千夜、刹那 第二話


 

 
 
「お兄ちゃん、早く」 
 
 振り返って呼ぶ拓也の声で我に返る。 
 
「あ、ごめんごめん。すぐ行くから」 
 
 舗装されていない屋台の脇を通ると、丁度土手側に出ることが出来、いくつかベンチが並んでいる。花火が始まったせいもありほとんど空席が無かったが、二人掛けようのベンチが一つだけ開いていた。 
 佐伯と晶で座り、拓也は晶の膝の上に座らせる。 
 
「はい、んじゃこれな。拓也の分」 
 
 落とさないように気をつけて、拓也へかき氷を渡す。 
 
「わぁ、ありがとうございます。美味しそうです」 
「俺は別のにしたからさ、こっちも味見してみ。後で交換しような」 
「はい!」 
 
 かき氷だけでこんなに嬉しそうにしているのをみると、子供は本当に素直だなと思う。日頃、桁を数えるのも面倒くさくなるほどのプレゼントが行き交う職場にいるので余計にそう感じた。拓也が子供だからじゃない、これが本来の人としてのあるべき姿で、大人になるにつれ、そういう感情が薄れていくだけだ。多分自分も……。 
 
 シャリシャリと先がスプーンになったストローをさして氷を口にいれる拓也は、「冷たいです」と後ろにいる晶に振り返って満面の笑みを浮かべた。 
 一応佐伯にも食べるか聞いてみたが、予想通り「俺は要らん」と断られた。 
 足をブラブラさせている拓也は、花火があがるたびに少しビックリしたように体を動かす。子供から見れば、夜空に浮かぶ花火の大きさは相当な物だろう。 
 何百メートルも先にある広大な空に、一瞬だけ咲く花。下から眺めることしか出来ないのが少し悔しい。 
 晶は目を細めてその様子を眺めていた。 
 
「なぁ、拓也」 
「はい」 
「お母さんとは、お祭りに行ったことあるんだろ? そういう時何か食べたりしねぇの?」 
「えーっと。お母さんが作ってくれた麦茶を飲んで、持ってきたクッキーを食べます」 
「……そ、そっか。美味しそうじゃん」 
 
 隣の佐伯を見て、大凡は察することが出来る。先程拓也が「着色料の入った菓子」とおかしな希望を述べた事と考えて合わせると、普段はその手の物は身体に悪いので与えていないのだろう。 
 
「要、あのさ」 
 花火にかき消される程度の声で、佐伯の耳元で口を開く。 
「こういうの拓也に食わせてまずかったんじゃねぇの?」 
「お前は気にしなくていい。後で俺が報告しておけば良いだけだ。こんなに喜んでいるしな」 
「そうだけど……」 
「拓也にアレルギーがあるわけじゃない。こんな時ぐらいは自由にさせてやってもいいだろう」 
「そう? 要がそう決めてるんなら、俺は勿論いいんだけどさ」 
 
 少し意外な言葉だと思いながら、晶は自分のかき氷をすくって口に入れた。綺麗に散髪された短めの髪、似合う色を選んで貰っている子供用の浴衣。下駄は少し大きい気もするがまだ新しそうなので、買って貰ったばかりなのだろう。大切に育てられているのだなと、膝の上の拓也に視線を向ける。 
 
「お兄ちゃん」 
「んー? どした? あ、これ食ってみる?」 
「はい! ぼくのも食べて下さい。どうぞ」 
「お、サンキュ」 
 
 持っていたかき氷を交換して、互いに別の味を堪能する。連続してかき氷を食べていたらこめかみが痛くなって、晶は少し眉を顰めた。 
 
「お兄ちゃんのも、とってもおいしいです。ぼくも、こういうのいつも食べられたらいいのにな……」 
 
 しょんぼりと肩を落とす拓也の頭を、晶が優しい笑みを浮かべて撫でる。川縁にいるせいか、様々な屋台の匂いに混ざって微かな潮の匂いがする。そこにふんわりと拓也のシャンプーの香りが混ざった。 
 
