──RIFF 22 
 
 
 
「クリス、お前視力いくつあるんだ?」 
「俺? あー……えっと、……どうかなぁ。最近は測ってないけど、目はいい方だよ」 
「へぇ、『いい方』ね」 
 
 クリスはニールのその問いの意味に気付いていないようで、真面目に視力に対して答えていた。フラつくクリスの腕を時々支えつつニールは面白そうに笑みをこぼした。 
 
 先程まで皆で呑んでいて、今トミー達とは別れたばかりだ。 
 珍しくかなり酔って途中からは机に突っ伏して寝てしまったクリスを起こし、家まで送っている最中である。 
 新しいバンドで皆と一緒にやれることがよほど嬉しかったのだろう。 
 酔っていたのはクリスに限った話ではない。 
 いつもはクールなスティーブンまで饒舌になっていたのだから。自分を含むメンバー全員が普段より相当酒を呑んでいた。ニールは、終盤トミーにからかわれてムキになっていたクリスを思い出して笑いながら、隣に視線を向けた。 
 
「それ、あいつらには言わねぇほうがいいぜ?」 
「どうして?」 
「覚えてねぇのか? お前、店で今日、コンタクトしてるとか言っただろ」 
 
 クリスは「え!?」と自分の発言をすっかり忘れているのか驚いて足を止め、首を振った。 
 
「言ったような気もする……。あんまり覚えてないかも。じゃぁ、今度聞かれたら、カラコンしてるって言おうかな」 
 
 酔って染まった頬を照れたように掻いて、クリスは俯いた。 
 
「まぁ、聞かれねぇと思うけど。あいつらも結構酔ってたしな。――って、おい。ほら、しっかり前向いて歩けよ、危ねぇだろ」 
「ごめん」 
 
 電柱に向かって歩き、危うく衝突しそうになったクリスをニールが慌てて引っ張って事なきを得る。クリスは腕を掴まれながらも、気持ちよさそうに空を見上げた。 
 眩しい外灯に照らされたクリスの淡い色の髪がキラキラと反射して、それがとても綺麗だなと思った。 
 
「ニール」 
「んー?」 
「俺さ、さっきの店でのこと。すげぇ、嬉しかったんだ」 
 
 そう言ってクリスはほとんど人通りのない住宅街で、幸せそうに笑った。 
 
「バンドの事か?」 
「うん、でも、ただ一緒にやれるからってだけじゃないよ」 
「っていうと?」 
「ニールが歌うバンドで、一緒にやれるっていうのが嬉しいんだ。俺にとっては、夢みたいな話だから」 
「夢って、そりゃ、大袈裟すぎんだろ」 
「大袈裟じゃないよ。昔観た映画でさ、憧れのバンドのトリビュートバンドでボーカルをしていた主人公が、本物のそのバンドのボーカルにスカウトされるって映画があったんだ」 
「へぇ」 
「今まで自分が憧れてたそのバンドにだよ? 俺、今その状態だよな。なんだかすごいよ」 
「それとは、ちょっと違うんじゃねぇか?」 
「一緒だよ」 
「いや、違うだろ。俺とお前は、前からずっとダチだったんだから、一緒にバンドを組むのだって、普通にあり得るだろ」 
「そこは、確かに……うん。そうだけど……。でも、俺の中では、その映画の主人公と同じぐらい嬉しい出来事だったんだ。ニール、俺、頑張るよ!」 
「おう、期待してるぜ。俺は、結構厳しいからな? 覚悟しとけよ」 
 
 冗談でそう言ったニールに、クリスはキリッと表情を引き締めガッツポーズを見せた。何にでも一生懸命で前向きなクリスを見ていると、以前から励まされることが多かったが、今はそれだけではなく、そんなクリスを見れば可愛いとも思う。 
 自分に無い物を持っているからこそ、惹かれるのかもしれない。 
 
 自分はクリスが憧れるようなそんな立派な人間ではないけれど、これからもそうあろうと努力することは可能だ。クリスにも、バンドのメンバーにも、そして勿論自分にも、恥じない生き方をしたい、クリスを見ているとふいにそんな事が頭に浮かんだ。 
 ポーチの芝生を横切ってクリスの自宅前で腕を放す。 
 
