──RIFF 20 
 
 
 
 目まぐるしく過ぎ去ったマットの件が落ち着いてすぐ、世間はクリスマスシーズンに突入していた。 
 町中のどの店もクリスマス商戦真っ只中で、そのアピールの凄さと言ったらない。明らかに供給過多のサンタクロースが、それぞれの店の目玉商品を売り込む姿は若干シュールでもある。 
 
 リトルハノイとて、それは例外ではなかった。 
 この時期の目玉は、サンタガールの衣装を着たウェイトレスの接客だ。 
 普段もそれなりに露出の高い衣装を着ているが、サンタガールのそれは普段の丈より数センチ短い。黒の網タイツの目で言うと五個分ほど。トミー曰く、人差し指を潜り込ませればガーターに簡単に指がかかるらしい。何故そこまで詳しく知っているかは敢えて聞かなかったけれど。 
 
 その数センチの差目当てに通う男達は、まんまとリトルハノイのクリスマス商戦にのっているというわけだ。 
 
 ややどぎつさを感じるほどのクリスマスデコレーションが通路に面した窓を眩い光で飾り、店内の片隅に置いてある古いポーカーマシンの前では、酔った男がマシン相手に気障な台詞を吐いて、そのままキスをしていたりする。中々にご機嫌な夜の光景だ。 
 正統なクリスマス演出とは言えないが、これはこれで毎年恒例なので、常連客の楽しみの一つでもあった。 
 
「え? ごめん。よく聞こえないんだ。今外だから」 
 
 クリスは片耳を手で塞いで、もう片方の耳に携帯を押し当て、何とか電話相手の言葉を聞き取ると眉を顰めた。 
 
「またその事? この前も言ったと思うけど、当日には顔を出すって。うん、そう。店も忙しいし、そんな暇ないよ」 
 
 電話の相手はクリスの姉で、つい三分程前にかかってきたばかりだ。 
 向かい側に座っているトミーが暇を持て余し、悪戯な笑みを浮かべる。 
 電話中のクリスに向けて、皿に残ったピスタチオの殻を弾き飛ばす。ポンと空中を飛んだ殻は、クリスの額に見事に命中した。 
 
――いたっ!? 
 
 よそ見していたクリスが驚いてトミーへ振り向く。声には出さず口の形だけでトミーに抗議し、当たった部分の額を撫でた。 
 電話中で怒れないのをいいことにふざけるトミーは、まるで子供だ。睨んでくるクリスに怯みもせず、肩を揺らして笑っていた。 
 
 ぽろっと額からクリスの膝に落ちたそれを拾い上げると、クリスはニヤリとし仕返しにトミーの方へそれを指で弾き返した。勢いを付けて飛んでいった殻は、ウェーブヘアーのトミーの髪にうまいことくっつき、トミーが髪から剥がそうとすると細かく砕け一層髪に絡まりついた。 
 
 クリスがトミーの髪を指さし笑いを堪えながらも、電話相手に口を開く。「何でもないよ。こっちの話」堪えきれず笑い声を漏らしたクリスに、相手が「どうかしたの?」とでも聞いてきたのだろう。 
 
「もう切るよ。行く前には電話するから、うん。じゃぁ」 
 
 通話を終えたクリスが携帯をテーブルへと置き溜め息をつく。 
 
「トミー。悪戯はやめろよ」 
 
 だけど、別に本当に怒っているわけではない。笑いながら皿から真新しいピスタチオを取り出して口に放り込んだ。 
 
「ごめんって。でも、俺のせいじゃないぜ? コイツがクリスの所に行きたいって言うからさ」 
「コイツって、ナッツの殻のこと? トミー、魔法使いだったんだ。初めて知ったよ。今夜一番の驚きだな」 
「そうそ。俺は人間・動物・無機物・空気、どんな物とも会話できんのよ」 
「へぇ。じゃぁ、早く会話して、その髪に絡まったままのナッツの殻に、出て行って貰いなよ。それとも、そこが居心地がいいって言ってるの?」 
 
 クリスがそう言った所で、トミーが「そりゃいいな」と吹き出す。何だか馬鹿馬鹿しくなってクリスも吹き出した。トミーは既に二本目のビールをあけ、うまそうに口を付ける。 
 ニールもそうだが、この二人は酒を呑むペースが基本的に速い。この調子だと全員揃う前に酔っ払うのでは? とクリスは些か心配気にトミーに目を向けた。 
 
「お前の姉ちゃん、歳幾つだっけ?」 
 
 高くナッツを放ってうまいこと口に運びながらトミーが訊いてくる。 
 
「27、ニールと同じ歳だよ。クリスマスに実家に顔出せってうるさいったらないよ」 
「それだけ会いたいって事だろ? お前、可愛がられてんのな」 
「そうじゃないんだ。姉貴はクリスマスは彼氏とホテルに泊まるから多分会わないよ。その事で、親父が不機嫌だから、代わりに実家に顔出してご機嫌取りしておいてって言うんだ。酷い話だろ?」 
「そりゃーお前にしか出来ない重要な任務だから仕方ないな」 
「そうかな? いいように使われてるだけだと思うけど」 
「いいように使われてあげるのが男ってもんだろ。クリス、いいこと教えてやろうか」 
 
