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     *     *     * 
 
「ああ、さっぱりした」 
 
 桐野がガシガシと髪を拭きながら浴室から出てきて、側に置いてあった眼鏡を掛ける。「あんたも浴びて来いよ」と言いながらリビングを横切ると、隣の部屋から着替えを持って戻ってきた。 
 
「うん。有難う」 
「そうだ。着替え、これ使え」 
 
 投げて渡された一式を慌ててキャッチした竜一は、真新しいそれに視線を落とした。 
 前回桐野の家に泊まったときに借りたスウェットがあまりに大きかったのを思い出し、受け取った着替えをどうしようか迷っていると、桐野が見透かしたように言葉を付け足した。 
 
「あー。安心していいぞ。XLじゃない」 
「えっ」 
 
 言われてから広げてみると確かにそんなに大きくない。新品のタグがついたままのMサイズ。もしかして、自分の為に買っておいてくれたのだろうか。そんな自惚れた気持ちが少し湧いてしまう。 
 
「……有難う」 
「その、……あれだ。この前間違って通販で買っちまってな。そのまま置いてあったんだ。返品しないで良かった」 
「そうなんだ。じゃぁ借りるよ」 
 
 それが桐野がごまかすために言った嘘でも、本当でも、どちらだって構わない。 
 シンプルな白いTシャツと濃いグレーのボクサーパンツ。海外製品のようなので多分Mでも自分には大きいだろうがXLよりはずっといい。 
 部屋は暑いぐらいに暖房をつけているので、寝る時もこのままで大丈夫そうである。 
 
 
 竜一が素早くシャワーを浴びて出てくると、桐野は服も着ずパンツ一枚で煙草を吸っていた。 
 竜一は濡れた髪をタオルで拭きながら、初めて見る桐野の身体につい視線を送ってしまう。服を着ていてもそれなりに鍛えられた身体なのはなんとなくわかっていたが、やはり着痩せするタイプらしい。 
 年齢的にも腹が出てくる年頃だと思うのに全くそんな事は無くて、引き締まった身体は二十代にも見えた。 
 
「シャワー気持ちよかった。有難う」 
 
 声を掛けると桐野が煙草を咥えたままくるりと竜一へ振り向き、全身を見た後、楽しそうな表情を浮かべた。 
「ふーん。Mでもちょっとでかそうだな」 
「そんな事ない。ピッタリだよ」 
「へぇ……そうか? ならいいけど」 
 
 前に見栄を張ってMサイズを着ていると言ったことが、こんな所で仇になるなんて。竜一は緩くて五分袖程度になってしまっているTシャツを少し捲りあげて僅かに胸を張った。 
 
 
 幾分物の少なくなった部屋は、桐野が物をどかしてくれなくてもソファに座れる場所がある。 
 腰掛けた竜一はひとつ長く息を吐いた。後は寝るだけのこの時間。いつもなら自然に眠くなってくる時間帯だ。 
 しかし、今日は何故か少しもそうならず、寧ろ落ち着かない。 
 煙草を吸い終わった桐野が隣へ来て腰掛けると、その重みでソファがギシリと音を立てる。 
 風呂上がりで火照った身体、濡れた冷たい髪。緩くウェーブがかかったような状態の髪を全て下ろしている桐野は、普段と違って男の色気、いや、この場合野性味が増したと言った方が適切なのかも知れない。 
 心の中でそんな感想を抱いている事を知られぬよう、竜一は関係ない部分に触れた。 
 
「桐野さんって髪パーマかけてるの?」 
「いや、癖毛だ。何もしてねぇのにこうなっちまう」 
「そうなんだ。ゆるくかけてるのかと思った」 
「あんたは真っ直ぐだな」 
 