「ほら、着いたぞ」 
「うん、今鍵あける」 
 
 クリスが鍵を取り出して鍵穴へとさす。 
 深夜なので辺りは静まりかえっていて、ドアノブがあくガチャリという音がやけに周囲に大きく響いた。 
 先に上がり込んだクリスが「はぁ」と何度か安堵のような溜め息をつき、次々に明かりのスイッチを入れながらベッドのある自室へ進む。そして、そのまま床へ仰向けに転がった。 
 
 散らばった手書きのバンドスコアを集めて脇へと寄せ、ニールも隣に腰掛け上着を脱いで端へと丸めておいた。 
 程よい酔いが身体の芯に残っていて、とても気分がいい。目を閉じているクリスの横で煙草を取り出し、口に咥えて火を灯す。 
 
――ああ……そういえば……。 
 
 ニールは煙草を咥えたまま思い出したように腰を上げると、転がっているクリスを跨いでCDの並んでいる棚の前に移動した。先日話した際に、自分の昔のバンドのCDを今も持っているとクリスが話していたからだ。 
 
 ジャンルごとに並べられている大量のCD、ハードロックの棚を調べてみたがそれらしき物はない。デスメタルでないことはわかっているし、どのジャンルに入れているのか皆目見当がつかなかった。適当に端から放り込んでいるニールのCD棚とは違い、整理されたそれは、まるでCDショップのようでもある。 
 指で並ぶCDを辿る。 
 
――……にしても、同じのばっかだな。 
 
 自分の持っているCDのラインナップとほぼ同じだ。好みが完全に一致していることに、ニールは思わず苦笑した。 
 
「あった……ここかよ」 
 
 漸く見つけたCDはヘヴィメタルでもグランジでもなく『お気に入り』の棚に並べてあった。今でもお気に入りに並べてくれていることが、素直に嬉しい。 
 ニールが指を引っかけてCDを取り出すと、懐かしいジャケットが目に飛び込んだ。何度も取り出して見たのだろう。中のブックレットはかなり傷んでいて角がボロボロだ。 
 
 インディーズレーベルでそこまで金も掛けられなかったので、ジャケットのデザインは自分達でやったのだ。今見ると若干かっこ悪い。ニールは手に取ったCDをそっと閉じて棚へと戻した。隣に並んでいるのは、二枚目に出したアルバムだ。 
 
 クリスと出会ってさえいなかったあの頃から、こうして繋がっていたのだなと改めて実感する。 
 知らぬ間に誰かの中で生き続ける音楽。自分の手を離れても、どこかで聴いて何かを感じてくれる人がいる限り、自分はバンドを続けて行きたい。 
 色々あった今だから思える。 
 シルバー・グラントは今だって自分の中に存在するのだと。 
 
 
 ニールは短くなった煙草を最後に歯で噛んで深く吸い込む。 
 潰したフィルターからは最後の煙が濃厚なまま肺へと落ちた。 
 側にあったテーブル上の灰皿でもみ消し、やけに静かなクリスは眠ってしまったのかと様子を窺う。 
 クリスの隣へ戻り肩を何度か軽くゆすりながら、顔を覗き込む。 
 
「おい、酔っ払い。着替えてベッド行ってから寝ろよ。行き倒れじゃねぇんだから」 
「……ん、」 
 
 何度か眩しそうに瞬きをして目を開けたクリスが、至近距離に居るニールの目をじっと見つめて不思議そうに目を何度も瞬かせた。 
 
「あれ? 俺、寝ちゃってた?」 
「ああ、数分だけどな」 
「そっか……。今変な夢見ちゃったよ」 
「こんな短い時間でか?」 
「うん。リトルハノイに何故かステージが出来ててさ、そこで俺たちが演奏する夢」 
「お前の願望なんじゃねぇか?」 
「別に、リトルハノイでライブをしたいとは思った事ないんだけどな。やっぱりライブは」 
「The Rocks Theater、だろ?」 
「うん!」 
 
 出会った時から変わらない自分達の夢だ。数々の伝説のロックバンドがライヴをやったそのステージに立つこと。先はまだまだ長いけれど、クリスと一緒ならそんな途方もない夢を追いかけるのも悪くない。 
 
