
 
 
 
 
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