「こういうのはさ。たま~に食べるから美味しいんだぜ?」 
「そうなんですか?」 
「そうそ。それに、アレだ」 
「……?」 
「拓也はさ、お母さんが作ってくれたクッキー食べてるんだろ?」 
「はい、ぼくの好きなヘラクレスオオカブトの形で、クッキーもおいしいです!」 
「そっか。そのクッキーは、お母さんが拓也のために一生懸命作ったクッキーだからさ。こんなかき氷よりずーっと価値がある物なんだよ」 
 
 価値という言葉はまだ拓也には難しいのかも知れない。きょとんとしている拓也にわかりやすく伝えるには……、色々考えてみたがうまい言葉が見つからなかった。 
 
「価値とか言っても、今はまだわかんねぇだろうけど……。拓也がもっと大人になったら、ちゃんとその意味がわかるから。着色料のお菓子は、今日だけ。な?」 
「はい……、大人になったら……わかるのかな」 
「そりゃわかるって。拓也はまだ子供だからわかんなくてOKだけどな」 
 
 佐伯が二人の様子を見て、晶に耳打ちする。「お前の方が、父親らしいな」その言葉に晶は苦笑しながら肘で佐伯を押した。「要がちゃんと説明しねぇから、俺が言ったの」「助かる」こっそり笑い合う二人を振り返って、拓也が不思議そうに首を傾げる。 
 ほとんどのかき氷を食べ終わった所で、拓也が「そうだ」と何かに気付いたように顔を上げた。 
 
「お兄ちゃん、このおいしいかき氷の赤いのは虫さんからできているんです」 
「……え? ……虫?」 
「エンジムシという外国の虫さんで足が一杯あって。それをすりつぶすと赤い色になるのでそれを使っています」 
 
 苺味の正体が、得体の知れない虫をすり潰した物だと平然と言ってのける拓也は、こんなに可愛いのにやはり佐伯の血が流れていると確信した。この台詞が佐伯が言った物ならば文句の一つでも言ってやるが、相手は子供である。晶は笑顔を若干引き攣らせた。 
 
「へ、へぇ……。拓也、昆虫博士だもんな。流石じゃん。教えてくれてありがと」 
「こんど、その虫さんの写真をみせます!」 
「えっ。あ、えーっと。こ、今度な。今はほら暗くてよくみえねーし」 
「晶」 
 
 佐伯が振り返ってこちらを向く。 
 
「なんだよ」 
 
 嫌な予感を抱きながら、佐伯を横目で見ると……。 
 
「補足してやろう。エンジムシは中南米などに生息していて、使われているのは雌のみだ。見た目は2ミリほどのダンゴムシ様で卵を持つと二倍に膨らむ。それを乾燥させて潰したのが、お前が食べたシロップの色だ。勉強になっただろう?」 
 
 1ミリも知りたくない情報を教えてくる佐伯は明らかに面白がっていて、言いながら口元を歪めて笑いそうになっている。 
 晶は横目で睨んで、左足で佐伯の足を軽く蹴った。 
 
「あのな。拓也には悪気がねぇけど、要のは悪意の塊だろ。その情報要らねーから!」 
 
 睨み付ける晶に、佐伯は「それはすまんな」と心にもない謝罪をして腕を組んだ。 
 
「ったく……親子揃ってなんなんだよ」 
 小さくそう呟いた晶は、言いながら自分でもおかしくなってやれやれと肩を竦めた。 
 
 やはりテレビで見るのとは違って目の前の花火の力強さは、見る物を惹きつける力がある。 
 それが何という名称の花火なのかは知らないが、昨夜テレビで千輪菊やら牡丹やらと言っていたのできっと名前はある。真っ暗な空が、花火が上がった瞬間明るくなり、また闇へ戻る前に次の花火が打ち上がる。前の花火の尾を視線で辿り、ちらっと横の佐伯を見ると佐伯の眼鏡にも花火が写り込んでいた。 
 
「すげぇよな。やっぱ生で見ると圧倒されるわ」 
「そうだな。もう少し涼しいといいんだが」 
「まぁね、でも俺は嫌いじゃねぇけど。寒いよりは暑い方が開放的な気分になれるし。……三人で来られてマジよかった」 
 