「なぁ、ニール」 
 
 そのまま何も言わず真っ直ぐ見つめてくるクリスの透き通った青い瞳に自分の姿が映り込んでいる。クリスは一度何かを言おうとして躊躇ったように言葉を飲みこんだ。 
 
「どうした。気分でも悪くなったか?」 
「ううん、そうじゃない。あのさ……」 
「何だ」 
「酔っ払いのお願い、聞いてよ」 
「普段なら断るところだが、今日は特別だ。何だよ、言ってみろ。水持ってきて欲しいのか?」 
「……違う」 
「……?」 
「そういうんじゃなくて。俺、……ニールと付き合ってるんだよな?」 
 
 クリスが徐に上半身を起こすと、ニールの首に手を回して引き寄せる。酔ってふざけているわけでも、寝ぼけているわけでもなさそうである。 
 
「ニール……。キスしてもいい?」 
「……え?」 
 
 そのままクリスは、自身の唇をニールへと重ねた。軽く重ねるだけのキスだ。だけど、クリスとキスをするのはこれが初めてだった。 
 相当酔っていたから帰路が心配で家まで送っただけで、酔っ払っているクリスをどうこうしようなんて思っていたわけじゃない。 
 だけど、ストレートに誘われれば身体は正直に反応する。ニールはごまかすようにクリスの頭をくしゃっと撫でて笑った。 
 
「返事聞く前にしてんじゃねぇか。どうしたんだ。急に」 
「こういうの……ニール、もしかして抵抗ある? ごめん。強引にこんな事して……嫌だったらもうしない」 
 
 何を勘違いしているのか。先回りして少し後悔したような表情を浮かべ視線を逸らしたクリスが、そんな事を言う。積極的なんだか消極的なんだかわからない。 
 
――……参ったな。 
 ニールは頭を掻いた。 
 
「馬鹿だな、何言いだすんだ」 
 呟くようにそう言ってクリスの身体に腕を回す。 
 ギターで鍛えられた肩はちゃんと男らしくて引き締まった筋肉に覆われている。固いその背中を抱き締めれば、いつもの安心出来るクリスの匂いがした。満足いくまでその体温を享受すれば、高まる興奮と共にじわじわと欲情が立ち上ってくる。 
 ニールは一度身体を離すと、クリスの視線に真っ直ぐ向き合って額をゴツンと当てた。 
 
「抵抗があるかって? そんな軽い気持ちで、付き合うわけねぇだろ」 
「……ニール」 
 
 クリスが安心した様子で息を吐く。 
 以前と関係が変わったからと言って、急に態度を変えるのはクリスも戸惑うと思い、今まで通りに接していた。その事が逆にクリスを不安にさせていたようである。 
 
 ニールはクリスをゆっくり床に組み敷くと、クリスの手首を押さえつけたまま被せるように唇を重ねた。薄く開いたクリスの唇を舌で割って、口内を犯す。 
 先程クリスのしてきたような軽いキスなんかじゃない。互いに火を灯すための発火材だ。長い口付けは終わる様子もなく。 
 遊び半分の気持ちから本気にシフトチェンジしたそれは、互いを夢中にさせ、相手の唇を味わう以外の思考を脳内からかき消す。 
 つるりとしたクリスの歯を舌でなぞれば、クリスは熱い吐息を漏らした。 
 
「んっ、ふ、……ール、」 
 
 何度も貪るように唇を食む。 
 
「確かめてみろよ。お前自身で」 
 
 噛みつくようなキスに次第に苦しくなって、クリスは口付けの合間に酸素を求めるように喘いだ。徐行運転もなく、いきなり踏み込まれたアクセルに受け入れるだけで精一杯だった。こんな激しくキスを交わしたことなどない。 
 初めて知ったニールのキスの味は、さっきまで吸っていたニールの煙草の味がした。 
 
 自分の口内で動くニールの舌が火傷しそうな程に熱く感じる。おずおずと舌を返して絡めていると、飲み下させない唾液が口端からつぅと零れた。 
 漸く解放されたクリスは一度深く息を吸って、ニールを見上げた。もうすっかり息は上がっているし胸も驚く程ドキドキしている。仕掛けたのは自分で、しかもまだキスしかしていないのに。 
 
