──RIFF 21 
 
 
 
 先にこちらにやってきたスティーブンにトミーが声をかける。 
 
「遅かったなスティーブン」 
「時間通りだ。トミーが早いだけだろ」 
 
 スティーブンはトミーの横に腰を下ろしながら早速煙草を取り出した。「ニールと偶然店の前で会ってさ」そこまで言ってクリスがいる事に気付き一瞬不思議そうな顔をした。 
 
「クリス、久し振り、って……まぁ、そんな久し振りでもないか」 
 
 スティーブンが言った側から苦笑する。マットの葬儀の際に会っているので、久し振りではない。だけど、マットという言葉を出すことを躊躇ったのだろう。自分もトミーもそうなのだから、その気持ちはよくわかる。 
 
「そうだね」 
 
 クリスも苦笑して返すと、暫くしてケリーから解放されたニールがやってきた。 
 
「悪ぃな。遅くなっちまって」 
 
 ニールが空いていたクリスの隣へ腰掛け、トミーの方へ目をやって呆れたように目を眇めた。 
 
「おいおい、もう出来上がってんじゃねぇだろうな」 
 
 空いた酒瓶に対しての言葉だ。トミーは「まさか、まだ前座も終わっちゃいないぜ」と笑って返す。再び登場したケリーにスティーブンとニールが酒の注文をする。 
 自分達の時は別のウェイトレスだったので、ケリーと顔を合わせるのは今が初めてだ。早速トミーがいつもの調子でケリーをからかう。もうこれは様式美の一つだ。 
 
「エース、その格好イカしてるぜ。ケツのラインだけは店一番だな」 
「『だけ』って何よ。他も一番でしょ、失礼ね。ニールはちゃんと言ってくれたわよ? 『今年も似合ってる。可愛いサンタだ』ってね」 
「いや、俺も同じ事言っただろ? ニールと何が違うんだよ」 
「全然違うわよ。それがわからないから、トミーは女の子にモテないのよ」 
 
 ケリーはトミーの頭をメニューで軽く払うと笑いながらホールへと戻っていった。文句を言い合っているが互いに楽しそうで、なんだかおしどり夫婦を見ている気分である。 
 
「トミー、そんなにケリーが好きなら真剣に口説いて付き合えよ。お似合いだと思うけど」 
 
 一連のやりとりを見ていたスティーブンがそう言うと、トミーは「冗談きついぜ」と言いながら、満更でもないようにケリーの方をちらっとみた。考えた事もなかったけれど、それはそれでありなのかもしれない。 
 もっとも、ケリーはニールにご執心なので、そこをどうするかにかかっているわけだけど。 
 
 笑っていたニールが煙草を咥えたまま、メンバーの顔を順に見渡す。 
 それぞれが忙しい中、こうして声をかけただけで集まってくれる仲間に、今夜は殊更感謝したい気分になっていた。 
 
 無意識に腕を伸ばし、クリスの呑んでいたボストンラガーを手に取って一口飲む。急いで来たので、やけに喉が渇いている。それがあまりに自然な流れで行われたことで、他の誰も気付いていなかった。 
 ニール本人も。 
 
「あっ、それ、……」 
 
 クリスが小さく声を漏らすと、ニールも「あ、」と声を漏らして漸く気付く。 
 
「悪ぃ、俺のじゃなかったわ。喉渇いてるからよ。つい、飲んじまった」 
「べ、別にいいよ」 
 
 意識しているのはクリスだけのようで、その後運ばれてきた自分のコークハイがくると、何事もなかったようにニールはそれを半分ほど一気に飲み干した。本当にただ喉が渇いていただけ……なのかもしれない。今までにこんな事はなかったので、ビックリした。 
 グラスをテーブルへ置いたニールが、改まってテーブルに腕を乗せて皆の顔を見る。 
 
「早速だけど、酔わねぇうちに話しておくわ。今日お前らを呼んだのは、バンドの話があるからだ」そう切り出した瞬間、ゆるかった雰囲気がキリッと引き締まる。 
 
「だけど、その前に。まずは礼を言わせてくれ。マットの件だ。誰も想像していなかった事態だったが……。最後まで、アイツを一緒に見送ってくれた事に感謝してる。有難う」 
「ううん。俺も一緒に見送れてよかったよ」 
「ニールも大変だっただろ。お疲れ」 
「ずっと一緒にやってきたんだ。当然の事さ」 
 
 マットの事を会話で口に出すには、まだ時期が尚早だと誰もが思っていた。 
 昔の想い出として片付けられるような時間が経っていない。だから、先程だって避けていたのだ。本来ならこの席に居るはずだったマットがいないという事実。架空の席に射す暗い影から目を背けるように。 
 だけど、ニールは違った。 
 どんな事実からも目をそらさない、いつものニールがそこには居た。 
 それだけ自分の中で区切りがついたという事なのだろう。 
 