 桐野がそう言って、つるりとした竜一の髪を一束取って指ですーっと辿った。桐野の指先に雫が移り指を濡らす。耳元に触れる濡れた指先にドキリとし、思わず竜一の身体は小さく跳ねた。 
 意識しすぎなのはわかっているが、自分ではどうしようもない。普段通りにしようと強く思っている時点で、もう普段通りではないからだ。 
 ドキドキした心音を宥めていると、桐野は大きく手を天井に挙げて伸びをした後、不思議そうに竜一に振り向いた。 
 
「なんだ、そんな黙り込んじまって。眠いのか?」 
「ううん、大丈夫」 
 
 桐野の様子を見る限り、どうやら竜一の予想しているような事にはならなそうな雰囲気である。竜一は、組んでいる指を何度か組み替えて、ゆっくりと息を吐いた。 
 
「あんた明日仕事だしな。そろそろ寝るか」 
「えっ?」 
「ん?」 
「いや……」 
 
 桐野の言葉に驚いた声を上げてしまった自分に驚きである。なにもしないで寝ることを考えていなかったので咄嗟に出てしまった。 
 期待しているようなそれに桐野が気付かないわけもなく、悪戯な笑みを浮かべた桐野がわざとらしく言葉を出さずに竜一をじっと見つめてくる。 
 
「もしかして、……期待してたか?」 
「な、何を……?」 
「そりゃぁ、あんたが一番わかってんだろ? 顔に書いてあるぞ」 
 
 台詞に合わせて、桐野が札を貼るかのように竜一の額にビシッと指を当てる。 
「なっ!」 
 
 書いてあるはずなんてない。わかっているけれど竜一は咄嗟に自分の額を守るように両手で防御した。 
 言われなくても勿論わかっている。だけど、言葉にするなんて出来ない。竜一は精一杯のごまかしの笑みを浮かべた。 
 
「今日一日楽しかったなぁって振り返ってただけで……。ホントに」 
「なんだ、そうなのか。残念」 
 
 桐野は今の返答が気に入らないとでも言うような素振りだ。自分から「普通に寝る」雰囲気を醸し出したくせに。 
 からかわれている事に少しも気付いていない竜一が肩を落としボソッと呟いた。 
 
「……なんて、本当はちょっとだけ嘘……です」 
「嘘はいかんな、嘘は」 
「だって、桐野さんが思わせぶりな誘い方……、泊まって行けとかいうから。勘違いしてた……」 
 
 言い終わるか終わらないうちに、桐野が笑いを堪えている事に漸く気がついた。肩を揺らして笑う桐野がついに吹き出し、竜一は意図を知って顔を紅潮させた。 
 
「あんた、ほんっと見てて飽きないな。こんなにからかい甲斐のある奴は初めてだ」 
 
 笑いながら桐野の手が伸びてきて、濡れた髪の毛をぐしゃぐしゃとかき混ぜられる。時々されるこうした意地悪や子供扱いにも、少しずつ慣れてきている自分がいる。 
 
「悪い。勿論、そういうつもりで誘った。勘違いじゃねぇから安心しろ」 
「本当に? ……でも、さっき「そろそろ寝るか」って……」 
「それは、運良くあんたから誘ってくれねぇかなって思ってさ、ちょっと様子を見てただけだ」 
「…………」 
「それに。前に言ってただろ? キスの先はその時考えさせて、って。だからこうして大人しく、許しを待ってたんじゃねぇか。健気だなぁ、俺」 
「桐野さん、俺で楽しんでるでしょ」 
「おう、楽しんでる。ってのはまぁ、冗談だけど。でも、マジな話、セックスなんて片方がその気になってるだけじゃつまんねーだろ? お互いその気がなくちゃやる意味がねぇ」 
「それは……。そうだけど」 
「で、答えは出たのか?」 
「……うん」 
「それじゃ、無事に了承を得たところで」 
 
 桐野がぐっと距離を縮め額へキスをすると、耳元で「ベッド行くか」と囁く。それだけで背筋がゾクリとしたのを隠すように、竜一は無言で立ち上がってベッドへ足を速めた。 
 
 
 
