──RIFF 24
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WILD LUCKの記念すべき初ライブの日
気温はぐんと低かったが晴れ渡った空には雲ひとつなく、どこまでも続く群青がバンドの未来を現しているようだった。
バンド名の決まったあの日から集中的にスタジオ練習を続け、ライブで披露できるクオリティに全ての曲を昇華させた。こんなに長い時間をスタジオで過ごすなんて滅多にない事だ。それだけメンバー全員のモチベーションが高かったという事なのだろう。慌ただしく準備したこの数日間、その結果が今夜のライブで出る。
本来なら朝から一通りスタジオで練習したかったが、残念ながらその時間は無かった。
何故ならライブがある当日だって当然バイトがあるからだ。
ニールはMary’sCoffeのバイトを終えて帰り支度をしていた。これから直接ライブハウスに向かって直前のリハーサルを行う予定だ。
ロッカーをしめると、ニールのタトゥーに興味津々の例のバイト仲間が今日もニールの着替えを観察していた。
しかし、今日はいつもと様子が違う。
「おう、お前。あの分厚い眼鏡はどうした?」
そう、彼の特徴のひとつ、分厚いレンズの眼鏡を今日はかけていないのだ。それだけではない。そんなに毎回覚えているわけではないが、記憶に残らない程度には地味な服装をいつもしている彼が、派手なTシャツを着用していた。
「今日はライブなんで、コンタクトです」
「へぇ、そうなのか。お前もライブとか行くんだな。どんなバンドのライブだ?」
さして興味は無いが世間話の軽さで訊ねると、彼はロッカーからなにかを取り出してニールの目の前に差し出した。
「……おいおい、これって」
そう、差し出されたのはまさに今夜ある自分達のライブのチケットだった。ニールは驚いたように顔を上げ「どういう事だ?」と首を傾げた。
「僕、実はファンなんです」
「…………え?? いつからだよ。そんな話一度も聞いたことねぇぞ」
「かなり前ですよ。聞かれなかったから言いませんでした。友人に連れて行かれてSADCRUEのライブを観てから、ファンになりました。ライブにも毎回行っていましたし」
「マジかよ……。ってか、聞かれなくても言えよ。全然知らなかったじゃねぇか。正直驚いたわ。でも、曲を聴いてくれたのは嬉しいぜ。応援してくれてサンキューな」
ニールが苦笑してそういうと、彼が初めて照れた表情を浮かべた。眼鏡を外していると案外可愛い顔をしているのかもしれない。
「んじゃ、俺先行くわ。最高のライブにしてやるから楽しみにしてろよ」
「はい。WILD LUCKの初ステージ頑張って下さい。客席から応援します」
「おう!」
こんな身近にも自分達の音楽に惹かれてファンになってくれていた人物がいるとは。それにしても何年も一緒のバイト先でバイトをしているのに……。聞かれなかったからと言って毎回ライブに来ていた事を今まで内緒にしていたとは、本当によくわからない男である。
今夜ライブで使う予定のギターは三本だ。
アコースティックギターやエフェクター等の機材はステイシーに頼んで既に運び込んで貰っているが、後の二本は自宅にあるギターを持参する事になっている。体力には自信があるが、エレキギターは特に重量があり、二本の合計は8㎏近かった。
――……やっぱり重いな……。
ニールは気合いを入れて二本を肩に担ぐとバイト先の裏口を抜けて駐車場へ向かった。少し離れた場所の駐車場に辿り着くと、後ろの座席にギターを入れて運転席へ戻る。
車のエンジンを掛けて、ダッシュボードから無意識に煙草を取り出す。一本を取りだして咥えた瞬間に気付いて一人苦笑いをした。喉の調子を整えるため、二日前から禁煙中なのだ。
煙草を箱へと戻し、代わりにのど飴を口へと放り込むと車を発車させる。
今夜ライブを行うライブハウスは、前回SADCRUEでやった会場よりだいぶ規模が小さい。WILD LUCKとして初めてのライブだというのもあり、意図的にステージと客席の距離が近い会場を選んだからだ。
宣伝などに時間を割く余裕もなかったので、ライブハウスのサイトにスケジュールとして載ったこと以外では、楽器屋や馴染みの店にチラシを貼らせて貰った程度だが、どこかのSNSで情報が拡散されていたらしい。そのせいで予想以上に人が集まったようだ。