「ニール……俺」 
 
 いつも前髪で隠れ気味のニールの右目が、サラリと落ちている金髪の奥で色を変えるのが見えた。 
 
「勝手な勘違いをするのは、お前の悪い癖だな。――今から俺はお前を抱く。最初に言っておくが、強引でごめんなんて、謝る気はねぇぞ」 
 
 耳元で囁かれれば、ニールの色気のある声がいつまでも耳に残る。友人だった時には見せなかったニールの雄の表情。初めて見るその顔に、クリスは僅かに緊張した。 
 自分の躯にニールがちゃんと欲情してくれたことが嬉しい。いつもと違う雰囲気を纏ったニールの全てが現実感を薄れさせた。 
 
「強引とか、言うはず……ないだろ」 
 
 緊張を知られたくなくて、クリスは精一杯の冷静さを装ってニールに視線を返した。 
 
「上等、そうじゃなくっちゃな」 
 
 ニールが悪戯な笑みを浮かべて、クリスの額へ軽く口付けた。 
 それが合図のように、互いに急かされるように上着のボタンを外し、その下の下着も一気に脱ぎ捨てる。くしゃくしゃになったそれを邪魔そうに払うと、ニールはアルコールのせいで火照った身体をまさぐって、あちこちにキスの雨を降らせた。 
 耳朶を甘噛みし、滑らかなクリスの首筋に音を立ててキスをする。 
 
「……ぁ、……ッ」 
 
 数分前に装った冷静さはいとも簡単に崩れ、ニールからされる首筋へのキスひとつで声が漏れてしまう。途端に気まずくなって下唇を噛むクリスの顔を見て、ニールはにやりとすると声の上がった右側の首筋を中心に執拗に何度も唇を寄せた。 
 
「……や、め……、ッニール、ん、ぁダメ、だって……ッ……っ」 
 
 ニールの愛撫がこんなにも気持ちの良い物だと知ってしまった身体は、我慢していてもピクリと反応してしまう。少し気が緩んでしまえば、その瞬間すぐにまた声が出て、それを聞いているニールは嬉しそうに小さく笑った。 
 ニールの唇が離れると、クリスは頬を染めたまま恥ずかしそうにニールを上目で睨み付けた。 
 
「ニ、ニール。わざと、やってるだろっ。そこばっか……」 
「ああ、わざとやってる」 
「酷いな、ニールって結構意地悪なんだね」 
「意地悪じゃねぇだろ。お前が気持ちよさそうだから、つい、な。嫌なら今すぐやめるか?」 
「嫌だ、やめなくていい。……でも。……そんなに、そこばかりされたら、俺、すぐ達っちゃいそうだから。ニールのキスが、その……気持ちよすぎて……」 
 
 ニールはクリスの顔を暫く無言で眺め、「ああ、神様」とでも言いたげに眉を寄せて首を振った。フと我に返り、自分が言った台詞に恥ずかしくなって、クリスの顔が真っ赤になる。取り消す? どうやって? 何て言おうか焦っていると、苦笑したニールに優しく髪を撫でられた。 
 
「お前な、……ヤバいぞ今のは。煽るならもう少し控えめにしてくれ。俺が先に達っちまったらどうすんだ」 
「な、煽ってるわけじゃなくて……俺は、その……本当にそう思ったから言っただけで」 
 
 何か言い訳を口にしようとしたけれど、ますます余計な事を口走っている気がしてくる。 
 
「その……」 
「もういい、お前少し黙ってろ。俺の身が持たねぇよ」 
 
 クリスの続きの言葉はニールの唇で塞がれて言葉にならなかった。恥ずかしくてニールをまともに見ることも出来ない。 
 
「クリス」 
「うん……な、なに?」 
「こっちみろよ」 
「ちゃんと聞いてるよ」 
 
 あくまで視線を逸らしていると、顔に両手を添えられてそらせないほどにニールの顔が近づいた。鼻先にちゅっとキスをされ、頬に手を添えられる。 
 
「お前が好きだ。これからも、俺の傍にいてくれ」 
「ニー……ル、」 
 
――……あれ? 
 