 一度このベッドで寝かせて貰った事があるけれど、あの時は一人で寝ていてあまり意識していなかったせいもあり、結構大きいベッドだという事に今更気付く。 
 桐野の体が大きいから当然なのかも知れないが、自宅のパイプベッドと比べると大違いだ。 
 先に横になった竜一は、何となく薄手のタオルケットを首まで引きあげ壁際を向いていた。 
 寝具からも桐野の匂いがする。これからの出来事を考えて目を瞑ったり開けたりしていると、背中側のスプリングが深く沈んだ。 
 桐野は外方を向く竜一に苦笑しながら背後に横になり、すっと後ろから手を伸ばすように腕を回した。タオルケットにくるまったままの竜一の躯が条件反射でぎこちなく固まる。 
 
 出会った頃より、人に触れられるのが怖くなくなったのは本当だ。でも、セックスに関しては、以前交際していた彼と別れて以来久しくしていないのでやはり緊張してしまう。往生際が悪いにも程があるけれど、あと十分でいいから心の準備が必要だった。 
 桐野はタオルケットごと竜一を抱き締め、耳元に何度か口付けた。 
 
「そのままでいいぞ」 
「……え?」 
 
 桐野が何気なくかけてくれた言葉の意味を考え、目の前の壁に視線を向け耳を澄ませる。 
 
「時間はたっぷりある。焦らなくていいって言ってんだ」 
「……桐野さん」 
 
 背中越しに伝わる体温が温かくて穏やかで……。桐野の息が首筋に掛かってくすぐったい。 
 
「あんた、最初に会った日から、どこか怖がってる感じがしたからな。人に触られるのも触れるのも。無理してるんじゃねぇかなって」 
「……!?」 
――出会った日からずっと、気付かれていた? 
 
 そんな自分にしかわからないように隠していた事まで、桐野は気付いていたらしい。これは完全に自分自身の問題なのに。 
 
「……ごめん」 
 
 咄嗟に言葉が出てこず、謝ってギュッと目を閉じた。先ほどまでは全然平気だと思っていたのに、いざ本番でこんな状態になるなんて、桐野が嫌気が差すかも知れない。もしかしてもう呆れている? 
 そう思うと緊張の上に焦りも湧いてきた。 
 どうにかしなくちゃ。嫌われたくない。 
 桐野に、嫌われたくない。 
 またいつもの癖が出て来て竜一の頭の中はその事でいっぱいに埋め尽くされつつあった。嫌われたくないから自分は我慢して相手に合わせるしかない。そんな方法でしか恋愛をしてこなかったせいで、素の自分を曝け出す勇気がない。 
 
「桐野さん、俺」 
 
 今は無理してでも……。そう思って振り向くと桐野の顔が予想よりずっと間近にあって……。だけどその顔は、とても嫌気が差しているようには見えなかった。切羽詰まった表情で桐野の名を呼ぶ。 
 
「……桐野さん」 
 指先でツンと鼻をつついた桐野が困ったように眉を下げた。 
「そんな顔するなよ、俺が虐めてるみたいじゃねぇか」 
「違っ、そうじゃないんだ」 
 どこか縋るような声色でそう口にした竜一の頭を桐野がぽんぽんと撫でる。 
 
「いいか。怖いなら怖い、嫌なら嫌。あんたが今思ってることを正直に伝えていいんだぜ? 自分で本当の気持ちを意思表示するんだ。そうしないと、あんたはずっとこのまま変われねぇぞ」 
「……、……でも」 
「大丈夫だって。約束しただろ? 俺が、あんたを治してやるって」 
 
 優しげな囁きでそんな事を言ってくる桐野に、竜一は自分から腕を回してしがみついた。体温の高い熱くてがっしりとした身体、広い胸にほんの少し顔を埋めて竜一は小さく呟いた。 
 