当日券を手に入れるために既に列が出来ていると知ったのは、つい先程バイト途中でかかってきたライブハウスからの電話でだ。関係者が入る裏の出入り口にも入り待ちのファンがいるので、地下駐車場の機材搬入口から入ってきてくれとのお達しだ。他のメンバーにも同様に連絡が行っただろう。
ライブハウスが見えてくると、確かに入り口には列が出来ていた。
車なので気付かれることはないと思うが、一応バレないようにサングラスをかけて素早く通り抜け地下駐車場へまわる。
さすがに地下駐車場には人もおらず、スムーズに出入り口に辿り着いた。久し振りではあるがSADCRUEの時にも二度ほどライブをした事があるライブハウスなので勝手はわかっている。
迷路のように入り組んだ廊下を歩いて行くと、控え室へと辿り着くことが出来た。
扉を開けると、中はすでに騒々しかった。挨拶をしながら中へと入る。
メンバーは全員揃っており、懐かしい顔ぶれもいる。ニールの顔に自然に笑みが浮かんだ。
「ブラスじゃねぇか。久し振りだな。来てくれたのか」
スティーブンと話していたのは、SADCRUEで一緒にやっていたブラスだった。まだそんなに経っていないというのに、やけに懐かしく感じる。
「ニール、久し振り。初ステージをするってスティーブンから聞いて居ても立ってもいられなくってね」
「そうか、嬉しいよ。クローディアとお腹の赤ん坊は元気か?」
「ああ、お陰様で順調さ。今夜、クローディアも来たがっていたんだけど、最近体調が安定しないから留守番させてるよ」
「それがいい。ライブはこれからいつだって見られるからな」
「わかってる。また次回一緒に来させてもらうよ」
「おう、楽しみにしてるぜ」
部屋の壁に立てかけられているパイプイスを引っ張ってきて座ると、ニールは手荷物をカウンターへと置いた。いつもと違い控え室は狭く雑然としている。元は倉庫だった物を改造したのか部屋の隅には工具や資材などが積まれたままだ。よって、鏡のある鏡台は二つしかない。だからなのか、二つ積み上げた段ボールの上に、即席で立てかけただけの鏡が追加で置いてあった。
その前に座っているのはクリスで、丁度ニールと背中合わせの状態だ。
「今日はどうだ? クリス。前よりは緊張してねぇみたいだな」
鏡越しにクリスに声をかけると、クリスはくるりと後ろを向いてニールの隣に椅子を移動させた。
「緊張してるよ。でも、今回は大丈夫そう。もう準備も終わったし」
「そりゃ、頼もしいな」
隣のクリスを見ると、先日クローディアから教えて貰った通りメイクも済ませたらしい。多少目元がくっきりした以外はほとんど変化がないように見えるが。
「お前それでメイク終わりか?」
「え? うん。ダメかな?」
「いや、いいんじゃねぇか。ちゃんとイケてる」
「そ、そうかな。サンキュー」
照れたようにクリスが下を向いた瞬間、被さるようにしてトミーの声が聞こえた。
「なんてこった! パンツがはみ出るぜ」
声は、色つきのビニールカーテンで仕切られただけの着替えコーナーの中からだ。クリスがその声に驚いて顔を上げると、革のズボンの前を閉めないままトミーが飛び出してきた。トミーが言った台詞も相まって、皆の視線がトミーの股間に集中する。
ド派手なラメのボクサーパンツが、顔を覗かせている。
皆が一斉に股間を見るものだから、トミーは照れたように両手でそこを隠した。
「そのパンツがどうしたって? 派手なパンツを見て欲しいっていうだけなら、もう十分だ。遠慮なく着替えに戻ってくれ」
ニールが鏡越しに笑いながら言うと、トミーは「違う!」とかぶりを振った。
「そんなわけないだろ、いいか。ちょっと見ててくれよ」
皆の前でゆっくりとファスナーをあげると、ウェスタン調の飾りのついたレザーバイカーパンツの上にラメのパンツが大幅にはみ出していた。ステージで着るために新調したというがどうやらローライズらしい。かっこいい衣装だが、パンツのせいで台無しになっている。
「斬新でいいじゃねぇか」
ニールが笑いを堪えて返すと、トミーは真剣な表情で皆にどうしたらいいかを訊ねた。
「はみ出るのが嫌だったら、腰の所を折ってみたらどうかな」