 佐伯が、花火を見上げたまま薄く笑みを浮かべる。 
 絡みつく暑さ、口に残る甘いかき氷の味、夏の想い出になる一つ一つを噛みしめるように晶は記憶に刻んでいった。足下から伝わる力強い打ち上げ音が鼓動と混ざり合ってひとつになる。 
 たった数時間のこの時間が、多分今年の夏の一番の想い出になるのだろう。 
 暫く三人で花火を堪能していると、飽きてしまったのか下を向いていた拓也が晶の靴擦れに気付いたようで心配そうに顔を上げた。 
 
「お兄ちゃん」 
「ん?」 
「足を怪我しているんですか?」 
 
 一瞬拓也が何の事を言っているのかわからず、拓也の視線の先を自分も確かめてやっと理解する。 
 
「ああ、これか。うん。ちょっと靴擦れしただけだから」 
「くつずれ?」 
「拓也も普段はこういう下駄はかないっしょ? お兄ちゃんも慣れてなくてさ。でも、全然平気だし、心配しなくていいからな」 
 
 晶が笑ってみせると、拓也は少し心配げに目を伏せた後、一度頷いた。 
 
「なんだ晶、もう靴擦れしたのか?」 
 会話を聞いていた佐伯が晶の足の方を覗き込む。 
「あー、うん。でもそんな酷くねーし、帰るまでは平気っしょ」 
「絆創膏かなにか、後でコンビニで買って貼った方が良いな」 
「うんうん、そうする」 
 
 少し痛いが、歩けないほどの酷さではない。言われるまで今は忘れていたぐらいなのだから本当にたいした事は無いのだ。 
 食べ終わったかき氷のカップを重ねて何気なく脇へと置くと、拓也が晶の膝からひょいと降りて、そのカップを手に取った。 
 
「ぼく、ちゃんとゴミ箱にお片付けしてきます」 
 
 すぐにもゴミ箱を探しに行こうとする拓也を晶が慌てて呼び止める。 
 
「拓也、ちょっと待て。一人じゃ危ねぇって、後で捨てれば良いから」 
 晶の声と同時に佐伯が腰を上げた。 
「多分、言っても聞かない。俺が捨ててくる」 
 拓也へ近寄って手を差し出す佐伯に、拓也は手に持ったカップを背中に隠して晶の方をチラリと見た。 
 
「こっちに渡しなさい」 
「……。ぼくが、お片付けします!」 
「片付けは家ですればいいだろう。何が気に入らないんだ。ほら」 
 
 佐伯が後ろに手を回して取り上げようとするので、拓也は仕方なくといった感じで黙ってカップを佐伯に渡した。代わりに捨てに行く佐伯の後ろ姿をじっと見ている拓也は、浮かない表情で何かを考え込んでいるようだった。 
 戻ってきた佐伯に連れられて、再びベンチへと帰ってきた拓也は、佐伯と晶をみあげた後、小さな声で呟いた。 
 
「ぼく、……もう子供じゃないのに。何でも一人でできます」 
 
 拓也の言葉に佐伯と顔を見合わせる。先程からずっと、子供扱いをされているのが嫌だったのかも知れない。反抗期にはまだ早いような気がするが、大人と同じようにしたいと駄々をこねるのは子供によくある事で、それだけ拓也が成長したという証拠だろう。 
 
 片付けを自分でしようとする行為は褒められるべき事なのに、理由もわからず佐伯に止められた。些細な事のようできっと拓也には意味があったのだ。 
 
「拓也、いいか」 
 佐伯が困ったように拓也の名を呼び、片手をとる。 
「……」 
「別に子供扱いをしているわけじゃない。大人だってこんな人混みに入ればはぐれる事もある。戻って来られなくなったらどうするんだ。そうなったら大変だろう? だから一人で行動するなと言っている。わかるな?」 
「……」 
「黙っていたらわからんぞ。ちゃんと自分の意見があるなら意思表示をしなさい」 
「……いつも自分でやっています。お片付けも……だから、ぼく……。色々できるってお兄ちゃんにも、お父さんにも見て欲しかったのに……」 
 