 トミーがテーブルへ身を乗り出して自信ありげな笑みを浮かべる。こういう時のトミーが言うことで『いいこと』だったためしがない。クリスは聞く前から可笑しくなっていた。 
 
「恩ってのはな、ありとあらゆる所で売っておくのがベストなんだ。これはマジな話だぜ? 道端の野良犬にもコンビニのネェちゃんにも、勿論家族にもだ。人生の先輩として、俺からのアドバイス」 
「どうせ後で、見返りを回収する時のためとか言うんだろ?」 
「正解! って、待てクリス。お前、それ言っちゃお終いだろ。そういう下心はそっと秘めておけって」 
「真実だし。現にトミー、その売りまくった恩の回収できてるの?」 
「いや……それも、秘めとけって」 
 
 トミーが肩を竦めビールを一気に飲み干す。多分売った恩の半分も回収できていない。何だかんだ言って、トミーもお人好しなのだ。 
 
 待ち合わせの時刻は十五分後、先に到着していたトミーとクリスはリトルハノイの店内にかかっている大きな時計をチラッと見て顔を見合わせた。 
 かかっている曲はジングルベルのメタルバージョン、曲から想像してしまうトナカイは脳内で何故か闘牛に変わっていた。それぐらい激しいアレンジだ。 
 
「にしても、あいつら来ないな……」 
「そうだね。ニールはライブハウスのバイト終わった後だと思うから、遅れてるんじゃない?」 
 
 今日、大事な話があるからとメンバー全員とクリスをリトルハノイに呼び出したのはニールだというのに、未だ顔を出さないのは呼び出した張本人であるニール。 
 そして、スティーブンだ。 
 と言ってもまだ決めた時間ではないのだから、ただたんにトミーとクリスが早く着すぎただけでもある。 
 
「クリス、何の話しか知ってんだろ? こっそり教えてくれよ。昨日から気になって九時間しか寝てないんだよ」 
「九時間も寝たなら充分だよ。それに、そんな事言われても、俺も全部は知らないんだ」 
「全部はって事は、一部は知ってるってわけか」 
「いや、その……うん。でも、トミーだって何となく想像はついてるだろ」 
「まぁな。面子が面子だし。バンドの話だろうけどさ」 
「うん」 
 
 クリスは苦笑して、ビール瓶の水滴で所々ふやけているコースターに視線を落とした。 
 嘘をつくのは苦手だ。だから『全く知らない』とは言えなかった。 
 ニールが今日何の話をするかを自分は一応知っているのだ。それが全部かはわからないけれど、この前マットのアパートから戻ってニールの家に泊まったとき、ニールが言っていたからだ。 
「少し落ち着いたら、メンバー集めて今後のバンドの事について話そうと思う」と。なので、今夜ニールが皆を集めたと知った時から、バンドの話である事はわかっていた。 
 
 それにあの夜……。誘われたのだ。だから今この場所に居る。 
 
 マットの件があったばかりだし、大はしゃぎをするような雰囲気ではなかったけれど……。心の中では嬉しくて、凄くドキドキしていたのを今も鮮明に覚えている。 
 
「クリス、今のバンド本当に抜けるなら、うちのバンドに入らねぇか」 
 
 聞き間違えたのかと思い「本当に?」と二回も訊ねてしまった。 
 一度目の「本当に?」は『今言ってることは冗談で言ってないよね?』という確認の為。 
 二度目の「本当に?」は、『ニールが自分を誘ってくれた事に対して』である。明らかに動揺していたであろう自分のその質問に、ニールは二回とも真っ直ぐ目を見て、「本当だ」と力強く頷いてくれた。 
 憧れていたニールと同じステージに立つ日が来るなんて、ロック映画の主人公にでもなったみたいだった。 
 
 今夜新しいバンドについて発表するのだろうから、自分からはまだ誰にも言っていない。呼ばれたことで勘のいいトミーはもう気付いているっぽいけれど……。 
 
 少しソワソワした気持ちで入り口に目を向けると、丁度ニールとスティーブンが一緒に店内に入ってくるのが見えた。上背のあるニールは入り口を抜ける際に、少し腰を屈める。その瞬間、ニールと目が合った。 
 
「トミー、ニール達が来たみたい」 
「ん? ああ、本当だ」 
 
 クリスとトミーに向けて、ニールがポケットに突っ込んでいた手を出して挨拶するように挙げた。嬉しさに思わず大きく手を振り替えした瞬間、トミーの視線がクリスに刺さった。 
 
「クリス、お前一段とニールと仲良くなってないか? 恋人との待ち合わせかよ」 
「えっ。こ、恋人!? なに言ってんだよ」 
 
 いやでも、まだキスもしていないけれど、あの夜確かに自分とニールの関係は変化したはずだ。ニールはその後も通常運転で、もしかしてなかったことにされているのではと不安になる事もあるが、今は色々と忙しい時期なので、そこについてはあまり触れないようにしていた。 
 
 テーブルまで歩いてくる間に、案の定ニールはケリーに捕まって足止めをくらっている。ニールが何やら言葉を掛けていて、それを聞いたケリーはとっても嬉しそうに笑みを浮かべ頬を赤らめていた。