 何だか泣きそうだ。そう思った瞬間にはもう、クリスの目尻から一筋の透明な滴が伝っていた。感情の揺れ幅の大きさに自分自身がついて行けない。 
 ニールの長い髪が、鎖骨を撫でてそれが少しくすぐったかった。 
 
「ニール、俺も……。俺も、ニールが好き」 
「ああ」 
 
 泣き笑いのような表情で、クリスはニールを引き寄せて自ら唇を重ね、背中に腕を回す。 
 クリスは身体を起こすと、ニールの胸に掌をあてタトゥーの柄を指でなぞる。首筋まで続くそれを口付けと共に追いながら柔らかな髪をかき分けて首筋や耳元に口付けた。逞しい腕の先にある手を取り、その指先に辿り着く。 
 いつも見ているニールの男らしい指、この指先が奏でるギターの音にいつか追いつきたいといつも思っている。力強く、だけど繊細な音色を紡ぐニールの指先はギタリスト特有の硬さがある。弦に常に触れるその部分に最後にキスをして、クリスはニールを見上げた。 
 
「ベッド、行くか」 
「……うん」 
 
 すぐ隣にあるベッドへもつれ合うようにして沈む。安いベッドは二人分の重さを非難するように大きくギシリと鳴った。 
 ベッドの頭上にある棚からスキンを取り出すと、クリスは枕元へとそれを箱ごと置いた。 
 
「用意がいいな」 
「そうでもないかも。多分コレ、使用期限過ぎてる。使えるかな?」 
 
 クリスがそう言って笑うと、ニールは「まぁ、平気だろ。食うわけじゃねぇしな」と返して同じように笑った。ニールの優しい眼差しを自分が独占していることが堪らなく嬉しくて、このまま夜が明けなければいいのにと思う。 
 
 狭いベッドの上でバランスを取るように体勢を整え、ニールはクリスの足の間に割って入ると、口付けを次第におろしていった。指でつままれ乳首を口に含まれる。 
 普段は気にしたこともない、ましてや愛撫されたことなんてないその場所は、自分でも驚く程敏感だった。口に含まれ舌で嬲られれば、甘い刺激が駆け抜ける。 
 
「……っん、ん」 
 
 微弱な快感は繰り返されることによって大きくなり、両の乳首が腫れぼったくなる頃にはすっかり躯の内部まで熱が籠もっていた。 
 キスをしたままニールの右手がクリスの割れ目をなぞる。直接睾丸を優しく揉まれれば、クリスの前で揺れるペニスがぐんと容積を増した。 
 
「んっ、……ニールッ、ぁ、」 
「クリス、少し身体の力を抜け。このままだと、痛ぇだろ」 
 
 ニールに言われ意識してそうしようとしてみるが、指が触れる度につい力が入ってしまい中々うまくいかない。ニールは一度手を止めるとスキンの封を歯でちぎり、中身を取り出すと周りについている潤滑剤を扱いて絡める。ローションなんて用意していないので、一個はそれ用に代用するつもりらしい。 
 
 冷たく濡れたニールの指先が再び戻り、狭い入り口を時間を掛けてゆっくりと揉みほぐす。自分に触れているのはニールの指だ。そう意識すると、まるで自分の身体がギターにでもなってニールに愛撫されているように感じた。 
 
「大丈夫そうか?」 
「う、……ん、」 
 
 先程までの荒々しさのある攻め方とは違う、クリスの身体を思って慎重に進めるニールのそれに、深い愛情を感じて堪らない。 
 
「ん、……ぁっ、……ッ」 
 
 襞を開いて中に潜ってくるニールの指、確かめるように内側でゆっくりと動かされれば上ずった声が上がる。例えられぬ種類の快感が、ニールの指先を追従するようにあちこちに移動した。まだ挿れられてもいないのに、クリスの竿にはしとどに先走りが伝い落ちた。 
 
「ニー、っ、……ん、ァッ」 
 
 漸く迎え入れる柔らかさになった後ろからそっと指を抜くと、ニールは腹につくほど勃ちあがった自らのペニスの先を指で支え、片手で器用にもう一つの新しいスキンを被せた。 
 
「クリス」 
 
 名を呼ばれ顔を上げると、ニールが安心させるように一度ギュッと強く抱き締めてくる。 
 気持ちが良くて嬉しい事も、少し緊張していることも、ニールになら全て晒して見られてもいい。 
 クリスは顔を上げて笑みを浮かべた。 
 