 側で見ていた晶は、佐伯から今にも「くだらん事を言うな」という台詞が出るのではないかとヒヤヒヤしたが、そこは流石に子供相手には言わないようだ。 
 
「お前が一人で何でもやれるってことは、お母さんから聞いて知っている。そういう所は俺も認めているし、偉いと思っている。だから、ここで見せてくれる必要は無い」 
「……はぃ」 
 
 佐伯の口調は別段怒っていないが、何にせよ子供にはきつく感じられるせいで、拓也は視線を逸らすと俯いてしまった。ここで割って入ってフォローしても良いが、こればかりは佐伯達の親子の問題であり、自分がどうこう口出しできる事ではない。 
 時々晶に助けを求めるように視線を送ってくる拓也が可哀想な気もするが、我慢するしかない。 
 
 打ち上がる花火の音を耳にしながら、「あのさ、拓也」晶が別の話題を出して切り替えさせようとしたその時。 
 それは予期せぬ行動だった。 
 拓也が急に走り出したのだ。反応して慌てて立ち上がった時には、拓也は人混みに紛れて今にも見えなくなりそうだった。 
 
「拓也っ!! おい! どこ行くんだよ、待てって」 
「拓也、待ちなさい」 
 
 拓也は隙間をすり抜けるように走り続ける。すぐに追いかけた晶と佐伯は、人の流れに逆らっているせいで追いつけず、拓也の背中があっというまに完全に見えなくなった。 
 
「拓也っ!!!」 
 
 晶の大きな呼び声も、雑踏と花火の音でかき消されてしまう。こんなに人が多く、しかもたちの悪い人間もいるような場所で拓也がいなくなった。どうしてこうなったかもわからないまま不安で背筋にゾクリと悪寒が走る。 
 
「要、やばいって。と、とにかく探そう! 俺右から回るから、要は左から回って」 
「ああ、わかった」 
 
 流石に佐伯も焦っている様子で、晶と二手に分かれてすぐに走り出す。 
 ただでさえ小さくて周囲に紛れてしまうのに、本人が身を隠そうとしているのだから余計に見つからない。 
 
「拓也ー!」 
 
 声をかけながら注意深く辺りを探すがやはり見当たらない。屋台の裏の木の陰、通りに続く細い通路、段ボールの積まれた店のわき。足場の悪い場所で闇雲に走っているので何度も人にぶつかって、酔った男からは罵声を浴びせられる始末だ。 
 
「あ、すみません」 
 頭を下げて再び走ろうとした瞬間、晶は痛みに顔を顰めた。 
――……痛っ。 
 
 構わず走り続けたせいで、下駄の鼻緒の部分の傷から血が滲んでいた。もっと履き慣れた靴なら走りやすいが、今すぐ履き替えることも叶わない。 
 痛む指に力を入れて、少し足の当たる場所を後ろへずらし再び走り出す。 
 
「拓也!!!」 
 
 十五分程走り回った所で段々息も上がってきた。うるさい程に早鐘を打つ心音は走った所為だけではない。加速度的に増長する焦りと不安。ひっきりなしに耳に届く行き交う人々の笑い声、話す声。その中に「お兄ちゃん!」と自分を呼ぶ拓也の声が混ざっている気がして、晶は、何度もハッとして後ろを振り返った。 
 その度に、見つからない小さな背中に落胆する。 
 ただ単に当てもなく探すのは無理だと悟り、佐伯に一度連絡を入れてみる事にした。 
 
「もしもし、俺だけど。拓也見つかった?」 
『いや、だめだ。どこにもいない……あいつ、どこへ行ったんだ』 
 
 佐伯の周囲も当然うるさくて、佐伯の声が遠い。 
 
「俺の方も、まだ……。要いまどこ? 一旦会ってちょっと考えて探した方がいいかも」 
『そうだな。俺は』 
 佐伯が辺りを見渡す間、一瞬間があく。 
『射的の屋台があるな。その後ろだ』 
「射的……射的……。ああ、見えた。了解、そっち行くから待ってて」 
『ああ』 
 
 目的の屋台に辿り着き裏へ回ると、晶と同じく息を切らした佐伯がいた。陽が落ちているとは言え蒸し暑い上に人の熱気もあり余計に体感温度が高い。浴衣が汗を吸って身体にはり付いている。 
 滲む汗が、二人のこめかみを伝って流れ落ちていた。晶は緊張で渇きを覚える喉に無理矢理唾を飲みこんで口を開く。 
 