「まだ……やっぱり緊張してるんだ」 
「うん、そうか。他には?」 
 
 桐野の相槌、背中をゆっくりと撫でてくれる感触、時計の秒針の音。それらが混ざり合って、入り込んでくる。竜一は震える唇を僅かに開いて、胸の内を曝け出した。 
 
「誰かに触れるのも、好きになるのも、本当はちょっと怖い。また裏切られるんじゃないかとか、嫌われないようにしなくちゃとか……色々考えちゃって……。中々前に進めないんだ。自分でも嫌になるよ」 
 
 みっともない心の内を静かに吐き出したあと、竜一は顔を上げられなかった。ドクドクと規則正しく音を鳴らす桐野の心音がはっきりと耳に届く。 
 
「そっか」 
 桐野は短く返すと、竜一が隠れるように被っていたタオルケットを腕で取り去った。 
「!?」 
 途端にヒュッと寒くなった瞬間、桐野が腕の中に包むようにもう一度身体を引き寄せ、竜一の背中を優しく何度も撫でる。 
 
「人肌ってのはさ、不思議なもんだよな。こうして抱き締めてるだけで自然と落ち着くだろ?」 
「……うん」 
「理屈はわからねぇが、俺はこう思ってる。命の距離が近いからなんじゃねぇかなって」 
「……命の、距離?」 
「そう。まぁ、心臓が近いって言う方がわかりやすいか。相手の心音を感じられるほど近くに居るって事は、つまり無防備だってことだ。そんな無防備な状態を委ねられるのって、自分にとって特別な存在だからな」 
「……そう、かもしれない」 
「なぁ、さっき、嫌われないようにしなくちゃって考えてるって言ってただろ?」 
「うん」 
「嫌われないようにするってのは……、好きにもなって貰えねぇって事だぞ」 
「……っ」 
「それって、つまりは本当の自分じゃねぇって事だ。もしそれで好きになって貰っても、それは『嫌われないように自分を殺してる誰か』であって、本当のあんたじゃない。そんなの悲しくねぇか」 
 
 桐野の言葉が深く胸に刺さり、息が出来ないほどに痛い。竜一は、噛みしめていた唇を開いた。 
 
「わかってる。……わかってるよ、だからいつもうまくいかないんだ。好きになるとどうしても嫌われたくないって感情ばかりが表に出て来て。それ基準でしか考えられなくなって……。じゃぁ、どうしたら良かったのかな」 
「別に責めてるわけじゃねぇぞ? 俺だって好きな相手にはよく見せたい、嫌われたくないって気持ちは勿論ある。ただ、ずっとそれじゃダメだって意味だ」 
「そうだね……」 
「うーん。そうだな、じゃぁ……。まずは練習で、俺の前では50%ぐらい、素の自分のままでいるようにしたらどうだ? 慣れてきたらもう少し見せてくれると嬉しい」 
「わかった。意識してみる。――桐野さん、何だかカウンセラーみたい。俺、……こんな事、人に話したことないのに」 
「そんな立派な人間じゃねぇよ。ただあんたより、ちょっとだけ長く生きてるってだけだ」 
「ううん。でも……聞いて貰えて何だか落ち着いた。ごめんこんな時に……」 
「どういたしまして」 
 
 竜一が安堵の表情を浮かべて微笑む。桐野とゆったりとした会話をしていたせいか、気付けば随分と緊張もほぐれていた。ポカポカと温まったのは躯だけではなく心の中もだ。 
 
「今夜は、心のカウンセリングだけでいいのか?」 
「え?」 
「俺としては、躯のカウンセリングの方が得意分野なんだが」 
 
 竜一が小さく笑って桐野と視線を合わせる。 
 
「桐野さん、ちょいちょいオヤジくさいこと言うよね」 
「オヤジなんだから、当然だろ」 
 
 おかしくて苦笑していると桐野は「もう黙れ」とでも言うように自身の下着を脱ぐと唇を塞いだ。啄むような数回の口付けの後、柔らかな唇をひらかれ熱い桐野の舌が侵入してくる。 
 あっというまに変わった色付いた空気が、甘い予感を纏って背筋を撫で上げる。途中脱がされたほんのちょっぴり大きなTシャツは無造作にベッド脇へと放られ、熱い素肌が重なり合う。 
 竜一は長く息を吐き、そっと目を閉じる。 
 