 まるで身内のようにニールが礼を言うのを聞いて、クリスの胸が少しだけざわつく。こんな感情は不謹慎だと頭ではわかっていても、それを消すことが出来ない。正直、羨ましいと感じていた。マットがこんなにもニールの懐に入り込んでいる存在だったという事に。 
 
 しかし、それと同時に安堵が存在しているのも確かだ。自分からマットの事を口にする程度には、ニールが立ち直れている証拠だからだ。 
 ニールは一度クリスの方を横目で見て、気持ちを読み取ったように柔らかな笑みを口端に浮かべ、話を続けた。 
 
「それで、もうわかっていると思うが。ブラスとマットがいない状態で、今のままバンドを続けて行くのは、正直厳しいと思う」 
「…………」 
「だから、今夜をもって、……SAD CRUEは解散する」 
「……っ」 
「まぁ、……そうなるよな」 
「……ああ」 
 
 古株のトミーが寂しそうに頷いた。 
 ニールが言わなくてもこの場に居る全員がそうなるだろうと理解していた。しかし、『解散』というストレートな言葉はやはりそれなりにショックな言葉であり、聞いた瞬間それぞれの胸の中に強く入り込んで重さを増した。 
 
「SAD CRUEを名乗ったまま、抜けたパートのメンバーを探すって形も考えたが、気持ちを入れ替えるためにも、一度仕切り直して、新たなバンドで再出発をしたい。俺はそう考えてる。SAD CRUEはブラスとマットがいた形で完成形だった。他の誰かが入っても、それはもうSAD CRUEじゃねぇだろ」 
 
 ニールの言葉にメンバー全員が頷く。 
 グラスを口元に持っていき一気に飲み干すスティーブン。 
 トミーは新しい煙草に火を点けて火種をじっと見つめていた。 
 ニールが一度言葉を句切る。 
 吸いかけの煙草をたっぷり時間を掛けて吸い込み、灰皿で潰しながら紫煙を吐き出すと共に続ける。 
 
「そこでだ……。新しいバンドでは、クリスがギターを弾く。スティーブン、トミー、改めて聞かせてくれ。これからも、新しいバンドで俺たちと一緒にやってくれるか?」 
 
 一度解散という形を取ったからには、なし崩し的に新しいバンドへ移行するわけではない。新しいバンド結成に一番必要なのは、自らが『このメンバーと共に音楽をやっていきたい』という意思だ。 
 もしここで二人が断ってもニールはそれを受け入れるだろうし、嫌な顔一つしないだろう。 
 リーダーとして強引に引っ張るだけでは誰もついてこない。個人を尊重するために一歩引いた立場から答えを引き出す事も必要なのだ。 
 だけど、皆、答えは決まっていた。 
 
「訊かれるまでもないことさ、地獄の果てまでついていくぜ。リーダー」 
 トミーが飲みかけの瓶を目の前に掲げる。 
「俺も、まだまだ足りない。一緒にステージに立たせてくれ」 
 スティーブンがトミーに倣って同じようにグラスを掲げる。 
「皆に置いていかれないように俺も頑張るよ。宜しく」 
 そう言ってクリスが掲げた瓶。 
 
 ニールは嬉しそうに頷いた。 
「トミー、スティーブン、クリス、有難う。これからも、楽しんで行こうぜ」 
 
 最後にニールが集まった皆のグラスに、自分のグラスを合わせていく。ガラス同士がぶつかり合う軽い音が三度響く。 
 SADCRUEはこの瞬間、過去のバンドとなった。 
 同時に誕生したまだ名もないこのバンドが、新たな皆の居場所になる。今日が本当のスタート地点なのだ。 
 
 このメンバーの中に自分がいることが未だ信じられない思いで、クリスは残ったビールを一気に喉に流しこんだ。今までで飲んだビールの中で、今夜のビールが一番美味しく感じた。 
 ニールがウェイトレスを呼んで二杯目のコークハイを注文したあと、思い出したように付け加える。 
 
「ああ、それともうひとつ」 
 
 ニールが自身の唇を人差し指でひと撫でする。 
 
「新しいバンドのボーカルなんだけどよ……」 
 
 皆が一斉にニールの言葉を待つ。ニールは少し照れたように長い髪を一気に掻き上げた。 
 
「歌は、――俺がうたう」 
 
 過去の事情を詳しく知らないスティーブンやトミーは勿論、全部を知っているクリスでさえ驚いてニールへ視線を向けた。ここまでは聞いていなかったからだ。暫くはボーカルなしで練習して、その間に新しいメンバーを募集する物とばかり思っていた。 
 順応力の高いトミーは流石と言った所か、数秒驚いてすぐに「ベストな選択肢だ。のぼれるところまで行ってみようぜ」と楽しそうに笑っている。 
 