「……大丈夫だよ、俺」 
 
 ニールの耳元で囁いたクリスに深く口付けた後、ニールはゆっくりと足を担ぎ上げ、露わになったクリスの後ろへペニスをあてがった。 
 意識して息を吐き目を瞑る。先端に触れただけで熱を感じるそれがぐいと押し入ってくる苦しさに、クリスは小さく呻いて躯を強張らせた。 
 吐く息が途切れ途切れになる。無意識に逃げそうになる腰をニールに掴まれ、奥までゆっくり貫かれると痛みと共に中がうねるように疼いた。 
 
「っう、……ん、ぁ、っッ……っ。ニールッ、っ」 
「苦しいか?」 
「うん、ちょ……っと、……」 
 
 ニールが中にいると思うと、未知の快楽が押し寄せ、酩酊感にも似た目眩がした。このまま激しく奥を突かれるのかとシーツを握りしめると、ニールはそのまま動きを止めた。 
 自分の中にあるニールのそれが堪えるように脈打つのがわかる。 
 クリスの腰を撫でながら「急に動いたら、やばいからな。少しだけこのまま」と動かずにいてくれるニールのこめかみから、汗が伝い落ちる。そんなニールを見てしまえば、痛みなど幾らでも耐えられると思った。 
 
「ニール、俺、平気だから……、」 
 
 そう言っても、ニールは暫く動かなかった。 
 そんな我慢をさせていることが辛くて、クリスが自ら腰を揺らし始める。ニールは「お前な、」と少し困ったように笑って、抱えているクリスの足に仕返しのようにキスをした。 
 
 束の間の休息の後、ニールがゆっくりと動き出す。引き抜かれる直前から奥へ進んでくるその動きに、ニールに抱えられた足が痙攣する。最初はゆっくりと抽挿を繰り返していたニールの息も徐々にあがってくる。 
 熱い粘膜を擦りあげられて全身が性感帯にでもなったみたいだった。 
 
「は、……っ、ぁ、ッ、っつ、……んん」 
 
 夢中でニールを感じていると、ニールが一度、上がった息を苦しげに吐き出して動きを止めた。長い髪で隠れた影から、忙しない息遣いが耳に届く。 
 
「悪ぃ、もう限界だ……。抑えきれねぇ」 
 
 クリスが慣れるまで、根気強くセーブをかけていたニールが眉を寄せる。 
 
「う、ん……ッ、」 
 
 大丈夫だと頷いてみせると、なめらかに動けるようになったクリスの奥を突くスピードがあがってくる。より深く沈められるペニスの先端が、潤んでいく中を抉り続ける。 
 クリスを、身体中の力が一気に抜けたような感覚が襲い、入れ替わるようにして強い快楽が背筋を駆け上った。 
 
「あぁッ、ニールッ、っ……ぅぁッ、」 
「……クリス、ッ」 
 
 互いの乱れた息遣いが部屋中に響いている。 
 我慢していた分を取り戻すように激しく打ち付けられれば、それに呼応するように声が漏れる。自分の声じゃないみたいな卑猥なその声が恥ずかしいと感じる余裕すらなくて、ひたすら快楽を追い求めてしまう。 
 
 溶けて繋がったような後ろは痛みなどすっかり忘れて、ニールに愛されている悦びに躯中が満たされていくのを感じていた。ニールの大きな手が、前で揺れるクリスのペニスを扱いた瞬間、クリスは一気に絶頂感に襲われそのまま射精した。 
 
「っう、ッッ……ぁ、ッ!!」 
 
 達ったあとも続く強烈な愉悦が燻ったように残り続けて躯を支配する。 
 
「クリス、」 
「ッ、……ール、ニールも、気持ちい、……?」 
「当然、だろ。っ、最高に、ハイな気分だ」 
 
 後ろを締め付けながらニールの手を汚す精液が止まらず溢れて塗れた音を立てる。達ったばかりのクリスの敏感なペニスを握る力を緩め、ニールは片方の手でクリスの腰を強く引き寄せた。 
 
「ニー、ル、ッッァ、……ッっあ、ッァ、ッぁ」 
 
 飢えた獣のように激しいニール本来のセックスが、躯中に刻まれていくのが堪らなく嬉しくて、クリスのペニスがすぐに頭をもたげる。こんなに連続で達く事なんて普段はあり得ないというのに。ひくっと動くそこが、ニールの形を記憶するように絡みつく。 
 置き去りになった理性はもう遙か遠くで、後ろ姿さえ見えやしない。 
 