 高い鼻を邪魔そうに傾けて繰り返される口付けは、一番初めに桐野としたかわいらしいキスではない。籠もっていく熱に引き摺られ、口付けも噛みつくような強い物へ変わり、足りない酸素を鼻で必死に補いながら、竜一もそれに応えた。 
 
「あんた、本当に色白だな」 
 
 途切れた口付けの合間に竜一の躯を見ながら桐野がそんな事を言う。色が白いとはよく言われるし、嬉しいどころか男として少し情けないと思っていたのに、桐野に言われればなんだか悪くない気がしてくる。 
 
「日焼けしても、赤くなっちまうタイプか?」 
「う、うん……。そんな、感、じ……っ」 
「今もホラ、俺がちょっと擦っただけで、ここ、赤くなってきてる」 
「……どこ?」 
 
 セックスの合間なのに、まるで普段の会話のような話をする桐野に対し、返事をする自分は時々裏返りそうになる声を必死で隠している。 
 視線だけを桐野の言う方へ向けると、桐野の口元が笑みを浮かべているのが見えた。 
 
「こことか、ここ。ああ、ここもか……」 
 
 竜一の「どこ?」に返すように、耳朶を甘噛みした後囁くように言われ、うっすらと赤くなった胸の辺りや鎖骨の辺りを長い指でわざといやらしく触っていく。鼓膜に振動する低い桐野の声は、まるで体内を愛撫するようにも聞こえ、いとも容易く快感を煽る火種になった。 
 微弱な快感が散りばめられ、焦れた感覚が次々と場所を変えてくる。 
 
「……っ、そ、そこは。っ、ぁ、」 
「ん?」 
「いや、その……くすぐったい……から、その」 
 
 桐野が少し肩を竦め、頭を上げて竜一の浮き出た鎖骨を舌で撫でる。ざらりとした濡れた感触に思わず抑えていた声が漏れた。張り詰めた自分のソレが脈打つのがわかった。 
 
「ひぁっ、……」 
「へぇ……。くすぐったいと、あんた、そんな声出すのか。もっとイタズラしたくなっちまうな」 
「……き、桐野さん!?」 
 
 わかっていて聞いてくる桐野に抗議するように口をとがらせ、ちょっとだけ睨み付けてみたが、頬を紅潮させた竜一のその様子は逆効果だったようである。 
 まったく耳を貸さずあちこちを触ってくる桐野は、指先で片方の乳首をつまみながらもう片方を口に含んだ。自分の身体が酷く敏感な体質である事は気付いている。特に胸の辺りや腰を触られるのが弱いことも。 
 イタズラと口にした桐野の指先の動きは、言葉の響きとは裏腹に甘やかでイタズラよりもっと上等の快楽で竜一の身体を追い詰めていく。 
 たっぷりと舌で嬲られ、吸われた乳首がジンジンして感覚が麻痺してくる。 
 
「んっ、や、桐のさ、……」 
「乳首、弄られると気持ちいい?」 
「……、……」 
 
 「うん」とここで言うのも憚られその質問には答えられない。桐野とセックスをするのが初めてなのは自分だけではない。勿論桐野自身だって竜一とのセックスは手探りなのだ。 
 触れて、口付けて。 
 肌で、体温で、声で。 
 確認しながら互いに覚えていく。 
 