「ニール、本気か?」 
 
 いつも物怖じしないタイプのスティーブンは、今は驚きを隠せず目を丸くしていた。 
 
「……ニール!?」 
 
 トミーとスティーブンからは死角になっているテーブルの下。隠れているクリスの左手に、ニールが手を重ねた。 
 背負ってきた過去の重さを微塵も感じさせない口調で、ニールがサラッと口にする。 
 
「心配いらねぇよ。これでも、昔は、ボーカルをやってたんだ。まぁ、ブランクはあるからな。期待外れだって愛想尽かされねぇように、俺も気合いを入れさせてもらう」 
 
 クリスは重ねられた手を裏返すと、ニールの存在を確かめるようにギュッと握った。 
 
 4ピースの新しいバンドは、ボーカル兼リズムギターがニール。リードギターがクリス。ドラムがトミーで、ベースがスティーブンという構成だ。 
 
――……ニール……。 
――またニールの歌が聴けるんだ……。 
 
 そう思った瞬間、目頭が熱くなった。 
 重ねているニールの手から力強い意思と温かさが伝わってくる。胸が一杯になった。 
 クリスは俯いて必死で泣きそうになるのを堪えていた。これは嬉し涙だ。鼻の奥がツンとして、食いしばった歯が小さく震える。こんな日が来るなんて……。 
 
 
 
 あの晩、ニールが隠さず自ら話してくれた過去は、クリスの想像以上に過酷な物だった。一時はアルコール中毒になるほど追い詰められていたニールの気持ちは、話を聞いただけの自分には到底想像が及ぶ物ではなかった。 
 自力で這い上がってきたニールに残された傷跡の深さや、それを一切見せずにバンドを続けていたこと。どれをとっても、自分には絶対真似の出来ない事ばかりだ。 
 
 皆に頼られ、自分でさえいつもニールに頼っていて……。その全てを受け入れてリーダーとしてSADCRUEを引っ張り、あんなに沢山のファンに愛されるバンドを築き上げたニール。 
 そんな絶対的な強さを持っていたニールが見せた、あの夜の涙。 
 あの涙の意味が、マットを失った悲しみだけではないと気付けたのは、その後の話を聞かせてもらったからだ。 
 
 全てを話し終えた後、ニールは「聞いてくれて有難う。お前が居てくれて良かった」と言ってくれた。何も出来ない、してあげられない、礼を言われる事などひとつだってしていないのに。 
 
 朝方になって空気を入れ換えるために窓を開け、冷たい朝の空気を感じながらぼんやりと外を眺めていると、ニールが傍らに腰を下ろした。 
 
「いい天気だな。こういう日は、海が見たくなる」 
 
 ニールがそう言って煙草を咥えたまま空を見上げたから、自分も真似して煙草を取り出し、並んで一緒に空を見上げた。 
 吹きつける風に肩を竦めた瞬間、ニールの腕が肩を抱くように回される。 
 逞しくてとても温かい、その腕に引き寄せられ、思わずニールの顔を見上げた。 
 ニールは優しげに目を細め「クリスは、俺の歌が好きか?」と一言だけ呟いた。 
 
――うん。凄く好きだよ。今も……昔も、俺はニールのファンだから。またいつか、ニールの歌が聴けますようにって神様にお願いしてる。 
 
 今まで言えなかった本心を返すと、ニールは笑って「そっか」とだけ返事をし、クリスの髪をクシャクシャと撫でた。 
 その『いつか』が今、現実になった事。 
 そして、叶えてくれたのは神様なんかじゃなくて、ニール本人だった事が何よりも嬉しかった。 
 
 
 
 
 突然俯いて泣きそうになっているクリスに気付いたトミーが「おい、急にどうした?」と心配気に声をかける。クリスは我に返り慌てて目を擦ると、勢いよく立ち上がった。 
 
「ちょっとコンタクトがずれたみたい。直してくる」 
 
 そう言い残すと素早く姿を消した。 
 ポカンとしているトミーの前で、ニールは小さく笑って煙草に火を灯す。 
 
「クリス、コンタクトしてたのか。目、悪いんだな」 
 
 スティーブンが「初めて知った」とでもいうようにクリスの消えた方向へ視線を送った。 
 
「今日だけ、特別にしてきたんじゃねぇか? そういう事にしておいてやれ」 
 
 ニールはそう言って、クリスの顔を思い浮かべ、幸せそうにゆるりと煙を吐き出した。