第一案を出したのはクリス。しかし、相当何度も折り込まないと無理なようである。
「パンツは脱いで、直接ズボンを穿けよ」
第二案はスティーブン。
そのどちらかしか選択肢は無かった。トミーは暫く悩んでいたが、スティーブンの案を採用することに決めたようだ。再び着替えコーナーに入り、少しして出て来たトミーはラメのパンツを手に持って不安そうに眉を顰めた。
「ステージでこいつが脱げたら、俺はもう終わりだ……。ある意味有名人だな」
「その前に猥褻罪で捕まんだろ。ドラムで良かったな、座ってりゃ脱げねぇよ」
「ほんと、ドラムで良かったぜ。俺のバンド人生で今一番そう実感してる」
真剣にそう言い放つトミーがおかしくて、皆が吹き出す。
そうこうしているうちに最終リハーサルの時間になり、ブラスは本番まで外で時間を潰すと言って出て行き、メンバー全員でステージへ向かった。
ステージに着くとセットはもう組まれており、アンプ位置の微調整がスタッフによって行われていた。今夜は派手な演出もなく、演奏することのみに特化したステージだ。
使用するギターが立てかけてある後方に向かうと、ニールはメインのギターを肩にかけ、残り一本をアコースティックギターの横へと並べた。懐かしいFenderのテレキャスターは、相当使い込まれていて所々塗装が剥げている。メイプルの指板には持ち主の運指の痕が黒ずんで残っていた。
暫くそのギターを見つめていたニールは、ギターを撫でるような仕草をし、頷いて背を向けた。
中央が立ち位置のニールはクリス側の方へ同じように楽器を置くことになっていて、向こう側の奥はスティーブンのベースが並んでいる。
「あー、ペダルは外しちゃっていいや。自分のを持ってきてるから、それを使う」
近くに居たスタッフにトミーが声をかけ、自前のフットペダルを取り出す。
ドラムセットに腰掛けたトミーがペダルの調整をしているのを確認した後、ニールは客席に向けてマイクスタンドの高さを調整する。ギターの位置とは違い、ボーカルはドラムが視界に入ることがほとんど無い。
だからこそ、互いに絶対的な信頼をもって任せられる存在でなければならない。その点、いつも軽口を叩いているトミーが、ステージ上では最高のパフォーマンスを見せるドラマーである事を知っているので、心配は何も無かった。
マイクスタンドに貼られた予備のピックを目で数えつつ、ゆっくりとスイッチを入れる。キーンという音が響いた後、何度かマイクテストをし、自分の声とギターが丁度良く届くマイクの距離感を測る。
自分の調整が終わった後、クリスの元へ行きエフェクターの調整を手伝った。今回のライブのためにオーバードライブペダルを新調したので、真新しいそれはピカピカだ。
「前のより、ピッキングレスポンスがよくなっただろ?」
「そうだな。こんなに変わるならもっと早く買い換えれば良かったよ」
「まぁ、それぞれいい所があるからな。お前が前に使ってたやつも俺は結構好きな音だぜ。慣れてきたら使い分けるといい。他に気になる所はあるか?」
「ううん、このままいけそう。有難う、ニール」
皆が準備を終えて試しに音を鳴らしている。
「よし、それじゃ、お前ら準備できたか? 何曲か通すぞ」
メンバー全員の確認が終わった所で、セットリストから数曲選んで演奏を始める。
狭いスタジオとは、音の聞こえが全く異なるが概ね予想通りの調整でいけそうだ。数曲音を合わせてリハーサルを終えると、残すのは本番だけだ。再び控え室へ戻り、たった今演奏したステージをスタッフに頼んで携帯に録画して貰っていたので、最終チェックのために皆で小さな画面を眺めた。
緊張とは無縁のトミーは、動画の中でも時々カメラ目線でスティック回しを挟み込んでアピールしていた。
ふざけているようで実は相当な手練れにしか出来ない技だ。トミーは叩くスピードとパワーが強いのでちょっとした合間にもこういう遊びを入れられる。
スティーブンはリラックスした感じでベースを構えていて、見るからにベテランオーラが凄い。しかし、その緩い構えとは裏腹にいざ演奏が始まると重い音をしっかりと出していた。バンドの心臓を担っているだけはある。
ニールは、リハーサルなので少し声量を落として歌っているが、ギターの正確なプレイをこなしながら周囲とのバランスを感じ取って音を変えていく様がさすがとしか言いようが無かった。