「あんたの気持ちいいところ……、もっと知りたい」 
 
 いつもの声のトーンより柔らかい口調で、桐野は優しい笑みを浮かべて竜一を見つめた。顔のサイドに散る緩くうねった桐野の長い髪。視線を合わせてその笑みを見つめ返していると、自然と桐野の身体を引き寄せていた。 
 竜一はゆっくりと桐野の首へ腕を回し、近づいた唇に自らの唇を被せる。 
 
「んん……、……っふ、」 
 
 夢中になって舌を絡め合いながら桐野の頭に手を伸ばす。 
 差し込れた指先が桐野の頭皮を辿っていく、柔らかな髪質は指に絡みつくようで、竜一の指のうえで滑り落ちた。 
 
「っ全部、気持ちいいよ。俺、桐野、さん……触られるとこ、全部……。すごく気持ちいい」 
 
 熱情に潤んだ瞳で竜一が見つめれば、桐野は嬉しそうに目を細め竜一の首筋を撫でた。 
 「嫌われたくない」より「喜んで貰いたい」自然と感情が移行していくのが自分でもわかる。ふわりと心が軽くなったのと同時に躯の芯に籠もる熱が温度を上げていく。 
 キスをしてじゃれ合いながら身体を起こすと、竜一は桐野の方へ視線を向け「今度は俺の番」と囁いた。 
 
「……ああ」 
 
 短く返された言葉を待たぬうちに、竜一は桐野の今にも弾けそうな雄に手を伸ばし、掌で包んだ。指がまわらぬほどの太さのそれはちゃんと硬くて、互いに感じあっているのだと嬉しくなる。 
 浮き出た血管に流れる血流をマッサージするようにさすったあと、竜一は体勢を変えて桐野の雄を一気に口に含んだ。口一杯に広がる桐野の味。 
 
「……っ、」 
 瞬間桐野の息遣いが一瞬止まる。 
 
 手で根元を支えながら繰り返しゆっくりと喉の奥へ迎え入れると、圧倒的な存在のソレが口の中で膨張し、顎が痛いほどだった。 
 濡らしながら舌で優しく裏筋をくすぐり唇で何度も扱きあげる。同じ男だからこそ、どうしたら気持ちが良いかはだいたいわかるのだ。部屋にはくちゅくちゅと卑猥な音が響いた。 
 時々ぐっと我慢するように膨らむ桐野の雄が上り詰めているのが嬉しくて夢中で口淫を続ける。 
 
「っ……すげぇ、いいよ。絶好の眺めだ」 
 
 荒くなった呼吸の合間に、桐野が色気を滲ませた掠れた声をかけてくる。その声に釣られて竜一自身も痛いほどに張り詰めていて、気を抜くとイッてしまいそうだった。 
 
「……やべぇ、そろそろイきそうだ。口、離せ」 
「いい。このまま……。イって」 
「いや、さすがにそれはまずいだろ」 
「いいんだ」 
 
 少し離れるように腰を引いた桐野を追うようにして続けていると、一層硬く脈打った瞬間、桐野の小さく呻く声が届いた。 
 丁度浅い部分を咥えていたので、手が滑って桐野の精液が勢いよく竜一の顔にも半分かかってしまった。 
「うわ、悪ぃ」 
 ソレを見ていた桐野が慌てて側にあるティッシュを何枚か纏めて渡した。幸い掛かったのは頬と首筋だったのですぐに拭き取って別にどうということもない。口に残る苦い味だって、桐野のものだと思えば抵抗もなかった。それより、桐野にちゃんと気持ちよくなって貰えた事がとても嬉しくて堪らない。 
 
「ほんと、悪いな」 
「全然平気」 
 
 汚したことを再度謝る桐野に、竜一は照れ隠しのようにはにかんだ笑みを浮かべた。自分の口淫でイってくれて嬉しいなんて口には出来ないから……、「俺、結構うまいでしょ?」なんて。 
 まるでテクニックを誇る高校生みたいだと思えば、一人おかしくなった。 
 桐野が、嬉しそうに笑みを浮かべ頷き、「ああ、かなり良かった」と言ってくれる。 
 