「どうしよう……。拓也、どこ行ったんだろ。まだ十五分ぐらいしか経ってねぇし、すぐ探し出したからそんな遠くまで行ってないと思ったんだけど……」 
 
 佐伯の探した場所と晶の探した場所を互いに教え合うと、それはほぼ祭り会場を網羅していた事に絶望する。それでも見つからないのだ。佐伯は少し考え込んだ後、乱れた髪を結び直しフと息を吐いた。 
 
「この花火大会は規模もでかい。どこかに救護センターか迷子を預かる施設が設置されているはずだ。まずはそこへ行ってみるか」 
「ああ、そっか! それいい案!! すぐ行こうぜ」 
 
 後ろにある射的屋台の店主に声をかけ、その手の場所がないか聞いてみると、佐伯の予想通りどちらの施設もちゃんとあるようだ。場所の行き方を詳しく聞いて店主に礼を言う。 
 すぐにその場所へ向かおうと歩き出した時、気が緩んだのか足の痛みに晶は思わず立ち止まり眉を寄せた。足下を見てみると、先程より酷くなっており、ずらした場所も傷になっている。一歩歩く度に鼻緒が肌を擦するのでかなり痛く、指から流れた血が足の裏でぬるりと滑った。 
 こんな所で時間をかけている場合じゃないのに。 
 
――……くそっ! 
 焦燥感に悪態を吐き捨てる。 
 
「晶?」 
「……悪ぃ、大丈夫」 
 
 察しの良い佐伯がすぐに視線を晶の足下へ向けた。途端に怪訝な顔をして腰を落とす。 
 
「ちょっと下駄を脱いでみせてみろ」 
「いいって。俺は平気だから。んなコトしてる場合じゃねぇだろ! 早く拓也を探さねぇと」 
「いいから見せろ」 
 
 一度言い出したら聞かない佐伯の性格を知るだけに、ここは素直に言うとおりにした方が時間ロスは少ないのかも知れない。晶は渋々側にある樹木に背を預けると、片足の下駄を脱いだ。滲んだ血が指を染めているのを見ると痛みが増長するようだった。 
 佐伯は傷口を見て「かなり痛むだろう」と晶を見上げる。無言で苦笑するしかない晶にやれやれと息を吐くと、自分のハンカチを取り出した。近くの枝で穴を開け、そこから力を入れて縦に切り裂く。手際の良さは流石外科医だ。 
 
「とりあえずこれを巻いておいてやるから、お前は休んでろ。俺が一人で行ってくる」 
「えっ! 何でだよ。平気だって!!! 俺も行く!」 
「二人で行こうが一人で行こうが結果は変わらん。これ以上歩き回ると酷くなるだけだ。大人しくしてろ」 
「でもっ!! 拓也が」 
 
 細く裂いてきつく縛り付けたハンカチには早くも血が染み出てきている。佐伯は処置を終えて立ち上がると一度悔しげに息を吐いた。 
 
「すまん。全て俺のせいだ」 
「……え?」 
「拓也にきつく言い過ぎた。正直、今だって何故拓也が姿を消したのか、その気持ちも理解できない。他に言いようがあったのかもしれないが、少なくとも俺の中に、その答えは無かった。これは俺だけの責任だ。お前がこれ以上無理をする必要はどこにも無い」 
「……要」 
 
 佐伯は普段滅多に見せない表情で……。 
 その表情は、拓也がいなくなったことの焦りと心配と……。 
 そして、父親としてうまく接することが出来ない自分への苛立ち。 
 それと、拓也の事で迷惑を掛けていることの罪悪感もあるのだろう。 
 その気持ちが痛いほど伝わってくる。 
 それが佐伯なりの優しさであり、気を遣ってくれているのもわかるが、部外者として佐伯が見ているような気がして、同時に苛立つ自分もいた。 
 こんな時に我が儘を言っている場合ではないが、それでも「一緒に探してくれ」と頼って欲しかったのかもしれない。 
 