「俺、ッまた、……達きそ、っ、ぁッ、ぅ、ァッ」 
「達けよ、俺も……、やばい」 
 
 ニールの手に握られたまま、のぼってくる二度目の強烈な射精感に躯を震わせる。白い喉をのけぞらせ、クリスの喉仏が上下する。 
 
「クリス……ッ」 
「ん! ァあ、ッッ!!」 
 
 最奥へ押し込まれたニールのペニスが中で爆ぜると同時にクリスも精を放った。こんなに求められる情熱的なセックスは経験した事が無い。 
 一瞬だけ意識が飛んで目の前が暗くなる。快楽の涙が滲んだ視界はすぐに戻り、目を伏せるとニールに抱き締められているのがわかった。 
 
「……ニール」 
 
 掠れた声で名を呼ぶと、ニールは汗で濡れたクリスの髪を指先で払うと透き通る瞳を内包した瞼にキスを落とした。 
 
 
 
 長距離を走り抜けてきたようにあがった息も、次第に落ち着いてくる。快楽に身を任せていた時とはまた違った幸せな気分である。 
 
「身体、辛くねぇか?」 
 そう言いながらニールは気怠げに躯を起こしてベッドに腰掛け、自身のペニスに被せていたスキンを外した。 
「うん、平気みたい……」 
 クリスが嬉しそうに笑みを浮かべ「それも、大丈夫だったみたいだな」とニールの手にあるスキンを指さす。 
 
「ああ、そうだな。もったいねぇから、なくなるまではコレ使うか」 
 
 ティッシュにくるまれダストボックスへ捨てられたそれを見ながらクリスが呟く。 
 
「いいけど、二箱ぐらいあるよ」 
「買い置きしすぎだろ……」 
「仕方ないだろ。レジでちょっと……見栄を張っちゃったんだ」 
「なんだそりゃ。じゃぁ、ガンガン使って減らさねぇとな」 
 
 ニールの言葉がおかしくて、二人で笑った。本当は身体中が痛かった。 
 普段使わない部分の筋肉を使ったからだろう。だけど、そんな事がどううでもよくなるほど最高に幸せだった。 
 
 セックスをしていた時はあんなに暑かったのに、時間が経つとやはり寒くなってくる。シャワーを浴びる前に二人で窓を開けて煙草を吸っていると、ニールがしわくちゃになったシャツを拾ってクリスへと渡した。 
 
「風邪引くから羽織っとけ」 
「うん、サンキュー。……あ、そうだ。ニール」 
「んー?」 
「今日は、俺も床で寝るから」 
「は? 何でだよ。気にしなくていいぞ? いつも通り、お前はベッドで寝りゃいいじゃねぇか」 
 
 クリスの自宅へ泊まった際、ニールはいつも床で寝ている。それはクリスのベッドが狭いせいで寝る場所がないからだ。前はそんな理由で別々に寝ていたけれど、本当は前から一度一緒に寝てみたいとクリスは思っていた。 
 
「だって……一緒に寝たいんだ……いいだろ?」 
 
 ニールは少し考えた後、吸い終わった煙草を灰皿へ捨て、肩を竦めた。 
 
「一緒に寝るにも、一苦労ってやつか」 
「ニールがでかすぎるせいだよ。でも、恋に障害はつきものだから」 
「こういうのは、障害って言わねぇだろ。でも、そうだな……今度の休み、新しいベッド見に行くか」 
「うん。……そうしよう」 
 
 その後、順番にシャワーを浴び、もう一本だけビールを飲んで、約束通り二人で床に転がった。 
 
「床……やっぱり痛いな。自分の家の床で寝るの初めてだよ」 
「だからベッドで寝ていいって言ってんだろ。明日、身体中痛くなっても知らねぇぞ」 
「でも、ここがいいんだ」 
「んじゃ、ほら。もうちょっとこっちこいよ」 
 引き寄せられて頭を浮かすと、ニールが腕枕をしてくれる。 
「これでちょっとはマシになんだろ」 
「うん……」 
 
 ニールはそのまま一分もしないうちに眠ってしまった。 
 床は硬くて寝心地は悪かったけれど、隣にはニールがいる。クリスは少し甘えたようにニールの身体へ腕を回すと、そのまま目を閉じた。