 丸めたティッシュを床へと落とした竜一を抱き上げるようにして自分に引き寄せると、桐野が長い腕を回した。しっとりした肌を合わせながら、何度も口付け満足するまで互いの体温を混ぜ合ったあと。「今度は俺の番だな」小さく笑いながら告げて桐野が竜一の足の間に割って入る。 
 
「後ろ、俺が挿れてもいいのか?」 
「うん。……。だって俺たち、恋人……だし。今は仮だけど……、でも、桐野さんがいい」 
「……、っ」 
 
 何故か桐野が少し困ったように眉を下げ、落ちてくるか前髪を鬱陶しそうにかき上げる。長い溜め息の後動きを止める桐野をみて心臓がドクッとなった。もしかして、自分は変な事を言ってしまったのだろうか。どうしよう、と不安がじわじわと滲み出す。 
 
「……どうか、した?」 
「いや……」 
 
 桐野が首を振って、不安気に見上げる竜一に覆い被さるように体重を掛け首筋に唇を埋めた。重なる心音、自分だけじゃない、桐野も相当に早くなっている。 
 
「年上の余裕を見せようと思ってた計画が、……台無しだ」 
「……え?」 
 
 苦笑しながら躯を起こした桐野は、竜一の真っ白な内腿を軽々と抱えると内側に何カ所も刻むように口付けをした。すぐに赤くなる柔らかい部分に口付けの跡が刻まれていく。くすぐったさと微弱な快感を連続で与えられ、躯が震えた。 
 口付けの合間に桐野と視線が交われば、股を開かされた卑猥な自身の姿が嫌でも目に入り、顔を覆いたくなる。普段触れることのない内側から徐々に愛撫が位置をずらし、柔らかな袋を掌で揉まれ、いよいよ喉で声を止められなくなる。 
 
「んっ、ふ、あ、っッ」 
「乱暴にはしねぇけど、痛かったら言えよ?」 
「ふぁい……、」 
 
 「はい」と言ったつもりが何とも情けない言葉になり、竜一は口を強く結んだ。ベッドサイドにあったローションとゴムを手にした桐野が「寒くねぇか?」と気遣う言葉を掛けてくれる。 
「ううん、……平気」寧ろ躯が火照って冷ましたいぐらいだった。 
 
「ちょっと冷てぇだろうけど、我慢してな」 
 
 こくこくと頷いてみせると、桐野は大きな掌にたっぷりローションを垂らすと右手の指先で掬って竜一の後ろへとそっと触れた。ぬるつく指先がツプリと差し込まれ躯の中へ挿ってきたのがわかる。 
「……んっ、ぁ」 
 桐野の潜り込んだ指が動く度に無意識にキュッと締め付けてしまう。指だけでもこんなに気持ちいいなんて……、このままだとすぐにイってしまいそうである。少しでも溜まった快楽を逃そうと忙しなく甘い吐息を吐き出してみても結果はそう変わらなそうだった。 
 
「可愛いな、あんた。中が勝手に締まってるぞ?」 
「そ、そん……知、らないよ」 
「わかるか?今、これ一本。何本までいれて欲しいか、リクエストがあれば聞くけど?」 
 そんな事を聞かれたのも初めてで竜一も思わず苦笑する。 
「そ、そんなの、聞くなんて、桐野さん変だよ」 
「そうか? んでも、柔らかくなってきたから指はもう増やせそうだな」 
 