それと比べて……。
「俺……、こうして見てみると一人だけダサイな。直立だし……」
クリスは動画を観て意気消沈した。初心者にありがちな棒立ちプレイだ。いくらかっこよく弾きこなしても棒立ちだと当然見た目のかっこよさは半減する。弾いているときは必死だったので、スタイルまで気にしていられなかったのだ。
「本番は全然空気が違うから、気にしなくても自然に身体が動くさ」
スティーブンに励まされてクリスは苦い笑いを溢した。少し意識して動くようにしてみようと思う。
動画を見終えてトミー以外のメンバーが着替えていると、すぐにスタッフから本番前待機の呼び出しが来た。行ったり来たりと忙しないが、小規模のライブハウスは待機する場所もないので仕方がない。
それぞれステージで着る衣装に着替え終わり、本番前独特の空気感が漂う。
ニールは70年代のヴインテージファッションのようなサイケ柄の大きな襟のシャツ羽織り、下は古着のベルボトム。高身長で足も長いのでその格好がとても映えていた。
揃ったところで控え室のドアを閉めて廊下へ出ると、時間差でギギッっと大きな音を立ててドアが閉まった。
次にこのドアを開ける時、WILD LUCKは始まりの小石とでも言うべき印を刻んでいるはずだ。
廊下を大股で歩きながらトミーが突然white snakeの歌を口ずさんだ。
本番直前なのでスタッフの行き来が多く、狭い廊下で歌うトミーとすれ違う度にテンション高く「Great!!」と声が掛かる。皆ロック好きな人間ばかりなので、当然トミーが歌っている曲も知っているからだ。
「Crying in the Rainか? 俺は断然オリジナル派だな」
スティーブンが着ているジャケットの襟を立てる。
「随分懐かしい曲だな。俺もどちらかっていうとオリジナル派だ。クリス、お前は?」
ニールがウェスタンブーツの踵を大きく鳴らして歩く。
「俺もオリジナル派だよ。昔よく聴いてた」
「皆同じか。つくづく、お前らと同じバンドで良かったぜ」
ニールが小さく笑う。
トミーの歌唱力は中々のものだったが、二番目の歌詞を歌うことは出来なかった。何故ならステージ裏に到着してしまったからだ。歌い終わったトミーが皆に振り向き付け加える。
「ちなみに俺もオリジナル派だぜ。リメイクも悪くないけどな」
随分と懐かしい曲をトミーが歌ったせいで、ニールは聴いていた当時の自分を思い出していた。まだバンドもやっていなかった頃なので、ステージに立つ側の感覚を知る術はなかった。
あの頃思い描いていたステージから見る世界は、とても遠くて手の届かない場所だと思っていた。それでも、一度は近くまで行ったのだ。
ライブ本番時間十分前、前座のバンドが下がってくるのと入れ替えにステージ袖に入る。
重い緞帳も、幕もない。一からのスタートだ。
自分達がステージの上に足を踏み入れた瞬間、それが開始の合図だ。
「いよいよだね」
クリスが緊張の汗で濡れた掌をシャツで拭う。トミーがクルクルと器用に手で回しているスティックがニールの視界にうつりこむ。
客席からのコールを聞きながら、ニールは一度、目を閉じて息を吐いた。
「今夜のライブは、オールスタンディングで客席が近い。クリス以外は、前にもやったから知ってるだろうが」
ニールはメンバーの顔を一人一人見たあと、ゆっくりと言葉を続けた。
「俺たちがこれから目指すのは、遙か上、客の手が届かない”高み“だ。だけど、俺たちが目指す音は、いつでも客の手が届く場所にあり続けるべきだと思ってる。今夜のライブの感覚をしっかりと刻みつけておけ。どんなにステージが高くなっていっても、俺たちの音は変わらねぇ。いいな」
ニールが前に出した手に順番にメンバーが掌を重ねていく。
「OK。じゃぁ、行こう」
重ねられた手が離れていく。
指の先が離れていっても見えない絆で繋がっている。それは途中で絡まっているかも知れないし、どこに続いているかもわからない。それでもメンバー全員が同じ終着点を目指している、そう感じた。
クリスはギュッと拳を握ると胸に押し当て、皆の後に続いてステージの眩いライトの中に足を踏み入れた。
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