「後で連絡をするから、お前はここにいろ。いいな」 
「……馬鹿言うなよ」 
 
 晶は俯いたまま一言呟き、痛む足を無理矢理鼻緒の方へぐいと押し込んだ。 
 直後もたれていた樹木から勢いよく身体を離すと拳を開き、気合いを入れるように指を鳴らす。 
 
「よしっ! んじゃ、行くとしますか」 
「待て、晶」 
 
 歩き出す晶の肩を佐伯が乱暴に掴んで引き留める。 
 
「人の話を聞け」 
「聞いてたっつーの! 全部ちゃんと聞いてた! ……手、離せよ」 
「だったら、」 
 
 晶は、肩に置かれた佐伯の手をバシッと払って振り返った。見上げた佐伯の背後で、見事な花火が空を明るく染め上げては散っていく。先程まで三人で見ていた花火はあんなにも色鮮やかだったはずなのに、今は色褪せて見えた。 
 
「……俺だって……、すげぇ心配なんだよ」 
「…………」 
 
 真っ直ぐに射貫く晶の視線と、佐伯の視線が絡み合う。 
 
「そりゃ俺は、拓也とは血が繋がってねぇけど。でも! 要に対する気持ちと同じくらい、拓也の事も大切だって思ってる。今こうしてる間にも、怖い目に遭って泣いてんじゃねぇかなとか、変な人に誘拐されてないかなとか……」 
「……晶」 
「要が俺に気を遣って、足の事もあるし、ここで待ってろって言ってくれてるのはわかってるよ。だけど、俺は一緒に行く。こんなん痛くねぇし、歩けないぐらい痛くなったら裸足になりゃいいじゃん。悪ぃけど、要の言う事はきけねぇ。俺も、一緒に拓也を探す」 
「……」 
 
 佐伯は複雑な表情を浮かべて頭を掻いたあと、一言、わかった。とだけ返事をした。 
 先程教えて貰ったとおりの道順で歩き、施設が視界に入ってくる。激痛を我慢して走り出す晶に佐伯が続く。 
 
 漸く辿り着いた迷子センターの中は、こんなに子供がいたのかと驚く程子供が沢山いた。泣きわめく子供や、やっと会えたことに親の方が泣いている場合もある。すぐに係員に事情を説明し、拓也の着ていた服装や年齢などの詳細を伝える。 
 施設に入ってすぐ周囲を見渡してみたが、拓也はいないようだった。 
 ここにくればもしかして保護されているかもという淡い期待は消え去った。探せる場所はほとんど探した。だけど、ここで待っているわけにもいかなかった。 
 佐伯が連絡先に自身の携帯番号を記載し、ペンを置く。晶はもう、入り口へ向かっていた。 
 
「見つかったら連絡が来る。それまでもう一度探すしかないな」 
「そうだな。俺は、さっきのベンチにもう一回行ってみるわ。拓也が戻ってきてるかもしれねぇし」 
「ああ、その可能性はあるな。……晶」 
「……ん?」 
「悪いな……。頼む」 
「なによ改まっちゃって、当然だろ? 任せとけって。んじゃ、また連絡すっから」 
「俺も別の場所を探す。たまに携帯をチェックしてくれ」 
「OK。要もテンパってこけんじゃねぇぞ~」 
「誰に向かって言ってる」 
 
 苦笑する佐伯も、軽口を叩く晶も、本当は余裕なんてない。だけど、いつも通りの会話をすることで得られる安堵感に、今は縋りたかった。 
 施設を出てすぐ佐伯と別れ、拓也がいなくなったベンチへと向かう。人は多いが、そう込み入った配置ではないので来た道を戻ることは容易だった。 
 人が少ない場所では走り、裏側も覗き込み、拓也がいないことで焦る気持ちを抑え込んで冷静に拓也が行きそうな場所を考える。 
 
 佐伯が縛ってくれたハンカチが晶の血で真っ赤に染まる頃、やっとベンチへ辿り着いた。乱れた髪から汗がひっきりなしに伝う。こんなに走り回ったのは久し振りだ。 
 
「……くそっ、やっぱいねぇか……」 
 
 落胆して膝に手を置き、浴衣の袖で流れ落ちる汗を拭う。 
 三人で座っていたベンチにはもう別の人間が座っていた。