 そういって桐野は一気に指を三本へと増やした。二本目を省略されたことで、躯がびっくりして反応する。太くて長い指はあちこちの快楽の在り処をなであげて、竜一の口からは甘やかな声が漏れた。 
「んぁ、や、……あんま……動かさな、で」 
 竜一のお願いは聞きいれて貰えず、手前に揉み込むように、時には押し広げるように、桐野の指が中の潤んだ粘膜をかき回すように蠢く。 
「やだ、や、っもう……平気だから。桐野さん、きて」 
 お願いを口にしながら、もう腰の奥が重苦しくなってきているのを感じる。 
「んぁっ、んん……、ゃ、あっッ」 
 充分な柔らかさを確認した後、桐野はスッと指を抜いて拭き取ると、自身の雄にゴムをはめた。束の間空虚になった窄まりに熱い桐野の先があてがわれる。 
「それじゃ、お望み通りに」 
 低い呟きの後、ゆっくりと侵入してくる圧倒的な存在感は、指三本が全く意味がないほどに別の物だった。 
 
 少し力を入れていきむようにしながら桐野の雄を最後まで迎え入れると、竜一は桐野の背中にしがみつくように強く腕を回した。 
「は、ぁ、っっ……、んっ」 
 痛さはないけれど、こんなに苦しい圧迫感は感じたことがない。切れ切れになる呼吸をなんとか宥め、桐野の名を呼んだ。 
「きり、の、さ……っ」 
「ん、大丈夫か?」 
「うん……」 
 
 軽い口付けを幾度か落としたあと、桐野が半身を起こし足を担ぎ上げる。身長差があるのでいとも簡単に躯を折られ竜一の腰は少しだけ浮いた。白い喉仏を反らせ、中に桐野がいることを噛みしめる。 
 律動のリズムが徐々に早くなり、打ち付けられる度に全身を強烈な快楽が駆け上る。何も考えられず、抱かれる快楽だけが支配する。いつのまにかずり上がっていたのか、竜一の頭がベッドの背もたれにゴツンと当たった。 
 
「あっ、ッ、桐、ん……っっ。ん……ッ」 
「なぁ、」 
「……う、ん?」 
 
 締め付けられて苦しげな桐野の顔に浮かぶ汗が、ツゥとこめかみから流れる。グラグラと揺れる酩酊感の中、首を僅かにもたげて桐野の方へ視線を向けると、桐野は酷く切なげな表情で竜一を見ていた。 
 
「ちゃんと、覚えておいてくれ」 
「……ぇ、……何、っん、っ、」 
「俺が、あんたをどうやって抱いたか、どんな視線で、っ、……あんたを見つめていたか」 
「……桐野、さ……」 
「頼む。忘れないでくれ」 
 
 意味のわからないまま、混乱するような事を言われ、でも今は頭が回らない。言葉を落としながら激しさを増していくセックスに竜一は翻弄されながらも、胸が苦しくなるのを感じた。 
 
「忘れない。桐野、さん。おれ、わすれな……よ」 
 
 安心したような笑みを浮かべ、桐野は竜一の奥へと雄を突き立てた。上り詰める射精感に、シーツを掴み、竜一が苦しさに喘ぐ。目の前がチカチカして、喉がぐっと締まった。 
 
「ああッ、だめっ、もうイく……、っあ、ぁ、ァ!!」 
「んん」 
 
 角度を変えて快楽の場所を一気に擦り挙げられ、竜一は漏れる嬌声を噛み殺しながら達した。跳ね飛ぶ白濁が胸まで飛び、意識が朦朧とする。 
 追うようにして竜一の中で爆ぜた桐野は、少し間を置いて荒い息を吐きながらズルリと自身を抜き去った。その瞬間でさえ、しとどに竜一の先から溢れ出た白濁が竿を伝う。 
 桐野は手を伸ばし、最後に竜一の雄を優しく握って最後まで搾り取った。長く続いた絶頂の余韻が、桐野の掌で包まれた中で次第に落ち着いてくる。 
 
 部屋中に煩いほどに響く互いの息遣い。夏でもないのに汗ばむ躯は、心地よい疲労感で満たされている。 
「……桐野さん、」 
「どう、した?」 
「キス、……して」 
「ああ」 
 ずるいほど優しげな口付けを与えられながら、竜一は束の間、長い睫を伏せた。